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Akiko Imafuku
伝統工藝品と云われるものが全国にいまなお引き継がれ、わたしたちの日常に受け継がれています。そうした日用の工藝品の美は、100年ほど前に柳宗悦らによる民藝運動の中で見出されましたが、それぞれの地域の地形や風土、自生する植物、水、土を恵みとして、その地に生を営む職人たちにより、ささやかで繊細な手仕事として継承されてきたものです。

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今回わたしたちが訪ねたのは滋賀県大津市、桐生の里にある成子紙工房さんです。近江雁皮紙と呼ばれてきた優れた紙は、ここ桐生の地を中心にして漉かれてきた紙です。かつては原料である雁皮が多く自生していたことや、草津川の伏流水が豊富にあったこと、さらに京への流通に便利な場所であったことから、この地に手漉き和紙の技術が花開きました。「なるこ和紙」はその伝統をいまに受け継ぐ貴重な存在です。この地には大正時代まで17軒ほどの紙工房があったようですが、洋紙が普及しはじめると一気に手漉きの伝統が消え去り、いまは成子紙工房だけが残ったそうです。

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昭和19年発行の寿岳文章・しづによる『紙漉村旅日記』(明治書房)によると、当時ですら桐生に漉家はたった2軒が残るのみと記されており、寿岳一行は成子佐次郎氏方と成子午次郎氏方の両方の工房を訪ねています。まさに現在もその流れが成子紙工房に受け継がれており、たいへん貴重であることがわかります。

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1829年創業の成子紙工房は西陣織には欠かせない金糸・銀糸の原紙である雁皮紙が漉かれ、糸も注文に応じて自家加工していました。美しくまじりけのない雁皮紙は自然素材の染料で色付けられ、かつては宮内省の御用もつとめ、古くは平安歌人・紫式部も魅了されていたという言い伝えもあります。

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今回おはなしを伺ったのは、20年前にここに来られた谷宗幸さんです。日々の手仕事のあれこれを、気さくに話して下さいました。谷さんのご出身は石川県能美市(九谷焼で知られる)、土佐の手漉研修センターで学んだのち、成子紙工房で仕事をされてきました。現在では、版画、エッチング、奉書紙などいろいろな要望を受けて紙を漉くことが多いそうです。雁皮薄紙や広島の織鶴の色紙を混ぜた紙なども見せていただきました。この日は、お仕事の関係で現在の紙匠・成子哲郎氏にお会いすることはできませんでしたが、また機会があればぜひ訪ねたいと思います。ありがとうございました。

成子紙工房ホームページ https://washi.or.jp