勝利するのはつねに軍人だ


 ただちに「戦争」「報復」という言葉が誰の口からも平気で飛びだすことに驚く。見えざる相手を、確定された過去の「悪」「敵」のイメージに重ねる修辞を弄することで、自己を永遠の「正義」として聖別し、報復的暴力を正当化することができると思い込む。だが、戦争であろうが、報復であろうが、それはしょせん暴力に対する暴力の上塗りでしかないという、この事実に真摯に向き合おうとする人が米国民の2割にも満たないとは、私には信じられない。

 報復という軍事行動は軍人が担う。市民は、国家の軍事的優位を確信して、国家が悪を壊滅させうると思い込む。為政者の言葉がこの確信を保証する。だがいまや、世界に比類ない緻密な軍事・防衛システムを確立した米国において、テロの犠牲になったのは軍人ではなく市民だった。湾岸戦争でも、パレスチナでも、コソボでも、つねにより多く殺傷されたのは市民だった。軍人だけが勝利し、市民はつねに犠牲者となる。これが、軍事を暴力装置として特化させた現代のパラドックスである。

 世界には人々の絶望と敵意が蔓延する。その一触即発の感情を、利己的な価値観の押し付けによって醸成しているのが米国が主導するグローバリズムだ。軍事的報復の連鎖のシナリオを作り世界中に蔓延させたのも米国の覇権主義だった。そして二本の超高層ビルに5万人を幽閉する経済システムも彼らの発明品なのだ。

(『朝日新聞』2001年9月17日朝刊、「eメール時評」)


[return to NYC without WTC index | return to CafeCreole top]