Dancing in California
カリフォルニアで踊る ブレンダ・ウォン・アオキ
<解説>1942年、日本軍による真珠湾攻撃後、アメリカ合州国西海岸に居住していた約12万人の日系人が、内陸部の砂漠地帯に設置された強制収容所へ移送されました。「カリフォルニアで踊る」はこうした日系人強制収容所へ送られた、あるバレリーナの悲劇にまつまる物語です。ちなみに「カリフォルニアで踊る」は、日系二世の作家ヒサエ・ヤマモトによる短編小説集『十七文字』所収の「ミス・ササガワラ」をもとにして新たに翻案された作品です。
これから私がお話しするのは、ひとりのアメリカ人の物語です。舞台は1940年代初頭のロサンジェルス。これはあるダンサーの物語で、そのダンサーの両足は長くも、白くもありませんでした。つまり、子供の頃、彼女の足はダイコンアシだったのです。まあ、ダイコンアシというのは必ずしも病気というわけではないのですけれど、もしあなたがバレーダンサーになりたかったら、それはきっと障害になるに違いありません。ダイコンというのは、ソーセージのようなかたちをしている、長くて太い根っこのことです。ダイコンアシとは、したがって、太いソーセージ足といった意味。私たちのヒロイン、ミス・ミヤキの両足が長く、細くみえるようになる日まで、何時間も、何年もかかりました。でも、この物語の不幸な点は、それが決して白くならなかったということです。
ミス・ミヤキは小さな部屋に住んでいて、毎朝目覚めると練習をしていました。
「ホ、ホ、ホ、ラ、ラ、ラ、ザ!」
昼にはいつも、彼女は練習用のバレー・バーの前でマダム・ヴェリュシュカのレッスンを受けていました。
「のばして!のーばーしーて!ひろげて、はい!」
そして夕方には必ず、彼女はオペラハウスにいるすべての人々のために、長く黒い髪を頭に被った冠のなかに詰め込んで、白くてふわふわのドレスに身を包み、ピンクのサテンのトゥー・シューズを履くのでした。彼女はダンスを愛していたのです!
週末になると、彼女にはいつもと違う日課が待っていました。彼女は父を訪ね、父と過ごし、週に一度の夕食を作っていました。彼女は掃除機をかけました。…そして、日曜日には二人で礼拝に行くのでした。
「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ、ナムアミダブツ」
それから週末に彼女が自宅に戻る時間になると、父は必ずこう言って、彼女を諭すのです。
「お前ももうすぐ30歳になる。俺は年老いた。そろそろ身を固めて落ち着いたらどうなんだ!」
1942年の春、アリゾナ州ポストン・リローケーション・センターのブロック33-Cで、ミス・ミヤキは父と暮らすことになり、そこが彼女の落ち着き先になってしまいました。さて、ミス・ミヤキと父は、私たちのようにれっきとしたアメリカ人であったにも関わらず、敵性外国人として捕らえられ、強制収容所へ投げ込まれたのでした。タールが塗られたバラック、有刺鉄線、軍警察、アリゾナの砂漠に見捨てられた人々。それが、ポストン。
それでも、ミス・ミヤキは毎朝目覚めると練習をしていました。
「ホ、ホ、ホ、ラ、ラ、ラ、ザ!」
昼には、練習用のバレー・バーの代わりに古い金属製の椅子を使い、彼女独りだけのレッスンをするのでした。
「のばして!のーばーしーて!ひろげて、はい!」
そして夕方には、彼女はオペラハウスにいるすべての人々に対して自分がどんなふうに踊っていたのかを思い出すのです。
いまでは、彼女は料理を作る必要がなくなりました。みんな食堂で軍用食を食べていたからです。でも、掃除は問題でした。というのも、壁には穴だらけで、床にはひびだらけで…それは夏のあいだにすっかり日に焼けてしまい、冬になると完全に凍ってしまいます。そして砂…砂漠から吹いてくる砂。それはいつもぐるぐる渦を巻きながらあらゆるものを分厚い砂埃で覆っていきます。
ミス・ミヤキは自分の電気掃除機を持っていかなかったようです。彼女は底が抜けて地面が見えるような床板のひびの中から砂を何度も何度も掃き出して、ようやく終わった頃には…分厚い砂埃がすでに積もっているのでした。そして彼女はまた掃除を始めるのです。「ナナツニナルコガ。イタイケナコト、ウタイ。スッカッ、スッカッ。」これはミス・ミヤキの母がよく歌っていた唄です。彼女はこの場所で繰り返しそれを歌っていることに気がつきました。それは彼女を慰めてもくれました。母は彼女によくこう言ったものです。「ガマンシナサイ…心の痛みは内側に隠しておきなさい。泣いてはいけません。」そしてミス・ミヤキはこう思うのです。「そうねママ、例え舞い込んでくる砂埃を防ぐことができなくても、私は掃き続けるわ。例えここが私たちの家でなくても、私はここを住み心地の良い場所にしてみせるわ。例えこれからずっと、もう二度とダンスをすることができなくても、私は練習を続けるわ。ガマン!あきらめちゃ、だめ!苦しいことがあっても耐えなくちゃ。」
ある昼下がり、ミスター・フルタニが一番下の息子ジョーイを、庭のホースを使ってミヤキ親子が住むバラックに水をまくのを手伝わせに行かせました。ジョーイがホースをブロック33の外側にある蛇口に取り付けようとしてドアの所までゆくと、ミス・ミヤキがたった独りで練習をしている姿が見えました。
「のばして!のーばーしーて!ひろげて、はい!」
突然、ミス・ミヤキは練習をやめてこう言いました。「あなた何しているの?私に水を浴びせる気?私はダンサーなの。私はダンサーなのよ!出てって。出てってちょうだい!」
ミス・ミヤキは目を大きく見開きたまま、急に泣き出し、そのままベッドに倒れ込んでしまいました。その時以来、彼女は踊ることをやめたのでした。
しかし、ブロック33の人々は彼女が毎晩祈っている声を聞いていました。
「ナムアミダブツ。お願いだから私をカリフォルニアに帰して、カリフォルニアで踊らせて、お願いだから私をカリフォルニアに帰して、カリフォルニアで踊らせて!」
ところで少年ジョーイはベッドの脇にあるリンゴのかごの中に何冊もの漫画を持っていました。彼は毎晩寝る前にそれを読むのを楽しみにしていました。彼の母は毎朝それらを拾い上げ、かごにしまわなければならないことについてがみがみ小言を言っていました。そしてある朝、ジョーイが起きると、漫画はすでにリンゴのかごの中に積み重ねてありました。
「わー、ママありがとう!」と彼は言いました。
それに彼の母はこう応えました。「私がやったんじゃないよ、ジョーイ。たぶん優しい妖精がしてくれたんでしょう。」
それからというもの、ジョーイはその優しい妖精をみるため寝ずに起きていようと、一応、がんばってはいました。ともかく彼が起きると、漫画はすでにリンゴのかごの中に積み重ねてあったのです。
その後ある晩、ジョーイは誰かに見られているような気がしてきました。彼女は白いドレスを身にまとっていました。彼女の髪は、束ねられてなく、背中のほうに流れていました。優しい妖精だ!リンゴのかごに座ってる。ジョーイは彼女に触れようとして手を伸ばしました。一冊の漫画が彼の膝から落ちました。すると彼の母がびっくりして、目を覚ましてしまいました。「ミヤキサン。ナンダ?」
ミス・ミヤキは夜の闇の中へ消えてゆきました。捕まった!監視塔!サーチ・ライト!ライト?(彼女は踊る─それから突然錯乱状態に陥る)「ゴメンサイ!ミナサン、ゴメンサイ。パパ?私を許して。」
翌朝、ミス・ミヤキはアリゾナ州フェニックスにある療養所へ送られました。数週間後、秋になると彼女は戻ってきて、みんなは彼女の変わり様に驚きました。彼女はこう言いました。「こんにちは!調子はどう?私は元気よ、ありがとう。あのときは、心配させてごめんなさいね。私はもう大丈夫だから。」
そして毎朝、彼女は目覚めると練習をするのでした。
「ホ、ホ、ホ、ラ、ラ、ラ、ザ!」
昼には、彼女独りだけのレッスンをしていました。
「のばして!のーばーしーて!ひろげて、はい!」
そして夕方には、彼女はブロックのクリスマスショウのために子供たちのグループを指導していました。彼女はバレーから得たすべてを子供たちに惜しまず与え、子供たちは彼女のことが大好きでした。子供たちは米袋に景色を描いて、クレープペーパーで自分たちの衣装を作りました。公演の日の夜、小さな女の子たちは銀の髪飾りをつけ、足には赤い紐を十字に編み上げ、それはまるでトゥー・シューズのようでした。子供たちが舞台にでる番がやってきたとき、蓄音機のスピードがだんだん遅くなり、レコードの針がとんでしまいました。それでもクレープペーパーのドレスを着た小さな女の子たちの顔は、嬉しさに光輝いていました。女の子たちは飛び跳ね、そのダイコンアシでくるくる回るのでした。
その夜、魔法でもかけられたかのように不思議な出来事が起きました。ミス・ミヤキが舞台の中央へ堂々と上がったのです。髪を頭に被った冠のなかに詰め込んで、白くてふわふわのドレスに身を包み、ピンクのサテンのトゥー・シューズを履いていました。ほんの一瞬、そこにいた人々はオペラ・ハウスにいるような錯覚に陥り、小さな女の子たちがまるで群舞のダンサーのように見えました。ミス・ミヤキは甘いお菓子の妖精のように飛び跳ね、身体を回転させました。彼女のダンスが終わると、すべての人々が何度も何度も拍手をしました。彼女の父が一番大きな音で。拍手喝采が食堂のなかに響きわたりました。
そしてある人ステージに上がって、こう言いました。
「ミヤキサン、ブロック33のなかで私たちがプロのバレリーナと一緒に住んでいたなんて思ってもいませんでした。しかもあなたは日本人です!ニセイ(二世)です!私たちはあなたを本当に誇りに思っています。子供たちにアメリカ風の踊りを教えてくれてありがとう!これはブロック33の私たちみんなからのプレゼントです。」
ミス・ミヤキはそのプレゼントの中身をその場ですぐに取り出しました。それはピンク色のバスタオルでした!そして彼女はずっとずっと微笑み続けていました。
年が明けて数日後、ミス・ミヤキは再び別の場所へ移送されました。今度はカリフォルニア州立精神病院へ。でもまったく不思議なことに、人々は彼女がそこで幸せそうだと言うのです。わかるでしょ、彼女は踊っていたのです、カリフォルニアで踊っていたのです。
Dancing in California by Brenda Wong Aoki(c)1992
(翻訳・解説 浅野卓夫)