今福龍太が読む 15
吉増剛造『生涯は夢の中径』(思潮社)
一人の詩人が、もう一人の詩人が残した声の痕跡にひたすら聞き耳をたて、その飛散した声の記憶の断片から詩人の創造の秘密を探りあてようとする・・・。そのこと自体、文字言語の支配する現代において、声=音(という瞬時に消え去るもの)を仲立ちにした思考と感受性の隘路をかぎりなく伝ってゆかざるをえない、困難で逡巡に満ちた行為ではある。しかしその二人の詩人が、吉増剛造と折口信夫であるならば、探求の道程に現われる困難はかえって思考の刹那にひらめく光輝を生みだし、逡巡はかえって音に乗ってポエジーが生まれ出る独特の速度をそれ自体として写しだす。
無論、吉増は折口の肉声を知らない。肉声を知らないからこそ、詩人の声を探求する行為は、音を媒介にした詩的言語の生成のすがたに近づこうとする詩人吉増の目論見に合致する。なぜなら詩人とは、声としての始原的なことばのありようを感受しうる微細な能力を持ちつつ、文字という視覚言語の領土になかば以上身をさらして呻吟する者の謂であるからだ。言葉が、純粋な音声言語として聴覚的・口承的な世界のなかで完結していた場所からはるかに遠く踏み出してしまった現代の詩人にとって、声は声そのものとしてはすでに奪還不可能な領域にある。残されているのは、記録されたわずかな声の痕跡、肉声の記憶を宿す他者の証言、そして声を文字へと転写するときに生じる無数の書字的な紛争、すなわち「書く」=「掻く」ときの摩擦と刻印の震えのような闘争の現場を反映するテクストだけである。だがまさにこうした声の名残りこそが、口承性と文字性とのはざまに立つ現代詩人の意識の凝縮されたありようをとらえうる唯一の入り口にちがいないのだ。だからこそ、折口の肉声を知らない吉増にとって、折口の声の初発の地点へと遡行しようとする情熱は徹底的に本質的な行為となりうる。その意味で、探求のために、声はあらかじめ失われていなければいけなかったのだ。
「生涯は夢の中径(ナカミチ)」と題された本書は、折口の詩人としての言語意識の由来を「夢」の中道=中径におけるきわめて中間的・流動的・「錯雑混淆」(折口自身の用語)的なリアリティのなかに探ることをつうじて、ついには音と文字の険隘なるナカミチを歩行する吉増自身を問い直すための、壮絶なほどに主体的な動機にもとづく評伝の試みであろう。
折口の声の痕跡を求める吉増は、数年前に完結した『折口信夫全集』(中央公論社)における折口のテクストの多くが、自筆原稿か、草稿か、口述筆記か、あるは誰かによるノートか判然としないままにそれらが混淆する、ことばの不可思議な培養体であることを本書の考察の出発点に置こうとする。もともと記述されたテクストとは、思考の本来の速度からはるかに後れを取りながらかろうじて定着された、思考と意識の片割れであり残滓にすぎなかった。だとすれば、そのテクストから回り込むようにして、文字の背後にあることばの音としての生命のただなかでうごめく折口の思考の核心=芯(コア)に入ってゆくには、テクストの不確定性・流動性は、考察の障害になるよりははるかに、探求の無数の道筋の可能性を保証する、特権的な豊かさなのだった。
したがってまた、吉増は折口のテクストに集中するだけでなく、彼の声を求めて第三者による「耳の記憶」を広く喚起しようとする。そうでなければ、口述筆記として生まれた「自歌自註」や「口訳万葉集」のことばに胚胎された音の生命を明るみに出すことはできないからである。そうした作業のなかで、柳田国男、金田一京助、池田弥三郎、岡野弘彦、さらにはニコライ・ネフスキーらの耳の記憶にもとずく記述や証言を、吉増は折口のテクストと照合しながらスリリングに読み解いてゆく。
「折口信夫と歩行」という本書の副題が暗示するように、吉増の関心は、最終的には折口の身体と意識の歩行状態、いいかえれば詩的言語が歩行するときのリズムや速度感の秘密に収斂していくように見える。『海やまのあひだ』における折口の歌を読むとき、それを「速度に翻訳」し、その速度を楽しむという吉増は、折口(=釋超空)の歌を一首引きながらこう書いている。
「街のはて 一樹の立ちのうちけぶり、遠目ゆうかり 川あるらしも
これも、読んだら、すぐにも忘れてしまいましょうけれども、ポエジーの記憶は、きっと残ります(忘れても霞のようなものは残ります)。なんともいえない、距離、間合、そして未確認飛行物体が(目にみえない空中の瞳が)歌の上空を飛んでいるような不思議な速度に翻訳して、わたしの場合には読んでいるような気がします」
吉増は、速度に翻訳されて結晶化されたポエジーとして時空間を満たす折口の声の核心を(土岐善麿のことばを借りて)「歌の骨」と呼びつつ、「この骨をさがして、洗骨が行われたらしい大昔の汀まで折口さんについて行ってみたい」とまで書きつけている。吉増の夢の中径(ナカミチ)をめぐる詩と真実を凝縮して示す一節である。
About copyright and copyleft Cafe Creole@Tokyo