人びとは、突然、知識の遊牧民的採集者となった。−M・マクルーハン

 

Narita〜Sydney 1
「空港上空は雨」、アナウンスが頭のなかで日本語に置き換えられていく。ようやく着陸態勢に入るのだろう。しかし、ぼくはこの時間の経過をうまく飲み込めない。機体が水平状態に移行してからというもの、映画を再生するビデオのヘッドと配膳用のカートの車輪だけが、安定しきった機内で回りつづけている。
内燃機関も演算装置も、より高速に、もっと速く! 限りなく加速していけば、ついには異なる2点を同時に体験できるかもしれない。映画の合間に差し挟まれる「エアクラフト・ムーブメント」のチープなCGに、また少し、南への軌跡が描き足される。しかし未だ光速には至らず。だから高速移動への欲望は、他方で内側の時間の流れを引き留めようと思案してきたに違いない。
あるアボリジニはカンタス航空での空の旅を、まっすぐなラインをなぞりながら物語ったという。大空に直線的な軌跡を描く飛行機の内部では、小刻みに時間をループさせるためのサービスが提供される。さて、この時間の回転が体内の二重螺旋と呼応しながら、アボリジニの循環と再創造の時間=ドリームタイムと接点を持つことはあるのだろうか。

 

Narita〜Sydney 2
カンタスQF0022便は予定通りシドニーへ降り立った。何気なく触れた顎に、今朝剃ったばかりの髭が伸びていることに気づき、8時間の経過をようやく納得した。長い通路を抜けて、入国審査のカウンターを経て、バゲッジ・クレイムでバックパックと輪行袋を受け取った。
現在、ぼくが担いでいる機材。

輪行袋
  ・マウンテンバイク   PEREGRINE/Bianchi
  ・ヘクスレンチ
  ・ヘルメット      B35984049/Giro
  ・リアキャリア
バックパック      ROC40/MILLET
  ・GPS受信機       GPS 40/GARMIN
  ・ノートブックパソコン PowerBook Duo280c/Apple Computer
  ・予備バッテリx2     TypeIII/Apple Computer
  ・バッテリチャージャー SuperCharger II for MacPB DUO/LIND
  ・変圧器
  ・コンセントアダプター
  ・音響カプラ      XAC-1/PBS
  ・電話用ケーブル
  ・電話用変換ケーブル
  ・デジタルカメラ    DC-40/Kodak
  ・ローカルトークケーブル
  ・カセットレコーダ   TCM-80/SONY
  ・カセットテープ    AD1 120/TDK
  ・アルカリ単3電池x20   /Panasonic

飛行機と自転車の親和性について。
自転車は車輪を空気力学的平衡のレベルまで引き上げ、飛行機の誕生に少なからず関係をもつことになった。ライト兄弟が自転車技師であったこと、あるいは初期の飛行機がいくつかの点で自転車に似ていたこと、これは偶然ではない。―M・マクルーハン
ぼくはたくさんの電子ガジェットと自転車を担いで空港内を歩いている。
飛行機とコンピュータの場合。たとえば湾岸戦争で活躍した攻撃ヘリAH1は、そのコストの30%がエンジンやボディに、残りの70%は情報電子部品の装備に充てられる。
コンピュータと自転車の関係は?
今朝になってもサラサラした雨は降っている。
ホテルの玄関脇で自転車を組み立てていると、 トレンチコートの老人が立ち止まり話しかけた。 作業を止めて顔を上げると、彼の顔はやたら晴々としている。
「今日は私の70回目の誕生日なんだ」
ぼくは彼のバースデイを、そして彼はぼくの旅を祝う。
ペダルを踏み込んだ足が地面に食い込んだ気がした。踏み込む毎に一歩また一歩と、ペダルで路面にガッシャンガッシャンと楔を打ち込んでいく。靴底と路面とのあいだの見えない距離が大きかった。空から降り立ったぼくの浮足だった足をこうしてがむしゃらに打ちつけなければ、ぼくは足を地に付けられないでいた。

 

Narita〜Sydney 3
時計台に近いクラレンス・ストリートに面した建物の前で自転車をロックした。 止まない雨を避けるようにこのカフェに潜り込む。雨がぼくをピーター・ウィアーのシドニーへと誘う。都市の壁や床に染み込むその先に、アボリジニの世界を幻想してみる。観光客の層、入植者の層、アボリジニの層、あらゆる都市の地層を溶けこませながら水は地下へと流れていく。甘すぎるケーキを大きすぎるカップのコーヒーで流し込むことで、ぼくはなんとかここに留まることができる、そんな気がする。
ビジターのアカウントでメイルを何通か出した。野暮だと思ったが、メイルが届いたか確かめたくて、telnetで大学のマシンにリモートアクセスする。一瞬ためらうが、かまわず実行した。やはり重い。ウィンドウが上がるまでにケーキを食べ終わる。ログインしてからも、入力した文字が表示されるまでに不思議な時間差がある。まるで吃音のコンピュータを相手にしているみたいだ。 メイルは、届いていた。それにしても、ここで感じる小刻みなタイムラグに、ぼくは不思議な距離感を感じている。ここは日本から遠い。しかし、その一言ではこの感覚は伝わらないような気がする。たとえばこんなコマンドを実行してみる。

% traceroute cafe-gw-w.magna.com.au
出力結果を見ながら、ぼくはこのカフェが合衆国の西海岸の先に位置していることを確かめていた。大学のマシンから送り出されたパケットは、Washington、SanFranciscoという耳慣れた地名をドメイン名に持つサーバーを経由して、シドニーへやってくる。19台のマシンを経由しているあいだに東向きのベクトルはねじ曲げられ、地理的な感覚は歪みを被る。しかも、ルートは常に一定ではない。時間によって変化し得る。
% /usr/local/bin/traceroute cafe-gw-w.magna.com.au > tmp
% cat tmp
1 sfc-gw.mag.keio.ac.jp (133.27.193.20) 2 ms 2 ms 3 ms
2 133.27.2.70 (133.27.2.70) 2 ms 2 ms 1 ms
3 SFC-CISCO-FDDI.expo96.ad.jp (133.246.10.1) 2 ms 3 ms 2 ms
4 NTT-TYO1-cisco-a002.expo96.ad.jp (133.246.4.9) 5 ms 4 ms 4 ms
5 NTT-TYO2-cisco-f20.expo96.ad.jp (133.246.1.18) 4 ms 4 ms 4 ms
6 KDD-cisco1-a001.expo96.ad.jp (133.246.4.14) 6 ms 6 ms 6 ms
7 KDD-BayNtwks-fddi0.expo96.ad.jp (133.246.8.33) 5 ms 6 ms 5 ms
8 mae-east-BayNtwks-h1-1.dc.rr.park.org (204.62.248.25) 222 ms 222 ms 222 ms
9 mix-ethernet1-5.Washington.mci.net (204.189.152.97) 225 ms 224 ms 224 ms
10 core1-fddi-0.Washington.mci.net (204.70.2.1) 224 ms 226 ms 226 ms
11 core1.SanFrancisco.mci.net (204.70.4.169) 298 ms 297 ms 297 ms
12 border2-fddi0-0.SanFrancisco.mci.net (204.70.3.162) 296 ms 297 ms 298 ms
13 netscape.SanFrancisco.mci.net (204.70.33.10) 297 ms 297 ms 297 ms
14 204.70.204.6 (204.70.204.6) 499 ms 472 ms 499 ms
15 nsw-new.gw.au (139.130.249.229) 513 ms 482 ms 482 ms
16 Ethernet0.pad6.Sydney.telstra.net (139.130.249.71) 486 ms * 483 ms
17 magna.gw.au (139.130.4.42) 487 ms 488 ms 485 ms
18 c2503.magna.com.au (203.4.212.9) 490 ms 488 ms 492 ms
19 cafe-gw-w.magna.com.au (203.10.18.210) 512 ms 516 ms 522 ms
「日本」を目指すなら北を向けばいい。しかし、さっきからぼくが入力する文字は東へ向かう。シエラネバダ山脈に跳ね返されるようにして乗り越えてきたビットが、カンタスで経線上を南下してきたぼくと交わり、すれ違っていく。しかし、こうした表現も、便宜的な比喩にすぎないように思えてくる。もうひとつの地勢が立ち上がっているのだ。ふたつの地勢は、端末を介して互いに接点をもちながらも、並行して存在すると考えるべきではないか。独特な方向感覚と固有のサイトメモリーを宿したもうひとつの地勢として。
実際、吃音になったcs0.sfc.keio.ac.jpからプロンプトが返ってくるまでのあいだに、まずぼくが思い浮かべたのは、このマシンが学部入学当初はmodem4と呼ばれていたということだった。phoneやtalkを覚えたばかりのころ、ここでよく友達としゃべった。格段に速いマシンで、ここに来れば誰かに会える、そんな場所だった。しかし、そうした役目はもう他のマシンに譲ってしまっていた。
雨は降っている。その滴は次々と滴り落ちて、アスファルトの下に達しているのだろう。階段を抜けて店を出た。水滴たちは、この路面をくぐり抜け、凍結された部族の土地の記憶に触れることになるのだろうか。
もし君が、From: sweeney@magna.com.auというアドレスから送信されたメイルを受け取ったとしても、.auからAustraliaを連想して思考を止めてしまったら、少し寂しいと思う。ふたつの地勢、そうとりあえず書いてみたけれど、既にふたつということですらないのだ。ぼく自身それをすかさず複数の地勢と読み替えていかなければならない。

 

Narita〜Sydney 4
小雨のぱらつくあいにくの空模様とは、こんな感じだろうか。予定を変更してケンプシーへはバスで行くことにした。夕暮れになってぼくは、ハイドパークに程近いリバプール・ストリート沿いの日本料理店で、自転車を降りた。
今日はこの日本料理店の地下に併設されたリサイクルセンターからアクセスしている。昼間、いろいろ話しているうちにぼくのやっていることに興味を持ってくれたこの店のオーナーが、閉店後の事務所と電話を貸してくれることになっていたからだ。
さっきまで、その彼がいろいろとぼくに語って聞かせてくれていた。初めの世間話、自分が日本を出た頃のこと、僻地に住む「日本人花嫁」、世界中をさすらってシドニーに腰を落ちつけた友人。過去のことであれ他人のことであれ、そのことを語るおじさんの口元には、彼が日本を離れたときの移動への意志のようなものが今でも感じられる。また彼自身、そうした話をすることが、転がり込んできたぼくに対する一番のもてなしなのだと心得ているようにも見えた。 彼もまた、言葉を宿した移動者なのだと理解したのは、彼が席を外した後だった。
長い時間を置いて紡ぎ出される彼の物語。その物語はたどり着いた土地に適応しながら、ゆっくりと生み出された。それは彼の記憶のなかにあり、ぼくの記憶に痕跡を残して消えていく。こうした物語に触れたあとで、ぼくは自分がしていることを問い直さずにはいられなくなっている。
ぼくはいったい何をそんなに記録に残そうとしているのだろう。しかもそれほど性急に。それを不特定多数に向かって書き散らかす。移動と自分と言葉とのあいだに横たわるズレを、漸近させていったその先に、いったい何を見ようとしているのか。
階上の厨房からは威勢のいい声が聞こえてくる。ぼくは記憶と記録のあいだで揺れている。明日は晴れるだろうか。回線を落として、夜空の星で確かめたくなった。

 

Sydney〜Kempsey 1
晴れた。自転車からキャリアを外して町に出た。
ひとりのクリエが併走するトラックの荷台をつかみ、壁のような上り坂を牽引されながら、なおかつペダルを踏み込んで、加速しながら駆け上がった。自転車にはこんな乗り方もあったのだと気づかされた。危なげなく、美しくさえ見える。
今日は自転車にはもってこいの日だ。
坂と車と路駐の多いこの町には、半端な自転車乗りはいない。
この町の自転車乗りはほとんどがクリエ。肩からバッグとトランシーバーを下げて派手なウェアでオフィスに乗り付ける。そんなひとたちに混じって自転車に乗っていると、町は一気に自転車の視点で編集されてくる。大きな坂がストリートを区切り、坂の勾配とシフトレバーの位置が道を分節していく。ビルに掲げられた番地をしめす3桁の数列が、ひとつながりのシークエンスとなってスロットマシーンのように連続していく。
メリーゴーランド(merry-go-round)!
車道のなかを走る姿も様になってきたはず。ここでは下手に道をゆずったら流れを乱す。両サイドが路駐で埋まった一方通行を逆走して冷や汗をかくこともなくなってきた。非白人のクリエは珍しい存在なのか、クリエの向こうを張って走るぼくは時にヤジや声援を背に走る。
それでも自転車に乗りながら文字を入力することはさすがにできない。でも、こうしてハイドパークの芝生に腰を下ろして文章を書いているときにも、直前までの自転車で駆け抜けていたときの移動感覚が、体の中を動き続けている。ペダルを止めた自転車は慣性によってひとを動かし続け、立ち止まったぼくのなかでは移動感覚の記憶という自転車が走り続ける。
" Your body may not always get to the trails but your spirit will always ride." serfasの広告ページのコピー("free wheel"こちらの自転車雑誌から)

 

Sydney〜Kempsey 2
22時発、ブリスベン行きのグレイハウンドパイオニアバスは荷物の積み込みが既に始まっていた。ぼくはケンプシーへ行くために自転車からバスへと乗り換える。ハーバーブリッジのライトアップに見送られながら、弾丸のような軌道を走る長距離バスの座席に身を沈めた。今度はアボリジニと出会えるだろうか。シドニーではアボリジニに出会わなかったことを今更のように思い返していた。あたりは真っ暗になり、記憶が途切れとぎれになり、そしてぼくはバスから丁寧に降ろされた。
ダイナーのあるガソリンスタンド。それ以外は、周囲と見分けのつかない漆黒の闇が辺り一面に広がっている。ただそのことが気になって仕方がない。そう、きっとここでは空が圧倒的に大きいに違いないのだ。その出現を待ちながら、ぼくは外灯の光を頼りに自転車を組立始める。

 

Sydney〜Kempsey 3
ケンプシーハイスクールの数学教師、デイビッドが運転する車の助手席から。
今日は、アボリジニの生徒への教授法を開発するために、先生たちの勉強会が開かれる日だ。勉強会にはアボリジニの講師が数名招かれていた。
赤と黒のツートンカラーの地に黄色い日の丸。アボリジニたちの「国旗」をモチーフにしたヘアバンドを身に着けた女性は今日の講師だ。彼女の口から「ソングラインズ」という単語が聞こえてきたとき、ぼくはドキッとした。OHPにブルース・チャトウィンの『ソングラインズ』の一節が映し出された。
The songlines emerge as invisible pathways connecting up all over Australia - ancient tracks made of songs which tell of the creation of the land. The Aborigines religious duty is ritually to travel the land, singing the ancestors songs. Reference : Bruce Chatwin 1987 p332―配布資料
彼/女たちとのタッチアンドアウェイ。チャトウィンとの邂逅。
しかし、少し不幸な再会ではないか? 絡み合ったテキストはきれいに腑分けを済まされていた。それをどのように(たとえば偏狭な民族主義に)利用しようが知ったものか、できればそんな姿は見たくないとさえ思った。
現在、この学校にはアボリジニの正規の教員はいない。帰りの車のなかで、ハンドルを握ったデイビッドが話す。学校に適応したアボリジナルズは、みな役人か弁護士になってしまい、学校で教育に関わる者はまずいないのだと。
ぼくは黙って考えていた。彼女がチャトウィンを引いたのはなぜか。アボリジニと総称されるひとたちには、300とも500ともいわれる部族=言語集団がある。そのなかで特定の部族に属する誰かが、Aranda族やLarrakia族から離れて、アボリジニやソングラインズを語ることの困難さは想像できる。けれども、マルチ・エスニシティを標榜するオーストラリアの政治で、彼女はアボリジニとして、たとえば予算を獲得していかなければならない。アボリジニでなく、さらにオーストラリア人ですらない、チャトウィンが書いたアボリジニを用いることが、各方面丸く収まる最大公約数なのかもしれない。それとも、会場に集まっていた白人に対して説明するのだから、親切心に白人の書いたテキストを使ったまでのことだったのか。

 

Sydney〜Kempsey 4
南緯31°02.170'、東経152°55.236'。まだ日の強くなる前のデイビッドの家のデッキに出て、ぼくは現在位置を確認した。
GPSレシーバをハンドルにセットして、ぼくはベダルを踏み込んだ。のっぺりとした牧草地帯がどこまでも広がっている。通り過ぎる馬や牛たちの顔は、どこまで行っても同じ顔に見えてしまう。ぼくにとっては未だ分節されることのない未開の土地。そんな道路の脇にぽつりと立てられた小さな表示板に書き込まれたこの土地の地名はオースラル・エデン。
GPSレシーバを移動地図表示へ。まっさらなマトリクスのなかにぼくの位置が書き込まれていく。ドットとしての現在位置が連なってラインが描かれていく。後ろを振り返ることなく自分の足跡を見ながら前進する。移動することが即ち記録することであり同時に表現行為であることの心地よさ。地図を拡大していくと、ペダルを踏み込む毎にドットが生まれ記録されていく。分かれ道にさしかかり、ハンドルを大きく切った。方向転換。すると移動地図のなかにぼくが描いてきた道も大きく旋回し、印象が大きく変化した。人生における方向転換もこんなふうに自分が背負ってきたことの意味付けを大きく変えてしまう行為なのだろうか。
面積を持たないドットが集まってラインをつくる。世界はこのライン=ソングラインとともに始まる。移動の刻まれる暴力的なラインによって、分断され意味づけられて、記憶と記録のなかで編集が開始される。ラインによって分節されることから、世界は何度も再開される。今、ぼくが旅をするときに必要な地図は、既製の情報が横溢する地図じゃない。油断すれば直ぐに凡庸なイメージに回収されそうになるこの世界を、ひとたび移動そのものへと、数学的な抽象性へと還元するためのメディアなのだ。
アボリジニたちは「土地は歌われるまでは存在しない」のだと考える。巡礼の旅に出かけ、歩きながら歌を詠い、そのことで原初の創造を再創造する。もしかしたら、GPSレシーバとともに歩くことによって、既に知っている場所ともう一度出会うことができるかもしれない。無意識に形作られた認識の枠組みに、再度意識的に対峙できるかもしれない。
ぼくは大きく赤い樹の根本にたどり着いた。ぼくは自転車を降りて、その遠くからも見える大きな赤い葉の樹に名前を付けた。
南緯31°04.770'、東経152°49.93'。waypoint name "RED KING"。

 

Kempsey〜Alice Springs 1
ケンプシーからアリススプリングスへ。デイビッドの家からバスストップのあるガソリンスタンドまではスーの運転する自動車。それから長距離バスにのってシドニーへ。雨のシドニーを自転車で走り抜けて空港の国内線ターミナルへ。そこから空路アリススプリングスへ。
成田から着いたばかりのときはあんなにもたついていたのに、いつのまにか、荷物のパッキングも自転車の梱包もインターネットへの接続もスムーズに出来てしまうようになった。必要な時間も短縮された。バスターミナルに着くと10分たらずで35km/hを持ったまま100km/hを越えるスピードに身をゆだねている。電話ボックスを見つけると、音響カプラをセットしてConfigPPPをOpenした。乗り換え繋ぎ換えに必要な作業が身体化されたからなのか、ぼくの記憶は速度の転換のともなうつなぎ目がきれいに編集を施されている。ぼくは減速することなく世界を乗り継いでいた。そのシークエンスの流れに『夢の涯てまでも』の場面展開を思い出す。彼らも慌ただしく、しかしコンピュータネットワークを利用しながら、楽しげに移動を重ねていった。そして、クレアもぼくもオーストラリア中央部にたどり着く。
アリススプリングス。ブルースチャトウィンの『ソングラインズ』はこの町から始まっていた。ノーザンテリトリー。そこには『緑のアリが夢見るところ』があるという、アボリジニの人口比率がとりわけ高い地区。そのアリススプリングスはもうすぐだ。
窓から見える景色は、一面赤褐色の地表面。気分が一気に昂揚する。

 

Kempsey〜Alice Springs 2
まずは、現在位置を確証するべきなのだと思う。自分はどこにいるのか、どんな立場に立たされているのか、それさえ見誤らなければたいていの試行錯誤はうまくいく。ただ、ぼくたちは往々にして現在位置の把握が苦手だったりするに違いない。
直射日光の下で起動されたGPSレシーバは、コールドスタートだったため、衛星を捕捉するためにいつまでも上空をサーチしていた。もちろん、空港から市街までは一本道だろうし、道路標識も整備されているのだけど、ぼくはレシーバが4つの衛星を捕捉するのを待ちながら、雲ひとつない淡い空を見つめていた。そこにはぼくが交信する相手の面影は微塵もない。大気中に降り注ぐたくさんの電磁波に想いを馳せることのないひとの目には、とても奇妙な光景にちがいない。
『緑のアリが夢見るところ』では鉱山会社の雇われ地質学者のランスがアボリジニの歌の伝承者のひとりと印象的な会話を交わすシーンがある。赤褐色の背景のなかにたたずむ歌の伝承者の脇でランスは問いかける。「人間が一本のロープで樹からぶら下がっているとする。このとき人間の位置を固定するには、あと何本ロープが必要か。これは3次元空間で物体の位置を固定させる問題だ。答えは、あと一本ロープがあればいい。それで人間は動かない。では、この地球の位置を決めるにはどうすればいいだろう。この問題は難しい。なぜなら、宇宙では全てが動いているからだ。ロープの端はどこに結べば良いのだろう。」歌の伝承者はゆっくりと口を開く。「あなたたちは何も分かっちゃいない。あなたたちには思慮も目的も方向もない。」
アリス「ここから私、どっちの方向に行けばいいのか教えてくださる」
チェシャー猫「そいつは、君がどこへ行きたいかによるね」
ルイス・キャロル
工学的な意味でのナビゲーションにおいて、目的地は所与のものとして系の外から与えられる。このGPSレシーバもその末裔だ。ここではぼくは地球上の一意の点として還元されていく。それは決してここではないどこかで起こっていることではない。ナブスター衛星は地球上約20,200km上空にあっても、そしてサーバーマシンのハードウェアは日本に設置されていても、全てがここで起きていることだ。時間と空間の錯綜した編み目のなかで、「ここがどこなのか」という問いに答えるために必要な行為、それは既存の地図を焼き直すことではなく、ここでの移動の記憶を歌い物語るということなんだとぼくは思う。
そもそも、アリストテレス以来、二〇〇〇年にわたって空間の概念は破産しつづけているのだから。

 

Kempsey〜Alice Springs 3
暑い。日没を気にして走り出していた。どれくらい走っただろうか、何もない三差路に立てられた緑色の横長の標識に「アデレード」と書かれているのを発見した。アデレード、南極海、ペンギン、オゾンホール、本当にそこまで続いていけるのだろうか、この道は。
道はとてもなだらかに弧を描きながら、岩肌の峰のあいだを突っ切っている。ぼんやりと前を見ながら進んでいるうちに、風に流されてときどき何かの像を結んではとかれていく雲のように、峰のかたちが動き始めた。
左手前方の大きい方がクジラの形に似てきたぞ。右はカキ氷だ。左手の小さいのはどうやらクジラの子供。そいつが未だ見たこともない雪や氷について親に質問している。そして右手にはカキ氷。そんなイメージが像を結んでいたのは一瞬だった。しかし、その残像を見ているあいだに、岩肌は両脇に迫り、そして通り過ぎてしまった。こうして景色の地のなかから3点を一意に決めることができる図をすくいだし、物語のプロットとしてそうした図を束ねていってできる絵本がナビゲートする旅の可能性というものを考えてみる。
道路は鉄道の線路と並行して走っている。列車が走ってくるようには見えないが、道路をロードトレインが走る。引き込まれそうになりながら、これはジャリの一万マイル競争だと思った。パリも日本海もトランスシベリアも、さしあたってこことは関係ないけれど、さあ、黒人自転車乗りに倣って、ぼくらも脚の動きに調子を合わせて口ずさもう、
トゥインクル・トゥインクル・リトル・スター……星が流れて、更新確認。接続を終了。そして周囲を満たす物質たちのフェイズのスイッチ。こうした抵抗感を交互に切り替えながらつづく移動。このスイッチングの感覚が、けっこう楽しい。
本当は、こんなガジェットにまみれなくても、アルコールやドラッグを体内に取り込まなくても、もうひとつの他の何かと接続することができるような気がする。たとえば、ドリームタイムに接続することが。
シャットダウン。バックライトが消え再び鈍く黒光りするフィルターつきの液晶ディスプレイの上には、赤くてとても細かな砂塵が、うっすらとその姿を留めていた。

 

Alice Springs〜Katherine 1
昨日はブッシュタッカー・ツアーに参加した。あれが食べられる、それは役に立つ。口早にしゃべるガイドの解説を追っているうちにツアーは終わってしまった。そんななかで、ブッシュウォークの途中であらわれた男がデモンストレーションで投げたブーメランが、見事に真っ直ぐ飛んで、薮のなかに消え去っていったことが印象に残った。この土地ではカーリと呼ばれ、こん棒から発達したと解説される武器は、旋回して戻ってくる素振りなんかこれっぽっちもみせなかった。それから帰りがけに、部族の男の子がぼくの持っていたデジタルカメラで写真を撮ってくれた。これは、ひとりで旅をしているぼく自身の貴重なポートレートになった。
アリススプリングスは一方で薄っぺらな観光地としての顔を持ち、もう一方でアボリジニの歴史の皺を刻みこんだ顔を見せる。今日は、白人と観光客たちの能天気な観光バザーが行われている隣のブロックで、アボリジニの禁酒集会が開かれている。マイクを握る男は大統領選の予備選でも戦っているのかと思わせるほどのパフォーマンスぶりだったが、どうもこうした場所にたいする耐性がぼくには欠けているようだ。



ぼくはビラを手にその場を離れた。
飲酒の習慣によって、ふるきよき時代のひとびとが伝える物語が滅びつつある。その物語は旅と冒険の歌でもある。もしかしたら、居住区に囲い込まれることで制限された身体的な移動の代償として、アボリジニたちも飲酒によるマインドトリップへと向かっているのだろうか。
そういえば、近代ツーリズムの創始者トマス・クックは禁酒運動の強力な推進者だった。トマス・クック社は、工場に縛りつけられて地元のパブで気晴らしをするしかなかったひとびとに対して、彼らにも可能な旅のスタイルと、それをサポートするシステムを提供したのだった。

 

Alice Springs〜 Katherine 2
アリススプリングス・パイオニア・ホステルの受付デスクから。
これまで何度かユース・ホステルには泊まってきけれど、インターネットに接続するために電話線を使わせてくれたところは、ここが初めてだ。シドニーのユースはFAXの送受信サービスが記載されていたりするのに、パソコンを繋ぐことは「前例がない」という理由で断られていた。だから、あまり期待もせず、交渉を開始した。
気がつくと実際にパソコンを見せたりしながら、インターネットについて無茶苦茶な英語で解説していた。それは、コストの話を相手に理解してもらう必要があったからで、日本のサーバとやり取りするのに国際電話をかける必要はないこと、オーストラリアのプロバイダーからの請求はぼく個人の口座から引き落とされること、なぜなら……こんな具合だった。ここまできて、村井純先生の授業を思い出している自分が滑稽で、インターネットのにわか道化師兼エバンジェリストになった気分だった。迫り来る難関への期待とは裏腹に、彼女はあっさりオーケーしてくれた。「今日は電話もかかってこないみたいだし、10分くらいなら話し中でも大丈夫でしょう。でも、これ特別よ。」
そうだ、せっかくだから、調子に乗ったついでに、彼女の写真を取り込んで、ウェブに載せるデモをやるのはどうだろう。デジタルカメラで彼女を撮って、パソコンの画面で見てみよう。彼女は奥の部屋の友人に声をかけて、早口でしゃべりながら、画面をのぞき込む。「編集も簡単にできるんだよ」とあいだに割って入り、Photoshopのエフェクトをかけては、みんなで大笑い。ペンツールで落書きを書いて見せてから、「まだ、名前を聞いていないから」とマシンを差し出し、彼女の写真の上にトラックボールでサインをお願いした。
一眼レフでファインダー越しに世界と一人で向き合うときとは異なる写真術もあるのかもしれない。メディアと絡めたアボリジニの調査を行ったエリック・マイケルズはCooperative Photographyなんだと言っている。アボリジニたちを被写体とするとき、そのひとたちが自分のイメージが記録されたり公表されたりすることに対してどのような考えをもっているのかに十分配慮しなければいけない。そのためには撮影後に利用方法について話し合うことも必要だし、さらにはそのひとたちと協力して写真をつくっていくことも考えられる。撮影者の眼と接続されたファインダーには、被撮影者の承認が入り込みにくい。それどころか銃口のようなレンズへ拡張された眼は相手を射抜くことさえある。 マイケルズの議論は液晶ビューカムやQV-10の登場を待っていたかのようだ。反転する液晶ディスプレー上に、共有された情報空間が立ち上がり、その場で交差する視線が組み変わる。撮影者と被撮影者のあいだの批評的な空間を、そこに見いだすこともできるはずだ。

 

Alice Springs〜Katherine 3
自転車を壁に立てかけ、その脇の壁がつくる日陰にしゃがみ込む。バックパックから取り出してディスプレイを開くと、起動前のスクリーンに自分の顔が映った。こうして繰り返しテクストを書き始める度に、自分自身の外在化された思考に搦め取られそうになるのに、こうしてここまで書き進んでこられたのはぼくが移動の直中にあるからかもしれない。
ディスプレイに映るぼくはサイバースペースへと移る。
公衆電話の受話器に音響カプラをとりつけ、音漏れを防ぐために梱包資材で密閉して、カードを挿入。
Open
自分を取り囲む物質が、脆くて鋭い感じの抵抗感をもたらす乾燥地帯の大気から、もう少し粘性の高い何かに変わっていく。
犬が走り終わると、ホームページ更新のためのデータ転送終了。星が流れて、更新確認。接続を終了。そして周囲を満たす物質たちのフェイズのスイッチ。こうした抵抗感を交互に切り替えながらつづく移動。このスイッチングの感覚が、けっこう楽しい。
本当は、こんなガジェットにまみれなくても、アルコールやドラッグを体内に取り込まなくても、もうひとつの他の何かと接続することができるような気がする。それが、ドリームタイムだとは思わないが。
シャットダウン。バックライトが消え再び鈍く黒光りするフィルターつきの液晶ディスプレイの上には、赤くてとても細かな砂塵が、うっすらとその姿を留めていた。

 

Katherine〜Darwin 1
小さな橋の下に、流れる水が見える。
キャサリン渓谷国立公園のキャンプ場まで道は一本道で、遮るものは何もなかった。休もうにも日陰が無い。その上、湿度が上がってきていた。川は小さく浅かったが、水は澄んでいたし、川底はきれいな砂底だ。まず、手で触ってみる。それから砂のなかに手を入れてみた。思った通り砂のなかは冷たかった。素足になって川底へ足を降ろす。両足を揺らしながら砂に沈めると、砂が舞い流れにのって流されていく。固まった身体が素になって、ポロポロとくずれて、足先の方からサラサラと川の流れにのって川下に流されていく。
上流を見たのは、そこから白い鷺のような鳥が飛び立ったからだ。どうやらじゃまをしたらしい。木々のあいだに主のいなくなった川面がパックリと口を開けていた。
この川を遡上しながら太古の歴史を探るというアイデアが想起されたが、かつてチャールズ・スタートやJ・マクダウアル・スチュアートたちが探検したその先を、ぼくは既に空から確認済みだった。ここを遡っても何も太古の昔に遡ることはないのだ。「彼ら」にとってもそこは、かつては住んでいたことのある場所になってしまった。
キャンプ場にテントを張り一眠りした。外は静かだったが、ときどき音がするので野犬だと思った。ファスナーの隙間からのぞいてみると、沢山のワラビーがまわりをとりまいていた。食事中なのだろうか。なんだか沢山いすぎて、何を考えているのか検討もつかなかった。暗闇のなかのいくつもの目がムーミンのニョロニョロを思わせた。「カンガルー袋のなかさわってきてよ」なんてメイルが届いていたことを思い出した。感電するだろうか。もしかしたら寂しがりやさんのE.T.みたいにぼくと友達になりたいのでは。 だったら触ってみる? 一番近くのワラビーと目があった、ような気がしたその瞬間、そいつらは一斉に背を向けて飛び跳ね去った。
今日は日が高くなる前にキャサリン市街にもどろう。なにもわざわざ炎天下を走る必要はない。少し明るくなったら売店のそばの公衆電話からアクセスだ。シドニーのコンピュータショップの店員は「音響カプラは、もう5年は見たことがない」と言っていた。しかし、たとえば携帯電話のエリア外でも公衆電話のあるところは多いわけで、そんなときには音響カプラも役に立つ。
それはいいんだけど、バッテリーは厳しい。ソーラーパネルでも持ち運ぼうか。

 

Katherine〜Darwin 2
キャサリン渓谷から市街へ。気温の上昇もそれほどではなく、ペダルを踏み込むぼくはアスファルトの一本道へと重なっていく。桃色鸚哥の群が脇から飛び立ち、一瞬併走して視界から消えていった。
トップエンドへ、ダーウィン行きのバスのなか。4時間遅れの出発だった。 はじめ、それは1時間ほどの遅れだとアナウンスされた。だから、バスの待合い室からそれほど離れるわけにもいかず、そういう理由だけで言葉を交わした女の子といつまでも話すことになった。こんなときにはなぜかとても素直に話せるようで、それは気まずい沈黙を避けるためというわけでも、2度と逢うこともないだろうから無責任になれるからというわけでもなく、それでもやはりいつまでも話し続けた。
オーストラリア大陸が歌の道で覆われてるって知ってる? アボリジニたちは、かつて祖先が旅して歌に詠んだ道を、同じように歌いながらたどるんだ。いや、祖先から歌を受け継ぐことによって、この大陸を旅するためのコンパスと地図を得るんだと言った方がいいかな。移動し続ける者としての自らの存在を、物語として記憶/記録し、歌うことによって表現する。移動と記録と表現が限りなく一致していることに心地よさを感じるんだ。ぼくもね、自分なりのやり方で移動しながら、その記録と表現を平衡しながら、生きていけたらいいな、って思うんだ。そのときにインターネットとGPSが役に立つような気がしてるんだ。インターネットっていうのはね……また、やっちゃった。彼女にどこまで伝わったのか分からない。自分に言い聞かせるように話し続けたような気もする。ただ、それに応えるように、彼女も自分のことを一生懸命話してくれた。
通路を挟んで同じ列に座った彼女は、眠っているのか外を眺めているのか。流れる景色が黄昏ていく。ダーウィンに着けば、アボリジニのふるさとと呼ばれるカカドゥ国立公園まで、もう一足。けれども明朝5時のフライトで、ぼくは成田へと向かう。
カカドゥへの未練を断ち切るようにつぶやいてみる。「アボリジニ」なんて何度も「絶滅」しているんだから。1876年、タスマニアン・アボリジニは絶滅を宣言された。1983年に出版された本のタイトルは、"THE LAST OF THE NOMADS"だった。今更のように聞こえるかもしれないが、自分たちをアボリジニと総称する人たちは端からいなかったのだ。だから、ぼくがアボリジニと出会えなかったからといって、心配することはないのだと考えてみる。
今でもアボリジニたちは歩いている。アリススプリングス郊外の公園でも、キャサリンのロードハウスの周辺でも、たくさんのひとたちが通り過ぎていった。そのひとたちは、どこからともなく視界に現れては、近代都市計画がお行儀よく敷設した舗装道路など気にとめない様子で、歩いていった。ある時には交通量の少なくない幹線道路を大きく斜めに横切り、駐車場の脇をかすめながら、公園の遊歩道を外れて柵の外へと向かい、歩き続けた。数時間眺めていれば、でたらめに歩いているわけではないことは確信できた。そこへシャッターを開放してカメラを向ければ、歩くひとたちによってフィルムに線が刻まれるに違いない。ただ、それがオーストラリアを覆うソングラインズのフラグメントなのか、それともただの近道にすぎないのか、ぼくには分からなかった。
立ち止まって眺めている限り、ぼくは歩いていくひとたちに声をかけるタイミングを見つけられそうになかったし、歩いていくひとたちは座っているぼくに興味を示すことはなかった。座っている旅行者の前で立ち止まるのは、2ドルをせがむ子供、ビールとニコチンの混ざった体臭のするアル中、たかり、警官。 バスはきっかり4時間遅れでダーウィンに着いた。彼女が泊まる宿にバックと自転車を預けて、ぼくらは夜をぶらついた。ようやくたどりついたダーウィンにビールで乾杯した。彼女が写真を撮って欲しいとカメラを差し出した。オーストラリアに滞在期間中、その日会ったひとに自分の写真を撮ってもらい続けているのだという。
ぼくは空港で搭乗を待つことにして、ダーウィン市街を後にすることにした。深夜に初めての道を空港まで自転車で行くとのだと知ると、彼女の方が心配そうな顔つきになった。見送られるのは苦手だ。ここまで一緒に旅してきた予備の単3アルカリ乾電池のあまりを彼女に引き取ってもらい、彼女とさよならをした。

 

Katherine〜Darwin 3
ダーウィン空港にて。
落雷の稲光に照らされながら空港へ向かう。途中職務質問一回。ロビーにたどりついたところで、スコールになった。時間には十分すぎるくらい余裕があった。搭乗を待つロビーは閑散として奇妙に明るい。これで最後のアクセスだろうか。

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ダーウィン、メルボルン、シドニー、サンフランシスコ、ワシントン、トウキョウ。マシン=サイトを通過していくときにIPパケットから生じるこだまをとらえる電子のブーメランがディスプレイ上に描き出す文字列のなかから、これらの都市の名前をすくいだしてならべてみる。インターネットのルーティング情報という、本来ならば物理的な回線の一部としてしか見ることができないヴァーチャルな道を、アボリジニと行き違ったこの旅のリハビリとしてフィジカルに歩き直すというアイデアが浮かんでは、そうした思いつきを繰り返すことにどれほどの意味があるのだろうかと反問される。
大粒の雨。自転車をバラしていると、どこから現れたのか、空港の清掃員らしい男が話しかけてくる。「雨期は毎晩大雨、乾期は暑すぎて、ここで自転車に乗ってるのはよっぽどの変わり者だな。」
ブルース・チャトウィンは『パタゴニア』のなかで宗教を聞かれて、「僕の神様は歩く人の神様です」と答えていた。ぼくならそこを「自転車に乗った人の神様」と言うべきだろうか。むしろ「神様は自転車に乗っている」のではないか。
ペダルに足を接続するとき、それが最初のジャック・インだったに違いない。 ツウ・クリップに足を入れストラップを締めたとき、一瞬よぎる恐れを振り切って、ベダルを踏み込む。地に足が着かないことの不安と浮遊感とが、加速度によってスピードの快楽へと変わっていく。ぼくは、接続されることを選択したのだ。この接続から分離する度に再び接続を選んできた。ところが、いつかは減速し自転車を降りなければならない。降りないわけにはゆかぬのだろう。そのとき転ばずに降りられるようになるために、ぼくはどれくらい転ぶのだろう。
だから、それは知覚と旅行でなければならなぬ。対象は、それとのあいだにあなたが見いだす真の関係によって、他の対象やその他多くの対象へとあなたを導いていく。そして、この川の渦巻きは、あなたの思考を風にまで、雲にまで、惑星にまで運んでいく―アラン
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