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管啓次郎
Keijiro Suga

コヨーテ読書 13
コヨーテ・パスタ


 トントンがいっていた「親の務めは子供に餌を与えること」(「台所の旅」)という言葉。これにはぼくも賛成で、「生みの親より育ての親」という言葉の真実も、これまでに自分の周囲で見聞きしたいくつかの場面で、「本当にそうだな」と思うことがあった。

 「血」による親子関係よりも「生活」による親子関係が優先するということが、「本能」よりも「文化」が優先するというヒトという種独特の事情とともに、一世代で「世界」はがらりと変わるという気が遠くなるような希望の約束となって、ぼくらを励ましてくれる。

 ぼくの個人的カルト映画のひとつは−−別に隠していてもしょうがないからいうなら−−ヴェンダースの『パリ、テキサス』だが、ロス・アンジェルス郊外に住むフランス女が「ハンター」という男の子の名前を呼べずに「アンテール、アンテール」と呼びかけるその響きと、血のつながらない息子に対する愛がもしそこになかったなら、フィルムの魅力はかなりちがったものとなっていただろう。しかも監督はドイツ人で、流浪する男の母親は「セキネ」というスペイン名前だった。こうして絡みあう言語の移住の記憶が、「生みの親より育ての親」という言葉を「生みの言語より育ての言語」とぼくにおいて変形させ、ついでそれを「生みの味より育ての味」とも変奏させる。でもそういったあとで、「言語」や「味」に「生み」はないのだということに、改めて気づくことにもなる。

 毎朝六時半、ぼくは道路をわたって、スーパーマーケットの一角を区切ってカウンターを作ったスターバックスに、コーヒーを飲みにゆく。注文するのは「グランデ・ドリップ」、税込みで1ドル47セント。あらかじめ小銭を数えておいて店員にわたし、そのたびにカミュの『異邦人』に出てくる、レストランで一人で食事をして料理が運ばれてくる前にお勘定をきちんとテーブルの上に並べておく自動人形めいた女の客、のことを思いだす。こうした記憶というのはみずから反復し、反復自体がいつしか癖になり習慣として定着してしまうものだが、精神的には非常にむだな、一種のチックのようなものだといわなくてはならない。それはともあれ、こうして紙コップ入りのコーヒーをうけとる店の、店員のひとりに髪をブロンドに染めたコリアンの若い女の子がいて、あるときこの二十歳の娘と話をして驚いたことがあった。

 彼女、シンディは、韓国で生まれ、生後半年ほどでアメリカの白人夫婦の養女となった。もちろん韓国語はまるで話せず、実の親がどのような人たちだったかも、全然わからない。明朗快活で、いつも気持ちのいい挨拶で朝を迎えさせてくれるのだが、それを聞いたときに一瞬どう答えるべきかと迷った。もちろん、すべては「あたりまえ」のことなのだ。あるいは「あたりまえ」として遇するべきことなのだ。ぼくはただ「あ、そうなの」とだけ答えたが、一瞬でもいらない気を遣ってとまどわなくてはならなかったのは、昨年、ホノルルで、やはり彼女とおなじ境遇の若い女の詩人の朗読を聞いていたからだ。

 カリフォルニア出身のその若いアジア人は、シンディとおなじく生後数カ月でアメリカの白人夫婦に引き取られた。実の親は知らず、しかし実の親につけられた名前は、わかっている。その名前が、呪縛になる。彼女が書く詩は、どれも、幻想の故国としての韓国と、自分を「捨てた」実の母親、その母親を通じて「血」によりつながるはずの祖母、さらにはすべての韓国の女たち、すべてのオモニとハルモニに呼びかけるものだった。日系フェミニスト詩人の大御所であるミツエ・ヤマダによる紹介のあと、けっして「うまい」とはいえない作品をとつとつと読みはじめた彼女の声に、小さな部屋いっぱいの聴衆は水を打ったようにしずまりかえった。室内をみたす、異様な胸苦しさ。だが、それは長くはつづかなかった。幻の祖母への呼びかけの一行ののち、彼女は絶句して、その先を読めなくなったから。あとはただ、涙、涙。こうなると聴衆もほぼ全員が、程度の差はあっても、もらい泣きをせずにはいられない。

 「コリアン・アドプティー」と呼ばれる彼女らのような存在は、アメリカにはずいぶん多いようだ。その背景をぼくはよく知らない。噂話のように聞いたところでは、朝鮮戦争後の韓国社会に対する民間の支援団体のようなものがあってそれが養子縁組を積極的に仲介してきたからだとか、「アジア人の子は頭が、あるいは性格が、いい」という評判があって好んで養子にされるのだとか、キリスト教精神の証明として「異人種」の子を育てることにためらわないのだとか、まあ人が考えつきそうなことはこの問題についても、すべていわれている。ぼくにはわからない。ただ確実なのは、単なる養子縁組以上に、この肌の色、髪の色、人が所属を実感できる「外見」のちがいが、養子になった韓国系アメリカ人(どうも女の子のほうが多いようだ)の子たちに、少なくともその多くに、深刻な精神的危機をもたらしているらしいということだ(そのひとつの可能な背景として、韓国社会が世界的にいっても稀なほどきわめて強固な「血統主義」社会だという事実があることは疑えないだろう)。

 この問題については、ぼくにはまったく、徹頭徹尾、何もいえない。気楽にわかったような顔をして同情することもできないし、「生みの親より育ての親」という(原則としては完全に正しいと思うが)言葉をたやすく口に出すわけにもゆかない。彼女らひとりひとりの個別の苦しみに、もし具体的な生活の場面で袖をふれあうことがあったなら、そのときできることをしよう、と思う以上のことは、何もできない。

 けれどもコーヒー屋のシンディは−−その思春期にどんな苦悩を戦ってきたかはもちろん他人にはうかがうことすらできないものの−−いま成人期の扉口に立ちながら、あくまでも快活に「私はコリア生まれのアメリカ人、私を育ててくれたのが私の本当の両親」といい、そのポジティヴな姿勢には、「幻影のオモニ」をひたすら慕う詩人にはなかった、ある驚くべき生き方の実験としての力が感じられる。

 それはなぜだろう。過去と、本質と、訣別するという姿勢は、ほとんどいつでも、他人にまで解放感を波及させる。それに対して、幻の本質を探し過去へのノスタルジアに浸る姿勢は、ときとして共感の涙を呼ぼうとも、結局は他人をしめだし、自分の上ばかりに、何度も折り重ねられてゆくのではないだろうか。過去との関係という観点から見るなら、たぶんあるとき、誰だって、そのいずれかの選択をしなくてはならないのだろう。それはあるいは人生を、戦いという相のもとに見るか、それとも悔恨という相のもとに見るかの、ちがいなのだろうか?

 

  

 ともあれ今日も、トントンとおなじく、ぼくも台所への旅をくりかえし、お湯をわかし、パスタを茹でる。そこでわが台所から、「子供に餌を与える」という動物の宿命を甘受するすべての友人たちに(あるいは「子供としてのみずからに餌を与える」という宿命を生きるすべての若き友人たちに)、ごく簡単なスパゲッティ三種類の作り方を、紹介しておくことにしよう。このとおりに作ってくれれば、世間の大部分のレストランよりも旨くできることは、保証する。

 まず、いちばん大きな鍋でたっぷりお湯を茹でる。海水の濃さ(ではいくらなんでも濃すぎるか)くらいに塩を入れる。塩は天然塩。少しくらい高めでも、塩と油だけはいいものを買うこと。その値段くらいの節約は、他でいくらでもできるはずだ。

 お湯は必ずぐらぐらと、地獄の釜のように沸騰させる。そしてスパゲッティを茹でるあいだ、強火を保つこと。絶対に火を弱めてはいけない。お湯が飛ぶようだったら、ごくわずかにサラダ油を鍋の表面に浮かせる。これで落ちつく。

 麺は、ぼくが愛用しているのはイタリア、ロンツォーニ社のスパゲッティーニ(細スパゲッティ)。青い箱で、一発でわかる。これなら10分30秒フラットの茹で時間で、絶対に失敗がない。なぜかスパゲティは、生麺よりも乾麺のほうが旨い。

 さて、味つけだ。

 その1。アーリオ・オーリオ。大蒜(アーリオ)とオリーヴ油(オーリオ、必ずエクストラ・ヴァージンにする)だけのスパゲッティ。大蒜はたっぷり使う。皮を剥き、包丁の腹で潰してから刻む(あるいは薄片に切ってチップにする)。ぼくは後者が多い。麺を茹でているあいだ、これを中火以下のオリーブ油で狐色になるまで焦がす。麺が茹で上がったら、茹で汁を大さじ二杯くらいかけて混ぜやすいようにし、この大蒜を油ごとかける。油に塩を加えておいてもいいし、かけるとき塩を適当にふってもいい。

 これに、手間をかけたいときは、イタリアン・パセリのみじん切りを加えて混ぜる。手間を惜しみたいときは、乾燥パセリをふる。胡椒をその場で挽いてかけるのもいいが、辛いのが好きな人はトウガラシを使う。鷹の爪がいちばんいい。そのままクラッシュしてもいいし、大蒜を焦がす油に一緒に入れておいて引き上げてもいい(辛味は油に移る)。あるいは、半分に割り種を捨ててから(種がことに辛い)、料理鋏で細く輪切りにしたものを散らすと、見た目にきれいだ。

 「真夜中のスパゲティ」という愛称もある、もっとも簡単なスパゲッティだが、もっとも旨いと思えることもよくある。

 その2。アンチョビーとレモン・バター。麺が茹だるあいだ、缶詰のアンチョビーのフィレを大皿に出す。ポルトガル産、スペイン産、モロッコ産などがあって、旅行にゆきたい気分がもやもやとかきたてられるが、そんなお金はない。これに無塩バターを加える。ぼくはバターは全面的に無塩にしている(パンにつけるときも)。塩入りバターしかないときは、アンチョビーの量を妥協しなくてはならなくなるだろう。そこにレモン汁を多めにしぼり、ナイフとフォークあるいはフォーク2本を使って、よく混ぜあわせる。アンチョビーがペースト状になるまで混ぜていい。

 麺が茹で上がったら、ここに麺を投げ入れ、よくからめてから銘々のお皿に。乾燥パセリを入れてもいい。胡椒をふってもいい。あっさりした塩味で、ちょっと酸味があり、香り高い。子供はおおよろこびだ。

 その3。プロッシュート(イタリアの生ハム、スペインではハモン・セラーノと呼ばれるもの)とキャベツ。プロッシュートとはやや高価なものなので、1や2に比べると高くつくが、その分、見た目がきれいで、お客にお昼を出すときなどには最適。プロッシュートは適当な大きさにおおざっぱに切っておく。塩味はこれでつけるつもりで。

 麺を茹でること9分30秒、つまり茹で上がりのちょうど60秒前になったら、ざっくり大きく切ったキャベツを鍋に投げこむ。一分後、麺とキャベツを同時に上げる。オリーブ油をかけてざっと混ぜる。皿に盛りつけてから、はらはらとプロシュートを散らす。生ハムのピンク色とキャベツのやわらかい緑が混ざり、とてもきれい。生ハムの独特の匂いのある塩味とキャベツの驚くほどの甘味で、誰が作っても、なんともおいしい。仕上げにはやはり粒胡椒をその場で挽いてまぶしたい。

 

  

 これのどこが「読書」に関係するのか。ここで胡椒の世界相場を左右しているというゴア在住のポルトガル系ユダヤ人の一家−−もう三、四百年もゴアに住み苗字を除けばポルトガルとの関係を言語も含めてすっかり喪失し、それでもユダヤ教の信仰と祭式はすべて維持しているという−−のことなどを話題にしながら食卓につけば、ようやく少しは「読書人」らしい食卓となるかもしれないが、別にそこまで気取る必要はない。ぼくには根本的な正当化の理由がある。

 というのは以上のようなスパゲッティの作り方を、ぼくはいつかどこかで何かで読んで覚えたにちがいないからだ。それは立ち読みした料理本だったかもしれないし、新聞や雑誌の記事だったかもしれない。それを読んだ言語は日本語や英語だったかもしれないし、フランス語かポルトガル語だったかもしれない。もう起源はわからない。忘れられているのだ。老母はうどんならともかくスパゲッティなど作ったことがないし、ぼくはイタリア女と暮らしたこともない。女房は、少なくともスパゲッティに関しては、食べるほうが得意だ。

 だからこんな料理だって、忘れられたページがぼくに残した、ひっかき傷のような、痕跡の産物なのだ。その「読み」としての実用性は、ぼくが実際にそれを作れるということによって、立証されている。これは料理だけじゃない、料理だけの話じゃない。この実用性を、読書のために取り戻したいと、ぼくは前にもいった。この文を読んだことをきみがすっかり忘れ、なおかつこうしたスパゲッティを将来において作りつづけるなら、それがこの文の存在の意義だったということになるだろう。

 文章というものは、人間の生活と、そんな関係にあるのだと思う。

 

  

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