MOON
OF
TURQUOISE
 ウシュカキュ(押角)、カッチュラ(勝浦)、ティン(戸円)・・・。奄美の地名は、漢字による当て字を思いきって離れた、繊細な音の世界のなかに深い内実を抱え込んでいる。しかも、文字から離れて音の類似をたどってゆけば、押角は宇宿に通じ、戸円は手安に通じる。島の東西南北に遠く離れた二つのシマ(集落)が、純粋に音として隣り合っている。だからここでの私のシマ巡りは、オト巡りという耳の冒険にかわる。
 奄美大島南部、明るい入り江に広がる白砂の汀がまぶしい網野子という小さな集落。「アンミョホ」、とシマンチュは自分たちの村を呼ぶ。「ホ」の音はノドの奥がかすかに擦れるハングルの「ホ」の音に近く、東京より近い朝鮮半島の声の木霊が波音に混じる。海に面した広場にはガジュマルの巨木がある。私は、その根元に祀られているというシマ建て神の丸石を求めてやってきたのだ。広場には七〜八名の聖老人たちが椅子に腰かけ談笑していた。翁の顔に深く刻まれた皴が珊瑚砂のような濃淡を湛えて逆光に煌めき、媼の柔らかい掌がふとみると傍らの丸石を摩っている。彼女の腰のあたりに、なにげなく転がった大きな丸い石が、摩られるままに、ガジュマルの木洩れ日を受けて微笑している。カヌシャマジャンガヨー、タダヌチカライシット(神様だけれども、ただの力石ですよ)・・・。私の問いに含羞み答える媼のシマグチの断片が、そんなふうに聞こえてくる。青年たちが成人儀礼にもつかう力試しのための大石。人の手に摩(さす)られ、風に撫でられ、潮や雨により風化しながら、なおも丸みを丸みとして残す石。これをいまも無意識に摩りつづける媼の魂は、御神体としての石にむけられているというよりは、摩るという行為そのものの触れ合いの感触に向けられている。手のひらで、かすかに進む摩滅という自然の持続だけが感知され、その持続の上に人が生きる時間がひろがる。摩る人は、時によって摩られる人でもあった。  
 2004年1月 RYUTA IMAFUKU

写真:奄美大島、網野子集落のイビガナシ(丸石)に触れる山口昌男。その体の影の彼方、伊須集落の浜を永良部三絃を持って歩く今福龍太。二重露光撮影は濱田康作。2003年12月24日。