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二○世紀最後のワールドカップのために

今福龍太


 あと三年ほどで世紀が変わる。政治・経済・文化のさまざまな分野における閉塞観、大きな転換の予兆を感じている私たちは、そろそろ二○世紀という百年がいかなる時代であったのかを、来るべき世紀に向けての新たな世界認識を創造するためにこそ、正しく認識しなければならない時期にきている。

 この、二○世紀とは何だったのか、という問いに切り込むための一つの特権的な場は、意外に思えるかもしれないがスポーツである。いうまでもなく、近代スポーツというイデオロギー自体は一九世紀の西欧近代国家の誕生と同時に成立した。とくにイギリス支配階級の生活形態のなかに余暇が生まれ、その余暇の利用がスポーツという活動領域を生み出すわけだが、同時にそれは、近代国家がその国民(とりわけ青少年)の身体を制度的に支配して統治に利するためのイデオロギーでもあった。このような出自を持ったスポーツは、ルールが精密化され、さまざまな階級意識や美学があらたに付与されてゆくなかで、サッカー、ラグビー、クリケット、ベースボールといったさまざまなスポーツのジャンルへと細分化しながら固定化されていった。二○世紀とは、まさに近代国民国家のイデオロギーのなかから誕生したスポーツが、それぞれの競技的なジャンルのなかで、独自の展開をとげていった百年であったと考えることができる。一九世紀後半に生まれた「近代スポーツ」という制度は、見事に二○世紀を生き抜いてきたのである。

 一九世紀とは、国民国家という近代的な自我の帰属先、アイデンティティの基盤となるような共同体に関する一つの枠組みが生まれ、それが制度化していった時代である。同時にそこには、植民地主義という、まさに近代の国家が成立するためにどうしても必要だった、他者を調伏し他者から経済的搾取を行って、それによって西欧が自己同一化を図るというシステムが存在した。そして二○世紀になると、第三世界の植民地自体が、こんどは一九世紀の西欧国民国家のイデオロギーを踏襲しながら国家として独立してゆく。二○世紀とは、この「国家」のイデオロギーが、歴史的な出自としてのヨーロッパを越えて、全世界に広がっていった時代なのである。

 そして現在の百九十何カ国という国家集合体としての世界の枠組みができあがり、それが今の私たちのほとんど唯一の世界イメージとなってゆく。そうした世界イメージが今もっとも見事に反映される機会がオリンピックやワールドカップというスポーツの場であるという事実は、だから偶然でもなんでもなく、二○世紀における国家制度とスポーツとの徹底した共犯性を正しく示していることになる。

 さらに近代スポーツには、軍隊という大きなアナロジーがあった。イギリス帝国主義時代に顕著なこの思想は、要するにスポーツによって青少年の身体を訓練し、規格化し、規律や道徳を徹底してたたき込むことで、やがては軍人として国家にたいする貢献を見込むというものだった。日本の明治期の教育イデオロギーにおいてもこのイギリス的思想は輸入され、初代文部大臣森有礼によって学校に兵式体操や運動会が導入されて、画一的な身体訓練を富国強兵策に結びつけるという政治的思想がはっきりと打ち出されたことはよく知られている。現在のオリンピックやワールドカップの現場で、あからさまな国威発揚のイデオロギーがいまだ闊歩し、しばしば国家利害に絡む政治的事件やボイコットなどが頻発するのも、まさにスポーツと軍隊のアナロジーが、いまだに潜在的に機能しているからに他ならない。一言でいえば、二○世紀のスポーツとは、国家の論理によって見事に占有されてきたのである。

 しかし二○世紀を考えるにあたってスポーツが特権的であるもう一つの理由は、いまスポーツが、一九世紀から二○世紀にかけての近代のイデオロギーから逸脱してゆくような方向性をも示しかけているという点にある。とりわけ、国家原理との不整合を示すような傾向として、一国内スポーツ選手の多民族化や、本来ローカルな一地域のエスニック・スポーツが世界的に認知されてゆくといった動きが特筆される。さらに、本質的に男性エリート階級におけるイデオロギーとしての「ジェントルマンシップ」(紳士性)といった理念に支配されていたスポーツ界に、女性と女性的身体が、別種の理念とともに本格的に参入しているという現状も興味深い。

 こうした、近代スポーツのイデオロギーからそれてゆくような傾向をスポーツが示しはじめているにもかかわらず、あいかわらずスポーツの国家主義的な側面をより強固に作りなおそうとする動きはいまだに根強い。スポーツはいま、そうした対抗し合う二つの原理のせめぎあいの現場となっている。いまや二○世紀が一つの死をむかえようとし、あるいは近代的な原理を超えて二○世紀的ではないものに変わろうとしているのに対して、二○世紀じたいが頑強に抵抗しているのだ、といってもいい。その必死の闘争の姿こそを、私たちはスポーツのなかに見ることができる。そしてそうした時代精神の闘争の現場として、もっとも面白いのが、サッカーのフィールドなのである。

 

  

 サッカーを見ながら、以前にもまして擬似的な国家代理戦争のイメージがちらついて離れないといういやな経験をしたのが、前回(一九九四年)のワールドカップ・アメリカ大会だった。これについてはすでに別稿で詳しく論じたことがあるが、私の不満は、サッカーが国家原理に奉仕するときに必ず浮上してくる至上の理念としての「負けないサッカー」が、この大会に横行したことであった。「負けないサッカー」ではなく「美しいサッカー」を標榜する伝統を持ったコロンビアやメキシコといった魅力的なラテン・サッカーのチームが早々と予選で姿を消し、防御的な布陣を敷いてカウンター攻撃で勝利して勝ちあがったヨーロッパ系のチームが粗野で凡庸な試合を繰り返す。決勝に出たブラジルですら、イタリアの前に徹底して守備的に試合を運び、ついには双方引き分けでPK戦でなんとか決着をつける……。こんなサッカーを私たちはほんとうに見たかったのだろうか?

 負けないことによって勝利を得るというのは、ある意味ではもっとも確実で合理的な方法であるかのように聞こえる。しかし「負けないサッカー」は、つねに「勝利」を義務づけられる厳格な競争主義的な局面において頭をもたげる原理である。ワールドカップにおいてのしかかる、国の代表としての威信と責任感、トーナメント方式(予選リーグをのぞく)の採用によって負けることが許されない仕組み、そして自国メディアや国家政府によるさまざまなプレッシャー、といったものは、サッカーの運動競技として持つ本来の美や快楽的な側面を徹底して押さえ込み、ひたすら「負けない」ことによって勝つという、戦術優先的できわめて守備的なサッカーを促進させてしまう。「負けないこと」を至上価値とする近代サッカーは、最終的には防御的なフォーメーションと戦術に帰着する。とすれば私たちがワールドカップのスタジアムで見たものは、身体運動としての「サッカー」そのものではなく、近代スポーツの「戦術」というイデオロギーの姿でしかなかった、といささか皮肉を込めて言うこともできよう。そして、サッカーの本質的に遊戯的側面を抑圧してしまう、そうした負けない戦術がなにに由来するかといえば、それはいうまでもなくサッカーの背後でいまだ戦われている「国家」の原理そのものであることになる。

 こうした三年前のアメリカ大会の印象は、昨年の欧州選手権でも少しも変わることがなかった。伝統的にもっともフォーメーションを重視した「負けないサッカー」を信奉しつづけてきたドイツと、これまた守備的布陣を敷き、カウンター攻撃一本にかけたチェコとが決勝で戦ったことを見てもわかるように、こうした戦術の徹底の背後には、勝利至上主義として反映されたあからさまな国家の原理がはたらいていた。

 欧州選手権での「負けない戦術」への固執は、フランス・スペイン・ポルトガルなどもふくめたほとんどすべての国のチームに徹底しており、予選を突破した八強による準々決勝以降の七試合のうち、なんと四試合が延長でも決着がつかずPK戦による勝負となったというデータは、この事実を語って余りあるだろう。

 あまりにも素朴な問いのように聞こえるかもしれないが、そもそもサッカーの本質において「勝つ」こととはどれほど魅力的なことなのだろうか? 近代スポーツは、身体運動という、本来はからだを動かす快感とそうした運動する身体を眺める審美的な快楽とを含む活動領域のなかに、競争主義的な「勝敗」という決着の制度を無理矢理導入することで成立した。ルールというものが、身体運動のシステムを勝敗のシステムに変えていったのである。だが、私にとって、サッカーというものをプレーし、あるいは観戦する根拠は勝敗ではなく、そこで動き回る丸いボールと人間の肉体と想像力の三者の美しくも陶酔的な連携だけにある。一つ一つがまったく異なる自立した美的な強度を持つはずの「ゴール」というリアリティを、すべて均質な数学上の一点に換算して得点の優劣を競うということじたい、サッカーの純粋な美しさや快楽とは本質的に相いれない部分を持っているのだ。だが勝敗はまさに、その数学的に抽象化されたゴールの数の比較のみによって冷徹に下される。ただ単に、勝敗を決するためだけに放つPK戦におけるゴールにまったく興奮することができないのも、まさにそのためだ。シュートという純粋に具体的で美的な行為が、抽象的な「勝敗の原理」によって濫用され、組み伏せられている姿を見るのは悲しい。ゴールという至上の美的プロセスを搾取するPK戦は、私にとっては認めることのできない、もっとも非サッカー的な行為だというしかない。[あえて注釈しておけば、野球のようなスポーツにおける得点はまったく別の意味を持っている。野球はもともと徹底してディジタルな構造をもったスポーツである。ストライク-ボール、セーフ-アウト、表-裏といった二者択一のディジタルな選択枝(0と1の配列で組み合わされたディジタル信号と同じ構造)のいずれかにプレーが帰結することで、ゲームが進行する。そこでは一点、二点という得点の数字も、野球全体のディジタルな構造を支える条件としてはたらく。三点のビハインドで迎えた最終回の攻撃で二死満塁になってホームランバッターを送り出す、などといったときの野球的興奮は、まさに数学的なディジタルな構造がもたらす興奮として野球特有のものである。

 

  

 勝敗を度外視したところにも成立しうる私にとってのサッカーは、オランダの文化史家ヨハン・ホイジンガが「ルドゥス」(スポーツにおける遊戯性の本質)と呼んだような快楽の相をもったものとしてある。とりわけブラジルをはじめとするラテンサッカーのなかに、このルドゥスという人間の本能的な遊戯性と快楽の美学がいまだに維持されている。ルドゥスによって特徴づけられる身体がどのようなものであるかは、逆に近代スポーツによる勝利至上主義的な訓練のもとにつくられた身体がどれほどに画一的でノッペラボウであるかを見ればよい。近代サッカーは、選手の身体を画一的な「動く駒」へと置き換えることで、チームにおける戦術の選手への徹底をはかった。そうした戦術的なサッカーにおいては、一人の選手が突出した身体性を発揮することは、かならずしも好ましいことではなくなる。個人技よりもチームワークが優先されるのが今日のサッカーなのだ。たとえばドリブルのような個人プレーは、いまや短いボールタッチですばやくパスを回してゆく集団的・合理的サッカーの台頭の前ですっかり影が薄くなってしまった。だが、すでに伝説と化した一九八六年メキシコ・ワールドカップにおける準々決勝、対イングランド戦で見せたアルゼンチン代表ディエゴ・マラドーナのハーフウェーラインより自陣側からの「五人抜き」のドリブルによる得点は、ドリブルというサッカーにとってもっとも本質的なプレーの戦慄的な美しさと陶酔の感覚を私たちにあらためて教えた。あるいは一九八二年ワールドカップ・スペイン大会でジーコ、トニーニョ・セレーゾ、ファルカンとともにブラジルの「黄金のカルテット」を組んだ傑出したドリブラー、ソクラテスは、自国で彼が所属するチームがドリブル等の個人技を過小評価して戦術的規律の遵守を選手に押しつけたことに反旗を翻し、「サッカー選手として、ドリブルの遊戯的、快楽的、陶酔的本性を全面的に擁護する」と公式に宣言した。マラドーナもソクラテスも、人間の身体が歴史を通じて維持しつづけてきた「ルドゥス」の快楽のなかでサッカーを表現しようとした、もっとも先鋭的なプレーヤーだった。いや、プレーヤーというような近代スポーツの語彙を離れて、彼らは「身体のアーティスト」だった、というべきだろう。

   ではこうしたサッカーの遊戯的・快楽的な身体性とは、いったいどこからくるのだろうか? すべてのプレーの基礎となる体力的・技術的トレーニングの意味を無視するわけではないが、プロフェッショナルなサッカーにおけるアクロバティックで陶酔的なプレーが属している地平は、あきらかにより本能的な身体性の領域であると考えられる。しかしここでいう「本能」は、単に運動能力における非理性的・感覚的・先天的な特質を通俗的に指すときの「本能」ではない。

 運動における「本能」について考えるとき、そもそも近代スポーツにおいて、身体的快楽が身体の各パーツに分節化されていった歴史こそが球技がさまざまなジャンルに分化してゆく歴史であったことを忘れてはならない。球に手で触れる、球を蹴る、頭ではねかえす、拳でたたく、あるいはさまざまな器具や用具を使いながら操作する、というように球と身体をめぐる快楽のポイントを体の各部分に振り分けるようにしておこなわれたスポーツする身体の分節化こそが、近代スポーツのジャンルをつくりあげた。操作のポイントを上半身に特化していったときにハンドボールとか野球とかテニスが生まれ、下半身に特化していけばサッカーになる。身体のパーツのどちらの方向に向かって分節化するかによって、個々の競技が誕生したのである。

 基本的に、近代スポーツ競技は身体の上半身のパーツにむけての細かな分節化によって生み出されていった。野球のピッチャーが幾種類もの変化球を投げ分けるときの微細な握りと指使い、肘使いの違い。テニスにおけるラケットの面をつくる繊細な操作……。こうしたいわば「上半身の文法」を精緻化することで、近代スポーツのほとんどの競技は、身体の操作性と快楽を細分化し、意味づけし、言語化することになったのだった。野球のルールブックの膨大な分量も、このことと対応する。当然、頭脳と手によって代表される「上半身の文法」は言語的な分節化をも巻き込み、ルールは煩雑化し、戦術も組織化・体系化してゆくことになる。しかしサッカーはどうだろうか。ルールはわずかに一七条。手の使用は禁じられているため、スポーツにおける上半身の文法が精密化されることはなかった。そしてまさにそのために、サッカーは、身体運動の未分化な部分を「下半身の文法」として抱え込むことになった。結論を先取りすれば、運動本能の神は、下半身にしか宿らないのである。

 運動の本源的快楽としての「ルドゥス」を感じる身体とは、分節化されたパーツにはない。あえていえば、その快楽の根元はセクシャルな全身体的オルガスムスにあるといってもいいかもしれない。そして、サッカーにおける本能的な快感とは、まさにこうしたルーディック(遊戯的)で混沌とした全身体感覚のことをいうのである。ほとんどすぺての近代スポーツは、上半身の技術へと特化してゆくことで、このルーディックな運動本能をひきだす身体的な仕掛けを失ってしまった。そもそも、テニスや野球やハンドボールといった競技において「本能的」という表現がいささか陳腐に響くのも、それらの競技に共通する「上半身の文法」がもはや運動本能をつなぎ止めることができないためである。しかしサッカーは、ほとんど唯一の例外として、上半身へと向かった近代的身体の分節化の動きに抵抗し、下半身というそれ自体混沌としたアルカイックな身体器官に固執することによって「ルドゥス」の根をつなぎとめることができた。ペレやマラドーナのような天才プレーヤーの身体にみなぎる本能とは、こうしてサッカーのもっとも核心にある遊戯的快楽や陶酔とダイレクトに結ばれることになる。

 コロンビアのイギータ、メキシコのカンポスといった、手の使えないエリアにわざと出ていって危ういボール操作をする異形のゴールキーパーたちは、サッカーにおいて唯一上半身の文法に取り込まれてしまった「ゴールキーパー」という職種の持つ反本能的性格に、無意識に反逆の意思を表明しているのだ、とみなすこともできる。下半身の神にボールをゆだねること。それによって、近代スポーツの制度的な分節構造の外へと離脱してゆくこと……。サッカーが前近代的でありつつ未来的でもあるという可能性は、このあたりとかかわっているのである。

 そう考えたとき、いま私たちの前に展開するもっとも魅力的なサッカー的運動本能を見せてくれる一群の選手の多くがアフリカ人たちである、ということは示唆的かもしれない。昨年のアトランタ五輪におけるもっとも印象的な出来事は、日本代表の若手チームが相手の油断とあせりを突いてブラジルを破った(まさに勝敗に勝ったというだけで、いうまでもなくサッカーとしては圧倒的にブラジルの華麗さがまさっていた)ということよりも、その日本を予選で粉砕し、ブラジルを準決勝で見事に撃破して優勝にまで登りつめたナイジェリア・チームの選手たちが見せた、驚くべき身体性の饗宴であった。カヌー、アモカチといった中心選手のドリブルの力強さと美しさには目を見張らざるをえず、しばらく忘れていた、ルーディックなサッカーの神髄を見せられたように思った。ナイジェリアばかりではない。昨シーズンのイタリア・セリエAのACミランのセンターフォワードとして驚異的な身体能力を発揮したリベリアのジョージ・ウエア。あるいはフランスの名門チーム、パリ・サンジェルマンからJリーグのガンバ大阪に今年から移籍して、すぐさまアクロバティックで衝撃的なゴールを量産しているカメルーン出身のパトリック・エムボマ。

 これらアフリカ・サッカーの圧倒的な存在感にたいして、マスメディアはあいかわらず、「黒豹」「褐色の弾丸」といった紋切り型の人種的ステレオタイプによる形容からすこしも出られずにいる。しかしすでに述べたように、こうした下半身の本能にもとづく身体性の発現は、黒人といった人種性に備わった運動能力の結果(そうした考え方は黒人特有のバネ、日本人特有の器用さ、ラテン特有のリズム感、といったときに採用されている、「人種」というカテゴリーを本源的なものとみなす一九世紀的人種主義の偏見から一歩も抜け出していない)などではない。それはむしろ、アフリカやアフロ・ブラジルの文化風土がつなぎ止めてきた、日常的な身体所作における下半身の文法のいきいきとした生命が、サッカーという体系化されつつあった近代スポーツのフィールドに一気に流れ出したときの爽快な混沌の風景なのである。おそらくウエアもエムボマも、そしてロナウドもロベルト・カルロスも、かつてのガリンシャやペレとおなじように貧しい居住区の埃だらけの路地で、手製のボールを中空高く蹴りあげる少年としてサッカーと出遭ったにちがいない。近代的なサッカー選手養成のメカニズムとはまったく無縁のところで、こうした選手の混沌とした身体が、日常生活のリアリティのもつ苛烈な痛みと暴力、美的な優雅さといったもののなかからつくり出されてきた。だからこそ、私たちは彼らの驚くべき本能的な身体の現前を見せられることで、近代の合理的組織サッカーが人間の身体から奪ってきたものがなんだったかを、深く納得させられることになるのだ。アフリカの台頭とは、サッカー後進地域が先進ヨーロッパ・サッカーに追いついたなどという出来事ではまったくない。それは、サッカーの、別種の隠された可能性の台頭そのものなのである。

 サッカーを、野性の身体が躍動し、下半身の混沌としたルドゥスに宿る神々が跳梁するフィールドにひきもどしてゆくこと……。その未来に向けたプロジェクトの尖端に、こうしたアフリカ系選手が連なっていることは、もはや否定できないのである。

 

  

 最後に、サッカーの未来像を展望するための一つの興味深い論点について簡潔に触れておこう。大阪からいったんアフリカに戻ったエムボマが、次期ワールドカップ・フランス大会のアフリカ地区予選の最終決戦で見事に二ゴールを決め、カメルーンをワールドカップに送り出す立役者となったというニュースが、最近伝えられた。私が興味を惹かれたのは、フランス国籍を取って久しいエムボマが、堂々とカメルーン代表としてプレーしていることだった。彼はカメルーン第二の都市ドゥアラに生まれて二歳半の時フランスに移住し、二三歳のときにフランス国籍をとって二重国籍となったらしい。その彼が、カメルーン代表として、彼の現在の市民権が置かれたフランスと来年あるいはワールドカップで対戦する可能性もあるかもしれない。そうなったら、フランスは敵に回せば手強いエムボマを、試合直前になって急遽フランス代表として呼びたいなどと、かなわぬ思いにさいなまれはしないだろうか……?

 こんなばかげた冗談のような想像も、サッカー選手の脱国籍的な交通と流動がますます激しくなる現在、決して笑って済ますことはできなくなりつつある。欧州選手権さなかの昨年六月、新聞に示唆的な記事が載っていた。パリ発のその記事は、フランスで白人貧困層を中心に支持を広げつつある極右政党、国民戦線のルペン党首が、昨年のヨーロッパ選手権で大活躍したフランス・チームにあまりにも外国出身者が多いのを嘆いて「国家すら歌えない選手たちがフランス代表といえるのか」とかみついた、と伝えていた。すでに一五年以上も前から、顕著になってきたアフリカやアラブ世界からのフランスへの大量の移民流入という現実にたいし、おおげさにも二千年以上にわたるイスラム世界のフランス侵略の脅威の歴史を重ね合わせながら警鐘をならしつづけてきたこの極端な人種主義者ルペンの発言は、その矛先がサッカーに向けられていることによって、サッカーの現場に起こりつつある大きな民族的地殻変動の現実を見事に照らし出す。

 じっさい、現在のフランス代表チームの選手の顔ぶれを見ると、デサイー(ガーナ系)、ラマ(ガイアナ系)、ジダン(アルジェリア系)、ジョルカエフ(トルコ移民の息子)、アングロマ(トルコ系)、カランブー(ニューカレドニア出身)、エンゴッティ(カメルーン系)、ラムシ(チュニジア系)、テュラム(グアドループ出身)など、中心選手のほとんどがアフリカやアラブ圏からの移民の息子、あるいはカリブ海や太平洋の海外領土の出身者となっている。いうまでもなくこうした事態は、世界的な規模で起こる第三世界からの先進都市への移民労働者の流入の動きによって生み出されたものとして、決して突発的・例外的なものではない。これからも、移民としてフランスに渡ってきた親が定住してフランス生まれの子供を生むというかたちで、モロッコ系フランス人、トルコ系フランス人、あるいはガーナ系フランス人さらには中国系フランス人といったサッカー選手が増えてゆくことは必然である。同じような動きは、ロンドンでも、アムステルダムでも、あるいはいうまでもなくニューヨーク、ロサンジェルスといった大都市においても例外なく起こっている。日系ブラジル人やペルー人、イラン人や中国人の存在がもはや日常の点景にすらなってきたさまざまな日本の都市においても、問題は共有されているのだ(すでに「日本人」サッカー選手のなかにも、いま注目の的である呂比須ワグナーや、ラモス留偉、宮澤ミッシェルをはじめ帰化外国人が生まれはじめていることは象徴的だ。「第二世代日本人」選手の誕生も間近いかもしれない)。

 現代社会において、避けることのできない趨勢としての移民労働力の流入という事態が引き起こした、こうした民族の離散と国家の多民族化という現象は、これまで最終的には「国家」の論理のなかで統合されていた「ナショナル・チーム」という集団の意味を、大きく変容させてゆくであろう。ルペンのようなナショナリストによる移民弾圧と多民族化への脅威の感情がいかに再燃しようと、もはやこの流れを押しとどめることはできない。人は生誕の地に縛りつけられることなく、どこに移動しても、何人(なにじん)になっても、何語を喋っても、基本的にサッカーをして、小説を書いて、料理人として、エンジニアとして、すなわちまっとうな「人」として生きてゆくことができるのだ、というある意味では簡明な真実を、ついに現代の人類は再発見しかけているのである。それはまた、サッカーを一つの最前線として起こる、二○世紀の国家原理そのものの一つの終焉の姿でもあった。

 同じことが、昨年来ヨーロッパ・サッカー界の話題となっている「ボスマン判決」にもいえる。ベルギーのサッカー選手ジャンマルク・ボスマンは一九九○年、所属していたクラブ、FCリエージュから戦力外の通告を受け、好条件を提示して獲得を申し出たフランスのクラブ、ダンケルクへ移籍しようとした。しかし欧州サッカー協会の定める移籍金制度にもとづいてリエージュが要求した移籍金を払えないダンケルクはボスマン獲得を断念し、成立しかけていた契約は破談となる。ボスマンはこれを不服とし、移籍金制度は「労働者の域内自由労働」の保障を定めたEU基本法に違反するとして欧州裁判所に提訴した。そして九五年末の判決において、EU欧州裁判所はボスマンの訴えを全面的に認め、欧州サッカー連盟にたいし移籍金制度の撤廃をもとめた。それだけでなく、判決は、それまで一チーム三人程度に押さえられていたいわゆる「外国人制限枠」についてもこれを違法とした。この判決以後、欧州のクラブチームは、その経営方針にはじまる重要な政策の大幅な転換を余儀なくされることになった。無名のサッカー選手だったボスマンは、この画期的な判決を引き出したことで、一躍渦中の人となったのである。

 EUの理念が保障する地域内労働者の移動の自由とは、まさにここ数年、二○世紀の国民国家の制度的枠組みを超えて未来の共同体のあり方を模索してきたヨーロッパが、なによりも第一に発想した一つの重大な人間的権利であった。それはつまり、国民国家の原理を頑強に維持してきた「国境」という制度をできる限り透明なものとし、経済・金融・労働市場システムの連続性を保障して、それによってヨーロッパ全体をおおきな多民族・多言語的統合体として最創造してゆこうという壮大な実験の一つの大前提でもあった。欧州連合の理念自体の政治社会学的評価は本稿の目的ではないが、国民国家という近代社会の制度的枠組みをみずからつくり出し、それを百数十年間維持・強化してきたヨーロッパ自身が、国境とか国籍とかいった国家原理の重要な一部を無化しようとしていることは、その枠組みがいまどうしようもなく閉塞しかけていることを雄弁に物語っている。

 ボスマン判決の結果として生じる事態をいま予測することはいささか性急だ。すでにヨーロッパ各国のリーグは、移籍金の障害がなくなって意思のおもむくままに所属チームを変えられる選手たちによる未曾有の移籍ラッシュに揺れている。金持ちチームは、資金力にものをいわせて高給を提示して有名選手狩りをはじめてもいる。外国人枠の撤廃によって職を奪われる危機に直面した自国選手が、外国人に対する排斥的な理由を振りかざして抵抗してもいる。判決がもたらす短期的・直接的な効果のなかには、サッカーと国家との関係の最強化への揺れ戻しのような動きも生ずるではあろう。だがそうした過渡的な動きを超えて、事態はあきらかに、サッカーを世界にむけて制限なく散布してゆくという大きな方向性を拓こうとしている。まさにヨーロッパを起源とする国家とスポーツとの百数十年間にわたる占有・帰属関係の終焉の物語が、いままさに当のヨーロッパから、フランス代表チームやボスマン判決によって語りはじめられようとしているのだ。

 サッカーが「国家」原理を超えて世界にくまなく散布され、世界中の人々がサッカーのルーディックな美と快楽の原理を新たな指針として共有しあいながらサッカーを最創造しようとしたとき、私たちはついに、スポーツの歴史におけるまったく新たな時代の到来を予感することができる。だからこそ、フランス行きをかけて苦闘する日本代表チームがめざすべきなのは、もはやワールドカップのスタジアムに流れる国歌でも、スタンドを埋め尽くす国旗でも、ましてや日本の勝利でもない。サッカーを外部から支配してきた原理に背を向け、サッカーそのものに内在する遊戯的な神を足に宿すこと……。自分たちが、世界の脱国家主義的な最創造という未曾有のプロジェクトの最前線を走っているのだという自信と昂揚感を身体にみなぎらせながら疾駆し跳躍する若きアーティストたちの集団を、私はフランスのスタジアムに見たいと思う。


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