ゲームの終焉に抗して−中田英寿と反-物語
今福龍太
一人の天才的なスポーツ選手を「物語」が包囲するとき、悲劇が始まる……。
中田英寿をとりまく現実の華やかさも騒々しさも、すべてはこのやっかいな「物語」の仕業だ。プレーヤーの目の醒めるようなプレーの背後に、プレーそのものと直接かかわりのない因果論的な説明をほどこし、スポーツのもたらす快楽を「情報」にすりかえて「消費」しうる物語に仕立て上げること。国家的威信の物語、家族愛の物語、根性や精神主義の道徳物語、差別や抑圧との闘争の物語……。それがどのようなものであれ、スポーツの英雄という記号を生産し、消費し尽くし、ついには無情にも祀り棄てるこの「物語」というシステムの暴力と狡猾さには、いかなる天才的なプレーヤーも容易に太刀打ちできるものではない。かつての王貞治もモハメッド・アリも、いまのタイガー・ウッズも清水宏保も、こうしたメディアによる物語の包囲によって消費される運命に逆らうことは難しかった。
中田英寿という稀有のサッカー選手がすでにそうした、物語を欲望してやまない大衆社会の「造話」作用の力によって囲い込まれようとしていることは誰の目にも明らかだ。その事実は、私の気分をひどく沈滞させる。中田もまた、いずれは物語的記号として使い果たされる宿命を背負ったのか、と。だが、ある意味で、そうした物語の原理によって捏造されたいかなる中田像も、ピッチに立って流れるように動きまわり、伸び上がって美しい姿勢で的確なロングパスを蹴り、トリッキーな身体所作によってボールを思いがけないスペースに出し、ときに小動物の敏捷さを思わせるドリブルからペナルティエリア内に切れ込んで強烈なシュートを放つ中田自身の身体が示す陶酔的な美しさを、その場において説明することも、補完することもけっしてできない。つまり中田自身を物語による暴力的な占有状態から解放しうる唯一の方法は、ほかでもない、中田をピッチの上で運動する一人のプレーヤーの「いま、ここ」におけるリアリティへと、たえず、つねに、引き戻してやること以外にない。そしてそれはひとえに、私たちのサッカー観の転換ひとつに、かかっているといえる。
『中田語録』(文藝春秋刊)のなかに「振り返ることは評論家のすること」という、喚起的なフレーズがある。ゲームが終わり、一つ一つのプレーへの事後的なコメントや評価を引き出そうとして中田に詰め寄った記者たちの問いかけにたいし、中田特有の人を食ったようなぶっきらぼうな返答がかえってくる。
こうした中田の愛想のない返答に表情を硬直させ、あからさまに不快を表明するインタヴューアも多かった。中田の記者にたいする協力心のなさはたしかに歴然としている。取材へのあからさまに拒絶的な態度が、プロ意識に悖ると考える人もいた。だがここでほんとうに問題とすべきは、こうした返答のなかに中田の積極的なメッセージを読みとることを、私たちが怠ってきたという点である。この一見ぶっきらぼうな対応は、あるいは、出来事を振り返って解説を求めようとする質問にたいして答えがどうしても見つからないという、中田自身の素直な困惑の表明に他ならないのではないか。彼にはおそらく、瞬時におこる一つ一つのプレーの由来を説明する、いかなる言語も物語もない。プレーは、それが遂行された瞬間に完結し、終了し、充足する。そこに回顧的なコメンタリーが侵入する余地など、はじめからないのだ。プレーにかんする事後的な解説(解説はつねに事後的でしかあり得ない)が不可能である理由を、中田自身はつぎのように簡潔に語っている。
多少の気負いとともにここに真摯に表明されているのは、まちがいなく、スポーツを因果論的な説明論理からかぎりなく遠ざけようとする、プレーヤーによる本能的な「反-物語」への確信である。中田はヴィデオ・テープに録画されたリプレーをほとんど見ない。過去の偉大な選手たち、ペレやジーコやマラドーナのゴール集のようなヴィデオにも興味を覚えることはない。中田にとってサッカーとは、まさにゲームのさなかの、いま、ここにおいて完結し充足する運動にほかならず、プレーする快楽や美意識もまた、すべてそうした瞬時にかたちをなし、瞬時に消滅してゆく「現在」のなかにしかなかったからだ。だが、世間を覆い尽くすのは、プレーの由来をある因果律によって説明し、原因と結果との対応として示そうとする強迫観念にも似た物語の衝動である。自ら努力をした成果が出た。相手を徹底して研究したことが勝因だ……。そこでは、ゲームに流れる充足した「現在」の連続への陶酔的な感覚があっさりと忘却され、結果を吟味し、評価し、反省するといった、回顧的な語りのモードによって「サッカー」を再現しうるという幻想がまことしやかに信じられている。そして日本のスポーツ・ジャーナリズムも、サッカーファンも、こうした幻想の落とし穴にはまりこんだまま、厚顔無恥ですらある物語願望を無自覚に垂れ流している。
中田のぶっきらぼうとも見える言葉の真意は、サッカーを回顧的な「物語」や「情報」としてただ縮小再生産して喜ぶこうした欺瞞的信仰への、本質的な批判以外のなにものでもなかったのである。
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『中田語録』のなかに、ほとんど信じがたいともいえる、一つのきわめて印象的な写真が収められている。一九九七年十一月十六日、マレーシア、ジョホールバル。ワールドカップ・アジア最終予選の最終戦の対イラン戦で、延長後半十三分に岡野によるVゴールが決まって日本チームが劇的な勝利をおさめた直後のピッチ上の一シーンである。そこでは、選手や監督、コーチらがもみくちゃになってはしゃぐ日本チームの歓喜の輪に加わらずに一人はなれた中田がイランのベンチ前へと歩み寄り、柔らかな表情でビエラ監督と固い握手をかわしているのである。ビエラもまた、中田のこの意外ともいえる行動に格別驚くこともなく、敗北の瞬間に去来する想念をどこかに置き忘れたかのように、満足げな面持ちで中田の右手を強く握り返している。
いうまでもなく、この日の決戦を終始、美しく統率しつづけたのは中田だった。二対一と逆転された後半に、城への芸術的なクロスをあげて同点のヘディングシュートを引き出したのも中田であり、岡野のVゴールを呼んだ最後の中央突破のドリブルと強引とも見えるシュートもまた、中田の機知と想像力溢れるプレーを凝縮して示していた。つまり中田は誰の目にも、この決戦のヒーローであると映っていたのである。そのようなゲームが終了し、それが日本にとってワールドカップ初出場を決める大勝利であると実感されるはずの歴史的瞬間に、中田は仲間たちとともに歓喜の渦に飛び込んでゆくことを避け、なんと相手チームの監督のもとにまず近づいていったのである。
だがこの驚くべきシーンをとらえた写真を眺めるうちに、ほとんど信じがたいと思われた中田の行動が、私にはしごく当然のように見えてきた。ビエラとの握手のシーンは、ゲームの終了直後の中田のプレーヤーとしての充足感がどのあたりにあるのかを、象徴的に示していると私には思われるからだ。簡潔にいえば、彼は「勝利」の喜びに淫するということがない。中田の充足は、勝利という「結果」によってもたらされてはいないのだ。ましてや、ワールドカップ初出場を決める歴史的勝利という格好の物語の萌芽を、中田はほとんど本能的に拒絶した。むしろ、彼の身体は、あのとき別種の静かな高揚によって充満していたのではないか。ゲームの瞬間瞬間に彼をとらえてプレーに駆り立てるサッカー的運動本能の凝縮された力は、延長戦を闘い終えて快い疲労感に満たされた彼の身体を、やわらかく包み込んでいた。そのサッカー的力によって帯電した身体を、そのままのかたちで「現在」の歓喜として感じること以外に、中田にとってやるべきことはなかった。それは、爆発的な歓喜の表出とも、勝利の絶叫とも、感涙にむせぶ同僚との抱擁ともちがう、中田しか考えつかない特別の行動となって、あの瞬間に現れた。それがビエラへの握手だったのだ。
このとき、ゲームはすでに終わり、結果として生まれた「日本チームの勝利」という抽象的な事実だけがすでに一人歩きをはじめようとしていた。中田が全身全霊を捧げて組み立ててきたゲームは、ついに終焉をみたのである。だが中田にとって、ゲームには前も後もなかった。「いま、ここ」の瞬間的な充足のなかで完全燃焼する中田のプレー美学は、勝利という結果の意味も、ワールドカップ出場という物語の高揚をも、二義的なものとして退ける。「ゲーム」を、ゲーム以外の要件によって意味づけ、説明しようとするあらゆる言説の制度に対して、中田は本能的に強く反発する。勝利に驚喜することも、サポーター席の日の丸の乱舞に応えて笑顔をつくることも、それまでの「努力」や「試練」をもったいぶって回顧することも、すべて、ゲームの外部にあってゲームのアクチュアルな美や快楽の相と、直接かかわりをもたない要素でしかない。つまり中田は、ここで、「ゲーム」そのもののテンションを周縁化しようとするあらゆる動きに抗議しているのだ。それはまた、ゲームが終わってしまったことへの、中田的「失望」の裏返しでもあった。試合終了の笛は、それがたとえ「大勝利」を告げる笛であっても、ゲームという至福の時の充満の終わりという意味で、彼にとって大きな悲しみだった。ゲームの「いま」がもたらす快楽と美の発現にすべてを賭けていた選手が、試合終了とともに感じる深く根源的な悲しみの感覚を静かに分かち合う相手を探すように、中田はあのとき、ほとんど無意識のうちに、同じ悲しみ表情を浮かべるビエラのもとに駆け寄ったのにちがいない。それは、勝敗を超えたところに、ゲームのもっとも凝縮された高揚が存在しうるという確信の、静かな表明でもあったのである。
中田が、現在の勝利至上主義的なサッカー観を本質的に転換しうるほとんど唯一の救世主であると私が考えるのも、まさにこうした、彼のつつましやかで強靭な、ゲームにおける瞬間志向型のプレー美学のためである。徹底してプレーの「いま」という瞬間にこだわることが、勝敗という「結果」をぎりぎりまで相対化し、メディアやサポーターによる造話願望にたいして「反-物語」という抵抗心を彼に植えつけるのだ。そしていまのスポーツの現場において、勝利と物語の欲望から自由でいるということほど、困難なことはない。中田の異形性は、まさにこの点においてきわだっているのである。
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中田は、自らの身体にひそむサッカー的本能を、誰よりも繊細に感じとっているプレーヤーである。『中田語録』のなかでもとりわけ印象的なフレーズに、「俺のライバルは、小学生時代の中田英寿」という言葉がある。ストライカーとして活躍していた少年時代の試合で、前線に走り込みながら背後からのパスを待っていた中田は、あそこの空白に走り込めばこんなパスが出てくるということが、背後を振り向くこともなく、いつも本能的にわかったのだという。背中で起こっていることが、手に取るように「見えて」しまった小学生時代の自分の感覚を、中田はサッカー選手として最高の状態にあったといまも考えている。彼には、サッカーを動かす見えざる神の腕さばきが、本能的に感じられたのである。
だがプロ選手をめざして練習を重ねれば重ねるほど、あの本能的なプレー感覚はどこかに遠のいていった。中学、高校と進むうちに、自分の感覚が鈍ってどんどん下手になっている、と実感した中田は、サッカー的本能の後退を身体の芯で微細に感じながらも、それをなんとか甦生させようとあらたなトレーニングを自らあみ出してゆく……。
ここには、一プレーヤーの、サッカー的本能にたいする大きな愛着が表明されている。まさに、運動する身体が始原としてかかえこんでいた混沌とした「本能」の領域を、近代のスポーツ競技がルールや合理的戦術の体系として馴化し構造化していった歴史に反旗を翻すように、中田は、いまだ近代スポーツのイデオロギーによって規格化される前の小学生時代の自らの身体本能を、なんとかして呼び戻そうとしているのである。
そうだとすれば、練習嫌いでありながら、人一倍練習の虫でもある中田の考える「練習」という概念には、新しい意味が与えられねばならない。すなわちそれは、学校体育という制度が、選手の身体の規格化と集団化を円滑に実現するために、無定型で混沌とした運動本能を去勢してゆく従来の「練習」ではなく、むしろ、身体の芯に後退したまま眠りかけた本能を甦生させるための「反-練習」の行為だからである。画一性と協調性を至上とする集団主義のイデオロギーと、努力と根性を無条件に称揚する悪しき精神主義の抑圧とによってがんじがらめになった自らの身体から、制度の鎖をとりはずし、押し込められていたサッカー本能にみずみずしいグラウンドの芝の香りを持った裸の空気を思いきり接触させてみること……。そうした、殺されかけた本能を甦生させるための逆トレーニングの方法論として中田の「練習」があるのだとすれば、それは近代の合理的スポーツ科学に背をむけた、ほとんど、宗教的修行とすら呼びうる聖なる表情をたたえだすことになる。
ある意味でたしかに、中田は深く宗教的なプレーヤーなのかもしれない。その異形性は、独特の聖なる瞑想的な風貌と、行者のような毅然とした内面性によって裏打ちされている。サッカー的本能の神、すなわちこの下半身に宿る機知に富んだ精霊の送り出すヴァイブレーションをいかにして自らの身体につなぎ止め、その制御不可能な過剰な力をひと思いにピッチの上で発現させる意識の集中状態をいかにしてつくり出すのか。中田のサッカー・プレーヤーとしての信条は、ほとんどこの一点に集約されているのだ。それをあえて宗教的と呼ぶならば、それは、ナショナリズム教という名の、国歌や国旗への反動的な信奉によってサッカーを幻想の共同体に囲い込む世俗宗教や、勝利至上主義教という名の、「負けない戦術」にすべてのゲームを奉仕させようとする反快楽的なサッカー信仰とは似ても似つかない、むしろそれらに真っ向から対立する、すぐれて美学的な信仰であることになる。試合直前の君が代斉唱の場で下を向いて、平然とこの醜悪な国家宗教の儀礼をやりすごす中田が、別種の宗教人であることは、このことからも明らかなのだ。
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中田英寿は、自らの運動本能の原点に立ち返り、その意味と美的形式を再発見しようとする思想性において、深く宗教的である。彼はまた、彼が好むバッハやモーツアルトの音楽と同じように、すぐれて抽象的であり、構築的である。しかも、ショパンのように本能的であり、官能的でもある。そうした要素は、サッカーという場においては、彼のトータルな「技術」への信奉へと結晶化されて示される。精神的な強さでも、闘争心でも、チームワークでも、戦術への忠誠でもない、下半身に宿るサッカーの神が要請する統合的な「技術」(スキル)の実現……。これこそが、中田のサッカーの本質的にして最後の砦である。
だからこそ、中田よ、間違っても「日本代表」を自分が背負っているなどと思いこまされてはいけない。もっと過激に、もっと支離滅裂に、もっと不可解なサッカーへと突き進め。浮き、空回りし、超越せよ。そのようにして一度、サッカーの旧弊な構造を完膚無きまでに解体してみることなくして、日本のサッカーを再創造する道はないからだ。ゲームの外部を言語化し情報化することで、ワールドカップを四年に一度の壮大な「物語」へと仕立て上げようとする無数の欲望が渦巻くなかで、中田はひとり心のなかの神にこう語りかけているにちがいない。
「ゲームは終わっていない」と。
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