MOON
OF
TURQUOISE


コロポックルの悪戯か、ギリヤークの祟りか、はたまた石狩川の鮭の精霊が課す厳粛な通過儀礼でしょうか・・・。この北の島にいかなる前世からの因果がめぐっていたのかはいまだ不明ながら、2月6日突然、体を支えるべき腰椎に失調を来たし、入院となりました。左脚に激痛が走って立つことはおろか、坐ることすらできないという症状はまさに突然の異常事態でしたが、すでに数ヶ月前から感じていた奇妙な左半身の神経痛の兆候に端を発していることはまちがいないと思われました。自由な身体機能を、神経系の痛みという要因によって根こそぎ奪われるという未知の経験は、自分自身というもののの身体的組成をあらためて、いやようやくはじめて本気で考える機会ともなりました。

現代医学による明快な科学的診断では、腰椎最下部の椎間板の髄核のはみ出しが左下肢への太い神経を圧迫している、いわゆる「椎間板ヘルニア」の一タイプということになります。MRI(磁気共鳴画像診断装置。今回のはGeneral Electric社製の最高機種Signa Horizon 1.5Tというトンネル状の磁気スキャニング装置で、軟骨や神経組織がすべて明瞭に映像化される)によるイメージでも見事にヘルニア部分の飛び出しが映し出され、診断にたいしては「ハハー、ゴモットモ!」と納得するほかはありません。ですが、疾患の部位と痛みの系統とが大きくずれ、しかもその下肢の疼痛はこれまでに感じたどのような痛みの感覚ともちがっていることが、私の身体意識を不可思議な領域へと誘っていきました。身体的苦痛を媒介にして、医学的リアリティの彼方にある、自己の身体の歴史性のようなものに気がついたというべきでしょうか。すると、すでに失われた足の先にいまだ痛みを感じるという「幻肢」(Phantom Limb)のありようが、急に身近なものに思われてきました。 [これについて詳しくは、ベッド上で書いた過激な思索がサッカー雑誌『Calcio2002』(毎日新聞社)の次号(3月上旬発売)に掲載されますので、時間があったら立ち読みでもしてみてください]

ともあれ、入院後はひたすら安静にして横になることしかかなわず、ついにベッドの上で短い2月が終わりました。楽天を決め込む性分はそう簡単には萎えませんが、それにしてもすでに3週間を超える身体的不活動の日々は、精神に深い閉塞感を与えます。頭脳の働きだけが取り残されたように活発化し、服用する鎮痛剤の影響もあるのか、読む本や眺める写真、聴く音楽が、通常のディメンションをはるかに逸脱して受容されます。ベッド上でのトリップというべきでしょうか。

とりわけジェイムズ・ミラー『ミシェル・フーコー/情熱と受苦』〔筑摩書房)はこの3週間に病室で読んだ本の中では超弩級の爆弾であり、めくるめくような啓示を随所で与えてくれました。ほとんど毎ページに感覚と思念の発火が仕組まれています。同性愛、快楽、苦痛、麻薬、陶酔、死の経験を肉体を通して内化しながら凝縮した思考を紡ぎだしていったフーコーの人と思想を、これほどまでにフーコーの「思考する身体」に直接依りながら、一片のプリテンシャスな現代思想的ポーズもまじえずに描ききった作品はありませんでした。巻末註だけでも2段組90ページあるのですが、この註だけを冒頭から読んでいっても、まったく飽きることがありません。徹底して個人の嗜好に関する具体的事実が、普遍的な思弁をこれほど痛烈に要請するとは思いもよりませんでした。フーコーについての書物であるにもかかわらず、ドゥルーズについての、アルトーについての、そしてニーチェの思想についての、短いながらも輝くような描写もあります。下肢にひそむ悪食の獣が吹きかける邪悪な息に似た疼痛に私自身が晒されながら、受苦(passion)という至高の痛点にむけて身を投げ出していったフーコーを追体験するのは、スリリングな、しかし精神にこたえる読書経験でもありました。

さて、この間料理人の献身的な努力もあって、私の入院中にかえってCafeCreoleの更新は進みました。私も病室を発信地として多くの新しい素材をサイトに流し込みました。生まれ故郷の列島の一角に一時帰還した畏友コヨーテ=管啓次郎も、「コヨーテ歩き読み」および「翻訳と放浪」という軽快な新コーナーを開いてますます健筆です。海外からのアクセスの展開をめざし、英語版ブラウザーでも文字化けのないページを提供するために、英語コンテンツに限定して編集されたもう一つの入り口"Cafe Creole bis"も新たに増築しました。ここにも次々とオリジナル素材が登場します。cybercreole cuisineの拡充が遅れていますがもう少しお待ちください。「カフェ」と名乗るにふさわしい、とびきりの料理を提供するには、少々材料の仕込みに時間が必要なのです。私の連載論考「シェイクスピアと"Americas"」もまもなく特集コーナーに掲載を開始します。春の到来に向けて、新生CafeCreoleはいよいよ街路に椅子とテーブルを並べ出しはじめたのです。

March 1999
今福龍太

 

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