「日本」「日系」の新しい概念へ/ブレンダの鮮烈なステージ/少女の内面とおして描く
サンフランシスコを拠点に活動する友人の舞台芸術家ブレンダ・ウォン・アオキが札幌までやって来て、鮮烈なステージの印象を私たちに残して去っていった。彼女の公演の形式は、一人芝居、あるいはより厳密には振り付けを伴ったストーリーテリングとでも呼ぶべきもので、今回の札幌公演(一月十九日、札幌大学)では、能の「道成寺」の翻案、戦争中のアメリカ日系強制収容所を舞台とした物語、そして自作の幻想譚(たん)「人魚の肉」の三つの物語が情熱的なパフォーマンスとして語られて観衆を魅了した。
その姓が示すように、ブレンダ・ウォン・アオキは信州に家系をもつ日系二世である父親のもとに生まれた三世である。しかし、彼女の母親は日系ではなく、スコットランドとスペインの血流を持った広東系中国人であったため、ブレンダは南カリフォルニアの海岸で暮らした幼少期から、アメリカ日系社会という環境から離れて生きることになった。
ロサンゼルス南部のウエストサイドと呼ばれたその地区には、ハワイからのポリネシア系移民や、黒人や、ヒスパニックや中国人たちが入り交じるように生活しており、一様に貧しい労働者階級であった彼らは、肌の色や文化的出自の違いを超えて、新天地で必死に生きるための知恵としてゆ小さな家にも、いつもさまざまな客人や居候が一緒に暮らしていて、友愛にもとづく拡大家族の空気が、ブレンダの人間関係の意識を自然におおらかなものにしていった。
民族、文化、言語といった多分に形式的な指標がもはや溶解した、交雑的な文化空間を生きてきたブレンダにとって、だから「日系」という自己規定は、はるかに自由な解釈可能性をもったものとして意識された。女優としての修業時代、ハリウッドのアクション映画やジェームズ・ボンド映画に、着物で着飾って白人に奉仕する「日本人娘」として端役で登場させられた経験は、アメリカ社会が彼女にはりつける「東洋女」というステレオタイプが、いかに空虚なものでしかないかをまざまざと悟らせた。
狂言やフラメンコやモダンダンスといった伝統を異にする芸を高名な師に学びつつ、ユニークな「ストーリーテラー」(語り部)の芸を自らのものとしたブレンダは、あらためて彼女の一部をかたちづくる「日系」というテーマを、可能な限り自由に変奏しながら自己表現することを思いいたった。彼女がまず第一に素材としたのは日本の「怪談」と呼ばれるジャンルだった。
日本古来より民衆的な語り芸として伝承されてきた怪談は、しかしもはや口承的な芸術としては瀕死(ひんし)の状態にある。日本において消えかかる怪談の話芸の力を、ブレンダはカリフォルニアの日系アーティストとして救い出し、さらにその内容を、多文化主義やフェミニズムといった新たな視点によって語り直しながら蘇(よみがえ)らせようとしたのである。今回の「道成寺」でも、安珍への恋にすがる清姫の一途な情熱と狂気は、おのれの体を大蛇へと変身させる女の宇宙的なエネルギーの発露のようなものとして演じられていて、か弱く従順な娘のかなわぬ恋と怨念(おんねん)といった日本的な説話の文脈から、ブレンダの解釈は大きく外へとはばたいていた。
戦時中、強制収容所へ送り込まれた若い日系の女性バレリーナの悲劇を語った「カリフォルニアで踊る」という作品もまた、旧来の日系社会における「収容所」観を打ち破る、印象的な物語である。
受難と被差別の屈辱的な経験として語り継がれてきた日系人のキャンプ体験を、ブレンダは一人の純粋無垢(むく)な心を持ったバレリーナ志望の少女ミス・ミヤキの内面に起こった、一種の心理革命の劇として語る。収容所で監視され、踊りたい欲望を「我慢」という日系人的美学の中に押さえ込んで暮らしていたミス・ミヤキが、ついに狂気によってそうした抑圧に対する本質的な抵抗と反乱を企て、高揚した心持ちのままキャンプの皆の前で感動的なダンスを踊って見せる。少女の乱心が達成した美しく自由な自己表現の可能性は、封鎖的なキャンプの空気をひと思いに破る大きな革命的力を持っていたのである。
こんな語りを自在に身体表現として繰り出してゆくブレンダ・ウォン・アオキは、世界のさまざまな場所に生まれつつある新しいハパ(混血児)の一人であるに違いない。能や説話文学が守る「日本文化」の伝統に形式的にとらわれることもなく、戦後のアメリカ日系社会をおおう抑圧と失意に満ちた「収容所体験」の倫理化された規範を無条件に引き継ぐこともいさぎよしとしないブレンダの果敢な表現者としての思想は、「日本」とか「日系」とかいった概念の新しい創造へと向かう興味深い軌跡を示している。
ブレンダを見ていると、私は「日本」がこんな風に変容して漂着する海岸が、世界にもっともっと増えれば面白い、といつも思う。「アメリカ」や「中国」や「スコットランド」や「スペイン」と交錯しながら、南ロサンゼルスの海岸へと難破した一つの「日本」が、国家主義的な抑圧からすずやかに解き放たれ、キラキラと輝く思想の破片を汀(みぎわ)に打ち上げる。
その輝かしい漂着物の一つが、ブレンダ・ウォン・アオキなのである。
今福龍太
初出:沖縄タイムスhttp://www.okinawatimes.co.jp/ 1999年2月13日 朝刊 1版 文化18面(土曜日) 【目の狩人耳の旅人】「日本」「日系」の新しい概念へ/ブレンダの鮮烈なステージ/少女の内面とおして描く