ガラスがつくりだす、日常的でありながら不思議に喚起的な光景を私はあるとき発
見した。それは毎日仕事場の大学へと車で向かう途上で目にする、大都市郊外の典型
的な町工場の風景の一つである。鉄道線路に交差する旧式の踏切のすぐ脇に建つその
小工場は、工場と呼ぶよりは区切られた作業場という形容のほうがふさわしいほどの
粗末なつくりだったが、貧弱な小屋の前の空き地にはいつも不釣り合いなほど巨大な
ガラス片の山が屹立していた。細かく砕かれたガラスの破片は、季節ごとの太陽光に
透過されて奇妙な偏光プリズムとなり、通り過ぎる私の目をいつもさまざまな方向か
ら刺し貫いた。そんなとき、固体としてのガラス片の姿に、なぜかゆらめく流体を思
わせる運動性を感じて私は驚いた。高さ7〜8メートルのそのピラミッド状のガラス
の小山は、まるで嵐のまえぶれを告げる荒れた海岸に打ち寄せる、白い波頭をいただ
く高波のように私に迫ってきたからである。「水でできたガラス」の姿を、そのとき
私は幻視した。
それが板ガラスの再生工場であることはあきらかだった。砕かれたガラス・カレット
はここで熱せられてドロドロの液体にかえり、ふたたび成型されてさまざまな用途の
ガラスへと加工されていた。加工される前のガラス片がいったいどこから持ち込まれ
てくるのか、いまだに訊ねたことはない。だが、ガラス山から出る不均一な光の発散
が物語っているように、そこには無数に異なった素材として各地で使用されていたガ
ラス製品が、ただガラスであるという素材の共通性のみによって、ここに集められて
いることはまちがいなかった。ガラスはいかなるガラスにも交ざりうる。その意味で
は、ガラスはやはり水のような流体なのだった。ものを対象化することなく、事物と
事物のあいだに認識的な境界をもうけたりしない動物的な知覚のことを、ジョルジュ
・バタイユは「水のなかに水が存在している」ような状態とたくみに形容したが、ガ
ラスにとっての存在論もまた、こうした内在的な連続性によって保証されているよう
ななにかにちがいなかった。
だとすれば、近年この工場で働く人々の一様に浅黒い顔がさまざまに国籍の異なった
労働者の存在を暗示していることは、不思議にガラスの示す流体的な存在論にみあっ
ている。珪砂や炭酸石灰、酸化ナトリウムといった素材を高温で熱して溶解させ融合
しそれを急速に冷却することによって、結晶化しない無定形状態の固体として生成す
るガラスは、それじたいのなかに多様な混合体としての性格を秘めている。一方そう
したガラスを加工処理する日本の労働者たちのなかにいま成立しつつある文化的交雜
性は、彼らの家郷であるブラジルや、タイや、イランや、ペルーや中国といった国々
のローカルな文化の単一な結晶化をこばむハイブリッドな混沌を体現している。この
二つを並べてみたとき、比喩的にいっても、ガラスは現代の社会をおおい尽くそうと
している無数の人間の移動と交雜と混淆の状態を喚起的に示す文化的メタファーとし
ての特権性を抱えていることがわかる。こうしてガラス工場の日常的な光景は、いま
だあやうい脆弱さのなかに生まれようとしている混合体としての現代文化の、うごめ
く流体としてのあらたな可能性を私に強く示唆してくることになった。
*
水とガラスの親縁性についての私の発見は、ただちに、この二つの物質をかけがえの
ない財産としていまに生きつづける都市ヴェネツィアへの連想を誘う。海に浮かび、
水を友とした13世紀のヴェネツィア都市国家が、まさに水によって世界と結ばれた
その交通性ゆえに果たされた文化接触の賜物として、特異なガラス工芸を生みだして
いったことは偶然ではない。海の上を文物が漂うことが、ガラス製法の技術的伝播を
もたらしたのだとすれば、ヴェネツィア・ガラスが秘め隠す流体としての比喩には文
化史的な根拠があったともいえるからだ。
だがこのいささかツーリスティックでもある連想は、さらにヴェネツィアを通り越し
て、そこからわずか五百キロほど南東に位置する、現代によって呪われた一つの都市
へと私をいざなってゆく。ボスニア=ヘルツェゴヴィナの首都サラエヴォ。歴史的に
カトリック、東方教会、イスラム、ユダヤの宗教的な交差点として、東ヨーロッパに
おける特異な文化的十字路を形成してきた古都サラエヴォは、いまやもっとも凄惨で
泥沼化した内戦がたたかわれた戦場都市の一つとして知られるようになってしまった
。戦場となったサラエヴォへの歴史的想像力にあふれたルポルタージュとして傑出し
たスペインの作家ファン・ゴイティソーロの『サラエヴォ・ノート』(1993)にこん
な一節がある。
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