The Bell of Dojoji
道成寺の鐘 ブレンダ・ウォン・アオキ
<解説>この作品は、紀州道成寺の縁起に伝わる安珍清姫の伝説にもとづく翻案劇です。熊野参詣途上の若い僧安珍に恋慕した宿坊の娘清姫が、大蛇となって後を追い、道成寺で鐘の中にかくまわれていた安珍を執念の炎によって焼きとかしてしまうというこの伝説は、『法華験記』や『今昔物語集』などの十一世紀以降の説話集のなかに登場しますが、のちに能の「鐘巻」や「道成寺」、さらに歌舞伎の「娘道成寺」として演劇的に脚色されることで、より一般的に知られる物語となりました。ここでブレンダ・ウォン・アオキは、恋がかなえられないと知った女の情熱が恐るべき破壊的な力へと変貌してゆく様を主題としていますが、究極の愛の涯てに姿をあらわす狂気と暴力は、美しくも悲劇的な野性の怪物なのかもしれません。ちなみに能「道成寺」は、安珍清姫伝説の後日譚となっており、そこでは娘の死後も情熱が怨霊として生き続け、道成寺の鐘の再興の法要の際に娘の化身が鐘に飛び込んで大蛇に変身するという、釣り鐘を大道具に使ったスペクタクルな演目として有名です。能では娘の死後の執念の恐ろしさの方が主題となっていることが対照的といえます。蛇(?)足ですがアオキの作品ではただ「ボーン」とだけ鳴る鐘の音は、能の世界では「ジャーン、モン、モン、モン」と鳴ることになっています。
ナレーター:巳年生まれの者は、賢く、商いにも抜け目がなく、とても熱情的な性分をもっていると伝えられている。
このお話は、日本という国で、熱情に身を焦がしたあまり、蛇に姿を変えてしまった女の話しである。
昔むかし、人里離れた深い杜のなかに、一軒のつつましやかな宿屋があった。その宿主には、きよという気立ての良い、美しい若娘がいた。きよは、物心がつく前から、無私になっていつも人に尽くすことをいつも教えうけていた。毎日、せっせと料理をしたり、掃除をしたりと身を粉にして、宿にやってくる人びとをもてなしていた。そして、決まって、客の夕食を奉仕した後で、きよは客人に向かってこういったものだった。
きよ:(扇子を開いて)拙いおもてなしですが、お気に召していただけたなら幸せに存じます。(おじきをする)
ナレーター:きよがそういうと、客人は必ずこういうのだった。
客人:はい、どうもありがとうございます。(おじぎをする)
ナレーター:そして、きよはこういったものだった。
きよ:あなた様に喜んでいただけることこそが私の喜びでございます。
ナレーター:(扇子をひらりと翻す)きよは、少女からおんなになる時季を迎えており、ふっくらと成熟したそのからだは、まさしく彼女の生涯の春を思わせた。赤くぽっと膨れ上がったその唇は、たっぷりとやわらかく、その茶色の目は、思慕の情を乞っていた。時折、家事でたいそう疲れた時などに、彼女は深い眠りの底に落ち、ある夢をみたものだった。その夢のなかでは、……. 底の知れないほどに深い目をしたある美しき若者に彼女は、こういうのだった。
きよ:拙いおもてなしですが、お気に召していただけたなら幸せに存じます。
ナレーター:そして、その若者は、彼女にこういうのだった。
夢のなかの青年:はい、どうも。ありがとうございます。
ナレーター:そして、彼女がこう言おうとすると、…..
きよ:あなた様が喜んでいただくことこそが、…
ナレーター:ときよが言い終える前に、その青年は、彼女に近づいて、力強い腕で夜通ししっかりと彼女を包み込み、やがて二人はひとつになるという夢であった。
そんな折、ある日、道成寺から安珍という僧が寺の巡礼の途中でその杜の宿屋を見つけた。宿主が、その托鉢僧をみて、彼を宿に招き入れた。安珍というその僧は、まさしく、底の知れないほど深い目をした美しき若者であった。安珍は、他人のことは気に止めず、自分ためだけをいつも考えよと幼少のことから教えられてきた青年であった。
ある時、きよは、安珍の夕食を奉仕していた。そうしているうちに、彼の深い目にひきこまれてしまった。そして、彼女はこう考えたのだった。
きよ:哀れなひとよ。なんて悲しそうにみえる人なのだろう。私が彼を幸せにできたなら。
ナレーター:そこで、きよは歌を唄い、舞いを舞った。(ななつご)安珍は、席から立ち上がった….
安珍:はい、どうもありがとうございます。
ナレーター:安珍は彼女の手をとり、きよは彼の底知れない深い目にとらわれてしまったのだった。そして、彼は去った。
あの晩、きよは、ひどく疲れ果てており深い眠りに落ちた。そして、またあの夢をみたのだった。底の知れないほどの深い目をした青年の腕のなかにうずくまる夢を。その陽に焼けた茶色のたくましい腕は、二人が一つになるまでずっと夜どおししっかり
彼女を抱いていた。
きよ:(痛みで)あっ、、、、
ナレーター:しかし、これは夢ではなかった。
きよ:安珍さま?
安珍: はい、どうも。ありがとう。
ナレーター:そして彼は闇の影へとすべり去っていった。
ナレーター:次の日、きよは、16になったときに父親からもらったきれいなシルクの一番いい着物を身にまとい、上から黒と銀の帯を華奢な身体に何度も巻きつけて、安珍に朝食を運んでいった。しかし、安珍の姿は、部屋にはなかった。
きよ:かわいそうなお方。あの方は、夫婦になるためのお金がないことを恥じて去っていってしまわれたに違いない。あのお方をお探がししなければ。
ナレーター:きよは、下駄足が20センチ以上もある上等な履物をはいて、よろめきながら安珍の後を追うために小道へ走り出た。きよは、けなげであった。そうして彼に追いつくことができたとき、彼女はこういった。
きよ:安珍さま、あなたは托鉢の身を恥じることなどありません。どうか宿に戻ってください。あなたが幸せでいらっしゃることこそが私の幸せなのです。
安珍:はい、どうもありがとうございます。
ナレーター:それから、彼は彼女へ少し心を動かされたかのようなみえた。きよはあの夜のことを思い出していた。(あの息づかいを思いかえす)しかし、安珍は彼女をみずからの腕の中に抱くことはせず、急な足取りで小道を降りていった。
きよ:安珍さま、待ってください。どこへ行かれるのですか。安珍さま、待ってください。
ナレーター:どこまでもどこまでもきよは後を追った。杜の小枝がシルクの羽織をぼろぼろに引き裂いた。安珍さま!彼女の髪は乱れ、ついには足元もおぼつかなくなっていた。
きよ:あーっ!
ナレーター:そして、険しい峡谷を降りていった。(うっ。)彼女が目をさましたとき、安珍は、そこに立っていた。彼のきよへのまなざしには思いやりが感じられるようであった。
きよ:あっ、安珍さま、どうか私のことなぞご心配なさらないでください。今、ここにあなたといられることでもう痛みなどございません。
安珍:私は、仏に身をあずけることを誓いました。ですから、あなたは、もうお父さまのもとへおかえりなさい。そこがあなたの居るべき場所なのです。あなたは私を汚すことはできないのです。
ナレーター:彼が去ろうとするときよは彼の手をぎゅっとつかんだ。
きよ:しかし、…..昨夜のことは。
安珍:あれは、夢だったのです。
きよ:そうですとも、あれはわたしたちの夢だったのです。
安珍:あんな事など起きなかったのです。
きよ:それは違います!
安珍:それでは、私は行きます。
きよ:行ってはいけません。
安珍:いや、行きます。(ピシャリと打つ。)
きよ:あっー!
きよ:ああ、彼は私をいとおしく思ってらっしゃる。そうだわ。ただあの方は、自分の想いを恥じてらっしゃる。あれほどの想いをお持ちになっているのだから、さぞや心が乱されることなのでしょう。
ナレーター:そのような安珍への想いに焦がれながら、きよは峡谷から這い登った。小枝が顔を切り裂き、髪を乱し、やがて彼女は気を失ってしまった。
老女:きよ!おまえは、地獄の入り口に立っているのだ!そう、地獄だ。ここを通るものは、自らの魂を卑しいものたちの世界に落とし込んでしまうのだ。安珍なぞつまらない者なのだ。あれは、幻なのだ。さあ、眼を覚ますのだ!夢から眼をさますのだ。さもないと、おまえは、人の道を踏み外してしまうぞ。
ナレーター:そのとき、きよは初めて辺りを見回した。蝉の鳴き声、松の木々の間をすり抜ける風の嘆き声。そして、身につけていた父から贈られた着物がボロボロになっているのに気がついた。その時、きよに安珍の姿が目に入った。何も考えずひたすら彼の後を追った。
きよ:あんちんさまー!!!
安珍:どうか助けてください。
ナレーター:叫びながら、なんとか彼は、高名の道成寺にたどり着いた。彼の同朋である僧たちが、女に追いかけられている安珍をみた。女の目玉は、膨れ上がっており、唇からは唾液がしたたりおち、髪は、長く黒い塊のようになり、もはや言葉も話すことはできなくなっており、ただシューシューという音をたてるだけとなっていた。
きよ:あ、……ん、……ち、…..ん、さ、……まっー!
ナレーター:お寺の和尚さんが、寺の大きな鐘の下まで安珍を招き寄せた。そして、僧たちは、鐘が下に降りるまで懸命に縄を引っ張りおろした。力強くボーンという音とともに安珍はその厚い銅の壁のなかに閉じ込められてしまった。これで安心だ。しかし、その様子は、きよをあせらせた。
きよ:あんちん、あ、……ん、……ち、…..ん、さ、……まっー!あ、……ん、……ち、…..ん、さ、……まっー!
ナレーター:きよは、腕で鐘を抱きしめた。(蛇が舞いを始める)鐘の上に腹ばいながら、這いついた。彼女の紫の羽織は、するりと身体からすり抜け、いくつもの黄金のうろことがギラギラと輝いていた。彼女の唇から、力強い炎がはき出された。やわらかな脚は、永久にくっついて、やがて壮麗な蛇の長く妖艶な尾となった。身を傷つけながら道成寺の鐘に巻きついた。蛇の尾で(蛇の舞い、頭を打ちのめしながらのクライマックス)あまりにも激しく打ちつづけるので、とうとう銅が熱を帯び赤くなった。しかし、まだ彼女は打ちつづけた。安珍は、憐れなまでに慈悲を請いながら叫び続けていた。
ナレーター:夜通し蝉が鳴き、風は、松林をぬって嘆きつづけていた。しかしなおも、蛇に姿をかえた女は、道成寺の鐘の上で、荒れ狂ったように尾で鐘を打ちつづけ、夜が明けるまでそうしていた。(蛇の舞いが終わる)夜明けに、僧たちは獰猛な蛇がもういなくなっていることを知り、ほっと一息ついた。あの蛇はもう人間の姿に戻ることはないだろう。
やがて、その鐘が冷たくなってやっと触れることができるようになった頃、僧たちが鐘を持ち上げた。鐘の中に安珍が残したもの、いやそれが安珍であったといえるものは、ほんの少し積もっていた黒い灰だけであった。(笑)
The Bell of Dojoji by Brenda Wong Aoki(c)1992
(翻訳 三吉美加 / 解説 今福龍太)