言葉によって世界を書き換える  マルコムxにまねびて

今福龍太


こに一冊の最新の事典があります。『ザ・ディクショナリー・オブ・グローバル・カルチャー』というタイトルがついていて、ニューヨークの出版社ノップフから一九九七年になって刊行されたものです。一巻本の事典で計717ページで掲載項目が約1200。グローバル・カルチャーの事典という名前がついていますが、世界のあらゆる文化事象を網羅した事典となると想像を絶する膨大なものになってしまうわけで、これはそうした世界文化のカタログ的な百科事典を目指しているものではありません。むしろ非西欧世界の文化的な達成に強い力点をおいて編集された、新しい思想的根拠を持つ世界文化事典といえるでしょうか。ですから細大漏らさず世界の文化を総覧するというのではなく、近代史が西欧を唯一の中心に据えて「世界」という名で呼んできた巨大なイメージを、まったく別の視点から切り崩し、脱中心化された世界の豊かで混沌とした諸相をそのままに提示するという視点が強いものです。私がこの本を最初に手にとったときの新鮮な驚きと興奮はまだ持続しているのですが、ここではまず、この事典がなぜスリリングなのか、そしてこの事典によって名指されている「世界文化」とは、どのような手続きを通して私たちの認識のなかに現れでるものなのかについて簡潔に述べてみたいと思います。

まず冒頭のAの最初に Abakwa(アバクワ)という項目があります。アバクワというのは、アフロキューバ系の宗教的な秘密結社です。キューバでは、トランス状態になって精霊や神と交信するシャーマニスティックな実践を含んだサンテリーアというアフリカ系の憑霊宗教がよく知られていますが、このアバクワもそうしたもののひとつです。サンテリーアがヨルバ系であるのに対し、アバクワはエフィクなどの系統の西アフリカ文化がキューバにおいてスペイン人のもたらしたカトリックと習合して生まれた産物です。この秘密結社のメンバーはニャニゴと呼ばれています。ニャニゴにはアフリカ系ばかりでなくスペイン系のキューバ人もいて、これはつまりアバクワという宗教がアフロキューバ的なシンクレティズムの産物でありながら、白人系のキューバ文化を巻き込んで展開している証拠でもあります。ですからこれは非常に興味深い、カリブ海的なアフリカ憑霊宗教の再解釈というべきものです。そうした文化混淆的な項目が事典の冒頭を飾っているわけです。

それではZの一番最後に何があるかと見てみると、そこに Zydeco(ザディコ)とあります。ザディコというのはアメリカ南部のケイジャンというフランス系のルイジアナ文化と、それからアメリカ黒人の文化、さらにアフロカリビアン、特にハイチの黒人系文化の三者が混合してできあがった興味深いハイブリッド音楽です。語源的には「レ・ザリコ・ソン・パ・サレ」(いんげん豆に塩がしていない)というルイジアナのフレンチ・クレオールのタイトルのついた古いナンバーがあって、そのなかのレ・ザリコ(いんげん豆)という部分が「ザディコ」と変化してこの言葉ができたと言われています。もともと18世紀の後半にフランスのルイジアナ植民地が、アフリカからの黒人奴隷を大量にルイジアナに連れ込んでくる。それとほぼ同じ時期に、ハイチから自由黒人がアメリカ南部に渡って来ます。ここでフレンチ・ルイジアナのケイジャン系のものと、アフロアメリカ文化とハイチのアフロカリビアン文化が混ざり合った。そして黒人たちがケイジャン文化というものを取り入れて独自のクレオール音楽を作りだす。そういう形で生まれたのがこのザディコです。ですからこれは、ケイジャン音楽の上にいわゆるアフロカリブ系のリズムパターン、つまり非常にスピーディーなシンコペーションをもった軽快なリズムパターンが重なって生まれたもので、現在でもクラブとか教会であるとか結婚式、ピクニックなどの世俗行事でも使われ踊られているヴァナキュラーな音楽です。

アバクワという項目から始まってザディコで終わるという、この事典の構成は、私自身のキューバでのアバクワとの関わりと、その数年後に東テキサスで民俗調査をしたときのザディコ音楽の圧倒的な力強さの発見とのあいだを見事に結ぶという意味で、個人的にもスリリングな構成です。しかしより一般的な意味で、それ自体多中心的・混淆的な文化実践であるアバクワとザディコとのあいだに「世界」を探り当てる、という試みは非常に刺激的です。これまで、そのような方法で世界における文化というものの在り方を提示する試みはほとんどなかったかもしれません。私たちは、この事典の構成そのもののなかに、まさに「グローバル・カルチュア」の所在を感知することができる。そういうふうに考えだすと、項目がABC順という機械的な配列になっているということがかえっておもしろく感じられて、この無作為な配列の仕方のなかに現代世界におけるある文化的必然性を探り当てることができないだろうか、という興味がどんどん沸いてきてしまうのです。

例えば、Pで始まる項目を見ていますと、あるページでマルコ・ポーロとプルーストとプエブロ・インディアン、そしてパンクという4つの項目が隣同士に並んでいるわけです。ひとつひとつの項目の中身よりも、むしろそういう配列から立ち上がってくるある風景が非常にスリリングである、ということに気がついて、想像力によって項目間をつなぎながら「世界文化」に触れるための鍵を探し出すという作業に夢中になってしまうわけです。

かでも極めつけに思えたのは、Mの部分のある見開きページで、5人の名前が並んでいます。最初にグスタフ・マーラー。いうまでもなく世紀末ウィーンのユダヤ人群像の中心的な一人で、格式あるウィーンのインペリアル・オペラの指揮者になるためにカトリックに改宗したと書かれている。しかしそのことが彼のなかに大きな挫折をひきおこしているわけで、彼の音楽の根源的な問題がそこにある。このマーラーの次にマイモニデスという項目があって、これは12世紀から13世紀の中世のカイロで活躍した中世最大のユダヤ神学者です。生まれはスペインのコルドバですから、あきらかにマイモニデスはセファルディム系の離散ユダヤ人の一人として生き、中世の地中海世界において非常にすぐれた哲学的な仕事をしています。彼の仕事はユダヤ系の神学のみならずキリスト教的な神学にも非常に大きい影響をもたらして、特にカトリック異端思想などに深い影響をもたらしているわけですが、おもしろいのはそうした思想的営為が常にイスラム圏でなされたという事実です。これはつまり、ユダヤ的な思考がアラビア語でなされるという、それ自体不思議な言語文化混交の実践です。その次にあるのがミリアム・マケーバという現代の南アフリカのフォーク・シンガー。アフリカの独立運動やさらにアメリカの公民権運動にも関わり、非常に政治的メッセージ性の強い歌手として知られている人で、長い間亡命状態にあったのが90年になってようやく南アフリカに帰還しました。

その次に、マルコムXがあります。いうまでもなく今世紀のもっとも影響力あるアフロアメリカンの政治的・思想的指導者であったわけですが、重要なのはマルコムXの場合も若い時期に逮捕されて獄中においてブラックモスリムに改宗するという経験があったことです。その過程でマルコム・リトルという名前をマルコムXという名前に変えるわけです。リトルという彼の姓がそのまま直接アメリカ奴隷制の歴史というものを象徴していたわけで、その奴隷制の残滓としてのリトルという姓を捨ててXと改名する。そのことによって事典における「マルコムX」というMの項目でのエントリーが可能になるわけで、もし万が一マルコム・リトルがそのままの形で黒人指導者になっていれば彼はおそらくリトルと呼ばれているわけです。その場合Mの項目には入ってこず、Lの項目に入ってくるわけです。彼が獄中においてブラックモスリムに改宗し名前を変えたことによって、マルコムXはこのMの項目に、マーラー、マイモニーデス、マケーバと並んで入ってくる。そういう不思議な偶然のなかの必然を感じざるを得ない。さらにおもしろいのは、マルコムXは獄中において自らの再教育と称してある辞書のAからZまでのすべての項目を書き写す、筆写するということをやっている。これは彼自身の精神に起こるひとつの言語的な書き換えのプロセスです。すなわち自分自身の思考をそれまでかたちづくっていた語彙というものをすっかり別の言語体系によって置換していくという非常に主体的な作業として、マルコムXはこの事典の筆写を行ったと考えられる。これは、彼の自伝においても印象的に述べられていることです。AからZをむすぶ項目の機械的な筆写のプロセスのなかで、自分の中の語彙というものを言語的に揺さぶり、異なった世界観のなかに転移させていくような作業、それがマルコムXにとっての新たな主体性の獲得につながっていくわけです。

さらにいえば、マルコムXのもうひとつ先に、マリンチェという名前が挙がっていることも偶然とは思えません。マリンチェとは、メキシコの征服者であるエルナン・コルテスの通訳および情婦といいますか、そういうかたちで先住民のインディオの中なかからコルテスによって利用された女性です。ナワトル語とマヤ語というインディオの複数の言語を使う能力を持っていたことから通訳として非常に有用であった。しかもすぐにスペイン語も学習することによってコルテス一行の征服行為に自ら介入し、単に利用されたというよりは、むしろコルテスと一心同体になってメキシコという混血国家の起源を作っていく象徴的な女性です。コルテスとの間に子供も生むわけですけど、その子供というのは土着文化の側から見れば裏切り行為であるとも取られるわけですが一方で、それはある意味では、500年前にはじまる混血メキシコ文化というものの決定的なスタートでもあるわけで、その行為を裏切りとして否定しさることは誰にもできないわけです。そういう文化の正統性をめぐるきわめて両義的な存在としてマリンチェがいる。ともかく、征服、改宗、混合、離反、離散といった文化変容のモメントを共通項にしながら、これらのマーラー、マイモニデス、マケーバ、マルコムX、マリンチェという人名がひとつの見開きページに同居しているという状態、これは限りなくスリリングであると言わざるを得ません。

項目ひとつひとつを取りあげてみるとそれ自体としては十分にローカルなものであって、それがただちにグローバル・カルチャーを代表するということはない。ところが偶然隣り合った複数の項目の連関をたどっていってその間に無数の接続線のようなものを引いていくことによって、私たちはそこから主体的にグローバル・カルチャーのありかというものを探り当ててゆくことができる。つまり世界文化というものがそこにあるとか、あるいはさまざまな土着文化の近代的変容によって世界文化があるひとつの社会経済システムによって統合されつつあるという意味ではなくて、むしろその都度その都度グローバル・カルチャーのありかを私たちがこうした断片的な項目をつなぎあわせることで作っていく、あるいは、あらたな「世界」像を提示しつづけることができるということ自体がグローバル・カルチャーという認識がもつ内実を保証する、といったらいいでしょうか。

こでもう一冊の事典の話もしたいのですが、それは『エンサイクロペディア・オヴ・ニューヨーク・シティ』という本で、これも昨年エール大学出版局から出版されたばかりの事典です。これは1350ページ、4300項目余りあって、とてつもなく重い一巻本です。ニューヨークの百科事典といえば単一の都市についての事典ということになりますが、まさにニューヨークというのはあらゆる意味で外来の移民、文化や情報の漂着によって作られていった場所でもあるわけですから、当然ニューヨークシティの百科事典ということになるとほとんど世界そのものがそこに凝縮して存在するということになる。たとえば、この辞書にはニューヨークの416に及ぶ居住地区の非常に細かい説明がつけられています。これもこれまでになかった試みで、ブロンクスやブルックリンだけで20ページ近い詳細な解説があるわけですけれども、もっと細かい、例えばマンハッタンでいえばハーレムであるとか、スパニッシュ・ハーレムであるとか、ロウアー・イーストサイドであるとか、レノックス・ヒルであるとか、そういう非常に細かい居住地区のそれぞれの由来から民族構成から文化的な特質までが非常に緻密に記述されている。

例えば El Barrio(エル・バリオ)という項目があります。これはイースト・ハーレムの3番街から5番街の間、それから96丁目から120丁目くらいの間の一角をさすわけで、ヒスパニック系の居住地区です。事典の記述はこの地区の形成の歴史にはじまり、ここに建つムセオ・デル・バリオという博物館のこと、それからサンテリーアという先ほどアバクワの時にちょっと言いましたアフロキューバ系の宗教的な結社のニューヨークでの活動、あるいはマルケッタと呼ばれているインドア・マーケットの消息、さらにいわゆるニューヨーリカンと呼ばれるプエルトリコ系のニューヨーク人達のさまざまなサブカルチャーの問題であるとかいった、非常にすぐれたヒスパニック、特にプエルトリコ系文化の精緻でダイナミックな記述にあふれています。実際、ニューヨークの人口の一割強がプエルトリコ系の住民ですから、この辞書の約一割はそうした記述に当てられていて何の不思議もないわけです。そして同じような網羅性をもって、イタリア系、ロシア系、ウクライナ系、ポーランド系、さらにより近年に勢力を広げたチャイニーズ、コロンビア、ジャマイカといった無数の文化的出自とそのさまざまな変容のプロセスがこの辞書のなかで跡づけられてゆく。先ほどのグローバル・カルチャーという切り口とは全く違って、ある意味ではニューヨーク・シティという地球上の一地点の辞書であるにもかかわらず、不思議なことに、この事典は私に先ほどのグローバル・カルチャーの事典とほとんど同じ印象を与えます。

グローバル・カルチャーという新たな概念を仮説的なてがかりに「世界」の構成を見直してゆくような方法で事典を編集した場合でも、ニューヨーク・シティという地理的な一地点に展開される局地的な文化を詳述する事典であっても、そこから私たちが見通すことのできる知的な風景が極めて似通ってくるという奇妙なパラドックス、しかし非常にスリリングなパラドックスがここにあります。そしてこのグローバルとローカルをめぐる逆説的な文化の相互浸透と交通の姿のなかに、私たちは現代の文化というものの存在様態を探り当てるべきでしょう。

代文化の流動的な相を分析し、語るために、私もディアスポラ(離散)、ボーダー(境界)、さらにクレオールといった概念、すなわち文化の移動や混交を示す新たな概念を積極的に援用していますが、こうした概念はそれ自体としてある特定の文化形態を意味しているというよりは、むしろいま考えてきたようなグローバル・カルチャーのありかを探り当てるために私たちの認識を作動させなければいけない場、その新たな認識論的な場を名指すための戦略的用語であると考えるべきです。だからそれは、一種の言説的な仕掛けであるとみなすことができます。

だとすれば、ディアスポラにせよボーダーにせよ、あるいはクレオールにせよ、そうした越境的な文化がそこに新しい形で生まれつつあるというような言い方は、従来の文化論的な本質主義に対する批判のように見えて、実は同じ本質主義に還元されてしまう危険性を常に持っている。むしろここで重要なのは、現代世界において、「文化」という概念を成立させるための新しい意味論的な領域をどういうふうに私たちが創造できるか、あるいは別の言い方をすれば、言語的あるいは言説的なかたちで世界というものをいかにして再構成できるか、という点です。その時に、例えばディアスポラという歴史的概念をいまどのようにして導入するのか、あるいはクレオールという言語学上の概念がいかに文化論的に意味を持ちうるのか、という言語のいわば意味論的な書き換えの問題が浮上してくるのです。新しい世界を語るために、新しい言説体系が要請されているのです。

先ほど、獄中のマルコムXの自らによる再教育という話をしましたが、まさにAからZまで辞書をもう一度筆写する経験のなかで、自分の過去の言説を解体して新たに自己を書き換えていくというような行為、これと同じようなものが今私たちにとって求められているわけです。単純に文化というものの存在のあり方が変容し、流動化しそしてそれが混ざり合って新しいものが生まれる、というような単線的なプロセスとしてとらえるよりは、まさに世界のさまざまな具体的な状況のなかでの文化的な紛争、闘争の現場、そのつど立ち現われては消えていく微細な政治学的な過程に注視する。それはちょうどまさに、事典のエントリーをひとつずつつなぎあわせながら、それをまた解体していくような作業です。その作業のなかで、私たちがグローバル・カルチャーという視点をいかに精緻なものにしていくのか。こうした問題意識こそ、恒常化され理念化されてしまった制度的な社会構造ではないもうひとつの社会、可能性としての「世界」の像を新たに展望する視点へとひらかれてゆくのではないでしょうか。

(*本テクストは、1997年3月15日、東京築地の浜離宮朝日ホールで開催された東京外国語大学公開シンポジウム「文化の未来--開発と地球化のなかで考える」において口頭発表された内容を、ほぼそのままに起こしたものです。この発表の翌日におこなわれ、偶然にも上記で触れた同じ事典に言及した、同シンポジウムのゲスト出席者サーラ・スレーリの発表は雑誌『世界』1997年6月号に「現代文化批評とポストコロニアル文学」と題して掲載されています。その内容は、私の考えを異なった文脈から豊かに刺激する、スリリングなものでした。) 





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