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今福龍太が読む 25

多木浩二『最後の航海  キャプテン・クック ハワイに死す』(新書館)


 一八世紀後半、西欧近代の知覚と認識論の画期的転換(シー・チェンジ)を、文字通り「海」(=航海)の作用による変貌として叙述した、意欲作の完結編である。キャプテン・クックによる太平洋島嶼域の処女航海の船団を、クック自身の航海日誌と、同乗した画家や科学者たちの残した絵画や記録をつきあわせながら、「世界を記述する装置」として読み解いてゆく、というのがここでの著者の独創であった。読者はここで、クックの洋上の航跡を時系列にしたがってたどり直す著者の丹念な筆致に引き込まれながら、思わず、自らの目を18世紀人のそれへと移行させている自分に気づく。経験主義、リアリズムといった、現在の私たちが自明視している思考や感覚の枠組みの、まさに端緒を生みだした眼差しに立ち戻った私たちは、鮮烈な知覚の処女感覚に打たれることになる。
 

 政治権力や資本、科学的認識や芸術的感性の大きな変容が書き込まれた近代世界史を、クックという特異な個人の周囲に生起する風景に読み取ろうとする発見法的・図像解釈学的なアプローチのさえは、とりわけ鮮やかだ。タヒチ、ハワイ、アリューシャンを経て北極海の探検にいたる航海の途上で出遭う先住民たちをめぐるクックの記述を素材にして、「見ること」と「知ること」の一致する空間の誕生をそこに見いだし、それが世界史上に現われたはじめての実証主義・経験主義のナラティヴィティ(叙述形式)であるとしながら、そこに「写真的知覚の萌芽」を探りあてる展開もきわめてスリリングである。
 

 著者の裡には、クックの同時代人カントの地理学的世界観を霊感源に、大陸ではなく海を媒介にして世界を描出したいという強い衝動があったのだろう。西欧人と非西欧人(島々の先住民)とが、人間の判断力の根源にある、カントの用語でいう「技芸」(クンスト)の理解を通じて対峙しあう風景に、著者は「世界」というイメージが依って立つ真実を見定めようとしていた。

 


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