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 柚木沙弥郎『宮澤賢治遠景』1986年 用美社

2022年元旦。新春の第一日目にこの本をここでとりあげることができる恩寵に感謝!

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──なんだかとても懐かしいね。どうしてだろう? 百年前の東北、花巻の町に住んでいたわけでもないのに。

──そうだね。でもぼくたちはなんとなくわかる。これらの絵では人と風景がほんとうの真実を語っている、と。堅雪かんこ染雪しんこの雪野原はほんとうに澄みきって真っ白だし、どんぐりたちを見下した山猫はほんとうに威張っているし、幻燈会の狐はほんとうに楽しそうに踊っているし、ネネムの父親はほんとうに覚悟をきめたような表情で家を出ている・・・。

──そう、サンムトリは火山の力のすべてを込めて荘厳に爆発しているし、風の精に翻弄された子供たちは意識をはなれて全力で震え、舞っているね。

──セロを抱いたゴーシュが髪を逆立てて一心不乱に「インドの虎狩り」を弾いているのもおもしろいね。こんなに純粋で情熱的で無我夢中な演奏家、もうステージの上にはどこを探してもいないね。

──うん、風景も出来事も人間も、取りつくろったりうそで固めたりした「真実」らしい「まがい物」にあふれた世の中になってしまったものね。だから、「ほんとうのこと」が声高ではなく慎ましく描かれているこんな絵本がたまらなく懐かしい。

──でもぜんぜん古くないよね。懐かしくて、でもどこか未来的。氷海に沈むタイタニック号をバックにした青年の姿なんて、予言者みたいに見える。これから来るわざわいを自分がすべて背負ってあげる、とでもいうような・・・。

──火山学者のクーボー博士がレモンのような気球にぶら下げた自転車に乗って夕空を渡っていく絵なんて、ほんとうに素敵だね。自転車にラッパと雨傘と船の錨がついているのも面白いね。ラッパはささやかな声を人々に広めること。雨傘は日々の厄災から身を守ること。そして錨は、持続と定着と不動。動きながらじっと耐え、動じないことかな。こんな絵を見ていると、いまも、これからも、クーボー博士がぼくたちの未来を見守ってくれるような気がしてくる・・・。

──ぼくは「月夜のでんしんばしら」の絵が一目で気に入った。赤い三角帽子をかぶって行進する二本の電信柱。腕をしっかり振って、足を高くあげて、並んで進む彼らの律義さ、一途さ、静かな連帯、でも一切の依存のない孤独、気高さ、自立・・・。沙弥郎さんの好きなチェコの彫刻家で、ナチスの強制収容所を生きのびたズビニェク・セカルの、研ぎ澄まされた抽象的な人体表現を思わせるね。

──柚木沙弥郎さんのこの本に、記念すべき第一回宮澤賢治賞が贈られたんだったね。

──そう、花巻の土地と人々の思いがこもった賞にふさわしい作品だね。古本市場にもめったに出回らない、とっても入手が難しい本をやっと手に入れて、ほんとうに嬉しいな。

──「遠景」というタイトルも素晴らしいね。清冷でゆったりした時間が流れるイーハトーヴの世界は、いまのぼくたちから見たらいつも遙か遠いところにある。遠くにあって永遠に雪をいただいて輝くヒマラヤの連峰のように。遙かに望むからこそ見えてくる、全体像がある。その「全」の力が見える。手近にもってきてじろじろ眺めまわすのではない、遠景をそのままに受けとめてみるときの潔さ、爽快感、そして思いがけない大きな発見・・・

──沙弥郎さんの描く「かま猫」の表情がふと見せる哀愁、道化精神、遊びごころも、そんな大切な「遠景」の一つなんだね。                 

宮澤賢治「月夜のでんしんばしら」への柚木的遠景画