今福龍太
Ryuta Imafuku

風の巡礼

 メキシコに「エスノドラマ研究工房」という一風変わった演劇集団がある。「民族
=演劇」(エスノ=ドラマ)という魅惑的な名前はもちろんメキシコ民族舞踊とはな
んの関係もないし、原住民文化における儀礼や演劇的な祭りを直接意味しているわけ
でもない。主宰者ニコラス・ヌーニェスの、二ユーヨークでリー・ストラスバーグの
もとで学び、さらにポーランドでグロトウスキーについたという経歴からもわかるよ
うに、彼らはまず第一にいわゆる前衛演劇集団であって、「エスノドラマ」という名
前も彼らの演劇的実践をいくらか象徴的にあらわすために選びとられたものだ。しか
し彼らの実践の舞台は劇場のなかにはない。彼らはメキシコの途方もなく広大な大地
を巡り歩く、一種の「キャラバン隊」のような集団である。だがここで私たちは普通
の演劇の概念に別れを告げなければならない。というのも彼らは地方を巡回していわ
ゆる前衛的な芝居を野外で見せるといった活動にはまったく無関心だからだ。
 「エスノドラマ研究工房」のめざすものはいわば自己発見の旅のようなものであ
る。彼らはときには南部オアハカ州、マサテコ族の住む山地を訪ね、幻覚性のキノコ
を利用する土地の呪術医と何日にもわたってセッションをくりかえす。またあるとき
は東北部、ウイチョル族の居住する広漠たる乾燥地帯に赴いて、インディオの巡礼地
をめぐる。近代に飼い慣らされていた意識の表皮に民族文化の魔術的な風があたり、
彼らの心はとても澄みきった強靭なものにかわってゆく。しかしこれだけなら彼らは
インディオの生活に魅せられたちょっと風変わりな旅行者とあまりかわらない。彼ら
がたんなる旅行者と違うのは、旅を続けながら、自らの精神と肉体を実験室にして思
考と感覚を操るさまざまなレッスンをくりかえしているところにある。
 ある日メキシコ・シティーでの彼らのセッションに立ち会ったことがある。大学都
市の南にひろがる溶岩地帯のなかに、彫刻空間と呼ばれる神秘的な場所がある。噴出
したマグマの流動が、ありとあらゆる気まぐれな形で凝固した溶岩のジャングル。そ
の自然の彫刻を円形に取り囲むようにして並ぶ六四体の巨大な台形の墓石のようなオ
ブジェ群。自然と人為がともに洗練をきわめて創りだしたその現代のストーンヘンジ
に、ある満月の夜明け、私たちは集まった。日の出る数分前に、レッスンははじま
る。その内容、彼らの言葉でいう「手引き」とはつぎのようなものだった。
    静寂
    太陽を読む(動きとともに)
    月を読む(動きとともに)
    自分自身を読む(動きとともに)
    空間を読む(動きとともに)
    自分の内部を清めるように外部を清める
 翌日の明け方までの二四時間の間、私たちはこうした動きをくりかえす。もちろん
手引きをどう解釈するかは自由だ。そして手引きに導かれておちこむ深い瞑想とゆる
やかな体の動きのなかで私たちの意識がありありと感じているものは、溶岩の流れ、
それを押しとどめ固化しようとする力、彫刻の静かな秩序感といった流動と固体をめ
ぐる感覚が触れあって織りなす周囲の空気の緊密なさざめきのような音だった。
   ■
 こうしたレッスンをさまざまな場所や時間のなかでくりかえすことによって、彼ら
は「解釈」という認識の地平をその極限にまで推し進めようとする。スペイン語で
「解釈」とはいろんな意味を持つ言葉だ。それは「通訳」することでもあり、「演
奏」することでもあり、さらに「演出」することでもある。思惟の次元、言語の次
元、音楽の次元、そして演劇の次元のコンセプトをひとまとめにして「解釈」という
言葉のなかに込め、彼らは一人の「世界の解釈者」=魔術師になることによって現実
のなかに自分の立場を見いだそうとする。自然界の事物や現象をやすやすと人間界に
応用する魔術師のように、彼らは解釈という魔術を通じて彼らの器官を宇宙の共鳴箱
に変えようとする。コスモスと共振する有機体としての私たちのからだの再編成をめ
ざす「人類宇宙的[アンスロポ・コズミック]」な実験。
 あるとき彼らが公演の知らせを出した。場所は首都から南へ一時間半、常春の美し
い町クエルナバカ郊外の高原である。彼らはいったいなにを人に見せるのか? そう
考えて集まった私を含む二〇人ほどの観衆(?)は、結局彼らの仕掛けためくるめく
ドラマに翻弄され、魅惑的な旅を彼らとともにたどることになった。集まった私たち
は、ただちに目隠しをされる。そして彼らの指示にしたがって歩きはじめる。私たち
は、ただまっすぐ歩くよう言われるだけだ。しかし周囲になにもない荒野のような野
外で視覚を失ったまま歩くことは容易なことではない。足先で地面を確かめるように
して進むから自然にスピードは鈍り、倒れまいとして体は奇妙に前かがみになる。と
きどき叢[くさむら]にまぎれこんだり樹に突きあたったりするのだが、転んだり行
き場を失ったりする一歩手前で、かならず彼らのなかの一人がそっとそばへ寄ってき
て私の体に触れ、正しい方向を無言で教えてくれる。はじめはおずおずと歩みを進め
ていた私だが、やがて、音もなく近づいてきて私を導いてくれる彼らのなんとも形容
しがたいテクニックを一〇〇パーセント信頼するようになると、私はまるで視覚を取
り戻したように、大胆に、普通の速度で歩きだしていることに気がついた。それはと
ても奇妙な感覚だった。それまでは、地面に開いているかもしれない大きな穴のこと
や、断崖めがけて歩いているのではないかといった不安に終始つきまとわれていたの
だが、今や私はそうした視覚を失ったための不安をすっかり忘れて、空気の匂い、風
に乗って流れてくる荒野の物音、足先に触れるものの硬さ、形状、そういったものに
自分の感覚を集中し、吟味するようになったのである。私は明らかにこの奇妙な道行
きを、視覚を除くすべての感覚を動員しつつ、目が見えているときの数倍の密度で楽
しんでいた。
 私たちはすでに数時間黙って歩き続けていた。荒野を横切り、しばらく線路に沿っ
て歩いたようだった。彼らの動きは完璧で、倒れそうになるとスッと腕がのびてきて
私をささえ、ときどき体を寄せてきては歩く方向を修正してくれる。徐々に風が強く
なってきて、花か、あるいは果実のきつい匂いが鼻をついた。やがて彼らがときどき
奇妙な叫び声をあげているのに気がついた。それは鋭く短い、しかし人間的な温かみ
のある不思議に美しい叫び声だった。よく注意して聴いていると、叫び声にはいくつ
ものパターンがあり、一人が呼びかけ、もう一人が同じ叫び声でそれに応[こた]え
るというふうにそれぞれの声はペアをなしているようだった。私は不意にしきりに呼
びかける声を聴いたように思った。その声が私に向けられたものであることがなぜか
直感的に理解できるような、親しい、体内に直接響いてくる声だ。私は思わずその声
にこだまを送った。その時、一人が私の体を押しとどめ、私たち全員ははじめて歩み
をとめた。それから長い間、叫び声の応酬が続いた。吹き上げてくる強い風が声の調
子を変化させ、音の方向を攪乱したために、私たちの声による交信は微妙な音の変化
を感じとって声のトーンを少しずつ変化させてゆくとてもスリリングなゲームのよう
なものになった。周囲で交わされている声のコミュニケーションのなかをかいくぐる
ようにして、私と、見えざる私のパートナーとは、音を伝える空気と風の動きに共鳴
しつつ、長い間とても豊かな対話を交わしたように感じた。
 この奇妙な旅の経験を細かく書き続けているときりがない。しかし最後に目隠しを
取り払ったときのことだけは書きくわえておこう。それは声による交信のあとの出来
事だった。半日以上光を見なかった両目に、いきなりメキシコの午後のまだ強烈な太
陽光線が飛び込んできたのである。目の痛みをこらえながら、私は人間の誕生の瞬間
の光のことをふと考えた。真白だったあたりの景色にやがて陰影がもどってきて、私
たちは深い谷を見下ろす大きな岩の上に坐っていたことがわかった。強い風はこの谷
から吹き上げてきていたのだった。
   ■
 「エスノドラマ」のグループとの奇妙な旅の経験は、私の考えをさまざまな場所に
導いてくれる。その一つは、五〇年も前に一種の運命の糸にたぐり寄せられるように
してメキシコの土を踏んだ一人のフランス人の詩人のことだった。彼の名は、アント
ナン・アルトー。メキシコに出会うことによってシュルレアリスムと決別することに
なったこの「野性の人」は、ヨーロッパの二元論が人間と自然を調和を、文化そのも
のの交響的な統一性をこなごなに粉砕してしまったことに呪詛の言葉を投げつけて、
メキシコの奥地、タラウマラ族のもとへと奔[はし]った。アルトーはそこで山々の
語る物語に耳を傾け、幻覚性サボテン、ペヨーテを使用する儀礼を学ぶことによっ
て、彼の言い方を借りれば、「自分自身のなかに脱出」しようとしたのである。自己
の肉体の地殻変動を目撃する地質学者のまなざしをもって、「宇宙の触媒としての人
間」というアイディアにとりつかれてインディオの世界に入っていったアルトーの軌
跡は、そのまま現代の「エスノドラマ」グループの実践活動へとひきつがれたように
見える。
 フランスの作家ル・クレジオも、メキシコのインディオが歌うときの異常に甲高い
声の秘密について感動を込めて書いていたはずだ。音楽化され、旋律化された言葉と
しての歌声ではない、声の境界を飛び越えてしまったような痙攣する響き。インディ
オは自分の咽[のど]を笛か呼子[よびこ]のようなものに変成させることで言葉の
世界からはなれ、鳥の啼き声、風の音、大地のどよめきのほうに身を寄せる。ル・ク
レジオは書く。「(インディオにとって)歌とは、むしろ秘密の力に向けられた音の
発信であり、神々や動物や植物のための言葉、言葉が到達しえない一切のものに達す
るための言葉なのである」、と。私が体験した不思議な声による交信も、こうした音
の世界への秘密の入り口だったのかもしれない。
   ■
 「エスノドラマ」があざやかに示してくれた「旅」という手段を通じて私たちの意
識をそれが生まれ出る始発の地点へといざなってゆくやり方は、メキシコのインディ
オの世界にとらえられてしまったもう一人の現代人、カルロス・カスタネダのことを
すぐに思いださせる。ヤキ族の呪術師とともに歩む彼の認識論的な道行きを綴ったそ
の著書は、そのまま、私たちの精神と肉体を未知の場所に誘いだす無数の可能な冒険
行への現代における一つの革命的なガイドブックでもある。しかしこうした「旅」の
ヴィジョンは、人類学者がようやくその重要性に気づきはじめるはるか昔から、イン
ディオたちによって語られ、試され、鍛えられてきた美学であった。メキシコのあら
ゆる町で、村で、荒野で、私たちは旅するインディオにめぐりあうことができる。旅
することで、インディオは彼らと彼らをめぐる世界の存在そのものを肯定する。少し
ばかり着飾って、つつましく、都会のバス停などにポツンと立っているインディオの
小さな肉体の内部で、ありとあらゆる「旅」のイメージが交錯し、それが彼を夢見心
地にさせていることを想像してみよう。
 ここで私たちに一つの問いが投げかけられる。アルトー、ル・クレジオ、カスタネ
ダ、そして「エスノドラマ」……。メキシコのインディオへの近代人の強いあこがれ
はいったいどこから来るのだろうか? いやそれはあこがれとか憧憬といった言葉で
はつかみとれない、もっと近しい、自分自身をのぞき込むような感情だ。メキシコの
インディオは、もはやエキゾティスムの対象になるほど未開の、孤立した特殊な生活
を送ってはいない。スペインによる征服の歴史を五百年も前に背負わされてしまった
人々。インディオの祭りには、堂々と、ムーア人、ユダヤ人などと呼ばれる仮面、覆
面の踊り手たちが登場する。インディオによって演じられたヨーロッパ的象徴[シン
ボル]が、歴史の文脈を離れて土着の世界の祝祭空間を自由奔放に踊りめぐる。こう
した形象のなかに、メキシコのインディオの現代性の秘密が隠されている。メキシコ
という人種と文化の混合液の沈澱のなかから、インディオが「歴史の拡散者」(アル
トー)として現われでてくるのはこういう瞬間だ。
 ある人類学者は、インディオの祭りを、現代人が彼自身の歴史と出会う場所と呼ん
だ。メキシコでは「歴史[イストリア]」はまた「物語[イストリア]」でもある。
私たちは、私たちの失われてしまった物語を求めてインディオのもとに赴くのかもし
れない。それならば、先の問いは問いのままとっておこう。いつの日か、私たちがイ
ンディオの世界のなかに私たち自身の物語を探しあてるまでは。

風の巡礼……今福龍太『感覚の天使たちへ』(1990年、平凡社)より転載

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