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管啓次郎
Keijiro Suga

コヨーテ読書 2
火山が私を生んだ−ギャレット・ホンゴーの『ヴォルケイノ』


 出生地とは最初のフィクションだ。自分がどこで生まれたかを覚えている人は、どこにもいない(と、つい意図なく文の意味を二重化させてしまった)。親や姉や兄や祖父母から聞かされて、はじめて人は自分の出生地を知る。その地名がその当人にとって重大な意味を帯びるかどうかは、まったく別の問題だ。ぼくは愛媛県の山間部、大江健三郎の神話的故郷のすぐそばの村で生まれたが、それは父系にも母系にもまったく縁のない土地で、そこでぼくはわが生涯の無明の数か月を過ごしたのち、二度と戻っていない。誤解とはつきないもので、人まかせの略歴にはなぜか「東京生まれ」と書かれたこともあれば「愛知県生まれ」と書かれたこともある(愛知県には両親が住んでいるが、そこも元来まったくつながりのない土地だった。移住につぐ移住の一家なのだ)。なんの正統性も求める気のないぼくは自分の出生地にはまるで興味がないが、ふとしたはずみでそのはじまりのフィクションをたずねたい気になる人々がいることは、わからなくもない。ギャレットはそうだった。ハワイ島生まれの日系詩人、ギャレット・カオル・ホンゴーのことだ。

 ギャレットは一九五一年、ハワイ島キラウエア火山麓の砂糖黍プランテーション村ヴォルケイノの近く、ハイウェイ脇の1マイルごとの距離表示が29になったところにいまも建物が残る雑貨屋ホンゴー・ストアの、離れで生まれた。まだ乳児のうちに一家はオアフ島のプランテーション町カフクに移住。そこで幼児期をすごしたのち、さらにロス・アンジェルスに移る。この多様性の大都会で複雑な人種間葛藤を身をもって生きながら、ギャレットは成長し、その独自のねばり強さをもった言語と精神を形成した。『黄色い光』(一九八二年)と『天の河』(一九八八年)という二冊の詩集で知られるホンゴーが一九九五年に出版した分厚い回想記は、『ヴォルケイノ−−ハワイの回想』と題されている。三十歳をすぎてはじめて自分の出生地を再訪した詩人が、この再訪をつうじて家系の謎、寡黙な父の過去、世代から世代へとひきつがれてきた生の不安の秘密を、なんとか探り当てようと試みる。重厚で繊細な散文が、悲痛なしずけさにみちた情景を描きだす。

 まず、次のふたつの断片を見てほしい。

 

  And that's about all I do,
   piecing the lives together,
  getting the stories folks will tell me,
   dust in the gleam of light
  swirled with a cupped hand,
   finding a few words.

           ("Cloud-Catch" in The River of Heaven)

 

  そしてぼくがすることといえば まずそれだけ、
    いくつもの人生をつなぎあわせ、
  人々にいろいろな話を聞き、
    きらめく光の中 水を掬うようにむすんだ
  手がかき乱す埃であるそんな物語たちから、
    わずかな言葉を探す。

              (「雲掴み」、『天の河』所収)

 

  I wanted to become a doctor of pure magic,
  to string a necklace of sweet words
  fragrant as pine needles and plumeria,
  fragrant as the bread my mother baked,
  place it like a lei of cowrie shells
  and pikake flowers around my father's neck,
  and chant him a blessing, a sutra.

               ("What For" in Yellow Light)

 

  ぼくは純粋な魔術の使い手となりたかった、
  甘い言葉をつらねて首飾りを作るのだ
  松の葉やプルメリアのようにかぐわしく、
  母の焼いたパンのようにかぐわしく、
  それを子安貝とピカケの花で編んだ
  レイのように父の首にかけてやり、
  父のために祝福を歌うのだ、ひとつの教典を。

            (「何のため」、『黄色い光』所収)

 

 以前の詩集から、このふたつの断片を上げれば、『ヴォルケイノ』をギャレットに書かせることになった動機の核心が浮かび上がってくる。そこにあるのは父親に対する強い哀悼の感情であり、父はなぜあのような人だったのか、という大きな疑問だ。それは結局はなぜ自分はこのような人間なのか、なぜ自分は日々このような理由のない痛みに苦しむのか、という切実に個人的な疑問と、ひとつにからみあう。物語的にとらえかえすしかないそんな疑問への答えを求め、慢性的な意気消沈の自覚から出発して、ホンゴーは彼の肉体と心の起源への、遡行の旅をはじめた。

 ハワイ出身の日系二世である父親は、その職業的生涯の大部分を混淆の都市ロス・アンジェルスで激しい肉体労働に生きた。飛行機の給油、荷物の積み下ろし、二十四時間体制の生産工場での夜勤の応急修理係。ごくわずかな、経済的・政治的支配者である一部の白人を除けばだれにとっても「異邦」であるしかないアメリカ大都市の一角で、ハワイという小さな島を模倣する以外には何の所属も主張できない孤立した家族の家長として、彼の父親は孤独に耐え、淡々と、まったく自分を語ることなく、すべてから身を引き離すようにして生きていた。

 この「身を引き離す」という態度の陰にある歴史を、ギャレットは故郷の島で発見することになる。そこにあったのは、家系のあまりにもさびしい歴史だった。まだ少年だった父親を捨てて、夫の虐待を逃れずっと年下の他の男の下へと走った踊り子の祖母。母を失った幼い兄弟を家政婦にまかせたまま、仕送りもせずに別の島で別の生活を築いた冷酷な祖父。子供時代から悪かった耳を職場でいよいよ傷め、そのうえ標準英語にまったくなじめなかったせいでごくわずかな人としか言葉をかわすこともなく生きていた父の姿の背後にある歴史は、どの土地どの社会にもそこに住みながら遠く生きるしかない「移民」という存在一般の中でも、きわだって同化に失敗した一家のそれだったようだ。だが、家とは、家系とは何か。それが私のどんな部分を作るというのか。

 自分が何者であるかがわからない、というこの感覚は、もちろん多くの移民たちに共有されている。けれどもすでに一定の表現の歴史をつみかさねてきたアフリカ系アメリカ人や、圧倒的な数のせいで一定の自律的コミュニティをもちそこに強い文化的価値をおくことのできるラティーノ(スペイン語系アメリカ人)たちに比べて、アジア系アメリカ人の文化はこれまで大部分は沈黙と不可視性の文化だった。なかでも、アメリカ合衆国によって非合法的に転覆されたポリネシアの王国ハワイを経てこの大陸にやってきたアジア系ハワイ系アメリカ人たちには、二重の移民、二重の少数派として、二重の疎外を生きることが強いられている。

 岩波書店から刊行されたアンソロジー「世界文学のフロンティア」の一巻『私の謎』のために、去年『ヴォルケイノ』からの抜粋を翻訳することになったとき、原著者であるホンゴーが指定してきたふたつの章の選択に、ぼくは胸をつかれる思いがした。この翻訳を、ぜひ読んでほしいと思う。翻訳者としてのぼくにとってはジル・ラプージュの『赤道地帯』と並ぶ、あるいはそれ以上の、もっとも切実な作品だ。そこに描かれるのはたしかに悲劇だが、さほど劇的なものではない。もっと悲惨な話だって、世界には、世間には、ごろごろある。それは平凡な、ありふれた、ついには黙ってあきらめるしかない痛ましさだ。だがその歴史を十分に対象化し、濃密な散文につむぎあげてゆくホンゴーの圧倒的な筆力にぼくは息を飲み、その棘を雨のように皮膚に浴びた。

 それはたしかにありきたりな、アイデンティティの探究の物語だ。ホンゴーは妻子(オレゴン出身の白人のヴァイオリニストの妻とふたりの男の子)を連れて自分の出生地ヴォルケイノに住み、そこで彼の人生をつらぬきとめてきたすべての悲しみを、よく点検する。人々の話が幽霊のようにかたちをとってさまよい、それは火山の煙や森の霧と分かちがたく入りまじってただよい、このさまよいのうちに出会う島の自然史、火山や不毛な溶岩、各種の羊歯や木々が、帰ることのできない土地の子に無償の慰めをもたらす。ホンゴー自身による島の自然の発見の過程に平行して書かれてゆく、熱帯の火山島の芳醇な美しさが、この本の大きな魅力となっている。

 最終章の終結部で、ギャレットはヒロのライマン飛行場に降り立ち、そのままそこにたしかにひろがる圧倒的な山影とやさしく吹きつける貿易風に、崩れ落ちる。感謝の嗚咽にみたされて。それはあるいは彼がついに故郷を見いだし、所属にことごとく失敗してきた移民の子がこの世界における所属の土地と心の契約をむすんだ瞬間だと、考えられるかもしれない。実際、ハワイの人々には、この本は必ずしも好意的には迎えられなかった。「カリフォルニアの作家」であるホンゴーが住んだこともなかったハワイを舞台に、まるで帝国主義の波に乗った十九世紀の文人観光客のようなはなばなしい名文の本を書き、島の自然を意匠化し、島言葉ピジンを味付けに使い、カナカ・マオリ(ハワイ諸島先住のマオリ系住民)の存在は顧みることすらしないあまりにも偏狭なハワイ像を描きだし、それをニューヨークの大出版社に売りわたした、とかれらは考えたのだ。

 だがそれはまちがっている、とぼくは思う。ホンゴーのハワイはまったく個人的な幻のハワイであり、それを著者はよく心得ている。ギャレットはハワイに所属せず、それを本当には故郷と呼ぶことができず、どこにも所属することなくさまよう移民の子としてこの世界における自分の一回かぎりの生を生きてゆくことを覚悟したのだ。その上で、ふと飛行機を降り立てばそこにマウナ・ロアがあり、花々が彼にその緩慢な踊りを見せ、風が彼の髪をゆらす。それにギャレットは感謝し、こうしてはじめて、自分がどこにいてもこの心のハワイをたずさえて生きてゆけると思うのだ。それは土地への所属と支配権をめぐる力学とは無関係な平面でのできごとであり、ホンゴーのハワイがハワイの総体を代表するものでないことはいうまでもない。ただ土地への最終的な帰還を思わせるこの場面が、逆説的にも土地を基盤におくアイデンティティの物語からの最終的な離脱を描くものとなっているという点に、ぼくらは驚き、その真実に感嘆すべきだと思う。

 こうして結局、彼は出生地ヴォルケイノには帰らなかった。そこから逸脱し、家系のカルマから解放され、新しい自由の道を少なくとも予感するにいたった。そのときギャレットにとって本当の故郷となったのは、共通言語としてピジン(ハワイ・クレオール英語)を話すさまざまな移民労働者家庭の人々が肩をよせあって住む、カフクのプランテーション町の、ありふれた夕暮れの情景だった。

 暮れてゆく陽を惜しんで遊ぶ子供たちがようやく家路につく決意をしたころ、食料品を売りにくる行商人の声が聞こえる。中国語、ハワイ語、ピジン英語をごちゃまぜにして、家々にむかってこう声をかけるのだ。

 

  Mana pua! Pepeiao! Fresh kulolo!
  Come quick, you gettem.
  Mo bettah fo' eat den poi!
  Mo bettah den poi wit shew-gah! (p.333)

 

  マナ・プア! ペペイアオ! 作りたてのクーロロ!
  さあさあ、寄っといで、買っといで。
  ポイよりも旨いよ!
  砂糖をかけたポイよりも旨い!

 

 マナ・プアとは豚まん、ペペイアオとはしゅうまい、クーロロとはココナツ・ミルク入りのプディング、そしてポイとはタロイモの澱粉を醗酵させた紫色のペースト、ハワイの伝統的な主食のことだ。幼い少年の耳に残ったこの呼び売りの声が、失われて二度と帰還することのできない、だがその気になればその場にまざまざと召喚することのできる、詩人の本当のふるさととなった。そして土地を慕いつつ土地に所属しないことを生き方の基礎におくどのようなわれわれにとっても、故郷とはそのように存在するしかなく、なおその故郷に、われわれはときおり力づけられる。作家とは故郷を喪失し、新たな所属の空間を自分自身の作品の中に切り開くものだといってもいい。ギャレット・ホンゴーはひとつの故郷を新たに失い直し、その喪失の上に鮮烈な文字の故郷を樹立し、それを気前よくぼくらにも分け与えてくれた。

Garrett Hongo, Volcano: A Memoir of Hawai'i. Knopf, 1995.

 

  

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