アートの民族植物学的起源―――ペドロ・アマリンゴと幻覚のヴィジョン

 今福龍太



 アートと幻覚作用との関係は、西欧の近代芸術文化史においてもかならずしも周縁的な主題ではなかった。とりわけ文学の領域においては、ボードレールにはじまり、オルダス・ハクスリー、アンリ・ミショー、そしてウィリアム・バロウズにいたる麻薬への文学的関心の根強い系譜がよく知られている。彼らはいずれも、実際に幻覚性の物質を服用するという肉体的な行為を通じて、自己意識の変容の体験を文学的霊感の一つの大きな実験場と位置づけたのであった。

 だが西欧美術の領域においては、そうした幻覚薬物への関心はかならずしも実践者としての画家の仕事に大きく反映されるということがなかった。いうまでもなく想像力の領域をも含めた「幻視」の能力は、ゴッホやモネやシャガールやムンクといった著名な画家たちをあげるまでもなく多くの近代画家たちに共有されており、とりわけ1930年代以降シュルレアリスム絵画によって幻想的な主題が意識的にとりあげられるようになると、絵画はむしろ「幻視」の産物そのものとして位置づけられるようにさえなった。ある意味では、絵画的な「視線」ははじめからリアリズムを超越する幻覚的・想像的な領域を懐胎していたのであり、肉体に幻覚を誘引させる薬物的な現象を経由しなくとも、幻想的モチーフは彼らの内部の視線からあふれ出してきたのだ、と考えることもできる。

 しかしいわゆる伝統的な民族文化の世界に目を移すと、絵画的ヴィジョンと幻覚作用とは幻覚性植物の使用という実践行為を通じて非常に強固に結びついている。たとえばメキシコのシエラ・マドレ山脈一帯に居住するウイチョル族のニエリカ(Nierika)と呼ばれる毛糸絵は、幻覚性植物の摂取をつうじたシャーマニズム的世界観が絵画的ヴィジョンとして現れ出るもっともヴィヴィッドなケースであると考えることができる。ニエリカとはウイチョル語で「神の顔」を意味しているが、同時にそれは「鏡」のことでもあり、この毛糸絵が、西欧的な意味での主体の自己同一性を破って、間人格的な、人と精霊と神との交流する世界への通路となっていることを示している。メスカリン系の幻覚性物質を多量に含むサボテンの一種であるペヨーテの摂取によって誘引されたサイケデリックな幻覚的ヴィジョンを、ウイチョル族はペヨーテ=鹿=トウモロコシという同一化された聖なる精霊の交流・交通の姿として描き出す。多くのニエリカの図像にはクプリ(Kupuri) と呼ばれる生命の源泉となる力が、トランス状態になったシャーマンをめぐる無数の色と輝きを持った光線としてとらえられており、またペヨーテの服用を媒介にして出現する火の神であるタテワリ(Tatewari)という至高神の与える神話的ヴィジョンが絵全体に反映されている。このタテワリによって与えられるヴィジョンを一種の精神地図として、シャーマンは聖なる地ウィリクタでペヨーテを採集する(同時に儀礼的に鹿を狩る)方法を伝授されるのである。シャーマニズムにおける幻覚性の植物の服用によって生じる視覚的ヴィジョンを、精神地図として形象化することによって集合的に所有し、維持しようとする、民俗工芸をめぐる伝統社会特有の文化がここにあることはまちがいない。

 だがウイチョル族のニエリカは、いわばメソアメリカ先住民文化と直接につながる神話的世界観の比較的忠実な反映であると見なされる限り、それを近代的な意味での「アート」(美術)という範疇において理解し受容することには、一定の留保をつけざるをえない。「フォークアート」というカテゴリーが、近代社会の側から「アート」という概念を伝統社会に強要し、それによって伝統社会の物質文化の意味を収奪する政治学的編制の上に成立した概念であることはいうまでもない。実際に、ウイチョル族の毛糸絵はパナマのサンブラス・クーナ族のパッチワークである「モーラ」等と並んで、現在欧米のフォークアートの商業マーケットにおいてもっとも人気の高いアイテムとなっており、文明社会によるエキゾティシズムの格好の投影の対象となっている。こうした近代西欧的な異国趣味の編制を経た「アート」の文脈では、幻覚性植物の使用を媒介にしたシャーマニスティックなヴィジョンの意味は、作品の背後へとごく装飾的なものとして後退する。プリミティヴィズム的感性をもっぱら切り口にした表層的な審美主義が、そこではアートを評価する方法を決定づけてしまうことになる。

 だが、西欧社会によるエキゾティシズムの視線を政治的なものであるとして排除し、そこに民族文化固有の世界観の表象を探り当てることは、逆にニエリカに投影された絵画的ヴィジョンの質を一方的に文化相対主義的な文脈に囲い込み、対象を神秘化するだけにおわる危険性も持っている。特に近年のニエリカをはじめとするメキシコ先住民の工芸品の図像的主題は大きな変容を見ており、文化接触やテクノロジーの拡散によってとりわけアメリカ的な図像主題がさまざまな伝統工芸品に採用されはじめている現実は無視することができない。これは単なる伝統文化の西欧化という問題であるよりは、先住民の絵画的・工芸的ヴィジョンそのものがもつ本源的な力によって、新しい外来の主題が現実の社会的コンテクストを媒介に採用されている、という積極的な文化盗用あるいはクレオール化の問題と考えることもできる。アートが誰によって生産され、それが誰によって受容・評価されるか、という構図は、従来に考えられていた欧米中心の一方向的な構図と比べて、はるかに複雑なものになりつつあるのである。

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 シャーマニスティックなヴィジョンをめぐる深遠な世界観を背景に、従来の「フォークアート」というカテゴリーを超えて、西欧的な絵画アートの世界に、ある意味で文化的制外者(アウトサイダー)として固有名を持って参入してきた特異な例が、ペルーのパブロ・セサル・アマリンゴである。アマリンゴはペルー・アマゾンのジャングル一帯で伝承されている植物を使用したシャーマニズムと民間医療の体系(ベヘタリスモ)を修得し、実際にベヘタリスタ(民間医療師)として活動した後に画家へと転身したメスティーソ(混血)であり、幻覚によるヴィジョンをキャンバスへと写しとりながら、自然環境への民族植物的な英知と環境保護の思想を、絵画を通じて土地の若い世代に伝達しようとしているユニークな人物である。

 アマリンゴの伝承するベヘタリスモの伝統の起源は南米の先住民文化にある。しかしとりわけ南米のアマゾン流域の先住民文化が現在消滅の危機にあることはさまざまなかたちで報告されている。すでに16世紀初頭からのスペイン・ポルトガルによる植民時代初期、多くの部族人口は疫病や過酷な労働使役によって百年間で百分の一程度に激減ししていた。さらにそこに、19世紀から20世紀初頭にかけてのゴム・ブームによる開発の時期に行われた強制的な移住政策や大量虐殺が追い打ちをかけ、ブラジルに限っても今世紀になってすでに87の部族が事実上絶滅したというブラジル人類学者による調査報告もある(ダーシー・リベイロ『インディオと文明』1970)。こうした事実は、先住民文化の維持と活性化をめざすさまざまな動きを文明社会にも呼び起こしており、現在、アマゾンの森林資源を世界中に残されたもっとも多様な生物学的自然環境として保護してゆこうとする運動と連携しながら、一つの大きな流れをつくり出している。

 そうした動きのなかで特筆すべき要素が、アマゾン流域のインディオが伝承してきた生態環境の維持システムにかんする知識と、生態系の理解に根ざした民族植物学的な知識体系とその病気治療への応用技術への新たな評価である。前者については、ブラジルのパラ州南部のカヤポ族などを対象に、その生物的多様性を維持する高度な環境管理の技術や土壌分類の知識が、近代社会に大きな貢献をなし得るものとして研究されている(たとえばダレル・ポーゼイらによる『資源管理とアマゾニアの先住民』1987 )。

 後者の民族植物学的知識の伝承に関しては、とりわけペルー・アマゾンの源流にある熱帯林地帯が注目されてきた。この地域の特徴は、すでにインディオの部族文化が崩壊し、住民の多くは、ペルーにおいて「リベレーニョ」(ribereno) あるいはブラジルにおいて「カボクロ」(caboclo)と呼ばれる混血化した住民によって占められている点にある。これはしかし、インディオの文化の消滅そのものを意味するわけでは必ずしもなく、むしろ多くのインディオ的な文化形態が、メスティーソ(混血)共同体に伝承されて残存していることをさまざまな研究が明らかにしている。とりわけ自然信仰の神話的な体系や、植物を利用したシャーマニズムの実践は、むしろ現実にはリベレーニョたちの手によってもっとも生き生きと伝承されてきたのである。

 トゥピ語でヤヘ(yage)、あるいはケチュア語でアヤウアスカ(ayahuasca)と呼ばれるジャングルの蔦の一種を主原料とする幻覚性の飲料を摂取することによって、視覚的な幻覚作用を媒介にした、さまざまなシャーマニスティックな実践や病気治癒を行う「ベヘタリスモ」(vegetalisomo)の伝統も、こうして今ではリベレーニョと呼ばれる混血の住民によって力強く行われていることになる。

 そうしたベヘタリスタ(vegetalista)の一人がパブロ・アマリンゴである。アマリンゴは1943年、ペルー・アマゾンの低地にある小さな集落プエルト・リベルターに生まれている。家は小さな農家で、両親の第一言語はケチュア語だったが、彼らは彼らの13人の子供たちをスペイン語によって育てた。父親の失踪などによって貧しい暮らしを余儀なくされた少年パブロは15歳でプカルパで荷役労働につき、無理がたたって病気になったことをきっかけに絵を描きはじめる。家庭の極貧を案じたパブロはこのとき、筆と墨を使って精巧な紙幣を偽造しようとしたのだった。通貨偽造の罪で逮捕され投獄されたアマリンゴは、脱走してブラジルへ逃れここで2年間ほど働いたあと、ペルー・アマゾンへと舞い戻った。このとき、アマリンゴは心臓の重い病にかかり、これをアヤウアスケーロ(アヤウアスカを使って病気を治癒するシャーマン)によって癒されるという体験を持った。この後しばらくして夢である啓示を受けたアマリンゴは、1970年からペルー・アマゾン流域を旅しながらベヘタリスモの実践をはじめた。この間に、彼は流域のリベレーニョたちから膨大な植物学的知識を吸収し、アヤウアスカの魔術的な世界にますます引き込まれていった。だが、アヤウアスカの危険な力は、シャーマンたちの間に治癒と黒魔術をめぐっての抗争を生み出すことが多く、あるときアマリンゴは邪悪なシャーマンの操作するアヤウアスカの力によって瀕死の重傷を受けることになった。これをきっかけにシャーマニズム的実践を放棄したアマリンゴは、油彩によって彼の自然信仰と幻覚ヴィジョンを絵画化することをつうじて、アマゾニアの自然環境と呪術文化を保持・伝達する仕事に目覚めてゆく。さらに彼は、人類学者の協力なども得ながら1988年にプカルパの町はずれに「ウスコアヤール絵画学校」(Usko-Ayar Amazonian School of Painting---ケチュア語でウスコは「精霊の」、アヤールは王子)を設立し、周辺地域の青少年たちに絵を描くことを通じて精神の内面や信仰を可視化させ、同時にアマゾニアの自然環境や動植物層の総体を理解させる教育的な試みに専念している。精霊は、言葉ではなくイメージを通じてもっとも雄弁に語りかけるというのが、アマリンゴの信念のようである。

 シャーマンとしてのアマリンゴの治療技術はさまざまなタイプのものに分かれていた。それらは吸引、患者の魂の再生、薬草の利用、水治療法、合体、マッサージと多岐にわたっているが、いずれの技術も、アマリンゴによれば彼がアヤウアスカを摂取したときのヴィジョナリーな体験によって与えられた集合的な知恵であるとされている。アマリンゴは、アヤウアスカの幻視体験を、初めのうちは彼個人の意識に起こる個別的な現象であると見なしていたが、アヤウアスカの経験を重ねるうちに彼の理解は深くなってゆき、それがアマゾン上流域の自然信仰と神話的世界のなかに参入する至上の方法であり、アヤウアスカによるヴィジョンによって人ははじめて神と精霊が伝える世界全体についての英知へと接近できることを直感していった。

 アマリンゴはこう語っている。 「自然はシンボルを通じて語りかけてくるのです。たとえば、植物の形態、色、構造といったものは一つの言語をかたちづくっていて、正しい準備ができたベヘタリスタはその言語を理解することができます。鳥の歌、虫の声、風や雨の物音も同じ言語です。シピボ族のシャーマンはそれらについてよく知っていました。織物や焼き物に描かれたデザインもただの装飾ではなく、賢者ならば理解できる象徴的な言語なのです」。

 こうした言葉のなかには、彼のアニミスティックな自然観、自然環境の視覚的な象徴性についての理解、そしてそれらの理解がアマゾニア先住民の知恵に由来するものであるという歴史的系譜の意識、さらに日常的な物質文化にあらわれる図像を神話的・象徴的な記号として受容する感性、といったものが凝縮して示されている。そしてシャーマンとしての実践を捨てたアマリンゴが、次に絵を描くという行為を通じて表明しようとしたものも、まさにこうした自然崇拝にかかわる統合的な叡知だった。

 アマリンゴの作品の一つ「サチャママ」には、そうした彼の自然信仰の特徴が見事に表現されている。アマゾニアの豊饒な自然の人格化された形象ともいうべき伝説の大蛇サチャママ(Sachamama)が、ここでは鹿に催眠術をかけ、それを飲み込もうと身構えている。サチャママの体からは木が生え草が伸び、それがすでにアマゾニアの自然環境に一体化した存在であることが暗示されている。サチャママは数百年間移動することなく、森に同化するようにして身を隠し、その周りを通過する動物や人間を飲み込み、骨を吐き出す。絵には数百年間のあいだにサチャママが飲み込んだ獲物の骨が人骨も含めて描き出されている。サチャママに出会った者は、静かに用心深くその場を離れることで、風や嵐から逃れることができるとされる。なぜなら、サチャママは森の木々をなぎ倒す風や洪水の元凶でもあるからである。こうした表現からアマリンゴは、熱帯雨林の自然環境の豊饒さと凶暴さを、サチャママという形象に託しながら凝縮して語ることに成功している。さらに特筆すべきは、この絵に描き出された植物のすべてが、現実の植物種として同定可能なほど微細に正確に描き込まれ、それらに一つ一つの民族植物学的な意味が付与されているという事実である。この一枚の絵の背後には、スケールの大きなアマゾニア神話の世界観と、実践に裏打ちされた高度な民族植物学的知識とがともに横たわっていることになる。

 アマリンゴの絵画のもう一つの特徴は、混淆的な文化要素のダイナミックな共存である。「隠者」と題された作品は、絵の左下に坐ってアヤウアスカを飲むシャーマンの前にあらわれた驚くべきヴィジョナリーな世界の躍動感をつたえている。高められた視覚のなかで、シャーマンは三つの球体を見る。それぞれの球体の背後には三種類の異なった守護精霊(オウム、水蛇、鰐)がいて、それぞれがイカロ(icaro)と呼ばれる霊的な気を示す歌を歌っている。これらはいわば、三つの宇宙的秩序とでもいうべきものの表現であり、それぞれの球体が植物で覆われていることからも分かるように、生態学的な真理の表現ともなっている。また中央下には、三人のベヘタリスタを背中に乗せた大ナマズがシャーマンの治療行為を助けるために登場している。

 だがここには、よく見るとヘテロジニアスな図像表現も描き込まれている。たとえば中央に描かれた黒い人魚はアマゾニアでは「ヤナ・シレーナ」(yana-sirena)と呼ばれる精霊で、人間を誘拐して水中の深い洞窟に幽閉するといわれる形象である。また、人魚の脇には土星からやってきたとされる妖精たちが、西欧的な衣裳を着て描き出されている。さらにバックにはアンタレス(蠍座のα星)から来た数人の巨人がおり、彼らは画面右上に描かれた円盤に乗って出現したとされている。同じ空にはオカルト的・未来的な空中都市が描き出されてもいる。

 こうしたハイブリッドな絵画表現が、アヤウアスカの服用によるヴィジョンをもとにして創造されているとするならば、アマリンゴにとってのシャーマニズムや幻覚性植物の意味はもはや伝統的な呪術的世界観の文脈の内部に限定されてはいないことになる。すでに混血化し、部族文化の完結的なコスモロジーの体系を逸脱して展開したアマゾン上流域のベヘタリスモとその知識を担うリベレーニョ自体が、いわはこうした、すぐれて混淆的・クレオール的な世界観の存在を証明しているともいえる。西欧神話、近代テクノロジー、現代の大衆科学におけるUFOやオカルト的イメージ、インカの太古を近代の認識によって客体化し聖別化する視線といったヘテロジニアスな要素を数多くはらんで成立するアマリンゴの幻覚アートが、現代社会にたいしてにいかなるかたちで「アート」という概念の見直しを迫っているか、私たちは慎重に精査してみねばならない。

 最後に、アマリンゴの絵画作品が欧米社会に受容されるときの、特有の環境について簡単に言及しておかねばならない。アマリンゴの作品が欧米の絵画市場において流通する文脈には、大きく見てふたつのきわめて現代的な民衆イデオロギーが働いている。その一つはニューエイジ運動であり、もう一つがエコロジー(環境保護思想)である。アマリンゴの絵画作品の多くは、その幻覚剤との関係や極彩色のスタイルとも相俟って、いわゆる「サイケデリック・アート」としてニューエイジ的精神主義の文脈でさかんに言及され、また取り引きされている。インターネット・サイトにおけるアマリンゴに関するページを手短に眺めてみるだけでも、Electric Galleryという明らかにサイケデリック・アート系のサイバー・ギャラリーが彼の絵画作品の多くをウェッブ上で売りに出しており、またニューエイジ系の書籍のみを扱うインターネット書店New Begginings Online Bookstoreも、アマリンゴの絵画作品の掲載された画集を特集していたりする。 さらにアマリンゴが絵画製作に集中できる環境をつくるのに力を貸し、彼と彼の作品を世界に紹介するもっとも大きな役割を果たしたコロンビア出身の人類学者ルイス・エドゥアルド・ルナが、そもそもアマリンゴを発見する際に、アメリカ西海岸のニューエイジ運動の精神的的支柱の一人と目されるテレンス・マッケンナをつうじてアマゾン上流域の民族植物学的な世界に参入しているという事実も――マッケンナのシャーマニズムをめぐる仕事の有効性がニューエイジの文脈を超えて科学的に十分認知されているとしても――アマリンゴを受容する欧米世界の対応にニューエイジ的なアクセントをつけ加えることに貢献しているといわざるをえない。

 また、エコロジー運動という、アマゾニアの森林を最後に残された人類の資産として象徴化する思想運動にとって、アマリンゴという人物の存在と彼の作品の特権的価値は明らかである。アマリンゴの自然環境への深い知識とそれを絵画を通じて伝承しようという意志、さらにウスコアヤール絵画学校という実践活動に賭ける彼の行動力は、エコロジー運動に関わる多くの人々を鼓舞し、またそうした人々に連帯を呼びかける強いメッセージ性を備えていることは確かである。だがここでもまた、アマリンゴの絵画の意味が大衆エコロジー思想のイデオロギーによって収奪されている状況を否定することはできない。アマリンゴ自身が欧米のエコロジー思想の語彙に準拠して語る機会が多くなるにつれ、こうした文脈はますます強くアマリンゴの周囲に張り巡らされ、彼はついに1992年、国連環境計画によって「地球500平和賞」を授与されるにいたった。受賞者にはジャック・クストーやジミー・カーターなどの名も見え、アマリンゴは環境運動の英雄的な指導者の一人として国際的な認知を与えられたのである。

 アマリンゴと彼の絵画作品をめぐる社会的文脈は、こうして多様なイデオロギー的、審美的傾向を取り込みながら、現実に対応して伸縮を繰り返している。シャーマニズムと民族植物学的な内実を備えた絵画作品が、現代の産業社会において受容され、流通されるときのポジションの複雑性のなかに、「アート」をめぐるきわめて現代的な問題が見事に透視される。アウトサイダー・アートの一つの現場は、このようにして伝統社会と現代消費社会の相対する原理が交差し、混淆的な文化表現が錯綜した政治学的・美学的闘争を繰り広げる界面に立ち上がる。だがもちろん、アマリンゴの絵画がアルス(技芸)として生み出される原点の部分に存在するのが、深遠な民族植物学的叡知であることはいうまでもない。アートがもし、植物学的な起源を持って生み出されることがあるのだとすれば、アマリンゴのアートを評価する方法論を、私たちはいまだに手に入れていないことになる。

(註)本稿執筆にあたって、アマリンゴの絵画とアヤウアスカの関係をめぐる唯一の包括的な研究書である下記の本を参照した。この本は、ルイス・エドゥアルド・ルナによる民族誌的かつ一部自伝的な記述と、パブロ・アマリンゴによる絵画作品とその解説(ルナによる再説)から成っており、記述的な民族誌として優れた業績である。私が本稿でニューエイジ運動やエコロジー運動との関係でアマリンゴの作品の受容形態に批判的に言及しているといっても、この本がそうした文脈に依存して成立しているわけではないことを附記しておく。 Luis Eduardo Luna & Pablo Amaringo. Ayahuasca Visions: The Religious Iconography of a Peruvian Shaman. Berkeley: North Atlantic Books, 1991, 1993


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