名指しえぬ列島
鵜飼哲


沖縄は日本に、どのように属しているのか?
一枚の写真は一冊の写真集に、どのように属しているのか?
 この二つの問いは、いずれも、属すること、所属、帰属にかかわる。だが、そのほかに、この二つの問いの間にはどんな接点もない。
 にもかかわらず――だからこそ――この二つの問いがたがいに翻訳可能かどうか、たがいに、その内側から、相手によって翻訳されることを欲しているかどうか、言い換えれば、沖縄と日本の関係を通して写真と写真集の関係を、あるいはその逆を思考することが可能かどうか、そのことに意味があるかどうかは、おそらく、今、問われるにあたいすることだろう。『時の島々』を開く者は、同時に、この三つにして一つの問いを開くことになる。
 だが、写真の写真集への帰属を問う前に、写真の写真家への帰属が問われなくてはならない。写真家は写真に、どのように署名するのか。この瞬間の芸術にとって、この問いは、他の芸術ジャンルとは別の形で開かれているのではないだろうか。そして、『時の島々』という作品は、一人の写真家が、この問いを、このうえなく肯定的なパトスとともに解き放ったとき懐胎されたのではないだろうか。
 港千尋とのインタビューで、東松照明は、若き日のベネディクト・ショックに言及している。敗戦という「カルチャー・ショック」は、彼にとって、他者を異文化として見る経験であった以上に、自己が異文化として見られる経験だったのだろう。日本語を知らず日本を訪れたこともないアメリカの人類学者の本が、「日本文化は恥の文化である」というそのテーゼが、勝者であるこの他者のまなざしが、戦後日本の少なからぬ知識人によって反発を通じて内面化されていった過程は、この国がほとんど恥をなくし「プライド」と「シェイム」の区別もつかなくなってしまったかにみえる現在、厳密に検討されるべきひとつの歴史である。
 東松照明の写真は、どの一枚も、彼がこのまなざしを、反発でも甘受でもないある別のみぶりで受け止めたことを証言している。そこには、被写体、すなわち、人間、動物、植物、無機物でさえもがその日常のたたずまいのうちにたたえている表情が、時間の流れから切断されるまさにその瞬間に獲得するある新たな潜在力が感じられる。写真のチャンスが、撮影の瞬間レンズを通して写真家が見たものと現像された写真のなかに見出されるものの偏差にあることは言うまでもないが、現像後に発見されたものではなくこの偏差自体を愛することのできる写真家は多くない。現像された写真のなかにもただちには姿を見せないもの、その秘匿の時間の表層の深みにいつまでも心を惹かれ続ける写真家はいっそうまれだろう。そのような写真家は撮られることでのがれ去る被写体のつつしみ、はじらいに、本能的に感応しているのにちがいない。
 海中を竹馬で行く人の後姿(『時の島々』54頁)。海はとても遠浅にみえる。竹馬の人は、そのまま歩いて水平線に姿を消すのではないだろうか。彼は何を見ているのか。海上の中空で背を向けている彼のまなざしは私たちには見えない。続く一枚でもやはり人のまなざしは隠されている。夏の植物の茂みから小道に歩み出た人の顔は、大きく奇妙な房の影になっている。それが風のいたずらなのか、それともこの人の意志なのかは不明である。
 そして、Coca Cola、PEPSI、NAHAといった文字の群れのなかに現れる浴衣をはおったアフロ・アメリカンの男の後姿。やはりまなざしは隠されたままだ。屈強なその背中が私たちを挑発する。だが、この図は、アメリカの力によって沖縄で実現された混成文化の象徴だろうか。それとも、浴衣は彼をローマ字の列から切り離し、保護しているのだろうか、写真が瞬間を時の流れから切り離し、保護するように。
 見開き頁の反対側には、まるでダンスの一齣のような配置と姿勢の、だが、けっしてダンスをしているようにはみえない三人の人物がいる。二人のアフロ・アメリカンの男と一人のアジア人の女。そう、私たちは男たちの民族的帰属をほぼ同定できるようにはこの後姿の女のそれを同定することはできない。沖縄人、その可能性は高い。だが、日本人、朝鮮人、中国人、あるいはアジアの他の地に縁のある女性かもしれない。それが沖縄の風景であることは巻末の初出一覧で確認できるが、にもかかわらず―−だからこそ―−彼女の民族的帰属は名指しえない。反対に、私たちが、他の可能性を排除していやおうなく見てしまうのは、写真家自身にも見えない彼女の隠れたまなざしに現れているにちがいないおびえ、ただひとりまなざしが見える男の表情とは対照的なおびえである。その丸めた小さな背中はこわばっている、前頁の男のまっすぐ伸びた大きな背中とは対照的に。遠景の人影は、この構図が、例外的な出来事から生じたものではなく、日常の一部であることを物語っている。
 だが、この第二の対照は、写真自体に内在している対照ではない。今福龍太による再配列から生まれたものである。実際、「かつて」「いま」「いつか」というこの三部構成を統べる法則らしきもののひとつは、とても精妙なまなざしの演出であるように思われる。「かつて」と「いつか」においても、人のまなざしが私たちに向けられるまで、不思議な待機の時間が用意されている。奇妙に人格的な海と雲の対面、ガラスの向こうのハンコの名前たち、雨にぬれた舗石、あるいは「象の檻」、長崎の夜景、影絵のような街頭闘争。「いま」の冒頭だけが、人の身体によって、より正確には手によって始まるのだ。  その理由を問うことはやめよう。そこにあるのは必然と偶然の、写真家が見たものと写真が秘匿していたものの、ある特異な出会いなのだから。配列者にとってここで自覚的であることは、単にひとつの方針をおのれに課しそれに従う以上の覚悟を必要とする。選択と非選択の間で選択しないという危険な選択をした彼の眼と手は、選ばれたというより残された、そして並べ替えられた写真たちがたがいに照らし出す潜在的な形象の影に眩惑されるにまかせたのだ。歴史に棲みつきながらけっして歴史に帰属しない映像の数々を、おのれ自身の記憶のうちに探るために。その方法を、彼はこんな風に記している。
「個人のなかを流れる時間の多層的な潮流のぶつかりあいをその小さなうねりや渦にいたるまで把握し、そのうえにたって世界を刺し貫く『歴史』という縦糸に交錯する無数の非制度的な時の横糸を繰り出してゆくことで、人は、自己という名の大海に浮かぶ時の群島の姿を織りあげることができるようになるのだ。」
 これはある特異な能力の開発、政治的次元を内包した瞑想の勧めである。私たちの列島でいまはじめて問われていること、未曾有の思想的混乱を通して感知されつつあること、それは歴史と記憶の根源的な位相のちがいにほかならない。記憶は歴史の素材ではない。歴史からこぼれ落ちた記憶は、だからといって、私たちの現在に作用することをやめはしない。メディアを通じた歴史=物語による記憶の管理操作は、技術的にはかつてない手段を誇りながら、予測不可能なリミットにあちこちでぶつかっている。そして、一枚の写真とは、一つの方向をそなえた歴史の原子であると同時に、無限の読解へと開いてゆく記憶の種子でもある。不確かな自己を大文字の歴史のうちに位置づけたいという安定志向の欲望に抗し、むしろ自己のうちにこそ歴史に抗する記憶の呼吸を感じとり、この記憶に能動的に働きかけていくつものテクストに編みあげること。そのために、一群の写真に導かれるにまかせること。今福龍太の著書のタイトルを借用するなら、それこそが、私たちの生がいま必要としている「野性のテクノロジー」なのである。
 テクストから固有名詞を排しその喚起力を禁欲することで、今福龍太は、反プルースト的手段によってプルースト的目的を追求したのだともいえるだろう。冒頭の問いを、彼の語法で書き換えよう。
「南の島」は「北の島」に、どのように属しているのか?
 この問いは、いま、次のように書き換えられる。
「南の島」には「北の島」の、どんな記憶があるのか? そして、「北の島」には「南の島」の、どんな記憶が?
 東松照明の写真は、「北の島」の状況が、「南の島」のそれと完全には断絶していなかった1950年代の風景を甦らせる。29頁の写真は「北の島」である。そして、アメリカ兵との間に生まれた混血の子供たちは、「北の島」でもその現実のたしかな一部だったのだ(小学校の読書感想文の課題図書に『ポールのあした』という本があった。アフロ・アメリカンと日本人の間の混血少年と中国人のコックさんの友情物語。舞台は横浜だったはず)。
 混血の子供たちの存在を忘却したとき、「北の島」は、ある記憶の仕方もいっしょに忘却してしまったらしい。そのとき、私たちの生の瞬間の並び方も、おそらく、変質してしまったにちがいない。ひるがえって、「時の島」とは瞬間であり瞬間の記録である写真であるとすれば、その並び方をもう一度組み直すことを提案する本書の野心は、外見に反して、きわめてラディカルなものであることがわかる。かつてある作家が「ヤポネシア」と呼んだ「列島」(「南の島」+「北の島」)の並び方をも、同時に組み直すことを提案しているのだから。そのためには、おそらく、「ヤポネシア」というこの固有名詞もひとたび忘れられなくてはならない。名指しえぬこの列島の無名性をあらわにするために。
「島」という隠喩は、私たちに、瞬間について何を教えてくれるだろう? そして、島については何を? 絶対的な閉鎖性と無防備なまでの開放性の信じられない一致だろうか? たしかなことは、『時の島々』が、1995年9月以後、「南の島」からの呼びかけに応えた「北の島」の人による、もっとも深い応答のひとつだということである。歓待の呼びかけへの歓待。瞬間の歓待――ほとんど狂気の縁で。
(うかい・さとし フランス文学)
<初出:「デジャヴュビス」1998年>