管 啓次郎 コ ヨ ー テ・歩・き・読・み・ 
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コヨーテ歩き読み14
パトリック・シャモワゾー『クレオールの民話』
(吉田加南子訳、青土社、1999)

 

 一日の仕事が終わり、夜がはじまる。休息のひとときを経て、夢想がはじまる。強 いられた沈黙の昼に代わって、言葉が芽吹く時がやってくる。言葉をつかさどるのは 、民話の語り手だ。

 たったひとつのランプが照らしだすぼんやりと明るい円の周囲に、人々が集う。最 前列には子供たち、かれらに話がわかっても、わからなくても。その背後に大人たち 、暗闇に溶けこむようにして。
 クリック?
 クラック!
 話し手が「いいかい?」と声をかけると、聴衆は「いいぞ!」と答え、お話がはじ まるのだ(あるいはティムティム? ブワセック! という、いっそう謎めいた言い方 もある)。こうして語られるクレオールの民話は、とにかく猛烈なスピードでくりだ されるらしい。残念ながらぼくはそんな語りを実際に聞いたことがない。聞いたとし ても、さらに残念なことにはまるでわからないだろうが、それでもそうした場にいあ わせることができたら、どんなにおもしろいだろうなと思う。せめてこの『テクサコ 』の小説家が集め語り直した民話の影を探り、そうした夜の感興を舞とぶ蛾かコウモ リになったつもりで味わってみることにしようか。

 語りに、その声に、仕草に、セッティングに、すべての力が宿るような民話を、記 述で、文字で、おまけに翻訳で楽しむことには限界があるが、そんなことはあらかじ めわかりきっている。それでも読めるもの、響くものはあるし、響きがわれわれにお いて作りだす何かもあるにちがいない。

 民話の基礎をなす口承性は、つねに書字性と対立させられ、書字性という根源的な 「悪」が口承性を抑圧してきたという面ばかりが強調されることが多い。たしかに、 そんな抑圧性はあるだろう。書字記録がはじまったとき口承の記憶のモードは、ずい ぶん変わったにちがいないし、書字記録があってはじめて帝国の経営が可能になった ことは、水が零度になれば凍るように明らかなのだから。

 しかし書字が、記述が、何かを解放し、まったく見られたことのない次元を新たに 作りだしてきたという創造的側面も、見過ごすわけにはゆかないのではないだろうか 。口承性の復権を唱えるとき、それが単に書字文学の回避にゆきついては、おもしろ くもなんともない。訳者・吉田の言葉を借りるなら

 

書かれた口承性というべきだろうか。あるいは、書かれるものとしての言葉が、口承 性と出会うことによって、新しい顔を見せてくれた、と。(201ページ)

 

 この「新しい顔」の「新しさ」が、単なる意匠の更新としての新しさではなく根源 的に異なった視野を開いてくれるものとならなければ、世界を別の相において見せて くれるものとならなければ、その興味は半減する。けれどもここに集められた民話は 、それがシャモワゾーによる書字的濾過のせいかどうかはともかく、たしかに強烈な 奇妙さ、絶対的な取り込めなさ、驚きを、身にまとっているようだ。

 翻訳という、平板化ないしは馴化ないしは自然化ないしは帰化をその作業の定義上 含まざるをえない営みによって、こうして実現される日本語訳に、たとえばフランス 語とフランス語をベースにしたクレオル語とのあいだの齟齬が産む効果が十分にうつ しとられないからといって、それをあまり嘆いても仕方がない。それはすでにどうに もならないことの領分だろう。

 逆に、ポジティヴに見てゆけば、怪しい新鮮さ、滑稽な、誘惑する不可解さは翻訳 の表面にみちていて、十二の民話は十二の夜を確実に楽しませてくれるだろう。著者 シャモワゾーは、「これらの物語を読むのは夜だけにすること(月とともに過ごす時 間にしか書かなかったわたしのように。......)」(14ページ)といっているが、 ごめん、ぼくは夏の太陽の支配する時間にそれを読んでしまった。そのお詫びにいつ か近い未来の夜、せめて蝋燭の炎のもと、子供たちを丸く並べて、このお話のどれか を、日本語で、工夫して、語りなおしてみたいと思う。ぼくはぼくの番として。プラ ンテーション労働から遠い現代日本で日本語でそんなことをやって何になる、という きみ、きみはただ正しい意見だけを述べる正論主義者、文学における自堕落なペシミ ストだ。翻訳という根源的オプティミズムは、きみの意見に同意しない。口承的中継 は、世界のどんな場所に、どんな文脈をたどってでも、飛び火していい。世界の響き は、言語を超え、生活を超え、あくまでも無根拠な連結を作りだすことを、本性とし ている。

 特に印象深かった(ぼくには)のは、一種の少年ピカロ(悪漢)を主人公とするお 話で、そのひとつ「富をもたらすアクラ」は、ざっとこんな筋書きをもっている。

 砂糖黍畑の労働でくたくたに疲れた女が、ひとり息子を残して死ぬ。ティ=ゼブ( 小さな草、草太郎ちゃん)という名の息子に残されたのは、たった一個のアクラとい う揚げ物だけだった(これは鱈の擂り身の団子に唐辛子をきかせてかりかりに揚げた もので、もともとはガーナ料理だという)。母のお弔いをすませた草太郎は、さめき ったアクラをバナナの葉に包んで、土地を離れ旅に出る。

 草太郎は少しずつ長い距離を歩いて、ふと三十年ほどを経た木ほどの高さの、大き な家にさしかかる。そこで泊めてほしいと頼み、了承されると、こんどは自分のアク ラは鳥小屋でなければ眠れない、と妙なことをいいだす。家の人はびっくりしたがと もかく願いを聞き入れ、草太郎を家に、アクラを鳥小屋に泊めてやる。

 明け方、草太郎はこっそり鳥小屋にゆき、母の形見のアクラを食べる。それから夜 明けごろ、突然わめきだし、わんわん泣き叫ぶのだ。アクラは鶏に食われてしまった 、もし代わりに立派な雄鶏をくれなかったら、警察に訴えてやるぞ! 何とまあ、悪 辣な少年であることでしょうか、われらが草太郎は。家の人はかなり驚いたろうが、 仕方なくいいなりになって、すみれ色の鶏冠に尻尾の長い立派な雄鶏をこのちびすけ にやる。

 草太郎はそれからも旅をつづけ、人に出会うたびに、かれらを騙してゆく。こうし て旅路で、雄鶏は雄羊に交換され、雄羊は雄牛(黒白まだらとは、意味があるのか? )に交換され、雄牛は幼いムラート(黒白の混血児、これにももちろん意味があるの だろう)の死体に交換され、死体の「兄弟」は「樹齢百年の木と同じぐらいの高さの 、窓が一万個あり、便所は五万、避雷針が三十六基立っている家」のご主人の、さあ 、家なのか、娘たちのひとりなのか、未決定のハッピーエンドをもたらす何かに、交 換されてゆく。

 こんな「ワルぶり」は、民話の有名な主人公、ティ=ジャン・ロリゾンが登場する 「水平線のちびジャン」にも見られる。「みじめな境遇は、否応なく人に知恵をつけ て賢くする。これは白人 [ベケ] の畑から生き残った黒ん坊の子供の中でも一番抜け 目のない子供の、一番初めの手柄話だ」(157ページ)と語りはじめられるそれは 、ごく直接的に、機転のきく少年が名付け親(じつは黒人女とのあいだの子を認知し ようとしなかった本当の父親)であるベケを策略で殺し、その財産をそっくりいただ く話だ。その陰惨さにもかかわらず、たぶんこの話が上手な語り手にかたられるとき 、その場は笑いが渦巻き手足が打ち鳴らされすばらしい解放感と高揚がはじけるのだ ろうと、想像がつく。ふたたびシャモワゾーの言葉を引こう。

 

 遊戯という機能は否定できないとしても(地獄のような状況で生きなければならな いとき、笑い以上のどんな希望の養分があるだろう?)、こうした物語が全体として 作りなおしているのは、教育に関わる力学であり、人生を学ぶ方法、より正確に言う なら、植民地化された国で生きのびることを学ぶ方法である。クレオールの民話が語 っているのは、恐怖が今ここにあるということ、世界のどんな微小なひと切れも恐ろ しいものだということであり、その恐怖ごと生きなければならない、ということであ る。力を見せてしまうのは敗北の前兆、懲罰の前兆であるということ。弱い者は計略 や回り道、忍耐、決して罪ではない切り抜け策を繰り出すことによって、強い者に勝 つことができる、あるいは力というものの首根っこをつかむことができる、と語って いる。(11ページ)

 

 こうして無力さを噛みしめ、それでもがむしゃらに自由をめざし、迂回し脱線し旋 回し上昇する語りが、夜にリズムを刻み、眠りを騒擾にみちたものとする。こうした 話をどううけとるかにかけて、ぼくらはまったく自由、どうにも行き手を決められな いほどに自由だ。ただ、いったんその民話の圏域をのぞいたが最後、中継は義務とな り、ぼくらもまたそれぞれに、ピカレスクな旅をつづけることになる。草太郎ととも に。ちびジャンとともに。

 こうしてぼくらが語りなおせば、そのすべての民話はまるで意味がないものだと見 えるかもしれない。けれども、「おお、役にも立たない言葉にも必ず出番はあるもの だ」(29ページ)。「きれいな娘は桶の下」というお話で、この誰にも意味のわか らなかった台詞を事件が起きるより二十年も前からくりかえしつぶやいていたオウム の姿は、あるいは途方もない真理を示唆しているのかもしれない。いつか、その言葉 を必要とする事件は起こる。あらゆる民話は、単に過去の圧力に対する抵抗にすぎな いのではなく、こうした予言の力を、その出生の瞬間、つまり誰によってでも語りな おされたその瞬間から、必ずもっているのかもしれないのだ。

(1999.06.17)

 

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