今福龍太が読む 26
保苅 実『ラディカル・オーラル・ヒストリー』(御茶の水書房)
歴史研究者による、若くみずみずしい情熱がほとばしる本である。
著者の「歴史」研究が向けられた相手はオーストラリア先住民、いわゆるアボリジニと呼ばれる人々と彼らが語りを通じて表現する過去の想起の行為である。これまでなら、神話とか伝承とか部族的記憶とかいった概念でくくられてきたこれらの語りを、著者はあらたに一つの固有な「歴史実践」とみなそうとするラディカルな視点を提示する。著者は「歴史する」(doing history)という耳慣れない、しかし喚起的な表現を使って、この、語りを通じて日々確認され更新される生きた歴史実践を定義し直し、そこから学び、同時にそのプロセスに自らフィールドワーカーとして果敢に参加=介入してゆく。
オーストラリア中北部の内陸の村に入った著者は、部族の長老と親密な人間関係を結びながら、彼らの昔語り(歴史実践)に耳を傾ける。するとそこには、「むかしキャプテン・クックが村にやって来てアボリジニを撃ち殺した」とか「一九二四年に白人業者の牧場が大洪水によって流されたのは雨をつかさどる大蛇のしわざである」とかいったような、従来の実証主義的な歴史学があっさりと切り捨てるような語りが無数に詰まっていた。著者はこれを、事実無根の作り話として歴史学的思考から排除することもせず、かといってこれらを「神話」とか「記憶」とかいった概念に横滑りさせて、従来の歴史学的な認識の外延部に包摂することもしない。著者はこうした実践を、これまでの「普遍的歴史」にたいして「地方化された歴史」と呼び、歴史学が採用してきた西欧中心主義的普遍性や世俗主義を根底からゆるがすものとして、挑発的にとらえ直そうとするのである。
思考原理と言葉遣いを異にする無数の「歴史実践」の渦巻く集合体こそが「世界」である・・・。著者が想像するこの豊かなざわめきを持った世界イメージのなかに、私たちの未来の対話と連帯が構想されるべきであることを、本書は確信させてくれる。著者の夭折が悔やまれる。
(初出:「北海道新聞」2004年11月28日。「西日本新聞」2004年12月12日)
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