Cafe Creole / message board at homeless 001
ねえ、「ゴルフレングス」ってなんだと思う? 先日、ユトレヒトで暮らす友人から送られてきたメイルのなかに意味は分からないけれどおもしろそうな言い回しを見つけた。......it seems we are on the same golf-lenght, huh, even if so far distanced from each other! 「離れていても心は同じ」くらいの意味だろうかとあたりをつけてみたが、golfという単語がとても気になった。
このゴルフへの好奇心が、マスターによる『スポーツの汀』によって触発されたものであることはまちがいなかったが、そこには「良き人生の半分はゴルフだ」というなぞかけのような話を太平洋に臨む森の小道で聞かせてくれたカフェの常連でもあるコヨーテさんからの影響も少なからず存在していた。そんなわけで、それがゴルフにちなんだ慣用句だとすればそこにはゴルフの意味世界を広げてくれるなにかあるに違いないと勝手に思い込み、あれこれ辞書を調べてみた。だが、どこにもそれらしきことは書かれていなかった。それで、書いた当人にメイルで聞いてみることにした。
届いた返事をを読んで、分厚い英和辞典を引いていた私は、自分の想像力の貧しさを恥じることになる。はじめに書いたように、それは友人が現在暮らす場所で使われる言葉=オランダ語だったのだから。このちいさなノイズの混入にたいして、かえって友人のほうが自分の口が滑った(この場合、より正確には指が滑ったと言うべきか)ことをわびていた。しかし、そうした可能性を考えもしなかった私にとってこのことはちょっとした驚きだった。
最寄りの書店で一冊だけ置いてあったオランダ語辞典を見つけ、そこにgolfというエントリーを探し当てて私は今一度驚いた。もちろんスポーツのゴルフも英語とおなじ綴りだが、golfとはオランダ語ではwave=波を意味していた。だからon the same golf-length=on the same wave-lengthで「波長があう」とか「気があう」ということになるのだろう。しかしそれよりもなにより、波を読むサーファーの身ぶりを汀を軸として陸の側へと反転させることで立ち上がる原-ゴルフの風景=リンクスランドをスポーツの汀で知ることになった私たちにとっては、その風景がオランダ語のなかに見事に保存されていることに偶然以上のなにかを感じとり、その奇妙な一致の発見にこそ驚かずにはいられないのではないだろうか?
このさいオランダ語の語源に立ち返ってその根拠を探し求めることは問題ではないだろう。ヨーロッパ大陸の港として大海原へと/から人や物を送り出し/迎え入れつづけた、忍び寄る潮の高さにあらがうことによってその国土をなんとか保ちつづけた、そうした海と陸とのはざまにオランダ語があったという歴史にひとまず身を浸すことができればそれで十分ではないか。汀やアーキペラーゴ、さらには穴やトンネルといったアンダーグラウンドをめぐって展開できるはずのこの世界へ向けられた批評的言説は、そこからゆっくりと浮上させればいい。さて、もしあなたにもそう思えるなら、今度気の合う仲間と出会ったときには、私たちも口を滑らせてそう言ってみようよ、We are on the same golf-length!
Kazuki MIYATA
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Sat Jan 31 14:24:41 JST 1998
管啓次郎 ( aloha@u.washington.edu )
「トントンの時間漂流」、まだはじまったばかりですが、おもしろく読ませていただいております。みずからを「おじさん」と呼ばせる父親も、この「父性の復権」の時代にあっては新鮮ですね。新鮮といえば、昨年夏、ほとんど10年ぶりに会った友人夫婦にはびっくり。父親は絵描き、母親は音楽家なんだけど、3歳のその息子は父母のことをファーストネームで呼ぶんだよね。もうこのままいく、とのこと。日本ではそういうのは、縄文時代以来、なかったことかもしれない。(別に縄文時代はそうだったというわけではないが。)
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Sun Feb 1 19:58:08 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
しばらく間があきました。話がはずんでいますね。はじめてホーム・ページのURLを書き込めました。慣れぬ手つきでホーム・ページ・作成ソフトを使い、ファイル転送ソフトの使い方が最初は分からず、ずいぶん時間がとられました。(いずれはHTMLのタグを打つやり方もマスターしたいのですが、手がまわりませんでした。)でも、やっとできました。網野善彦(日本中世史)さんの講演会に間に合いました。(大阪府・高槻市にてやります。)上海にいる知人のフィル・ビリングズリーさんの「上海からの手紙1〜3」も載せていますので、一度、寄ってやってください。今日は、先月に見た、印象深かった映画のことを書きたかったのですが、時間がありませんので、(偶然ですが、今、網野さんから電話がかかってきまして、講演会の打ち合わせができました。)購入した本を書き込んでおきます。この間、ホーム・ページ作成に手間取り、本そのものはほとんど読めていませんが、イライラしたり、ヒステリーを起こしたりしていた時、その解消に本を買っていたようです。注文していたカレン・テイ・ヤマシタ著『熱帯雨林の彼方に』(白水社)とマルシオ・ソウザ著『アマゾン皇帝』(弘文堂)が到着。ルイス・セブルベダ著『パタゴニヤ・エキスプレス』(国書刊行会)、田澤拓也著『ムスリム・ニッポン』(小学館)、佐藤真著『日常という名の鏡〜ドキュメンタリー映画の界隈〜』(凱風社)、『荒木経惟文学全集・東京情事』(平凡社)、ジョナサン・リットマン著『天才ハッカー「闇のダンテ」の伝説』(文芸春秋)、浜野保樹著『極端に短いインターネットの歴史』(晶文社)、菅原孝雄著『デジタルメディアのつくりかた』(晶文社)。行きつけの古本屋さんで、グギ・ワ・ジオンゴ著『精神の非植民地化』(第三書館)、工藤美代子著『工藤写真館の昭和』(朝日新聞社)。購入雑誌「月刊百科・98/2」(網野善彦の世界)、「季刊・本とコンピュータ・第2号」、「季刊・本とコンピューター・第3号」、「インパクション・106号」(特集・現代・新・保守主義を読む)、「現代思想・98/2」(特集・身体障害者)、「思想・98/2」(特集・国民化とはなにか)、「彷書月刊・98/2」(特集・震災3年・神戸の古本屋)。では、次はかならず映画のことを話します。
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Sun Feb 1 23:21:15 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
今日は、二回目の参入になります。今日一日、ホームページに新しい文章を入れたり、メーリングリストに網野さんの講演のメッセージを入れたり、このボードに久しぶりに書き込みをしたりして、あっという間に一日が終わりました。一杯飲みたいなーと、日曜日なので、いつも行く店が開いていないので、「四万十」という店に入りました。店のシュチエーションは、「四万十」と言うだけあって、なかなかおいしい食材がそろっている。ここで、食べたものの名前が浮かんでこないのは、酔っぱらっているからというか、いや、私の食についての無頓着さの性。さて、入ってすぐに、兄さんが一人のおっさんにからんでいた。相手は大工さん。兄ちゃんは商店街で見かけた顔。どこかの店員さん。話は職人の道具のことになり、店主は包丁は1万円のものがよく、5千円のものはすぐだめになる。3万や5万もするものは、といでも堅すぎて駄目。大工さんは高いほどいいと言う。なるほど、くだんの兄さんがからんでいた訳がわかる。ところで、その兄さん(彼は全共闘世代だった)と話が弾み、ワインをおごられながら、過去の70年前後に旗を振り、みんなをいざなった知識人(出た名前は小田誠、大江健三郎、なぜか、野坂三参、僕が話題に出したのが大嶋渚)の裏切りに憤る話が続いた。私は少し前の世代なので、ゆっくりと対応。さて、大工さんはなにか仕事でのトラブルがあるようで、かなり酔っぱらって、くだをまいていたが、「実は、戦死した父が大工で、台湾で死んだんですは」と割り込んだら、今まで話し込んでいた兄さんはしらけて帰ってしまった。てなことで、いい店が見つかりました。今日は、この後、検索サーバーの登録作業をするつもりだったけど、酔ったので、もう寝ます。また、町で、あの兄ちゃんに、大工さんとも、四万十大将とも会えるだろう。また、あの店に飲みに行こう!では、おやすみなさい。
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Mon Feb 2 17:13:40 JST 1998
辻田尚代 ( jn8h-tjt@asahi-net.or.jp )
カフェの話.
初めての街に行って,部屋に荷物を置いたら真っ先にすること.居心地のよいカフェをみつける.人の出入りがそこそこあって,バーカウンターのなかに話しかけやすそうな人が座っているところ.お約束の観光ポイントを結ぶ線になにを割り込ませることができるかは,カフェで得られる助言による.
この週末,初めて行ったソウルでは,よい環境がなかなかみつからなかった.通りに面した明るい店は渋谷風の子どもたちで一杯だし,洗練された内装の店はガラスばりの窓がショールームみたいで人もまばら,ジャズにひかれて覗きこんだ店は大学生のグループがびっしりとかたまって仲間内の話に興じていて,とてもはいりこめない.たいてい,さほど苦労をせずに最初の店をみつけられるのに.この街と自分はあわないんじゃないか……半日を空しく費やして(その間「観光」もしていたわけだけど,プライオリティはいつしか逆転している),旅を本当に始める前に帰りの時刻がきてしまうのではないか,そんな気持ちが早くも心をよぎりはじめた土曜の夕方,訪ねていった出版社の代表の女性に,おもしろいカフェに連れていってもらった.
ちょっとここでご紹介したいと思います.
カフェは,梨花女子大の脇の路地をちょっと入ったところのビルの二階にあった.階段の脇のインフォメーション・ボードには,ライブやモダン・ダンスや講演会などのフライヤーがところせましと留められている.ガラスに木枠のはまったドアを開けると,中は木目を基調とした明るい空間で,壁に埋めこまれた小さな棚に本が表紙を出して置いてある.ゆったりした大きさの木のテーブルがいくつか置かれ,生なりの布張りのソファ,同じく布張りの肘掛椅子(約一日の行き当たりばったりの調査によれば,ソウルの賑やかなあたりのきれいなカフェのはやりのスタイルらしい),植物のつるのようなやわらかい弧を描く鋳鉄のオブジェが電話ブースへの視線をさえぎり,奥の一角は東南アジア風のついたてに仕切られて,中の話を実際以上に謎めいてみせている.だれかの家のリヴィングルームのような雰囲気.
私たちが入ったとき,テーブルはほぼ埋まっていた.インフォメーション・ボードの前で立ち止まっていた私たちを追い越した若い女の子の二人づれ,お茶を飲みに集まったマダムたち,小さい子どもにお菓子を食べさせているおだやかそうな若い夫婦などで,店は親密なささやき声に満たされていた.カウンターの奥の棚に洋酒の瓶が並んでいるのが目にとびこんできたが,外はまだ黄昏どき,私は梅の味のする甘くて熱いお茶,私を案内してくれたRyooさん,日本語の通訳をしてくれたKimさんは塩味のお茶をすすりつつ,二時間ほど過ごした.
Ryooさんは,フェミニズム,文化理論関係の本を出版しているAlternative Cultureという出版社の代表をしている.というより,Alternative Cultureというのは,1980年代なかばから活動をはじめた女性たちのワークショップで,教育や文学批評や南北分断などのテーマにそって研究者を中心に勉強会を行っていて,その延長上で出版を行っているというのが正しいバランス.そう,バリバリのフェミニストなのだ.Kimさんは仏文を専攻していて,東京に結婚したお姉さんが住んでいて,東京大学に95年まで留学していた女性で,今は17世紀に関する仏語の難しい本を翻訳している.「カトリックなので,教会から話があったの.でも難しくって」
フェミニズムの話,出版スタッフの4人の女性たちのライフスタイルがどれも違っているという笑いばなし(一番若い人が小学生の子持ち,一番年長の人が新婚ほやほや,間の二人は一人がシングル,一人が離婚という),事務所の維持費などを捻出するため会費を月に千円に値上げすること「だって,アイ・エム・エフだから! 今はこれでなんでも通るのよ」,本のコストと部数の話(出版業者が集まってする話は,つまるところここにいきつく)……私たちは友だちのように,脈絡なくいろいろな話をして,7時,新たな何組かの客で席が埋めつくされたころに席をたった.
くつろいで,満ち足りた気持ちで,もう一日この街を歩き回ってみようという気分にしてくれた,このカフェは,Feminism cafe KOMAという.
もし機会があったら,訪ねてみてください.男性は一人ではちょっと入りにくいかもしれないけれど.店の名前の,ひどく生硬な響きからは想像できない,くつろいだ感じにきっと驚くと思います.Feminismという言葉が輝いていること,ismを戴きつつこんなにやわらかい感性を持ち続けることもできるんだ,ということ.日本と比べて少し複雑な思いがしましたが,新鮮だったのは確か.名前や名目はどうあれ,日本の喫茶店でもはやってほしいタイプの空間でした.
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Wed Feb 4 03:57:12 JST 1998
管啓次郎 ( aloha@u.washington.edu )
大阪の呑み屋からソウルのフェミニズム・カフェへ。こうして見ると、「カフェ・クレオール」はいたるところで突発的に出現するものだということがよくわかりますね。ところで日本の中学校では所持品検査をやっていないということをはじめて知りました。ナイフをもっていても取り上げるのをためらうんだって? そりゃ、だめだよ。授業に無関係なものはもってこない。もっていたら、没収。それでこそ学校。それともいっそ、全面的フリースクールに転向するか。
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Mon Feb 9 08:59:25 JST 1998
sugita tadashi ( taramon@mva.biglobe.ne.jp )
「あんたたち日本人は、財布の中の金を10円、50円、100円ってきちんと整理してさ、計画的につかうだろう?韓国人はあればあるだけつかっちまう。政府も会社も個人も、国中がそうだ。まるでなっちゃいねえ」半年ぶりに訪れた韓国の、タクシー運転手は吐き捨てるように言った。以前の彼らはぼくが日本人だとわかれば、韓国がいかにすばらしい国かを得意になって語ってくれたものだった。「IMF危機」は普通の人々の生活を6ヶ月前とはすっかり変えてしまったようで、このプライドの高い人々も今度ばかりは自信を失っているように見えた。
釜山のダウンタウンにある雑貨屋でおもしろいものを見つけた。200円そこそこのただの女性用くつしたなんだけど、その包装に書かれた文句。
「愛国心とは何か!! ドルで支払う外国製品は亡国の元凶である!! 身土不二(からだと母なる大地はひとつのもの。ガット・ウルグアイラウンドの市場開放要求に抵抗するスローガンとして流行した言葉)!! 国産品を買おう!!」
このあまりにストレートで屈託のない愛国心・ナショナリズムの表現は、たとえそれが商品の宣伝に利用されたものであれ、というよりもむしろ、こんなアジテーションが商品の販売促進に有効であるという事実に、複雑に内向したナショナリズムが蔓延する日本からやって来たぼくは、「ヤレヤレ」と思いながらも新鮮な驚きを感じてしまった。
テグ という、釜山から1時間あまり北にある都市(あの金賢姫さんがこのあいだ結婚したところ)で3年ばかり日本語を教えていたときの話。ノースリーブの服の話をしているとき一人の学生が、「それは"そでなし"ですね」という。すると別の一人が「"ソデナシ"は、田舎のおばあちゃんたちが使う韓国語の方言です」と大笑いしながら言う。しかしこの言葉がもともと日本語だったと知ると彼は戸惑い、幾分ショックを受けたようだった。 こんな例は他にもたくさんある。基本的にハングル表記のみの現代韓国語においては、カタカナのある日本語の場合と違って、外来語が比較的短期間のうちに外来のものと意識されなくなってしまうように思う。まるでウィルスが知らないうちに自分の体内に侵入し、肉体の一部になってしまうようなもの。純粋で均質な一元的アイデンティティー神話に固執している限り、それは恐怖以外の何者でもないだろう。そう言えばぼくが高校生の頃、仲間同士の隠語でタバコのことを "タンベ"って呼んでたんだけど、韓国語を勉強してみて初めてそれが韓国語の"タムベ"から来てたってことを知った。
「近代国家」はあらゆる分野にわたって「せんびき」をすることによって成立したものですよね。地理的には国境、経済的には関税、人間については民族、言語については国語の成立などなど。ところで江戸時代に日本を訪れた朝鮮通信使が、中国だか四国だかを通りかかったとき、思いがけずその地方の「方言」が理解できてしまい「何だ、こいつら韓国語はなしてるじゃないか」と驚いたって記録が残っているらしい。古代以来の両国の交流を思えばありうることかも。釜山の旅館で、日本の「独島/竹島」に対する領有権主張を批判するTV特番(すごく熱い調子)を見ながら、見えない「せんびき」をめぐっての争いのなんだかむなしさを感じてしまった。
今度韓国へ来るときは、梨花女子大そばのフェミニズム・カフェに行ってみよう。
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Mon Feb 16 00:39:56 JST 1998
Coyote ( aloha@u.washington.edu )
辻田さんのフェミニズムカフェにつづいて、スギタさんの日本(語)列島 /朝鮮(語)半島の相互浸透の話題と、充実した話題を興味深く拝見しました。さて、以前のゲストブックに比べてまとまった長さの文を自由に掲載できるようにするということがこのメッセージボードの出発点でしたが、もちろん、1、2行の書き込みも大歓迎です。ちょっとした思いつき、ちょっとした疑問、なんでも自由にどうぞ。と、いうぼくも単なるお客のひとりですが。
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Mon Feb 16 19:53:20 JST 1998
辻田尚代 ( jn8h-tjt@asahi-net.or.jp )
こんにちは。この前では興奮ぎみでおしゃべりしていて少々恥ずかしいです。でもフェミ・カフェはおすすめですよ。さて14日に長野オリンピックのアルペンを見に行ったのですが、雨で流れてしまい、何も「観戦」できずに泣く泣く帰ってきました。ところが、帰りの「あさま」で信濃毎日新聞をみたら、複合ノルディックのクロスカントリーに無料観戦ゾーンがあって、アルペン流れの客でにぎわっていたとあるではありませんか! 私だって、あちこちで代わりの種目をたずねまわっていたのに!(新聞によると、ある人はJRの駅で聞いたらしい)――そんな話聞いてないぞ! もうがっくり。
そこでつくづく思ったのですが、たとえば飛行機が飛ばないとき、ストライキに出会ってしまったとき、(ちょっと強引だけど)オリンピック難民になったとき、うまく立ち回れるひととそうでないひとっていますよね。で、私は、泣きをみることが多いような気がするんですよね。なんでこうなっちゃうのだろうか。機知とか機転とかいうものなんだろうけど、なにかコツがあるんでしょうか。(マスターの雪の日の電車破りの話は爽快ですね)。いい呪文があったら教えてください。
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Mon Feb 16 21:33:09 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
先月に見た映画で大変気に入ったのが2本あった。どちらも2回見た。「タンゴ・レッスン」(サリー・ポッター)と「ブエノスアイレス」(ウオン・カーウァイ)だ。2つの映画が「ブエノスアイレス」と「タンゴ」という共通のキーワードを持っていることが興味深かった。
「タンゴ・レッスン」を最初に見た映画館は、あの空中庭園のあるスカイビルに新しくできた梅田ガーデンシネマであった。40階建ての新奇なビルに新しくオープンした映画館で、この映画を見るには、シュチエーションとしてはぴったりだった。
最初、監督自身がこの映画の主人公であるとの予備知識を持たず、見に行ったので、サリーがタンゴ・ダンサーのパブロのレッスンを受けて、タンゴをマスターしていく展開に酔った。もう、映画館のスクリーンに引きこまれ、タンゴの世界に浸っていた。タンゴの選曲と踊りのシーンがすばらしく、身体がリズムに浮き立った。ラストシーンはブエノスアイレスの波止場で、2人のタンゴの動きには身体がほんとうに震えた。
この映画のおもしろさは、タンゴ・レッスンの主体であるパブロと映画製作の主体であるサリーとの、タンゴレッスンと映画製作でのぶつかりあい、葛藤のドラマである。最終的には、サリーによるパブロの統合と進む。
映画はサリーの映画製作の根拠地であるロンドン、パリ、ブエノスアイレスへと移動し、サリーはイギリス人、パブロはアルゼンチン人(なぜか、2人はユダヤ人・・・・)、ボーダレス時代の映画だなと思った。
しかし、2度目に見たときはかなり客観的に見ていたようで、ブエノスアイレスの一流のタンゴ・サロンが出てくると(1度目は「ぜひ、行ってみたい」と思いながらそのタンゴ・サロンを見つめていたのだが)、「ああ、典型的なタンゴ映画だな」と思ってしまった。
そして、1度目に見たときには酔ってしまったあのラストシーンにかぶさる、サリー自身の歌う「あなたは私、私はあなた・・・・」の曲を聞いて、「ああ、これは近代的な<個>の確立の映画、それも女の自立の映画だな」と思って、冷静に見ていた自分があった。
「ブエノスアイレス」は大阪の西九条にあるシネ・ヌーヴォで見た。シネ・ヌーヴォは映画ファンが1株10万円の株を出資して作った映画館だ。内装は劇団・維新派が担当しただけあって、なかなかシャレた映画館だ。私も株主で、月1回の運営委員会にも出かけている。
1度目に見たときは、ロビーで地ビールを飲んだので、また、仕事の疲れがたまっていたこともあり、時々、眠ってしまった。それもあるが、ウォン・カーウァイの映画は説明的でなく、ストーリーが簡単につながらないので、寝てしまったのかもしれない。
「ブエノスアイレス」は男と男の愛の映画だ。ファースト・シーンのファイ(トニー・レオン)とウェイ(レスリー・チャン)のベッド・シーンは自然で、違和感を感じさせなかった。
この映画は香港からブエノスアイレスに逃れ、「やり直そう」として、やり直せなかった同性愛者の物語である。香港からブエノスアイレス、そして、台北で終わる映画であった。何か、底が深い感じがしたので、もう1度見ることにした。
香港を食いつめ、世界の果て・ブエノスアイレスに来た2人は世界一と言われるイグアスの滝をポンコツ車で目指すが、たどり着けず、喧嘩別れをする。ラストシー
ンのイグアスの滝の空撮が壮大で美しい。大きな自然のなかでのちっぽけな人間の存在を映し出していた。世界から取り残された2人の間で、「やり直そう」としての駆け引き(反発したり、また、よりを戻したり、そして、最終的には2人は離れてしまうのだが)が繰り広げられる。ファイの部屋で、その2人の間に灯るイグアスの滝を形どったスタンドの淡い光が印象的であった。
ファイが働く場末のタンゴ・バル、その場での哀切をおびたタンゴの曲と踊り、また、よりを戻した2人が下町のファイの部屋で男どうしで踊るタンゴの場面が哀しくも美しい。ブエノスアイレスの町も、そして、タンゴが踊られる場面も、「タンゴ・レッスン」がその光の場所にあるのに比して、「ブエノスアイレス」はその陰の部分に息づいているのだ。
ファイは香港に戻るために、必死に働く。ウェイは白人の男相手に愛人生活を続ける。ウェイは結局ブエノスアイレスに取り残される。
そして、映画は香港へ帰る途中に台北に立ち寄ったファイが、もう1人の登場人物であるチャン(彼は南米の最南端、パタゴニアのウスワイアの岬に立つのであるが)の両親が経営する屋台を訪ね、返還直前の香港に戻る前に終わる。
世界中に中国人は移住している訳だが、この時代と融合しながら、地を這うように、そして、それでいて自分を失わない生命力のある生き方を、この映画に感じた。ボーダレス時代の中国人の感性をウォン・カーウァイは映画の律動として投げ出している。移動の時代に生きる中国人の生命力と比較すると、西洋人の自己確立の物語が色あせて見えた。
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Mon Feb 16 23:21:05 JST 1998
管啓次郎 ( aloha@u.washington.edu )
辻田さん、オリンピック残念でしたね。機知機転はぼくもまるで自信がありませんが、要は人の流れをよく横目で見ることじゃないかな。松岡さん、2本のすばらしい映画評、ありがとうございました。どちらも見ていませんが、機会があれば逃さず見たいと思います。サリー・ポッターというと、あの『オルランド』を撮った人ですね。まぎれもない天才。楽しみです。
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Wed Feb 18 12:08:30 JST 1998
Ryuta Imafuku ( archipel@mail.dddd.ne.jp )
チケットがなくとも、見たいものはなんとしてでも見る。どうしてもそれを食べたいと思ったら、それを食べさせる場所に行き着くまで決してあきらめない。ときに強引に見えようと、パラノイアと詰られようと、決めたことが途中でなにかの事情によって挫折しかけたときに発揮される粘り腰は、ひとえにやりぬこうという集中力と情熱だけが生みだすのです。これは別に人生の成功に賭ける情熱などといった大げさなものではありません。ある町でカニを食うぞと決意したら、求める新鮮なカニを店先で茹でているような理想的な店を探し当てるまではけっして妥協しない、といったたぐいの、ある意味でばかげた「情熱」です。辻田さん、呪文でもなく、運でもなく、鍵はこのねばり強く求める小さくとも凝縮された情熱です。アルペンを見るぞ、と決意して長野に来たのなら、それをほんとうに見るまでは、帰りの列車なぞに泣く泣く乗り込んだりしてはいけません。いかなる手段を講じても絶対にチケットを手に入れるんだという集中力。オリンピックを「見た」と思える何かを必ず自分のものにするまでは帰らない。そしてこのねばり強い情熱だけが、思いがけないひらめきや運と遭遇するための条件になるのです。私は、情熱というのは、こうした一見ばかげたささいな事柄に執心するときにこそ発揮されるべきだと考えるものです。それをとりちがえて、人生の成功であるとか、昇進であるとか、金儲けであるとか、そうした大それた目的のために情熱が投下されてしまうとき、社会のパラノイアックな動脈硬化がほんとうにはじまるのではないでしょうか。よって人間は(とりわけ昨今の日本人は)、自分の情熱の使用法をほんとうには知らない、ということになります。小さなテンションの高い情熱が報われ、思うものを手に入れたときの喜びは、それが生起する「いま」において充足する、すばらしい喜びです。人生とか、努力の何十年とかいった歴史的抑圧の契機を何も背負わない、まさに永遠に続く「いま」という瞬間の充足感です。そこにスポーツがあり、カニがあるのです。2月17日の長野オリンピック、スキー・ジャンプの団体戦で原田雅彦が見せた姿は爽快でした。137メートルの驚異的な飛翔のあと、身体の震えと、内からこみ上げる喜びの嗚咽のなかでほとんど自失しながらも、かろうじて対応したインタヴューでの一言。4年前のリレハンメル団体戦で日本チームが金メダルを逃した原田の因縁の「失速」ジャンプとそれからの解放にふたたび言及した質問を聞いていた原田は、泣き声で、しかし決然とこう言ったのでした。「ここは長野なんだよ」と。長野で起こった出来事にリレハンメルがどうして関係あるの? この原田の一言は、いまだ、「いま-ここ」においてのみ充足する幸福というものの凝集性を理解できず、人生の継続的で因果的な「物語」へとすべての「感動」を再編成しようとするマスメディアにたいする、痛烈かつ根底的な批判でした。これはスポーツ選手から発せられた、もっとも深い哲学的な言葉の一つではあるまいか、と感激しつつ、私は爽快な笑いとともに、原田雅彦のいまや稀少となった道化的な知の深遠さに、涙があふれてくるのを押さえることができなかったのでした。
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Wed Feb 18 16:51:49 JST 1998
ミヨシルミ ( lumi@kb3.so-net.or.jp )
皆さん、どうも初めまして。今福さん、こんにちは。
ときどきボードを読んでいますが、今日は今福さんのメッセージのなかに私が普段考えていることを喚起させるものがあったので、少し書いてみたいと思います。
ところで、私は「情熱」という言葉をほとんど使ったことがないことに気づきました。無意識的に「情熱」という言葉を用いるべき対象を規定していたのかもしれません。私は、「いま」この瞬間の時間というものをいつも意識していたいと思うのですが、その意欲をあらわす言葉としてこれからは「情熱」という言葉を使うことになるかもしれません。
私にとっては、いまある時間がなにか大仰なことをなすための「猶予としての時間」という考え方ほど退屈なものはありません。それは今福さんのおっしゃるところの、「人生の成功に賭ける情熱」と少しばかり似ているかもしれません。どこか明確なある時点で、自分の成功を確信することができると仮定して、果たしてそこへ到達するまでの「いま」の時間の連なりというのは一体何なのでしょうか。たえず自分の内にある小さな欲望や反抗、例えば、誰かとの会話で、相手が頻繁に口にする言葉が自分が発したくないものであれば、どんなに誘導的に会話が進行しても決して用いない、などということだったりするのですが、それは大きな成功の喜びをもたらしてくれます。そういう意識をたえず持っていられるようにいたいものです。
私がこんなふうに考えるようになったのは、ちょっとしたきっかけがあります。
あるときにきまぐれで手相を観てもらったことがあります。私は特にその方面に関心がある方ではありませんが、そのとき指摘されたことはかなり私の急所を射たものでした。さらに、この人は本物だと直感的に感じてしまったのです。ここは微妙なのですが、といって私はその易者自身も占いも信じたわけではないのです。ただ、何らかの形で運命的なことがわかる人というのはいるんだなと思いました。
私のトーンダウンに気がついたらしい友人があるときやってきて、正確な文句は忘れましたが、「人間よ、なけなしの意志を持って運命を切り開け」というような文句を鉛筆で走り書きして玄関のドアに勝手に貼っていきました。私はその数日のあいだ、たとえ気まぐれであっても、誰かに自分の運命を委ねてしまったことをとても反省しました。運命は一瞬一瞬の、不断の力強く、タフな選択によって切り開かれるのでしょう。易者が私の優位に立ち、預言めいた言葉を発した次の瞬間に、彼の手提げ金庫を奪い去るという選択だってできうるのです。そんなふうに考えると、生きていることはめくるめく瞬間の連続ですね。
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Wed Feb 18 18:57:25 JST 1998
Ryuta Imafuku ( archipel@mail.dddd.ne.jp )
ルミさん、ようやく登場してくれましたね。あなたの出現を待っていました。
私はあえて「情熱」という言葉を使いましたが、むろんあなたの言うように、生の瞬間瞬間にくりだされる不断の抵抗・反乱の「意志」であるといってもいいでしょう。
それにしてもたしかに「情熱」という言葉はずいぶんと使いにくい、大仰な言葉になってしまったものです。飛躍しますが、私は薪の暖炉をひたすら燃やしているのが大好きです。木が燃えひろがるときの光と熱の流転と、薪がはぜる音によってつくられる「いま」しかそこにないからです。「薪を情熱的にくべる」というぐらいの用法の中で「情熱」という言葉を使うのが、もっともこの言葉にふさわしいと私は思っています。
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Wed Feb 18 19:39:57 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
今晩は。昨日で、ホームページの「工事中」の看板をはずせました。
内容は連続講座・リゾナンス’90関係のお知らせ(網野善彦さんの講演「海から見た日本の歴史」は2月21日<土>に大阪府高槻市民会館で午後2時からです。関西の方はぜひお出かけください)、私の知人のフィル・ビリングズリーさんの「上海からの手紙」(開放経済下の中国のごく普通の人々の生活、返還直前の香港の様子)、私のフィリピン・イタリア・スペイン・モロッコの旅行記、そして、先日、メッセージボードに書きこんだ映画評の構成になっています。一度、立ち寄っていただけたら嬉しいです。
先々週はインフルエンザの大流行で学級閉鎖・学年閉鎖が続きました。子供たちは万歳をして喜んでいました。もちろん、私も!年に何日か学校という存在が消えてなくなることはとてもいいことだ、と思いました。今は流感もおさまり、日常に戻ってしまっています。では、また。
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Wed Feb 18 21:18:50 JST 1998
古谷祐司 ( webmaster@ojw.or.jp )
こんばんは。
なかなか書き込みがにぎやかでいいですね。
松岡さんのホームページさっき見てきました。
何度か行ったバルセロナが懐かしかったのと、自分が行ったベネツィアと
プラハのユダヤ人街のことを、ページを眺めながら思い出しました。
今後の発展を期待しています。
去年の暮れにでた本で『ロジャー・ブラックのWebデザインブック』(発売=インプレス)
というのがあるのですが、本好きがWebデザインを考える時にとても参考になる本です。
定価が5000円と高いのが難ですが、かつて紙メディアの方でも、
あのRolling StoneやThe New York Time Magazine、ついでにNewsweek、Esquireと
錚々たる雑誌で鳴らしてきたアートディレクターだけに、けっこう言っていることが
妙にまっとうで感動しました。もちろん新しいメディアには新しいメディアなりの
デザイン論理があるわけですが、古い経験を捨て去らないところが、
デザインの「職人」という感じです。これでRolling Stoneもやったんだろうな。
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Wed Feb 18 23:57:54 JST 1998
井村俊義 ( toshiyoshi@mtj.biglobe.ne.jp )
何かを成し遂げるためにある時間を犠牲にし、「今」という時間をここではない違う場所に置くこと、そのことによって個人の「空洞化現象」を起こしてしまっている人々を揶揄する術を、私は森鴎外のある文章を通して知りました。集団においても、個人においても、どのような言説といつ出会うかは、時に決定的な意味を持つことがあるようです。それから私は、夏目漱石やその他の人々も同様のことを述べていることを知り、確信をもって、しかし何の戦略も携えずに、ひたすらその時その時の自分を信じて生きようと、大げさなことを考えていました。長い間、私は、人にモットーを聞かれた際は「反省しないこと(により、「今」をもっとも濃密な一瞬とする)」と答えていたような気がします。/しかーし、そんな私はいつの間にやら、喜怒哀楽の激しい「変な奴」という評判を勝ち得ていたのでした! そういう私が、大学生の時にやった星の数ほどあるバイトの中で、東京にある某デパート内で「四柱推命」の占いをする、というのがありまして(素人の、しかも若造がそんなことやってええんかい、と今でも思いますが、もちろん、メチャメチャ「勉強」したのですよ)、神経質そうな兄ちゃんも、「がはは」おばさんも、私が偉そうに「この一年は波乱含みですなあ」とかなんとかご託宣を申し上げて適当なことを言うと、だいたい納得したものです。「私たちうまくいくでしょうか?」と、身を乗り出して聞いてくるカップルの、占いによって出された相性が良かろうが悪かろうが、どちらの場合でも、必ず納得できるような言葉があることを、私はお金をもらいながら「勉強」することできました。不断の抵抗・反乱の意志をもって「タフな選択」をし続けながら生きていくことで、「おかしな奴」と呼ばれながらもそれに見合う「快楽」が用意されていないこの国では、「言葉」と「金」と「物語」の仮構としての偽物の快楽に、火の粉のような「情熱」は吸い込まれていってしまうしかないのでしょうか。
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Thu Feb 19 15:00:42 JST 1998
Coyote ( aloha@u.washington.edu )
松岡さんのホームページから小倉、山崎両氏のサイトに飛んでみて、感心しました。日本におけるインターネットアクティヴィズムも、急速に充実してきているようですね。紙媒体の回路に乗らない情報=行動の網目形成に、これからも着目し、これは!というものがあったら自分を接続してゆきたいと思います。でも体は一つだからね。観念的な支持はいくらでもできるけど。
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Thu Feb 19 20:44:36 JST 1998
Coyote ( aloha@u.washington.edu )
占いか。お金を払ってまで、やりたくないね。だいたい過去なんてすごく退屈だ、それをいまさら再話により聞かされたくなんか、ない。未来は、文字どおり、未だ来ない、それを他人にどうこういわれるなんて、大きなお世話もいいところだ。そして現在、この貴重な現在を、なんでいらないお金を払ってまで、そんな愚かな御託宣を聞くために浪費しなければならないだろう。占いよりは宝くじを買う。ぼくは、そっちのほうがいいや。
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Sun Feb 22 17:55:01 JST 1998
Shin Akatsuka ( sorry,nothing )
皆さん初めまして。エルドラドという名のアパートの住人SHINです。どうぞよろしく。21日にサルサのダンスイベントを名古屋市で主催したのですが、集まってくれた人達の「情熱」的な事は予想以上でした。約60名で出身地は日本、PERU、COSTA RICA、EL SALVADOR、U.S.A.等。サルサというダンスは基本的にペアで踊るのですが、「踊る」というコミュニケイション方法の凄さを改めて実感しました。あの熱気の中、確かに「情熱」は存在しました。
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Sun Feb 22 23:29:35 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9174@mb.infoweb.ne.jp )
昨日のリゾナンス’90、網野善彦さんの講演「海から見た日本の歴史〜日本の歴史を読みなおす〜」は150名を越える参加者があり、お話も新鮮な切り口で、大成功でした。
お話は日本海をはさんだ北方との交流が日本列島史ではきわめて大きな意味があるという展開でした。アイヌ民族は単なる狩猟民族ではなく、交易民族であったこと、また、三内丸山遺跡等の東北での発掘は北からの文化の交流を明らかにしている。富山県の作成した日本海を真ん中に、北と南を逆さまにした地図を指し示しながら、弧状の日本列島が北からの人と文化の移動の場としての歴史が形成されてきたことを具体的に展開された。また、その弧状列島は朝鮮半島との交流、さらに、東シナ海をはさんでの大陸(中国)との関係、南西諸島・琉球からさらに東南アジア、オーストラリア、南米とへとのびる文化の連関として広がっていく。
きしくもクレオール主義として現在的に語られている内容を列島の歴史としてお聞きできたと思っています。近々、講演のテープを聞き直して、講演報告として Cafe Resonance のホームページで要点をまとめたいと思っています。それが書きこめましたら、連絡します。では、また。
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Mon Feb 23 00:46:43 JST 1998
管啓次郎 ( aloha@u.washington.edu )
松岡さん、網野先生の講演の大成功、おめでとうございます。網野日本史観、岡田英弘アジア史観、いずれも交通史観と呼べるものですが、やはり抜群におもしろいですね。ヤマトの影に浮上する歴史の運動性は、じつはいまも生きているものだと思います。今後もぜひ、市民的立場からさまざまな活動を展開されますよう。
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Mon Feb 23 00:50:58 JST 1998
Coyote ( aloha@u.washington.edu )
アカツカさん、名古屋でも多国籍サルサが実現できることを知って感動しました。エルドラードとは「黄金荘」とでもいったところでしょうか。しかしわれわれの黄金郷は、突発します。踊りと歌の現在が、それを作りだす。これからも、ぜひがんばってください。
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Mon Feb 23 18:42:49 JST 1998
Ryuta Imafuku ( archipel@mail.dddd.ne.jp )
田中泯がブラジルのダンサーや舞踏家と組んで上演・演出したアルトー「メキシコの征服」の脚色舞台を見た(世田谷パブリックシアター、2月22日)。厚顔無恥で暴力的な無秩序として示されたヨーロッパ人征服者の身体性と、アステカ族の優美でかつ悲痛なほど脆弱な裸の身体性とを同じ演者たちによる身振りのコードスイッチングによって対照させる構成が巧み。さらに、征服者と被征服者との肉体的抗争の現場に田中泯(モンテスマと二役)のアルトーが自暴自棄に介入し、舞踏的身体の形式性をあえて無視した徹底して粗野で破壊的な身体をもって「歴史」に無謀な挑戦を試みようとする情景はとりわけ印象的だった。現代ブラジルに非嫡出子を見いだした土方舞踏の系譜が、アルトーの身体哲学とアメリカ征服をまなざす歴史的射程とによって理論武装されて田中泯との再会を果たしたともいえるこの舞台は、もはやいかなる固有の文化的伝統たいしてもプロパーな帰属を主張することのない、きわだった世界同時性を示していて刺激的だった。黒人、白人、アジア人のそれぞれに特徴ある肉体が、役柄上のインディオとヨーロッパ人とのあいだを瞬時に交通しながら触れ合う舞台に、歴史と身体の複雑な交錯が浮かび上がってくるスリリングな瞬間に打たれながら、不思議なことに、私は昨年夏にLAのディズニーランドで見た「ポカホンタス」の舞台を思い出していた。カリフォルニアの、労働者階級としての褐色のアジア系、ヒスパニック系の名もなき役者たちを搾取しながら日に4〜5回も行われているこのミュージカル・ショーは、インディアン娘ポカホンタスをとりわけ色の白い女性に演じさせ、一方で白人入植者の役をインディアン役の男性たちがその場で黒い仮面をつけることで即座に演じ分けるという構成で私の興味を惹いた。だがどのように色の操作を変換しようと、結局のところ、インディアンもヨーロッパ人も、それを英雄的に演じているのは、おそらくは全員が、ディズニー社に使い捨てられるようにして消えてゆく無名の、貧しきヒスパニックとエイジアンたち以外の誰でもない。これはある意味で、500年のアメリカ征服史を背負った、あまりに皮肉な現実だといわざるをえない。けれども私は、この有色のポカホンタス役者たちの訓練された画一的な身体性の細部に、後期資本主義的な身体改造の極限に立ち現れるかもしれない、かすかな無意識の抵抗の兆しをも同時に感じとった。その発現を抑圧されたまま、しかし敢然と彼らの無名の肉体に宿ろうとする筋肉の抵抗を。そうだとすれば、(田中泯とブラジル舞踏家たちによる)芸術家の自覚的意識の産物は、ディズニーランドのポカホンタスという出来事のもつ無意識の作為と、見事に共闘の関係をつくり出しているといえなくもない。芸術家の作為と、出来事の無意識とが不思議な共振を示してしまう・・・。だがこれこそ、ポストコロニアリティといわれる現象のもつ、もっとも悲痛な真実なのかもしれない。
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Wed Feb 25 19:09:40 JST 1998
管啓次郎 ( aloha@u.washington.edu )
田中泯のアルトーだって! これは驚き。そんなものがあることすら、想像もしなかった。20年前の秋、快晴の肌寒い午後、屋外のアスファルトの上に全裸で横たわり身体の気象をその場で宇宙の振動に呼応させていた彼の姿がまざまざと甦ってきました。これは見たいけど、ちょっと遠すぎて。しかしすごい話。
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Wed Feb 25 23:27:06 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
私も何年か前、大阪で田中泯さんの舞台を見たことがあります。その1年ほど前、私に友人が田中さんのアトリエでの公演を見たことがあり、大阪の公演を見に行こうと誘われ、行ったのでした。とてもシンブルな舞台装置と切れのいい身体の動きが印象に残っています。アルトー、ブラジル・・・・何かすごくひかれます。大阪でやらないかなー。では、また。
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Thu Feb 26 00:27:47 JST 1998
Border Brujo ( toshiyoshi@mtj.biglobe.ne.jp )
メキシコ、あるいはインディオに過剰な思い入れを持つに到った「アントナン・アルトー」という名前の持つ喚起力に誘われるがままに、私はアンドレ・ブルトンやル・クレジオやバルテュスやマッタやマリア・イスキエルドなどの名前を、張り巡らされたウェブのように次々に想起した。そしてその中でも、夢を無限に生み出す「メキシコ」へと、直覚の赴くがままに誘われた人々の「自己から脱出しようとする内面」を思った。長い間西洋を支配していた「自己同一性」から離脱するための、勇敢な、しかし必然的な一歩をしるした人々の系列に、彼らがいることは間違いないだろう。アルトーはあの時、シュールレアリストたちが幻視しようとした未来の風景をメキシコで手に入れることができたのだろうか。言語への過度の従属からいかにして独立するかということに苦心していたアルトーは、ペヨーテの力を借りながら彼の身体にもともと埋め込まれていた「言語」を綴った。アルトーのそうした記述が、言語の固有の構造を自ら破壊するような力を内包しており、つまり、身体技法をいかに言語に写し取るかという最良の例となっていることを考えれば、彼はポストモダンの世界が向かうもっとも遠くて純粋な場所に立っていたと言えるだろう。アルトーはその時、確かに、もうひとつの「科学」に出会っていたのだ。短かったメキシコ滞在から死を迎えるまでの、ヨーロッパにおける彼の精神の破綻と極度の孤独が、そのことをもっとも如実に証明している、とシニカルに言ってみても、アルトーは許してくれるだろうか。
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Sun Mar 1 16:57:46 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
網野善彦著『日本社会の歴史(下)』(岩波新書)をさっき読み終わりました。3巻中、一番読み応えがありました。3巻通じて、網野さんの力技に感激したのと、通史を書くことのむずかしさ(政治史と社会史との整合性の困難)とを感じました。全体を貫く日本史批判の視点が、明治近代国家がねつ造し、国民にすりこんだ、列島社会を「孤立した島国」とする見方、日本社会を農業社会とする見方(農本主義)へ向けられている。すごい意志力で通史を書かれていると思った。網野さんの講演会までに読み終わりたかったのですが、後になりました。
購入書籍のチェックです。2月7日〜8日まで、札幌で開かれたアイヌ民族との交流会で、アイヌ・モシリの自治区を取り戻す会編『アイヌ・モシリ〜アイヌ・モシリから見た「北方領土」返還交渉〜』(御茶の水書房)。北からの視点を持とうと思う。菊池勇夫著『アイヌ民族と日本人〜東アジアのなかの蝦夷地〜』(朝日選書)、網野善彦著『日本中世の百姓と職能民』(平凡社)、山口定、高橋進著『ヨーロッパ新右翼』(朝日選書)、アモス・オズ著『現代イスラエルの預言』(晶文社)、北沢方邦著『ポピの聖地へ〜知られざる「インディアンの国」〜』(東京書籍)、井上浩一・栗生沢猛夫著『世界の歴史11・ビザンツとスラブ』(中央公論社)、現代人文社編『盗聴法がやってくる』(現代人文社)、宮崎学著『不逞者』(角川春樹事務所)、上野千鶴子著『発情装置〜エロスのシナリオ〜』(筑摩書房)、荒木経惟写真集『夏小説』(平凡社)、今、評判の高村薫著『レディ・ジョーカー(上・下)』(毎日新聞社)。行きつけの古本屋で、西井一夫著『写真的記憶』(青弓社)、吉田ルイ子著『吉田ルイ子のアメリカ』(講談社文庫)。知人のご主人の本で、鈴木常勝著『上海裏町ブギウギ〜かみしばい中国漫遊〜』、鈴木常勝編『上海コロッケ横町』(いずれも新泉社)。
購入雑誌です。「芸術新潮/98・3」(特集・世紀末に降臨する舞踏の“魔人”土方巽)、「文芸別冊/98・3」(完全収録・永山則夫)、「現代思想/98・3」(特集・ユーロ・ラディカリズム〜アントニオ・ネグリの思想圏)、「ひと/98・3」(特集・学びとライフスタイルの転換へ)。定期購読誌で、「季刊民族学No.83」、「思想/98/3」。以上でした。
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