Cafe Creole / message board at homeless
アットホームレスなメッセージボードの過去の記録を読む。
Sun May 31 06:52:16 JST 1998
Spelling Bee ( aloha@u.washington.edu )
スペリング・ビーというものがあります。小中学生の綴りコンテスト。審査員が発音する単語の綴りを正確にいえることを競う学習競技で、アメリカのどこの学校でも、必ずやっています。さて、先日、その全米大会があって、スポーツ番組専門局のESPNによってテレビ放映されているのをみました。決勝に残ってきた12、3歳の子たちが、ぼくらの見たことも聞いたこともない単語の綴りに、ひとりずつ挑戦する。回答までに、いくつかの質問が許されています。「もういちどいってください」から、「単語の定義は何ですか」「語源は何語ですか」「用例の文をいってください」「発音のヴァリエーションはありますか」あたりまでが、許された質問。みんな沈思黙考、体をひねり、顔をしかめ、天を仰ぎ、掌に指で綴り、虚空を見つめながら、なんとかして綴りをどこかから呼び出そうとします。そのようすを見ていると、こっちまで手に汗にぎる、といった感じになってくるのがふしぎです。この大会、結局、優勝したのはジャマイカ人の黒人少女ジュディ=アン・マクスウェル(12歳、7年生)でした。若いころのジャメイカ・キンケイドもかくやとおもわせる、いかにも利発そうな広い額に毅然としたまなざしで宙を見つめ、音節ごとにきちんと区切って意志的な声で綴りを述べてゆくその姿は、たしかにもはやスポーツの域に達していました。この子は大物になるぞ。最後にひとり残り、これに答えたら優勝という単語はchiaroscuristというもの。数分かけて考えぬき、ほとんど1分もかけてゆっくり綴っていったその息詰まる瞬間の姿は、感動的でした。それにしても恐るべし、現代カリブ海。精神の強さを感じさせる人々を、人口比であれだけ輩出している地域は、世界史的にみてもざらにはないでしょう。いったいその秘密はどこにあるのか? 考えるに値する問いです。
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Mon Jun 1 14:57:47 JST 1998
Spelling Bee Bee ( aloha@u.washington.edu )
上記の補足です。全米大会なんだけど、決勝の最後のほうまで残った子たちの顔を見ると一目瞭然、インド=パキスタン系の子が圧倒的に多い。ここにはどうやら文化的選択が働いているね。たぶん、この子たちの親や祖父母が、独立前のインド亜大陸で、「国語」としての英語教育をうけるなかで綴り大会などが頻繁におこなわれたのではないでしょうか。そう思うと、このテレビ競技もポストコロニアルな情景。それにしても両国の核実験、われわれはどんな語法で臨めばいいんだろうか。
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Wed Jun 3 17:56:26 JST 1998
T.Miyata ( michaux@hotweb.or.jp )
境界・・・
空間だった
なにもない空間だった
ただ靴だけが転がっていた
・・・初めてこちらを訪問させていただきます。先日今福さんのワタリウム
美術館での講演を拝聴させていただき、こちらのページを訪れることとなりま
した。その講演の中でのアルトーの話と多木さんの「見えない地平」の話
にはいろいろ考えることがありました。私生活において拙作ながら詩を書くこ
とを常としているのですが、私の場合自動記述ではないのですが無意識に近い
感覚性を利用して書くもので、その表現方法では必ず「語り得ぬもの」の壁に
あたります。その「語り得ぬもの」を私は「ポエジー」と呼んでおり、先日の
「見えない地平」と何らかの共通性があるのではなかろうかと勝手に考えたの
でありました。
宮田さん(私と同姓であります)のトラベローグ、興味深く読まさせていただき
ました。ブルース・チャトウインの「ソングライン」やヘルツオークの映画を
思い出しました。私も昔世界を所々旅しましたが、その土地の持つ「感覚」と
自己の肉体と精神の持つ「感覚」が触れあい、意識自体を変容させるような気が
します。私の場合、アメリカの西海岸で吸う日本製の煙草(日本から持って
いった)でさえも感じられる味が違うような気がしたものです。
こちらのページを訪れるには全くといっていいほど知識が欠落していますが
何か刺激を受けますのでこれから度々訪問させていただこうかと考えておりま
す。
失礼いたしました。
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Fri Jun 5 15:56:33 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
昨日の読売新聞(大阪版)夕刊で、マリーズ・コンデ講演会の案内が出ました。私は参加申し込みをしました。関西の方は出かけませんか。
<申し込み>電話かFAXで住所、氏名、電話番号をアリアンス・フランセーズ・大阪(電06・541・3758、FAX06・533・5087)へ。
さて、今日、注文していたマリーズ・コンデ著『わたしはティチューバ〜セイラムの黒人魔女〜』(新水社)が到着。13日までに『生命の樹』とともに読み上げておこう。その他、購入本はポーラー・アンダーウッド著『一万年の旅路〜ネイティブ・アメリカンの口承史〜』(翔泳社)、『荒木経惟文学全集5』(平凡社)。購入雑誌は「現代思想・98/6」(特集は文化接合のポリティクス・文化人類学の新しい階段)、「文芸春秋・98/6」(山折哲雄さんの網野善彦著『日本社会の歴史』評がおもしろい)、「現代・98/7」(古代史をめぐっての梅原猛と山折哲雄対談)、「ちくま・98/6」(今福さんの連載の2回目)、「思想・98/6」他。
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Sat Jun 13 00:49:46 JST 1998
Coyote ( aloha@u.washington.edu )
驚くべき話を聞いた。彼女は20代後半の日本人女性。6歳から10歳まで、中国で暮らした。そのときは、この年ごろの子供なら誰でもそうなるように、ネイティヴのように中国語を覚えたのだが、日本に帰国してからはどんどん忘れ、成人するころにはそれはギリシャ語かヘブライ語のようにわからない言葉になっていた、そうだ。某機関の理系の研究職についた彼女は、ある大学の研究室に留学するため、昨年アメリカにやってきた。きてみると、彼女が入ることになった実験の班は、なぜか全員中国人男性。ともかく、毎日毎日、根気よく実験にとりくむ日々がはじまった。そこまではいいのだが、同僚たちの会話は、すべて中国語。実験にはあいまごとの暇がつきもので、かれらは大笑いしながら何事かを話しつつ、一日の大半をおなじ部屋ですごしている。彼女には会話がひとこともわからなかった。最小限の連絡は英語ですませても、それ以外は、また中国語に逆戻り。遮断されたような、辛い状況がつづいた。ところが、一月もしたころ、なんとなく霧が晴れてきた。最初は、「あれ、いまのわかった」といった程度だったそうだ。ところがそれからは毎日、ぐんぐん理解の範囲がひろがる。そうなると加速度がついて、まるで洪水のように「意味」があふれだす。3ヶ月もたつころには、彼女は同僚の会話を完璧に理解していた! すると、新たな悩みが同時に生まれていた。日本人の女だから何をいってもわからないだろうと高を括っていた同僚たち、およそ聞くに耐えない冗談や卑猥な単語を連発していたのだそうだ。なんとなく想像はつくよね。頭にくる、いらいらする、なんとかしなくちゃ。そこでそれまでは、「わかっている」ことをおくびにも出さなかった彼女、ある日、意を決して、反撃に出た。例によってくだらないことを誰かがいってみんながげらげら笑ったそのとき、突然、とうとうと流れるような中国語で、私はすべてを理解している、少しは言葉を控えたらどうなのか、同僚だからといって最低限の礼儀はわきまえてほしい、私の身にもなってみなさい、とまくしたてた! 男たちはさすがに呆然とし、青ざめ、言葉を失った。それからひとり、またひとりと、口々に謝罪の言葉。以後、ようやくみんな和気藹々と、なごやかに暮らせるようになった次第。いちどは完全に忘却した言語がよみがえる。どんな感じか、想像もつかないけど、改めて、耳で学んだ言葉の強さを思う。どう、おもしろい話でしょう? つまらなかったら、ごめん。
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Sat Jun 13 06:22:36 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
管さん、その話は非常におもしろい。
私の近辺で話題になることのひとつに次のようなことがあります。いわゆる「中国残留孤児」(おばあさん、おじいさんに孤「児」なんておかしいですね。)の孫にあたる中国からの帰国(この言葉も変。)生徒の言葉の習得の問題です。
この子達に関係する教員には、言語教育で対立するふたつの傾向があります。徹底的に日本語を覚えさせるためには、中国語を忘れさせねばならないという傾向がひとつ。(冗談と思われるかも知れませんが、まじにそう考えて、日本語をたたきこもうとする。)もうひとつは、日本で生きるためには日本語の習得は欠かせないが、なんとか母語である中国語を忘れさせないようにしたいと考える教員。後者の方が少数派です。
日本語の習得とともに中国語をどんどん忘れていく子供達の前で、なんとか中国語を忘れさせまいとする教員の悩み。私は中国「帰国」生徒を持ったことはないのですが、その子たちに関わる私の友人達に管さんの話は「哄笑のある励まし」となるでしょう。この話、広めましょう!
今日はマリーズ・コンデさんの講演の日です。また、その報告をします。
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Sat Jun 13 14:30:24 JST 1998
Coyote ( aloha@u.washington.edu )
松岡さんが挙げてくださった問題ふたつについて、ぼくの考えです。まず「日本語を覚えるためには中国語を忘れろ」という人たち。かれらが依拠しているのは「モノリングアル」(単一言語主義)のイデオロギー以外の何物でもなく、そういうせりふには爆笑で答えるのがいちばん。言葉とは、おなじ体積のものが決まった容量の入れ物(個人の脳)の中で互いを排除するようなあり方で存在するものではない。アメリカなんかでもバイリングアリズム(2言語使用)は精神分裂になるという心理学者だの、バイリングアルの子は教育が遅れると唱える教育学者か言語学者だのがいるようですが、いずれも疑似学問の笑うべき妄説、あらかじめ自分たちがそうしたいと考えているシナリオに沿ってデータを集め結論をひきだすものと考えて、まちがいないでしょう。前者はバイリングアリズムをあらかじめ「精神分裂」の一形態として捉えているのであり、後者はモノリグアルの尺度をもってすべてを計っているのだから、たとえば文章で綴りがちょっと混乱した(英語綴りにスペイン語綴りが混じった)などといってそれをマイナスに数えるような愚を、調査過程でいくらでも犯しているはず。ここでいちどだけ、いっておこう。バイリングアリズムおよびマルチリングアリズムは、それぞれ「二言語使用」と「多言語使用」という事実をさす言葉にすぎない(マルチリングアリズムを多言語「主義」と訳すこと自体が、問題をモノリングアルのイデオロギー空間に埋めこむ)。これに対してモノリングアリズムとは「単一言語主義」というあからさまなイデオロギーの名であり、それが「事実」として顕在化するのは、そのイデオロギーによってコミュニケーションのとんでもない遮断がおこなわれたときだけだ。これはいわゆる「日本語」の中での、いわゆる「標準語」と「方言」の関係を見ただけでわかるだろう。人類は、アフリカからの拡散がある程度の範囲に達した時点以降、一貫して多言語使用を生きてきた。多言語使用が精神に交通渋滞を招くというなら、誰でもいいけど、たとえばデカルトを見よ、スピノザを見よ。あるいは明治期の日本「知識人」だって、和文、漢籍にいずれかのヨーロッパ語の素養をもち、日頃の話し言葉をもち、「言文一致」という新たな実験的記述文体の開発に集合的にとりくんでいた。ぼくがマルチリングアリズムがつねに人類の常態だったと断言できるのは、マリンチェでもジョン万次郎でもイシでもいいけど、接触により言葉を覚えてしまう人間が、必ずいつの世にもいたことによる。つまり、モノリングアルが人間の生物学的基礎なのではない。かれらの「精神分裂」こそ、人間の言語脳の勝利なのだ。まったくの異言語を、物の名称(名詞)と行動の調整の指標(動詞)を手がかりに、どんどん拾い集めてゆけば、異人とだって「一緒に暮らせる」ようになる。そしてマルチリングアリズムの意味とは、それ以外のことではない。人間の言語は、すべてでひとつなのであり、それが「1」と数えられるのは、ひとりの人間が実用的に使える「すべての言語」を「1」とすること以外の数え方では、ありえない。「日本語を覚えるためには中国語を忘れろ」というやつらは、自分が圧迫されてきたモノリングアリズムのイデオロギーを、その抑圧の恨みを、まるで無根拠に他人に投影しているだけでしょう。長くなったので第二の点、「中国語を忘れないようにしてあげたい」という声についてはまたこんど述べることにして、ひとことだけ。これはもっともで、好意にあふれた意見だけど、結局は本人が自分で決める問題、なるようにしかならないんじゃないか。この先はたぶんカリフォルニア州の学校教育におけるバイリングアリズムの問題と重なってくるでしょうが、社会的費用という大きな障壁もばかにはできない(ところで日本でも中国語の本格的テレビ放送がはじまったらしいですね)。結局、自分たちが社会をさまざまな水準でどのようにデザインしたいのか(たとえば地域レベル、学校レベル、学級レベルなど)という枠組みを超えて、個人の言語使用の領域にまで踏みこむことはできないでしょう。覚えたいやつは、言葉を覚える。目的が金銭であれ、恋愛であれ、思想であれ、趣味であれ。覚えたくないやつは、絶対に覚えない。こう考えると、「文学」の言葉も結局一種の外国語だということが、改めてよくわかる。
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Sun Jun 14 13:18:34 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
昨日、マリーズ・コンデさんの講演会に行って来ました。大変楽しい一日になりました!
受付に今福さんの講演会案内を置かしてもらうことになっていたので、早めに会場に行きました。早めに行ったおかげで、おもしろいことを発見しました。
マルチニック出身のガブリエル・アンチオープ(カリブ史)さんとおしゃべりをしました。それで、奥さんを紹介していただけ、その方が今春にお話を聞くことがあった石塚道子(カリブ地域研究)さんだったのには驚きました。ご夫婦で20日の今福さんの講演会に来ていただけるとのことで、嬉しく思いました。
講演会は60名ほどの参加者があり、マリーズ・コンデさんの講演は「女たちの言葉〜フランス語圏アンティルの女性作家たち〜」というタイトルで、大変おもしろくって、興味深いお話でした。今までまったく聞いたことがない女性作家たち(シュザンヌ・ラカスカッド、マヨット・カペシア、シュザンヌ・ルシー、シモーヌ・シュヴァーツ・バルト、ミリアム・ヴィエラ)の作品とご自身の作品に言及され、聞いている私は目がくらむほど感動しました。
質疑時間の最後のコンデさんの言葉、「旅は私のアイデンティティの源泉である。」は特に印象に残りました。グアドループ〜フランス〜アフリカ〜アメリカ、そしてグアドループとの往還のなかで作品を形成されてきた航跡を感じとることができました。意志の強いお顔が印象的でした。
講演会後のパーティ、そして二次会の焼肉店にもついて行きました。コンデさんにご著書のサインをしてもらうというミーハーもしちゃいました。そして、石塚さんに通訳をしていただき、『生命の樹』の翻訳者である管さんとメールのやりとりをしていること、札幌で対談された今福さんを20日に高槻にお呼びすることなど、お話ができました。ほんと、すてきな人でした。そばにおられたご夫君のリチャード・フィルコックさんのやさしいお人柄も印象的でした。
ということで、マリーズ・コンデさんの講演会をたっぷり満喫した一日となりました。さて、20日は今福さんの講演会です。関西の方はぜひお出かけください。では、また。
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Sun Jun 14 13:56:17 JST 1998
Keijiro Suga ( aloha@u.washington.edu )
マリーズ・コンデの日本での日程もぶじ終わったようですね。訳者というのは、もちろんただの他人ですが、いわばこっちが勝手にとりついている幽霊のようなもので、講演に少しでも人が入ってくれるように、彼女のソウルフルな言葉がさまざまな響きを生むようにと、そればかりを願っていました。しかし、カリブの伝説にいうとおり、幽霊は海をわたることができません。さいわい今福さんが主宰してくださった札幌大学での集まりは異常な熱気につつまれたものだったようですし、上の松岡さんの報告で大阪もすばらしい会となったことがわかりました。全体のコーディネイトに、自社利益といった狭い地平をはるかに超えて全力をつくしてくださった古谷さんにも、心からお礼を申し上げます。訳者のぼくに感想を寄せてくださった方々も、ありがとうございました。これからも、小さな声にすぎなくとも、何かこれまでに存在しなかった流れを作り出せるよう、「新しい世界文学」のシリーズに全力を投じたいと思います。よろしく!
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Sun Jun 14 19:14:51 JST 1998
Cafemaster ( archipel@dddd.ne.jp )
マリーズ・コンデの札幌滞在をコーディネートした者として、簡単にその報告をしておきます。8日夕刻、宿舎となった英国風のクラシカルなホテルモントレ札幌の内部にある教会(結婚式用の教会とはいえ、マッキントッシュ・デザインのインテリアが美しく建物自体が落ちついた西洋館なのでいい雰囲気でした)の片隅で2時間ほど行われたカフェクレオールとの提携企画である私との対談は、熱っぽい語りと微笑とが交互する、楽しく刺激的な雰囲気に終始しました。内容については、いずれカフェに対話全体を掲載する予定でいますのでここで要約することは避けますが、マリーズの、いかなるグループ、文学的・思想的党派とも距離を置いた自己意識と、世界の相対化をめぐる堅固な自信のようなものに強く打たれたことだけは何よりもまず言っておきましょう。サングラスを被って巨体をゆらしながら語る彼女の圧倒的な存在感に、3歳になる我が娘は初めひどく脅えて泣いていましたが、翌日の札幌大学での講演会では、会場の雰囲気が弛緩するとすかさず山口昌男さんにもらったミッキーマウスの鉛筆で机をトントンとたたいて、まるで「マリーズの声に聞き入るように!」と周囲に注意を呼びかけるように、見事に講演会を影でリードしていました。彼女の「公園」ならぬ「講演」デヴューはうまくいったようです。冗談はさておき、9日午後の札幌大学でのレクチュアには200人近い人々が集まり、英語、通訳なしという状況にもかかわらず、じつに繊細にマリーズの声と身振りとその存在の放つオーラを感じとって、言語的意味の回路を超えたところで発信されているメッセージに触れようと熱心に聴いてくれました。固有名詞や学術用語に戸惑ってよく内容がわからなかったという人もいましたが、そういう人でも、不思議に強いメッセージを感じとったという反応が一様に返ってくるのがとても嬉しく思われました。それこそ、あえて言語的意味をストレートに媒介することをやめて、彼女の声に直接耳を傾けるという形式に賭けた、今回の講演会のねらいだったからです。終了後、『生命の樹』を購入した人々のサインを求める長い列ができたことはつけくわえるまでもないでしょう。札幌大学文化学部のドン(あるいは偽王?)であり、アフリカ、パリ、カリブ海と結んで自らも移動した経験を持つ我らがエシュ=エレグバ山口昌男氏もひどく上機嫌で、彼の個人蔵書3万冊によって構築された「山口文庫」にマリーズを案内してカリブ海関連書のコレクションを自慢したり、レセプション後はすすきの近くにある行きつけの小料理屋にマリーズと夫君で翻訳者のリチャード・フィルコックスを案内して、旬の魚介類やアスパラガスを皆でつまみながら冗談に花を咲かせていました。学生や教員、さらに札幌に住むアーティストの仲間たちも、最後までつき合ってくれ、すばらしい集まりとなったこと、関係者に私からも深く御礼したいと思います。レクチュアの内容はオースティン講演とおなじもののようですが、この要約を中心に私の対談での印象を織りまぜながら、次号の『月刊百科』に報告を書きます。札幌講演に参加できなかった方々、とくにご期待ください。
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Tue Jun 16 12:36:21 JST 1998
Giorgio Trieste ( aloha@u.washington.edu )
Happy Bloomsday! 1904年6月16日のダブリン。その一日を背景に書かれたのがジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』で、今日6月16日は世界中のジョイス・ファンによってブルームズデイとして祝われます。ぼくは別に何もしませんが、せめて今夜は一本だけギネスを開けて、『ユリシーズ』のいずれかの章を読んでみたいもの。そして遠くから、不滅のダブリンを思うことにしましょう。
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Tue Jun 16 19:49:32 JST 1998
Michael Fury ( aloha@u.washington.edu )
Riverdanceというショーがある。上半身をぴんと立てて、足だけで細かいステップを踏む、いかにも緑の草原で踊る妖精の踊りをおもわせるアイリッシュダンスのショー。それのビデオが気に入って、去年から毎日見てるんだけど、ブルームズデイにジョイス関係の本をぱらぱら見ていて発見したのは、興が乗ると友人の前で歌ったり(もともと歌手志望)踊ったりしたジョイスが、踊っていたのがまさにそんなダンスだったということ。そういうドローイングが残っています。おじさんがやるんだから妖精というわけにはゆかないけどね。しかしケルトの太古を感じさせる、非常におもしろい踊りです。ジョイスからリヴァーダンスは、やはりちゃんとリフィー川によってつながっていた。
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Tue Jun 16 23:15:27 JST 1998
播磨屋ようこ ( fwgl0313@mb.infoweb.ne.jp )
今日が「ユリシーズの日」とは気がつきませんでした。
教えて頂いてありがとう。思わず「じゃ、この時刻は一体どこの章なんだろう。」
と、20年前に読んだユリシーズを引っぱり出して読み捜しましたが、悲しいかな
そんなに読み込んでいないので、たちまちダブリンの迷宮の中に入り込んでしま
いました。それがとっても楽しい思い!! BLOOMS DAYというのも初めて聞きま
した。素敵な日があるものですね。 本と言えば、この前の土曜日に 「生命の
樹」の作者、マリーズ・コンテさんの講演会に行って来ました。彼女はとっても意
志が強そうで豊満で不機嫌で賢こそうでした。お友だちにしたら ちょっと手強
そうだけど こんな魅力的な人が日本にいらしたら楽しいだろうなぁと思いました。
「生命の樹」の本にサインしてもらったとき握手してもらったのですが、以外に
優雅で柔らかい手だったのが忘れられません。・・・ああ、カリブに行ってみたい。
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Tue Jun 16 23:40:49 JST 1998
Yuji "Dubliner" Furuya ( y-furuya@heibonsha.co.jp )
ダブリンの空港を出て街へ向かうと、まず大きなGUINNESSが
Welcome to Dublin ではなく Welcome to GUINNESS!と出迎えてくれます。
あのクリーミーで精細な泡をもった、慎重に、丁寧に、入れられるGUINNESSでまず一杯。
6月16日ではなく秋に行っても(多分いつ行っても!)、
ディーダラスやブルームになった人々が街中を歩いているみたいです。
ほとんど嵐のような日に、根性で荒海間近のジョイス・タワーへ行ったのはもう5年前か。
缶のGUINNESSでは何ともなりませんが、それでも今日はちょっとDublinerになってみました。
東京・原宿のビューリーズ支店や新宿のライオン2階のアイリッシュ・バーも試してみましたが、
やっぱり泡がちがうんだよなあ。ダブリンでは空港のバーで呑んでもじつにじつに絶品でした。
これからついでに短編集のDublinersも引っ張りだしてみるか。これもじつにじつに絶品!
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Wed Jun 17 21:41:12 JST 1998
Jamaican Dog ( aloha@u.washington.edu )
ギネスって、ジャメイカでもよく飲むんだけど、絶対に冷やさない。生温いやつ一本で、明け方までレゲエを聴いたり、踊ったり。アフリカでもだいたいビールは冷やさないんだってね。西江雅之先生が、どこかで書いてたみたいな気がする。
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Fri Jun 19 06:06:00 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
ついに、今福龍太さんの公演日が明日(20日)になりました。講演の内容は確実におもしろくなります。今福さんとお会いできるのが楽しみです。(2時から、大阪府高槻市民会館にて)
購入書籍:イルミヤフ・ヨベル著『スピノザ・異端の系譜』(人文書院)、イアン・タッタソール著『化石から知る人の進化』(三田出版会)、岡田英弘著『世界史の誕生』(筑摩書房)、尾本恵市著『分子人類学と日本人の起源』(裳華房)、王勇著『唐から見た遣唐使〜混血児たちの大唐帝国〜』(講談社選書メチエ)。購入雑誌:「世界/98・7」(今福龍太・巽孝之「複数のアメリカ」像を掘り起こす)、「中央公論/98・7」(網野善彦・古文書返却始末記の連載開始)、「創造の世界/98・106」(赤坂憲雄・谷川健一・山折哲雄「いま、民俗学は可能か」)、「小説すばる/98・7」(舟戸与一「虹の谷の五月」連載開始)、「状況/98・7」(特集・崩壊する「日本的システム」)。
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Sun Jun 21 12:52:30 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
昨日の今福龍太さんの講演は50名の参加者がありました。
リオグランデ川の両側にある双子都市(メヒカリ〜カレシコなど)
ロープで行き来する小さな艀、ダムの地下トンネル
そして陸続きに国境地帯を結ぶ秘密のトンネル
両者の狭間に生成するボーダーゾーン
想像するだけでぞくぞくします。
ほんとうに行ってみたくなりました。
エミール・クストリッツァの「アンダーグラウンド」の話で結ばれました。
ぼくもあの映画をみましたが、あれは快作でした。
ボーダーゾーンへの想像力をかきたてられた一日となりました。
ゴメス・ペーニャのパフォーマンス・ビデオには大変引きつけられました。
後日、ビデオをダビングして、送っていただけることになりましたので
スペイン語の辞書を引きながら、講演内容を反芻したいと思っています。
それでは、また。
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Mon Jun 22 09:43:28 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
今日は代休日。私は本質的に at workless (こんな言葉あるのかな?)が好きなんだな。気分が自由になる。
私とパソコンとのおつき合いは短い。私は活字人間で、パソコンを話題にする人間を嫌ってきた。あの人寄せつけない、微細なパソコン用語でオタクチックにしゃべりあう雰囲気が嫌いだった。それで、ずうっと原稿は手書き。友達に譲ってもらった中古のワープロをやむを得ず仕事で使う以外は手書きを通してきた。
まったく未知の人との接触も、手紙を書き、電話をし、のこのことどこにでも出かけて行き、会うというのが私の手法であった。ある友達は僕のことを「ブリキのタンク」と評した。けだし名言であるなと思っている。
ところがである。一昨年の暮、リゾナンスの友人2人に、「もういいかげんにせい!」「これは絶対、君向けだし、病みつきになるから」とすすめられ、大阪の日本橋の電気屋街まで連れて行かれた。機種も何もかも分からないから、すべておまかせでパソコンを購入。昨年の3月にインターンネットに接続した。
最初はトラブル続きだったが、慣れはじめて、そのおもしろさにはまりだした。このカフェ・クレオールに出会ったのもその頃だった。それから約一年余り、不思議なものだが、シアトルの管さんと連絡が瞬時につき、今福さんとはメールだけで講演会の打ち合わせがすべてでき、講演会当日にはじめてお会いした。お声を聞くのもはじめて。こんな経験はぼくには驚異的だ。
わざわざ井村さんとそのお友達の浅野さんも名古屋から来てくださり、ホームページに訪ねて来てくださった滋賀県の小倉さんは2度目の参加。うれしいかぎりだ。
私のホームページは相変わらず、文字ばかり(これは旧来の私の体質の残滓)ですが、この夏には写真を入れる勉強をしようかなと思っています。
さあ、今日はポルトガルのマノエル・デ・オリヴェイラの映画「世界の始まりへの旅」を見に行こう!それでは、また。
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Wed Jun 24 12:37:32 JST 1998
Keijiro Suga ( aloha@u.washington.edu )
この4月、オクタビオ・パスとリオタールが続けて亡くなったことは、記憶に新しいことと思います。さて、昨日、日本の知人と話していて、ちょっと驚いたことがありました。アメリカではパスの逝去はトップ記事扱い、ところがリオタールに関してはほとんど何も出なかったと思います(ニューヨークタイムズでも出なかったんじゃないでしょうか)。それが日本ではパスの死亡記事は出ないに等しくて、リオタールについては追悼記事がいくつかあったようですね。アメリカにとっては隣国の大詩人のことだから、といえばそれまでですが、20世紀後半のアヴァンギャルドについても、かくも比重がちがうのかと、ちょっと驚きました。それとも日本のほうがアメリカよりもヨーロッパ志向が強いということかな。つまらないことですが、観察まで。
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Wed Jun 24 19:03:15 JST 1998
Ryuta Imafuku ( archipel@dddd.ne.jp )
パスとリオタールのあいついでの死去は、私自身にとっても、今年前半のもっとも記憶すべき精神的事件であったことはたしかです。とりわけパスの死は、さまざまな個人的記憶や情念の甦生と昂揚をもたらし、ある特定の個人にたいして誰もがたった一度しか書くことのできない「追悼文」という種類の文章を書くよう私を強くうながすことになりました(まもなくカフェクレオールに公表すると同時に、近々『思想』誌にも掲載する予定です)。ところでパスの死亡記事は、少なくとも私の知る限り、日本の新聞紙上でも、リオタールのものよりは明らかに大きな扱いでした(手元に朝日新聞の両者の切り抜きがあります)。両人の死亡記事のそれぞれ翌日には、野谷文昭(パス)、小林康夫(リオタール)の追悼記事が掲載されていました。どちらも、急いで最低限の新聞的要求に応えた、というだけの見るべきもののない記事でしたが。それ以後、パスについての本格的な追悼文は知りません。私自身は、5月22日夜、青山のワタリウム美術館で開催されていた「カーロとリベラの家」展での公開対話で、多木浩二さんを相手に、ほとんどパスへの一方的な追悼のつもりで、パスの著作からさかのぼってメキシコのモダニズムについて2時間ほど熱っぽく語りました。自分でも異様なほど興奮した語りだったと思います。これも、できたらどこかで活字にしたいと思います。パスの好んだ"salto"(飛ぶこと、飛躍)という語彙のもたらすイマジネーションが、私を20年間たえず牽引してくれました。スペイン語で"salto de agua"(水の跳躍)といえばもちろん「滝」のことですが、来週にでも長良川源流にある、わが偏愛する滝を見に行って、再びパスを回想しようかと思っています。
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Wed Jun 24 19:28:44 JST 1998
Ryuta Imafuku ( archipel@dddd.ne.jp )
先日6月20日の高槻での講演会後のパーティでは、楽しい語らいのときを持つことができました。主催者・参加者の方々に心より感謝します。私はとりとめもなく、メキシコの北部の砂漠地帯の峡谷の村で毎日ハンモックを吊して星空を眺めながら寝ていた話しなどしたのですが、先日このコーナーにも書き込みをいただいた播磨屋ようこさんから、ぜひハンモックで寝てはみたいのだけれど自分は寝返りがうてないと眠れない。そもそも「ハンモックで寝返りがうてるの?」というチャーミングな質問が後日メールにて来ました。お答えしましょう。ご心配なく。吊り方さえ間違えなければ、ハンモックでも問題なく寝返りがうてます。ハンモックはできるだけゆるく、ほとんどUの字に近い放物線状に吊るのがコツです。こうすることによって揺れに遊びが生まれ、ハンモックの反転による転落を防ぎ、ハンモックの上での自由な動きが可能となります。そしてできれば、ハンモックはシングルではなくダブルを入手しましょう。ベッドだけでなく、もちろんハンモックにもダブルサイズがあります。これなら、二人でゆったりと横になり、あいだに幼児を寝かせることすらできます。そんなシーンが、エイゼンシュテインの「メキシコ万歳」にありましたね。あとは、脚を少し広げ、ハンモックにたいしてやや斜めに体を横たえることで、寝る面積を広げる工夫が大事かもしれません。たえずどちらかに斜めに構えて、ハンモック上から揺れる空を眺める・・・、こんな、世界にたいする相対的な視線が私は何より好きでした。
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Wed Jun 24 21:15:14 JST 1998
Toshiyoshi IMURA ( imura@gc4.so-net.ne.jp )
この一ヶ月間、インターネットもメールも使わ(え)なかった。それまでも、コンピュータに必要以上に依存するような生活をしていたわけではないので、特に不便を感ずることはなかったが、この機械を少し距離をおいて見ることができたのは良かったと思う。もちろんプロバイダさまのおかげで、人間関係は円滑になり、情報は大量に手に入れることができるので、確かに便利であることは間違いない。メールが使えないために電話をしてくる友人も何人かいて、僕は「ごめんごめん」と言ってから、「しかし俺はなんで謝っているのか」とも思う。1カ月ぶりにゆっくりとカフェ・クレオールを見ると、かつて、5カ月振りに(昔は観光ビザでアメリカにこれだけいられた)日本の新聞を見るという体験を繰り返していたあの頃を、かすかに思い出したりもする。そういえば、ちょうど10年前、昭和天皇の死を数週間後にニューヨークの知人の家で知り、それから4カ月後に日本に帰ってきたときに僕は、三島が言ったような「時代と寝る」という感覚は、現代のような誰もが移動しているような時代には難しいことなのだろうと感じていた。卒論のために三島と天皇の勉強をしていた僕が、天皇が息を引き取った頃マタモロスにいたというのも何かの縁だろう。マタモロスでは、天皇はただのおっさんと同じようにひっそりと土地に帰っていく存在に過ぎない。誰にしても、あらかじめ決められた場所では死ねず、また看取られることもできない時代なのだ。死を受けとめてくれる共同性はどこにあるのか? だからといって、世界中が同じ夢を見ることができると錯覚させる機械に踊らされる必要もない。インターネットで交換される情報など知れたものだ。それがないと、ある種の友人とは疎遠になるかもしれないし、多くの有益な情報はつかみ損ねるかもしない。しかし、機械に接する時間の流れを、それとは違う流れにいつでも変えることができる、という確信を捨てるべきではない。この1カ月間、コンピュータに向かう代わりに僕は、村上春樹(なぜか?)と森鴎外(すばらしい!)と江戸川乱歩(もちろん!!)の作品の大半を読み直し、近くの低山に登りまくり、エバンス系のピアノをひたすら聴き、中学時代の友達に十数年振りに邂逅した。そうしてまた、こうして再びコンピュータに帰ってきたのだった・・・。
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Wed Jun 24 23:55:49 JST 1998
calamares ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
先日、マノエル・デ・オリヴェイラの「世界の始まりへの旅」を見た。
ロード・ムービーと言えば、普通、カメラは進行方向に向けられていますよね。ところが、この映画のカメラは進行方向と逆向きに撮られている。この不思議な遡及感覚。冒頭から酔いましたね。
オリヴェイラの分身と言うべき映画監督(マルチェロ・マストロヤンニの最後の作品になりました。必見!)とスペイン系フランス人の俳優がそれぞれたどる「自分さがしの旅」が北ポルトガルの辺境の地に人々を誘う。
辺境の地での語りが現在のサラエボに通底する。すごい人ですね。オリヴェイラは今や90歳を越えている!ポルトガルって変な国ですね。ペソアといい、不思議な人を生み出すのはなぜなのだろうか。ポルトガルに行きたい!
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Thu Jun 25 03:28:45 JST 1998
井村俊義 ( imura@gc4.so-net.ne.jp )
先日行われた高槻での今福氏の講演会と、その後のパーティーに参加させていただきました。会場では松岡さんたちにお会いすることもでき、とても実り多い一日でした。講演会もパーティーも大成功でしたね。帰途は当日がクロアチア戦の日だったこともあり、サッカー談義で盛り上がりました。「日本チームはFWをおかず、その分をMFにしろ」のような、どこまでが冗談なのかわからない(「本気に決まってるだろ?」と叱られそうですが)今福氏独自の理論や、メキシコのアステカ競技場の近くに住んでいた話、コロンビアチームの内幕、中田のHPの存在など、いつものように遊戯性に富んだ会話で僕たちを楽しませてくれました(「普段の会話は講演より面白い!」なんて書いたら、怒られるかな)。日本が一次予選で敗退した今、窮屈なナショナリズムに縛られずに、個々人の身体性に裏打ちされたプレーを通して、それぞれが自分に合ったチームを応援するのもいいのではないでしょうか。それにしても、「ジャマイカ対日本」ってなんかわくわくしませんか。「勝手気ままなレゲエ・ボーイズ」と「岡田軍曹に率いられた演歌少年たち」はいったいどんな試合をするのでしょう。1勝もしてないのに、ディズニー・ランドで井原が家族サービスしてたら、やっぱサポーターは許さないんだろうなあ。
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Thu Jun 25 11:07:05 JST 1998
Ryuta Imafuku ( archipel@dddd.ne.jp )
中田英寿のホームページに掲載されて評判だった彼のフランスからの手紙が、突如休止されたのはご存じですか。中田本人が、中止する旨のメールを書いてきたのです。理由は、予想通り、クロアチア戦敗北後に読者から届く誹謗・中傷・非難のメールの洪水に、中田自身、つきあいきれなくなった、ということのようです。中田を弄んだ「ファン」というものの本性が、たてつづけの敗北という「結果」によって露呈されたわけです。クロアチア戦の失点が中田の「ミスパス」によるという、まさに「結果」だけを書き連ねるマスメディアにただ追随して、憤懣を中田にたいしてぶちまける「ファン」という名の、厚顔無恥な暴力。なにか同じような光景を、私たちはすでにアジア最終予選の国立競技場の場外乱闘で見ていたような気もします。けれども、中田の偉いところは、そうした目を覆いたくなるような自己陶酔と身勝手の洪水のようなメールとフランスでつきあいつづけ、最後にそれへの決別を自らの言葉で直接語ったことでしょう。この20通ほどのフランスからのメールは、今回のワールドカップの予想だにしなかった「収穫」だと私は思います。中田英寿オフィシャルホームページを、ぜひのぞいてみてください。
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Thu Jun 25 14:49:43 JST 1998
Toshi Imura ( imura@gc4.so-net.ne.jp )
ファンは自国のチームが勝つことを願っているのはわかるんだけど、それだけの理由で一喜一憂するなんてちょっと寂しい。ただ1-0とかの結果だけに、喜んだり悲しんだりしてるなんて何か変だ。そういう気持ちが、中田をあの試合での悪者にしてしまうんでしょうね。勝負にこだわることと、その責任を特定の誰かに押しつけたいという気持ちを安易に結びつけてしまうような思考の流れは、サッカーという競技にはもっともふさわしくないものだと思います。ワールドカップを戦争の比喩にたとえるのはいいけど、やはり実際の戦争とはその点で違うでしょう。戦争面は岡ちゃんに任せとけばいいのだ(岡ちゃん、小野を出せ!)。勝利のヒーローに群がり、負けた責任者を吊し上げては大衆は団結を高め、それらを消費し尽くすと、次のターゲットを探しに旅に出る。そういう「旅する大衆」には入りたくないなあ。失敗しても、城みたいにへらへらしたり、中山みたいに自分で勝手に納得してるのもどうかと思うが、中田のバックパスうんぬんよりも、サッカーに関するもっと程度が高くて、美しい文章が読みたい。それは直接的であるとともに、比喩的であり、論理的なものです。そういう意味で、中田のHPは貴重な場だと思っていたのに、いざメールを送ろうとしたら休止してしまった。つまらんことを、うだうだ言ってるやつを、俺は恨むよ。
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Thu Jun 25 23:44:27 JST 1998
Coyote ( aloha@u.washington.edu )
サッカーにまるで興味のないおいらだが、上で話題になってるので中田ってやつの手紙を読んでみた。義憤を感じたね。何よりも、日本の新聞にね。あるいはメディア一般の水準といってもいいが。だいたい、日本の新聞は記事が短いよね。子飼いの記者には文章が書けるやつがいないし、知識もまるでないやつが多い。散文として自立し、ある世界を、そこで起きた事件を、本当に見せてくれる記事なんて、めったにお目にかかったことがないもんな。別にスポーツにかぎった話じゃないよ。政治、経済、文化、社会、家庭、なんだ、かんだ。特にスポーツは、(アメリカみたいに「スポーツ」面が異常に肥大しているのも変なもんだが)、どんな競技のどんなすばらしい試合でも、その報告としてカラフルでエクサイティングな記事なんて、ない。だいたい、知らないんだよ、何が起こっているかを。考えてもいない。考える気もない。勝敗のあいだを隔てるものすごく薄い一枚の被膜を、徹底的に描写してみろ、っていいたいよ。勝利の女神とのハイメンだよ(というのもセクシズムだが)。しかしサッカーファンがそれだけ多いんだったら、本格的なサッカー批評サイトを作ったらいいじゃん。
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Fri Jun 26 01:25:19 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
すんません、私もサッカーに興味がなくって。プロ野球ってやつにもね。まわりが騒げば騒ぐほど、白ける方でして。でも、中田さんのホームページにはリンクしました。読んでみます。
日経新聞にマリーズ・コンデさんの記事がでたそうです。(日曜日の書評欄だそうです。)明日、新聞屋さnで手に入れます。
今度の土日は「パーフェクトサークル」(アテミル・ケノヴィッチ、戦禍のサラエボが舞台です。)と「ハムレット」(ケネス・プラナー)を見る予定。
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Sat Jun 27 08:13:06 JST 1998
播磨屋ようこ ( fwgl0313@mb.infoweb.ne.jp )
今福さん、ハンモックの事をいろいろ教えていただいてありがとうございます。
次はハンモックを部屋の中につるしたくなってしまいました。どこに売ってい
るんやろ。昨晩はサッカーの事は何もわからないのに「ジャマイカー日本戦」
を見てしまいました。ジャマイカの選手がシュートする時、すごく嬉しそうで、
ドリブル(?)もまるで音楽みたいなので、面白かったです。ジャマイカだって大変
だったでしょうが、何だか 楽しそう。 日本の選手も外野にやいやい言われて
プレッシャーが大変だと思いますが、「ここまできたら耳、日曜〜」言う感じで
楽しくやらせてあげたかった。
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Sun Jun 28 14:29:18 JST 1998
Keijiro Suga ( aloha@u.washington.edu )
カフェ・マスターの新コーナー、大歓迎です。ぼくは日本の雑誌や新聞はほとんど見られないので、こうして今福さんがあちこちに書いた文がカフェ・クレオールでアーカイヴ化されれば、便利だし、楽しい。「コヨーテ読書」のためにも、励みになります。メッセージボードを訪れたみなさんも、ぜひまとまった文を書いたら、送ってみてください。それでは!
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Tue Jun 30 04:53:26 JST 1998
Old Dog ( aloha@u.washington.edu )
日本語の変遷について。ぼくが小学校のころ、サポーターといえばゴム布でできた、手首足首にはめるものだった。これをつけると「足が軽くなる」というのが、小学生の理論。それがきょうびでは、典型的な烏合の衆、乱暴狼藉をほしいままにする連中のことをいうらしいね。これがあるから、ぼくはチームスポーツというのがとことん嫌いなんだよ。日本語が変わったといえば、「国鉄」はいつからかJRとなり、「農協」はいつからかJAとかいうんだってね。そのころから、だんだん日本語と縁がうすれてきた気がする。ピジン・クレオール言語に外来語の借用はつきものだけど、ただ目にあまるだけの不可解なカタカナ語の氾濫にはげんなりする。由緒ある地名をむりやり御倉入りさせて、「希望が丘」だの「青葉台」だのをどこの町にも作った、正気の沙汰とは思えない連中とかさ。いっそとことん反動化して、旧字旧仮名でいってみるか!
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Tue Jun 30 19:25:05 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
最新のコヨーテ読書、大変おもしろく読ませていただきました。
私がクレオール性という考えに興味を持ったのは、学校で在日朝鮮人の子供達に対する時にルーツに遡る方法がありますが、在日の子供といっても、もう三世や四世になり、感性や認識は日本人の子供と変わらなくなっており、この方法では子供にも私にもとても息苦しいのです。
そんな時、日本人とドイツ人の混血の子供を担任しました。この子がまあ大変な乱暴ものでして、次から次へと問題を起こします。茶色い髪の毛、青い目、日本語で生きる彼の心根に混血であることのコンプレックスを感じました。この彼が自信を持って生きるには、自分の人格が「複数性」を持つことに生きるターニング・ポイントがあると気づくことなんだと思ったのです。
その頃から、クレオール性についての文章が私の内面に着地しはじめました。
スパゲッティについてふれるものがなくってすいません。では、また。
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Tue Jun 30 19:40:30 JST 1998
井村俊義 ( imura@gc4.so-net.ne.jp )
メキシコがドイツに負けてしまった。日本が敗退した以上に寂しい。もうあのユニフォームは見られないのか。ルドゥスの祭典WCに、なんで「ゲルマン魂」なんておぞましい言葉が使われるのだろう。まあ「勝たなければ意味がない」と言いながら、結局1勝もできなかった日本に比べたら、ドイツは徹底さにおいて称賛に値するのかも知れませんが。30歳以上のドイツ選手の、これだけの活躍を事前に知っていたら、カズもラモスもフランスに行けたかも。そういえば、日本選手が帰ってきましたね。暗い顔して。「ナショナルチーム」に勝手にナショナリズムを投影して陶酔しているファンが、その「国家」が敗退したことで自暴自棄になって、選手たちに与える「けだもの」のような仕打ちを見ると、私はいつも(カズの時も)「大衆の反逆」という言葉を思い出してしまいます。試合前後に映されるサポーターと呼ばれる人たちの映像を見ると私はげんなりしてしまうのですが、十分に楽しませてもらったのは彼らなのだから、彼らこそ選手たちに感謝しに空港に行くべきでしょう。数十万円出してまでフランスに行ったというのに。それと、無根拠にも「アルゼンチンに勝てるかも知れない」と言って盛り上げていた「評論家」は、実はただの煽動家だったなんて、終わってから非難しても意味がない。それはジャマイカに対しても同じです。自分が得た情報から判断し、マスコミの扇情に踊らされないこと、というのは中田が教えてくれたもう一つのことです。それと、自分自身が楽しんだのなら、選手たちは笑顔で空港に降り立てばいい(一人もいないかも知れんのー)。私は勝敗というよりも、森島や小野を見れなかったことなどに少々不満があります。そして、私は今、なぜか無性にジャマイカに行きたいのです。
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