キャリバンの音楽
-----オルティス、ホール、サイード
フェルナンド・オルティスによって「対位法」(contrapunteo)と形容され、「トランスカルチュレイション」(transculturacion)として定式化されたキューバ混血文化の形成が、まさにこれらの援用された用語の意味論が示すように、ヨーロッパとアフリカとが文化論的に対等の立場を占めつつ行われた相互対抗的、相互交渉的なプロセスであったことはいうまでもない。オルティスによる「対位法」という音楽用語の借用は、この概念が「音に対する音」「旋律に対抗する旋律」の意味を持ち、複数の主題がどれも単独で支配的な旋律をかたちづくることなく交錯し、その結果としてある秩序を持ったポリフォニー音楽が達成されることに着目して採用されたものであった。
しかしそもそも、アフロキューバ系民俗音楽の精力的な研究者でもあったオルティスにとって、文化プロセスを音楽的用語で語ることには比喩以上の真実が隠されていたともいえる。なぜなら、彼の考えるトランスカルチュレイションのもっとも結晶化されたプロセスこそが、キューバ音楽の形成の歴史そのものだったからである。『タバコと砂糖をめぐるキューバ的対位法』の刊行の数年後に発表された『アフロキューバ音楽と先住民キューバ音楽』および『キューバ音楽におけるアフリカ性』の2冊の著作は、民衆音楽という場において、キューバの混血文化が一つの真正な表現を見いだしたことを歴史的・人類学的にあとづける重要な作業であった。そしてそこでは、キューバ音楽の形成がいかに精密な文化的対位法による産物であったかが詳細に論じられている。たとえば『アフロキューバ音楽と先住民キューバ音楽』の冒頭でオルティスは、キューバ民衆音楽についてまるでタバコを論じているかのようにこう語りはじめる。
タバコと音楽-----このどちらも単に白人文化に帰せられる産物ではない。それらはどちらも、複数の文化の交錯と抱擁が生みだしたものだった。キューバでタバコが西欧によって「発見」されたのは一四九二年の一一月のことであり、そのときにインディオによって吸われていたいわゆる「葉巻」あるいは「シガー」と呼ばれるものは、いまだに極上の洗練を意味する贈り物とみなされている。それはインディオの原作であり、黒人と白人による脚色がなされた、混血(メスティーソ)的産物なのだ。そして世界にたいするキューバのもう一つの贈り物が民衆音楽だった。それは黒人音楽と白人音楽の異種混淆的な怪物であり、混血(ムラート)的産物である。そして、音楽はこの二つのなかでより真にキューバ的なものである。なぜなら、タバコやその喫煙法がキューバ人の独占物ではなかったのにたいし、ムラート音楽はパルマ・レアル(ダイオウヤシ=キューバの国樹)とおなじく、真にキューバ民衆による独創物だからである。
オルティスがここで、キューバ民衆音楽の真正性を「怪物」=「奇形児」(engendro)という一見ネガティヴなニュアンスをもつ語彙によって形容し、宣揚しようとしていることは、のちのわれわれの考察にとっても注目しておくべきだろう。まさに二○世紀の半ばにしてはじめて、カリブ海のきわめて自覚的な思想行為の一つが、文化の混淆とそこから生まれるハイブリッドな生成物の怪物=奇形性に、特権的な自己意識を投影させていたからである。キャリバンという化け物的形象の創造的な援用は、もうここからわずか半歩の所にあったのである。
さて、「対位法」という比喩が、オルティスによってキューバ文化の音楽的な達成を明らかに意識しながら採用されていたとすれば、この用語の音楽史的な文脈を私たちは解体する必要性に迫られることになる。いうまでもなく、西欧音楽史のなかでパレストリーナやバッハによって代表される対位法音楽の語法じたいが、複数の旋律の自在な交錯によって特徴づけられていたことはたしかであったが、そうした西欧音楽史のなかで成立した作曲法を示す概念をそのままキューバ音楽の成立のプロセスに適用することは、比喩だとしても問題をはらんでいると考えられるからだ。そしてもちろん、オルティスはそうした用語の歴史に敏感であった。彼が行ったのは、すなわち「対位法」という概念じたいをトランスカルチュラルな修辞プロセスによって脱西欧化し、それをアフロキューバ文化の微細な文化的配置にかかわる政治学的・詩学的な文脈を示す概念へと置換したことだった。音楽的構築性がもたらす想像力が用語の地域的・歴史的限定を超越し、「対位法」という概念はこうしてオルティスによって見事にカリブ海的文脈へと再配置されたのである。
キューバ的対位法とは、そうした文脈でいえば、いうまでもなく「アフリカ」という潜在していた決定的な主題が「ヨーロッパ」というドミナントを装う主題に果敢な掛け合いを要請し、その単声的な支配構造を複雑な交響的・多声的音楽へと展開していった経験を指していることになる。カリブ海文化に潜伏しつつ、つねに決定的な「現前」(プレゼンス)としてクレオール的自己意識を賦活しつづけていた「アフリカ」について、ジャマイカ出身の現代イギリスの思想家スチュアート・ホールは、「文化的アイデンティティとディアスポラ」(一九九○)という重要な論考のなかで音楽的な比喩によりながらこう印象的に述べている。
奴隷制のなかに直接に表象されえない「意味されるもの」としての<アフリカ>は、カリブ海の文化において、語られることのない、また語りえない「現前」のままでありつづけている。それはカリブ海文化の生活におけるあらゆる音声的な抑揚、ひねりの効いたあらゆる言葉の言い回しのなかに隠れている。すべての西洋のテクストが「再読」されたのは、まさにこの秘密のコード(和音)によってだった。それはあらゆるリズムと身体運動の通層低音をなしている。これこそが、かつて---そして今も---ディアスポラのなかに生き、躍動する<アフリカ>なのである。
ホールがここで示唆するように、西洋的テクストを再読するための秘儀的な語法として自覚された<アフリカ>は、人々の言語的抑揚や身体律動といった部分に深く宿りながら、カリブ海の文化的アイデンティティの生成と配置を決定づけてきた。オルティスがキューバ的「対位法」と呼ぶものもまた、ホールのいう「アフリカ的現前」によって多声化されたキューバの文化的ポリフォニーの総体のことであるにちがいない。その意味で、カリブ海において再文脈化された「対位法」とは、二○世紀のカリブ海的な文化論をポストコロニアリティの問題意識に向けて更新してゆくときの、特権的な方法論であるとみなすことができるのである。
「対位法」という音楽用語を、オルティスときわめて近い関心から、しかしオルティスに直接依拠することなく、帝国主義的な文化イデオロギーの潜在的浸透によって単線化された因習的な文学テクスト解釈への革新の手がかりとして採用したのが、『文化と帝国主義』(一九九三)におけるエドワード・サイードであった。いうまでもなく、『音楽のエラボレーション』(一九九一)のような、深い音楽的教養を現代の思想的課題とスリリングに結びつける著作をも持つサイードにとって、音楽用語の思想的援用と展開はたんなる思いつき以上の本質性を持っていることはいうまでもない。しかも『音楽のエラボレーション』の第一章が、とりわけピアニスト、グレン・グールドのカノンやフーガといった対位法的音楽への偏愛とその行為遂行的意味について論じていることを知る私たちは、サイードの「対位法」へのこだわりが彼の批評理論の根幹に位置するある方法論的な確信と通底していることを、ほとんど直感することができる。
『文化と帝国主義』に収録された諸論文を貫いて言及される「対位法的読解」(contrapuntal reading)とは、英文学における規範的テクストを帝国主義と植民地主義のプロセスにかかわる根深い含意を露呈させるかたちで「再読」する、一つの対抗的な「読み」の方法を指している。たとえばサイードは、ジェーン・オースティンの『マンスフィールド・パーク』を例に挙げながら、そこでのカリブ海アンティーガ島のプランテーションの描写が、カリブ海の現実がかかえる苦悩を一つの純化された美意識として利用=濫用し、そのことによって最終的に、植民地支配の権力的中心(イギリス)がつねに表現の権威を獲得してゆくかたちで行われていることを鋭くえぐり出す。そこで働く権力のメカニズムは、サイードによれば、言説主体のヒエラルキーの構造と、地理学的・地政学的なイデオロギーの布置にかかわる問題である。すなわち、唯一の「観察者」として特権化されたヨーロッパ人(旅人、商人、行政官、学者、歴史家、小説家)によるテクストが単一にして絶対的な読解の根拠を占有し、同時に、西欧の大都市から海外の植民地の領土的システムを見渡す中心化された空間的想像力が、そのまま植民地拡張をめぐる搾取的視線を産出してゆく、という潜在的なテクストの修辞性を、旧来の文学批評は自覚化することがほとんどできなかったとサイードは主張する。
そこで火急に要請されるのが「対位法的読解」である。サイードは『文化と帝国主義』のなかでこう書いている。
われわれの文化的書庫をもう一度見直しながら、われわれはそれをもはや一義的にではなく、対位法的に再読しようとする。そこでは、叙述されている宗主国の歴史への配慮とともに、支配的言説がそれに対峙し(または共働)している、あれらの異なった歴史への配慮が同時になされねばならない。・・・われわれは、カリブ海やインドへの介入が、植民地主義、抵抗、土着のナショナリズムといったさまざまな固有の歴史によって輪郭づけられ、おそらくは決定づけられさえしているイギリス小説を、そうした方法によって、真に解読することが可能となる。
歴史的経験を「対位法的に」見ることとは、すなわち植民地状況をつくりあげた文化的・政治的・経済的諸状況を、「ねじれ、錯綜し、折り重なった」(サイード)複数の歴史のセットとして見ることである。いいかえれば、歴史の「対位法」的方法論とは、西欧と非西欧の経験を相互帰属的な、相互共犯的なものとしてとらえることであり、両者の経験をつねに媒介しているのが「帝国主義」「植民地主義」に他ならないという事実の認識である。こうして、カリブ海を一つの楽譜的な空間として展開される、コロニアリズムという対位法的フーガの旋律がサイードによって新たな歴史学の対象として自覚される。そしてサイードの「対位法」への執着は、シェイクスピアのテクストを最大の英文学上のカノン(正統)として一義化する歴史へのカリブ海知識人による「対位法」的抵抗、すなわち『テンペスト』の創造的「再読」の運動と、見事な連帯をかたちづくる。『文化と帝国主義』におけるキャリバンへの言及については稿を改めねばならないが、サイードが「対位法的読解」と書くとき、そこには、セゼールやジェイムズやラミングやレタマールへの深い共感を媒介として、たしかに先駆者オルティスへの思想的通路が開かれていた。
キャリバンの演奏する苛烈な熱を孕んだカノンやフーガの旋律を、オルティスはキューバで、そしてサイードはパレスティナから切断されたディアスポラの領土において、ともにたしかに聴いていたにちがいないのである。
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