今福龍太
だが、いわゆる「山口理論」が、単に学的「理論」としての新しさを持っていたというだけでは、私たちのあの熱中は説明できなかった。事実上のデヴュー作である『道化の民俗学』が魅惑的だったのは、「道化」という文化史的なテーマを、知識人や芸術家のもっとも刺激的なあり方として称揚する思想へと高めてゆくその語りのなかに、まさに「道化的」としか形容のしようがない機知とユーモアと、冷静な自己対象化の意識がはっきりと感じられたからである。イタリアの民衆喜劇やシェイクスピア劇の道化、あるいはチャップリンやキートンを論じ、これらの道化が、人間の文化的表現が持つ「道化」というスタイルを、徹底した他者への風刺とともに、根底的な「自己批評」としても活用し尽くしたという刺激的な視点を示しながら、そのことを語る山口の言葉そのもののなかには小気味よいほど軽快な「道化的」自己対象化の姿勢が込められていた。学的理論にありがちな、自己への問いを捨象した「一般化」の性癖から、山口理論は軽やかに自由だったのである。
この印象を増幅したのが、山口の著作にちりばめられた図版類であった。すでに『道化の民俗学』のなかにも、フランスの画家ジャック・カローや詩人ジャン・コクトーらの戯画的な素描や版画がたくさん使われていたが、後年になってくると、山口は自らの本の表紙や挿画に自分で描いたフィールドのデッサンや戯画的な「自画像」を使うようになる。自著の「挿し絵」以上の意味を持たされたそれらの素描は、いわば山口の人類学が隠し持つ「自己風刺」という志向性を指し示していた。大理論家のように、自らの理論を大いなる「真実」として提示して揺るがない、という権威的な志向性ではなく、刺激的な「発見」を随所で開陳しながら書物という舞台上を疾走し、最後に観客と自分とにともに快活なアッカンベーをして舞台から笑いとともに去ってゆくフットルースな(機知に富んだ身軽な)道化役者の精神が、それらの素描には込められていた。学問的知識が、専門化された権威としてではなく、自己と世界とを根底的な「内省」と「批評」とに巻き込むダイナミックな思考の場であることを、山口はこうした図像の援用によって語ろうとしていたのである。
その山口が、人類学者としての三十余年のあいだにフィールドの内外で描きためてきたスケッチ・素描の数々が、いま一般公開されて列島を巡回している(東京・札幌とまわって現在京都)。西アフリカの調査地にはじまり、後年の調査地であるインドネシア、客員教授として滞在したメキシコやペルー、さらに精力的な旅行者として学会の折などに訪ねた北欧や韓国やブラジルの風景や人物が、これらの素描ではじつに魅力的で簡潔な「線」の印象として写しとられている。濃淡も色も用いないこれらの単線的でシンプルなデッサンは、いわば山口の人類学そのものが持つ「目」の比喩である。風景の輪郭を単純な線として写すうちに、文化が人間行動や事物に込めた抽象的で知的な「形式」が浮かび上がるのを山口という目はただ嬉々として紙と鉛筆の造形に託していった。具体的な日常の風景に根ざしながら、高度に抽象的な知的思考を要請する山口人類学の出生の秘密の一つが、たしかにここにある。
しかも私には、山口の「風刺画家」としての自己対象化の過激な方法論を、この素描展であらためて実感しないわけにはいかない。風刺画の最終的で最も過激な帰結は、その風刺のユーモアと毒が自分自身に向けられたとき、すなわち「自己風刺」という形式にある。自己を風刺するのに必要な徹底した相対化の視点と、自らの知識や経験を特権化することなく、その意味を再考し見慣れないものへと変えてゆく知的な錆落としのエネルギーこそが、山口の仕事のすべての活力源なのである。山口の描いた無数の自画像がこの展示からは除外されているのが残念ではあるが、フィールドの人物を捉えた刹那的な「線」のユーモラスなひらめきから風刺画家としての山口を想像することは、少しも困難ではない。
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