トントンの時間漂流3
悪貨は良貨を駆逐する
Mac vs. Windows
. . .  つまらないと言えばまったくつまらないことだが、いまこうして文章を作るのも、 これをメールで送るのも、バソコンを使ってのことだから、パソコンのことは軽視で きない。これについては特に二つ、言っておきたいことがある。
 トントンことわたしが最初に導入したパソコンは、Windows 3.1 の入った Dos/V機 だった。パソコンの洪水が起こり始める94年春のことだ。
 それまではワープロのオアシスを使っていた。機械には抵抗がないどころか、新し いものは一応使ってみたくなる。ワープロを導入したのはだいぶ早かったと思う。パ ーソナル・ワープロと言われる最初の世代で、タイプライター型、液晶8文字ディス プレーというのを、当時のほぼ全財産だった20万近く出して買ったのが最初だ。そ れが20文字液晶になり、40文字4行になり、またたくまに10行になって、悔し い思いをしながら2年置きぐらいに買い換えていた。最後に使っていたのはLXIIとい う20行液晶だ。もちろんモノクロ。
 当時わたしの周辺には、Mac の使用者が多く、Mac を勧められないわけではなかっ たが、そのMac 使用者たちに、どことなくパソコンに淫したナルシスティックな気配 を感じて警戒し、Dos/Vの方が色気のない仕事向きでイイジャン、とIBM の入門機と いうやつを買ってきた。
 その頃はよく吹聴したものだ。みんな、マックに騙されちゃいけない。あれはひと の世界観を過つ危険なシステムだ。いかにもしゃれたデスクトップで、アイコンをひ きずるだけでほとんどの作業ができてしまう。でも、世界はそうじゃない(注:「世 界」というとき、カント以後の人間は、それが意識によって構成された「世界」だと いうことを知っている)。人間の意識は、いかに構成されて整理されていても、「板 子一枚、下は地獄」、それを踏み抜けば闇の泥沼だ。
 マックのシステムは起動すれば、あたかも世界が構成されているのは当然であるか のように、扱いやすく整理されたデスクトップが現れる。けれどもこれがクセモノだ 。これを構成するのに、じつはどれだけ無意味な(少なくとも私にとって)記号の羅 列が必要なことか。マックはそのことを忘れさせ、存在の闇に蓋をして、あたかもそ んなものがないかのような幻想を振りまく。使いやすければいいというものではない 。パソコンという意識に関わる機械を使うとき、それがどんな環境であるかというこ とを忘れてはいけない。
 その点Windows 3.1はごまかさない。どす黒いドスの沼に得体の知れない白いむか でのような記号が走り、その闇の中から白い(黄色かな?)ウインドウが立ち上がっ てくる。これがわれわれの世界なのだ! そしてこの筏のようなウインドウから、ち ょっと間違えると真っ暗なドスの闇に落ちることもあるのだ。そのドスの闇こそ「現 実界」であり、フロイトがあんぐりと開かれたイルマの喉の奥に見た、かのトリメメ チラニンの化学式なのだ(「イルマの注射の夢」『夢判断』)。
 そう言って、マックの子供だましのシステムの害悪を吹聴していた。
 
 それに、もうひとつ大事なことがある。当時、マックにはまだ「親指シフト・キー ボード」がなかったのだ。
 「親指シフト」とは、両親指の位置にシフトキーを配置し、それを使って日本語の 50音 + αをキーボードの中段30のキーで直に打ち込めるようにした、オアシス ・ワープロ独特の打鍵方式だ(注:正式には「NIC OLA配列」という)。これだと、 苦もなくひらがなが直接入力できる。実によくできた方式で、一度やったらやめられ ない。
 日本語で文章を書く身として、女房に見られたくなかったためにローマ字で日記な ど書いた啄木じゃあるまいし、なんで日本語をローマ字で入力しなけりゃならないんだ!
 ところがこの「親指シフト」方式は、ワープロ・パソコンの普及した今ではあまり 使われていない。なぜか? ここでも「悪貨は良貨を駆逐する」という世の習いが鉄 則としてまかり通っているからだ。
 ワープロがそれこそ「プロ」の道具だったころ、富士通のオアシスは圧倒的なシェ アーをもっていた。というのは、富士通のスタッフが研究に研究を重ねて開発したこ のキーボードが、ワープロ使用者の強い支持を受けたからだ。そのため日本のパソコ ン業界で圧倒的なシェアーをもっていた NECのPC98 や DOS 互換機のためにも、 ア スキーが開発した「親指シフト・キーボード」があった(のちのD Board)。
 ところがワープロが一般に普及するようになると、つまりそれが新しい商品として 大量に市場に投入されようになると、事情は一変する。ワープロが普及するようにな ったのはそれが必要だったからではない。そうではなく、新製品を開発し、市場を作 りだし、何が何でも作って売る、ということで資本主義経済は回転している。その戦 略商品にワープロがなったということだ。
 そうなると、買う方はべつにどうしても必要だから買うのではない。時代の流れだ というし、みんなが買うからわたしも、というわけだ。だから秋葉原あたりの店員が 、店のマージンの大きいメーカーのものを勧めて、「ローマ字で打ちゃいいんですよ 」とうかいと、そんなものかと思って、言われたとおりに買う。
 たしかに、年賀状を書いたりするぐらいにはそれでいいだろう。ポケベルだって同 じだから。でも、待てよ。「JISキーボード」となっている。つまり「日本工業規格 」というわけだ。それには 「JIS配列」のかなキーもある。それなのに、日本語を打 つのにローマ字で打てと言う。ローマ字で打つなら、はじめから「JIS配列」なんて いらないではないか。
 まさかこの「JIS配列」というばかげたキー配列を使っている人はいないだろう。 これはあまりに使いものにならないというので、ワープロが普及しだしたころに「新 JIS配列」というのが作られたぐらいだ。ところがこれが輪をかけてダメで、結局こ んなものを採用するところはなくなった。
 では、なぜ使いものにならない配列が「JIS規格」として採用されたのか。なぜ「N IC OLA配列」は「JIS規格」とならなかったのか? それは要するに富士通と、日電 、東芝を始めとする他社グループとの綱引きのためだ。かつて、ソニーが開発したペ ータ・マックスという優れた規格を、ビクター、パナソニック、シャープ、日立など の VHS グループが市場から駆逐したのと同じことが起こったのだ。ビデオの場合、 結局、宣伝と販売力の差でベータ・マックスは追い落とされ、ソニーが VHS を発売 することで白旗をあげたのだが、それでもたとえば放送局などはずっとベータ・マッ クスを使っていた。あきらかにそちらの方がよくできていたからだ。
 富士通は、自社開発の「親指シフト」を第三者機関に委譲し、その普及をはかった が、NECをはじめとする他社は、一社の開発した方式を採用することでその一社の優 位を認めることを嫌ったのだ。要するに、みんなで引きずりおろしたのだ。
 情けないことに、はじめは個人用にも「親指シフト」を標準キーボードとして売っ ていた富士通は、この様子を見て、「親指シフト」に自信をもってその普及に努める ことより、「大同」につくことで「衆愚」の餌場にありつこうとした。つまり、「JI S配列」を売り出したのだ。数年前、ソニーの「惨敗」を見ていたから、変わり身が 早いといえば早かったが、とにかく企業というものは情けない。その結果、ワープロ の普及率が高まれば高まるほど、「親指シフト」の利用率は下がり、この日本語のた めのすぐれた創案は、役立たずの洪水に押しのけられて、いまや片隅に忘れられかけ ているありさまだ。
 その後のパソコン・ブームでも、富士通は自社製のパソコンに「JIS規格」を採用 し、申し訳程度に「親指シフト・キーボード」を作っている。だが、そのキーボード 、OAK という富士通製の日本語変換システムにしか対応しておらず、もっとも使われ ているATOK や、Windows に付属している MS-IME では使えないという、度量の狭さ だ。これでは「親指シフト」はますます押しのけられる。
 ちなみに、いまは、かつての D-Board を継承した Rboard Pro for PC というもの が、新潟の「リュウド(Reudo)」という会社から出ている。こちらは主要な変換シ ステムならどれでも使える(注:詳しくは http://www.reudo.co.jp を参照)。

 さて、最初の話題に戻ろう。
 ところが、パソコンを使いはじめて、Windows 3.1 だと英語以外の外国語を打つの がたいへん面倒だということがわかった。マイクロソフトは、英語ともう一つの言語 (たとえば日本語)はフォローしているけれど、日本語使用者が日本語を軸に、英語 とその他の言語を扱う、という事態を重視していない。英語を軸にすりゃイイじゃん 、という姿勢だ。これには困って、結局このパソコンは印刷用にしか使わなかった。  その点マックは、オペレーション・システムの段階で日、英、仏はフォローしてい る。「漢字トーク」にフランス語版のソフト(たとえばワード)がそのまま乗るのだ 。多少の文字化けはあるが、それには対処するソフトもある。
 Windows の場合だと、フランス語のWindows を別に用意しなければならない。そし てインストールでは、あの不気味なドス・コマンドで闇のなかを手探りしなければな らない。この「英語が軸になりゃイイじゃん」という居直った、というより傲慢で無 神経な姿勢が気に入らない。
 だが、マックには「親指シフト・キーボード」がない。それでは困るのだが、あり がたいことに、前にふれた「リュウド」という会社がマック用の「親指シフト・キー ボード」Rboard for Mac を売り出した。96年の8月ころだ。そこで初めて安いマ ックを購入した。
 使ってみるともう離せない。これは使える。これで決定的にワープロ専用機とは縁 が切れることになった。
 Windows 95 が出て、インターネットが騒がれるようになり、以前のワープロ・ブ ーム以上のパソコンの急激な普及が始まった。できるものは何でもマックを真似せよ 、という指令で作られたというWindows 95 では、外国語の問題はかなり解消されて いる。けれども、自分の使う機械の掌握のしやすさ、扱いやすさでは、基本的にマッ クに分があるように思われる。Windows もさらに改良されてもうすぐ 98 になるとい うが、たぶんそんなものはますます複雑になるだけで、一介の個人使用者にはありが たみは少ないだろう。それに基本的な使い勝手では、基本的なコンセプトからしてマ ックが上だろう。
 けれども市場は圧倒的にWindows だ。マックの世界シェアーは5パーセントを切っ たという。パソコン・ショップに行く。マックのフロアーは決まった商品しかなく、 閑古鳥が鳴いている。ところがWindows のフロアーは、いろとりどりの製品が競い合 って並び、それだけにWindows 製品としては魅力的なものも多い。
 近頃のこの様子をみていると、どうやらマックもベータ・マックスの撤を踏むのか もしれない。ここでも「悪貨が良貨を駆逐する」というのは鉄則のようだ。市場が大 きくなり、買う人が増えるということは、必ずしも優れたものが生き残るということ ではない。むしろ、できのよしあしなど判断せず、他の要因で買う人の数が増えると いうことでもあり、結局は質よりも販売力や買わせるための戦略がモノをいうという ことでもある。
 ここのところはもう少し、練りこんだご託を並べたいところだが、疲れてきた。今 日はこのへんにしておこう。
 ともかく「悪貨は良貨を駆逐する」。市場とみなせるところ、これが鉄則としてま かり通る。
 ちなみに、わたしが現在使っているのは、PowerMac 6300/160 + Rboard for Mac、 そして携帯用には(といってもほとんど持ち歩かないが)IBM ThinkPad 535x + 親ひ ゅん、である(注:「親ひゅん」とは、106日本語キーボードを親指シフトにして しまうソフト、ニフティのキーボード関係のフォーラムなどで手に入る)。



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