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アットホームレスなメッセージボードの記録1998.07


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アットホームレスなメッセージボードの過去の記録を読む。

Wed Jul 1 02:40:54 JST 1998
Keijiro Suga ( aloha@u.washington.edu )
松岡さんの中学校という現場からの感想、興味深く拝見しました。肉体的混血、文化的混血を生きている人々は、どこにゆこうとぼくらのまわりにいくらでもいる。自分が「たまたま」「比較的」安定した文化と言語と遺伝子を生きてきたからといって、それはほとんど偶然のことでしかない。文化衝突を内面化して生きる人々の「かたわらに」自分もまたたたずんでいるのだと自覚するとき、一社会というさまざまな偶然におりあげられた場に、思いがけない深みと不思議さの発見が生まれるのではないでしょうか。どこかのフランス文学者が「のんきにクレオール主義なんか唱えたっただめ」とわかったようなことをいっていましたが、それはごく一般的な意味で「日本人」として安定した人生を送ってきたものが唱える「クレオール主義」が一種「のんきなもの」であらざるをえないこと、その「のんきさ」に何が賭けられているかを、まったく見ていない発言だと思います。別にぼくはいかなる「政治的正しさ」を主張する気もないし、「評論家的高み」から文化の混血を論じるつもりもないので、どうでもいいことですが。それから考えても、あくまでも自分が現実にぶつかってきた存在の顔を、声を思いつつ、「クレオール性」の思考に何が賭けられているのかを考える松岡さんのような姿勢には、たしかにわれわれの誰もが学ぶべきものがあると思いました。
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Wed Jul 1 03:00:27 JST 1998
Coyote ( aloha@u.washington.edu )
ポルトガルの北方、スペインの辺境扱いされることの多いガリシア地方に、ビゴという港町がある。アラン・ジョリスというアメリカ人の書いたメモワールを読んでいたら、外交官だった彼の家の腕利きの料理人で、彼を実質上育ててくれた女性だったマルーハが、孤児として育ったビゴで子供時代に覚えた唯一の英語のせりふが「ギヴ・ミ・チュインガム」だったことを知って、おもしろく思った。東松照明によって日本語では不朽のフレーズとなった「チューインガムとチョコレート」の状況は、もちろん「アメリカ」の軍事的存在があったすべての港町、基地の町で、全世界的に存在していた。それで子供たちが覚える最初の英語は「ギヴ・ミ・チュインガム」。その事態のよしあしを、いまここで問おうとは思わない。それは判断の、別の次元に属することだ。ぼくが想像したのは、沖縄の、ガリシアの、韓国の、中米の、すべての基地の町の子供たちが成長して、たまたま一堂に会した情景。みんな、共通の言葉がない。英語も、「そのひとこと」を除いては、知らない。でも誰かがふと思いついて、いたずらっぽく笑いながら「ギヴ・ミ・チュインガム」と口にする。みんなの顔が明るくなる。それからみんな口々に「ギヴ・ミ・チュインガム、ギヴ・ミ・チュインガム」。いいおじさんとおばさんになった異国の子どうしが、肩をたたきあい、笑いあって。いっておくが、これは寓話だ。そしてその寓話に、隠された意味はない。すべてが露出している。意味は、きみが自分で決めてくれ。
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Wed Jul 1 08:33:55 JST 1998
Perrito impertinente ( aloha@u.washington.edu )
サッカーは魔ものだね。まるで興味がなかったぼくだが、ついつけたテレビでアルゼンチン対イングランド戦を見てしまった。冒頭の早いペースの得点に、ひきこまれて。2対2になってからが、長かったこと。見ている分には短かったが。そしてPK線。観客席で祈っている唇の分厚いおじさん、あ、あれはミックじゃないか。おおい、ミック。祈るなよ。笑えるぞ。なんだかんだで、たちまち2時間あまりを、電気箱の前ですごしてしまった。外はこんなに天気がいいというのに。もうテレビはつけない。
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Wed Jul 1 19:56:21 JST 1998
Toshiyoshi IMURA ( imura@gc4.so-net.ne.jp )
僕が住んでいる市の隣の市で、日系ブラジル人の14才の少年が暴行されて死んだ事件。ちょっとした憂さ晴らしを、何の理由もなく、「外国人」だからという理由で、「日本」の少年たちが集団で、しかもナイフまで行使し、死に至らしめた事件。詳しい状況はわからないけど、咄嗟に僕は、関東大震災の頃から大してわれわれの精神構造は変化していないのかと思った。何が変わり何が変わらず、そして何を変えていかなければいけないのか。いや、まず、われわれは何に気付かなければいけないのか。例えば、「経済状況」が悪化している韓国では暴力が増えつつあるという情報や、あるいは、「教育現場」における生徒と先生の関係の今までにない大きな変化(悪化)、「日本人」という安易な単一集団幻想における「外国人」との関係などについて、「自分の問題」として考えていくことが重要だろう。僕が小学生の頃、近所にいたハーフの男の子をいじめている集団がいて、僕はそれに対して少しも反対する動機を持てず、いわば「思考停止状態」だったことを覚えている。「仲間はずれ」とは違う「差別」という言葉の持つ過酷な意味を、その時の僕は怠慢にも知らなかったのだ。それから自分自身がいくつかの差別に遭遇し、驚き、これはいったい何なのかと考えてきた。その際に、「人種差別反対」という美名のもとに無闇に賛同することにはあまり意味がない。そういうことを顕現せしめる精神構造の克明な観察が必要だ。いざとなったら人種差別主義者になってしまうような偽物の「博愛主義者」にならないためにも。
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Thu Jul 2 18:18:53 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
 コヨーテ読書を読むの続き。2年余り前に、クレオール性についての文章が私の中に着地したと言いましたが、その頃の文章を打ち直します。
 この文章を書いた頃は旧式のワープロを使っていまして、パソコン通の輩を大変嫌悪していました。よって、その頃のものは転換不能です。

 最近のテレビ番組で「未来潮流/文化人類学者・今福龍太の“文化は<混血>する”」を見たが、大変おもしろかった。多民族が混交するロサンゼルス、民族の根っこに帰結する「アイデンティティ」という思考方法の無効さを考えさせられた。日系アメリカ人の女性作家(カレン・テイ・ヤマシタ)の話がアクチュアルであった。三世の彼女がアイデンティティを求めて留学した日本にはそれは無かった。それを見つけたのが混血をプラス価値とするブラジルであった。未来に向かってのアイデンティティは<xゾーン>にあると、今福氏は言う。私が求めている方向だ。
 私が関係する在日朝鮮人教育で、民族的自覚を生徒に持たせるための従来の方向では打開できない生徒の現実がある。その点について、この番組に刺激されて、以下に、現在、私が考えていることをまとめてみようと思う。
 1、現在、中学校に通う在日朝鮮人生徒たちは、三世になり、もう四世もいる。この生徒たちが、「民族的アイデンティティ」を持つことは、ほんとうに可能なのかという疑問である。この問題については、日本への同化でもなく、また、非現実的な「祖国」への民族的回帰でもない第三の道として、<在日であること>に活路を見いだす方向が金詩鐘氏等によって打ち出されてきた。
 それにしても、在日朝鮮人生徒の現実は同世代の日本人生徒の感性とあまりにも同質的である。そこから在日朝鮮人生徒の認識を引き剥がす手法として教員が経験則として身につけているものは、日本社会の差別的現実を彼らに突きつけることである。それはある意味でやむをえず取らざるをえない方法であるが、彼らを日本社会の排除による自己否定的認識にのみとどまらせることでよいのか、との疑問をいつも持つ。そのようなことを考えるとき、今福氏の仕事の中で言う<クレオール主義>、あるいは<文化は混血する>との考えに、これまでの私の疑問を解く鍵があるように思う。
 生徒達のアイデンティティは、自己の「民族」(在日朝鮮人生徒にそれがあるとして)の過去に、または、現在の現実にのみあるのではなく、<未来に向かっての“Xゾーン”>にあるのだろうと思う。そのことを深めて考えていきたいと思う。
 2、次に考えるのは、在日朝鮮人生徒と関係を結ぶ日本人生徒の側の問題である。私の勤務する中学校は「高級住宅地」の中にあり、塾通いにあけくれる生徒たちにとって、在日朝鮮人生徒とつながる意味は何かということである。差別問題が論じられるとき、差別される側にのみ視点があてられがちであるが、私は日本人生徒がからめとられている日常からの解放の問題を重視したいと思っている。在日朝鮮人生徒と日本人生徒の両者を視野に入れて考えようとするとき、次の市村弘正氏の指摘は重要であると思う。
 若い日本人が現実に対して当事者感覚を持てぬまま「何者でもない」ものになりつつあるとすれば、かれ(在日朝鮮人三世)は、同じように何者ものでもないものであるとともに、日本人ではないものである。そのことが、かれの日常生活にたえず絡みついてくる。すなわち、かれの存在は、日本人でないということによって一面的に規定されるのではない。その一面をとりだそうとするのでもない。かれは二重に「ない」ものとしての存在様態のもとに置かれるのである。かれにとって三代目であるということはそういうことである。(「在日三世のカフカ」『小さきものの諸形態』筑摩書房、所収)
 この文章は、在日朝鮮人三世に焦点があてられいるが、在日朝鮮人生徒と日本人生徒の両者が置かれている状況が見えてくる。私は教員として彼らに接していくとき、両者がどのように関係を取り結べばよいか、また、両者の解放はいかにして可能かを考えたい。その時、差別問題だけの視点で生徒の関係を見ないことに心がけたい。そこで、本質的な問題として考えたいのは、「若い世代のアイデンティティの確立」は可能なのかということである。これは、感覚的な予感なのだが、アイデンティティという根つきの思想ではなく、<融通無碍のバイパスの発想>で人生を切り開くことが今の若い世代には可能ではないか。「未来のアイデンティティは“Xゾーン”にある」ということではないかと思う。私もその未知の方向を模索しながら、両者が在日朝鮮人問題を考える中で<両側から越える>営みに、教員として伴走していきたいと考える。

 長い文章ですみませんでした。文章が固いですね。この後、転勤しましたので、思考は発展していません。あの頃から待望していた今福さんを呼ぶことも実現したのですから、そろそろ次の地平に飛ぼうと思っています。長い文章におつきあいいただき、ありがとうございました。
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Thu Jul 2 23:59:10 JST 1998
haruo ejima ( adowc@ddt.or.jp )
はじめまして、貴殿のホームページにさまよい込んで、表現力に多少のとまどいを 感じております。 それが、私どもに毒になるやら、薬になるやらそれは、時々訪れての楽しみにしたいと思います。 わたしのコメントはいずれなれてから、 では see you next time,bai by
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Fri Jul 3 17:37:33 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
 購入書籍のチェックです。パトリック・シャモワゾー著『幼い頃のむかし』(紀伊国屋書店)、ルネ・シェレール著『ノマドのユートピア〜2002年を待ちながら〜』(松籟社)、福島隆彦著『アメリカの秘密〜ハリウッド政治映画を読む〜』(主婦の友社)、砂守勝克巳著『オキナワ紀聞』(双葉社)、鷲田清一著『普通をだれも教えてくれない』(潮出版社」)、ガーナー・シモンズ著『サム・ペキンパー』(河出書房新社)。購入雑誌:「ユリイカ・98/6」(特集・ボサノヴァ)、「ちくま・98/7」(今福さんの連載3回目)、「噂の真相・98/7別冊」(日本の文化人)、「思想・98/7」。
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Fri Jul 3 19:49:21 JST 1998
「浅野ビッチ」くんへ ( imura@gc4.so-net.ne.jp )
ミック・ジャガーが、イングランドを応援するためにサッカーを見に行っちゃいかんよ。「ジャマイカ対日本戦」でも見てたらかっこいいけどね。ジョン・レノンだったらどうかな。彼だったら何してても許せちゃうな、逆に。ポールだと「やっぱし」って感じ。例えば、永ちゃんが日本のために、PK戦で手を合わせて祈ってたらぶっとぶだろうなあ。ボールがはずれて涙まで流してたら、もう笑えるっつーの。清志郎でも同じだ。今の彼じゃ、そうでもないか。死ぬまでつっぱって生きるのは難しいね。甲本ヒロトだともう許せちゃうもんな。河村隆一になっちゃうと、もう「お祈りの姿がさまになっちゃってます」ってなること必至だ。ことほど左様に、とっくの昔に「いにしえのロック」は死んでいたのでした。でも、シド・ビシャスだったら許せて、ジョン・ライドンだと許せないのはなぜだろう。三島だと許せて、太宰だと・・・。きりがない。
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Sun Jul 5 17:22:38 JST 1998
T.Miyata ( michaux@hotweb.or.jp )
おそるおそる一ヶ月ぶりに書き込みさせて頂きます。 サッカーを見る度に思うのですが、果たして私のこれからの 人生において、ゴールを決めたプレイヤーのような熱狂と感情の 爆発を表現する場があるのだろうかと・・・。でも、人間には あのような「歓喜の感情の爆発」を表現する能力があるんです 。でも実生活においてその場がなかなかない。人間はやはり 全ての能力を発揮できない存在なのでしょうか(単に私が欲求不満なのかもしれませんが・・・笑) 先日多木浩二さんのサッカーに関する評論を読売新聞で見ました。 W杯では最早ナショナリズムもフィクション化しつつあるとの ことが書かれてありました。早速 多木さんの『スポーツを考える』(ちくま新書)を買ってきまして これから読もうと考えています。その後はアルトーの著作集です。 今福龍太さんの講演会を拝聴していらい、どうも関心が高まっています。 彼の演劇論を読んでますと、現代社会における広義の演劇性との関わりで 少し考察してみたくなります。
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Mon Jul 6 01:09:34 JST 1998
Inokuchi Akiko ( co-bit@qb3.so-net.ne.jp )
ただのたちよりなのですが・・・「クレオール主義」を読んでしまってから、なんだかあれこれ気になっていて・・立ち寄らせていただきます。
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Mon Jul 6 01:22:15 JST 1998
Inokuchi Akiko ( co-bit@qb3.so-net.ne.jp )
・・・と、さきほど、うっかり途中のメッセージをエントリーしてしまいました。さて、唐突ですが、ニューヨークに住むXu Bing(Slow Iceとでも訳せましょうか)というアーティストがいます。彼はアルファベットを漢字のバーツにして、文字を創るアーティストです。Messageなども、アルファベットをもとに彼がつくったパーツを組み合わせてひとつの漢字になるのです。彼の作品を9月に展示するというある美術館の依頼で、彼の作品をプログラムによって再現する仕事を受けました。彼の美意識を再現するまでは行かなかったのですが、打ち合わせで来日した彼にまだ途中のプログラムを見せたのですが、「難しいとは思うけれど、いろいろ取り組んでほしい」と熱心に話していました。「これは、新しい文字だし、新しい言葉を生む文字なんだ。これまでにない文化をつくれる」などなど。私たちのプログラミングがどこまでたどり着けるかわかりませんが・・・秋が近づくころ、(企画がポシャらなければ)あらためてご案内します。なんか、へんなたちよりで、ごめんなさい。では。
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Tue Jul 7 05:14:54 JST 1998
Syu-taHashimoto ( syu-ta@air.linkclub.or.jp )
始めまして。神奈川で学生をしている橋本です。
さて、この話しは直接はクレオールともクレオール主義とも関係がないのですが、アイデンティティというか回りの目、というニュアンスを含むので書かせてもらいます。
僕は群馬の生まれでついこの間神奈川に引っ越してきました。そこで、前からネットで知り合っていた友人と何度か会っていたところ、突然彼が「お前の訛り始めて聞いたんだけどさ、」と次のことを話し始めました。
群馬訛り(特に僕の住んでいた桐生)に、語尾に「さ」をつけるというのがあります。「映画みたんさ」という「さ」です。「それが東京訛りのように高く発音すればかっこいい。」
それ以外は共通語と変わりのない話し方をするため、その「さ」がよくやり玉にあげられます。訛りを使う=田舎者の図式を直接割り当てられ、僕はいつまで経ってもこっちでは田舎者です。別に僕自身はそれで困ることはないので問題ではないのですが、ここでふと思ったのが、 普通に生活している人間にとって言葉とは共通語を指すのでは無く、彼らの口語を指すんだな、ということです。いわゆる話し言葉です。
子供同士のグループがお互いしかわからない言葉を好んでつかったり、学校で「流行っている」言葉を多様したりするのは、彼らがその集団であることにアイデンティティを持ってる証拠なんじゃないか。最近の外来語の多様や「コギャル言葉」といった明治生まれの言語学者を嘆かせる現象も実は言語学がどうのこうのという話しではなく、価値観の崩壊した現在、あらたな「言葉」を産み出すことで自分達の立場を作り出す彼らなりの正当防衛なんじゃないか。
そう捕えたとき、僕自身はそういう特殊な日本語に触れるというのが不思議なものじゃ無くなりました。それは言葉の作るアイデンティティという面から見ればクレオールや英語やスペイン語といったものと同じだったからです。
以上、つまらない話しでしたが僕の思ったことでした。
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Tue Jul 7 06:54:58 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
 今夏最高気温を記録した先週の土曜日、妻の甥の結婚式で東京へ行きました。行ってびっくりしたんですが、甥の彼女の家庭はいわゆる「国際的」でした。
 彼女は中3からアメリカに留学し、大学留学中に甥とアメリカで知り合い、結婚と相成ったとのことでした。お世話になったアメリカ人をアメリカから結婚式に呼んだり(高こついたやろな!)、子供の時のピアノ先生が披露宴のピアノの伴奏をしたり(新婦はバヨリンも習っていたそうだ。)、子供の頃からお世話になっている日本在住のアメリカ人女性が英語でスピーチ(新婦の友達が通訳)といった光景でした。
 披露宴の参加者も新婦側が多数で、派手な宴でした。新婦側のスピーチでは、その<国際的家庭>環境が称揚され、そして、留学中に日本人同士が結びついたことにふれ、結論的には「日本文化」を育てる新家庭を望むといった展開となっていました。披露宴での新婦側のハイクラスな雰囲気を見ながら、私の内心でのひとり言。「アメリカくんだりまで行って、日本人の相手を見つけて帰って来ることはないはなあ・・・・」、「国際的というのは金持ちの世界の話かいな。」
 帰ってきて、クラスの中2の女の子とその結婚式の話題。私が「留学したんなら、向こうの人を見つけて<国際結婚>をしたらよかったのにね。」と言うと、彼女たちは「子供ができたら、ハーフになるから、抵抗があるわ。」と言います。「でも、英語と日本語の両方をしゃべれる子供になるから、いいと思うけどな。」と私。「いや、どうせ日本で育ったら、日本語だけしかしゃべれなくなるわ。」と彼女たち。私は「う・・・・ん・・・・。」とうなりました。大人の日本的価値観が確実に中学生の世界にありますな。では、また。
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Tue Jul 7 12:17:16 JST 1998
Toshi Imura ( imura@gc4.so-net.ne.jp )
橋本さんや松岡さんの書き込みを見て思ったこと/ 私たちは、ある特定の「土地」に対してアイデンティティを感ずる(e.g. 海外旅行から帰り、住み慣れた街を見て「やっぱり日本(名古屋)がいい」と呟くこと)とともに、「他者との関係において集団の中で」充足されると感ずる面も強いのではないでしょうか。つまり、日本語を使うことで自分の意志が十分に通用し、安堵とともに「日本がいい・・」と言ってしまったりすることです。その場合、土地は帰るべきものとして不変のものとして捉えられ、さらにそこに居住する人々も半永久的に不変のものとして考えられています。実際は、土地の景観は刻々と変化し、そこで生活する人もどんどん変わっているのですが。現実に、私たちの周囲で、軽度の「浦島状態」になることは多くなっていると思います。その際、日々変化している土地に対して柔軟な思い入れを持つのはいいとしても、自分をとりまいている他者の使う言葉とその容姿が一様ではない多くの土地で、私たちの安堵の仕方は複雑になりつつあります。一時的にある土地に住みながら(周囲が変化すれば絶えず旅をしているようなもの)その度ごとに他者と接続していく方法は、これからは必須のアイテム(?)となるような気がします。そのひとつの方法は、いわゆる日本人の風体をして「日本語」(言うまでもなく多様なものです)を使用する人々とだけと仲良くするという方法に固執することです。もう一つは、一様な言葉と容姿などは程度の差だと達観し、実は個人の中にも錯綜した言語と血を抱えていることに気付き、複雑なアイデンティティを持ちながら生活している人々の中で自分自身も「アイデンティティを形成しながら生きている」のだと考える方法でしょう。前回の書き込みで、私は「ハーフ」という言葉を使うのに抵抗がありました。なぜなら、誰もがハーフの連綿としたつながりの中で生を受けているわけで、ある人々だけを純血だとかハーフだとか呼ぶことはできないからです。固定した言語や文化を守ることも時には重要ですが、ある文脈の中でとらまえるという努力を怠ればファシズムと変わらないものになってしまうのではないでしょうか。「伝統」や「異文化」などという一面的で包括的な把捉の仕方から解放され、シークエンスごとに自分を浮上させるという作業は、自分と他者が共生していくにはこれからますます必要になるだろうと私は思っています。
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Tue Jul 7 18:04:06 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
 井村さんの話を受けて。分かっていただいていると思うんですが、「ハーフ」という言葉は私も嫌いです。
 中学生の言葉で「ハーフ」が出てくるのは、想像ですが「ニュー・ハーフ」という風俗現象からくるネガティブ・イメージがあるように思います。
 そこで、いくつかの<混血>に関する話題を書いてみます。

 教育業界用語の話。私の職業として関係する業界では、他人の理解が困難な閉鎖的言語が流通します。在日朝鮮人教育、最近ではアジアとの関係で「国際理解教育」(この言葉も意味が曖昧)を扱う研究団体で「外国人教育研究協議会」というのがあります。
 このなかで、数年前より次のようなことがあります。在日朝鮮人の子供をめぐってですが、三世・四世となるので、「帰化」の問題を射程に入れざるをえなくなったり、日本人との結婚が増加するなかでその子たちの教育まで視野に入れざるを得ない状況の変化があります。そんな関係の対応で、「混血」という言葉を「ハーフ」、最近では「ダブル」と言い換えることが大手をふるっています。
 ウイスキーの水割りじゃあるまいし、馬鹿じゃないかと思われませんか。私はストレートな<混血>という用語が好き。似たような傾向ですが、在日朝鮮人を「在日コリアン」と言ったり、生野の猪飼野を「コリアン・タウン」と言うなどありますね。カタカナにすりゃ、ソフトになるなら、苦労せんはなあ。

 今福講演会後の車中での話。二次会へ移動中、運転をするむくげの会の李敬宰がNHKで放映された「今福龍太の“文化は<混血>する”」は大変よかったと、今福さんに語りかける。「あのタイトルを“人は<混血>する”としたら、NHKはどうしたでしょうね。 」「文化だったから放映されたんでしょうね。」「“在日朝鮮人は<混血>する”という番組はたぶんできないでしょうね。」
 彼は「帰化」「混血」がタブーとなっている在日朝鮮人運動に風穴を開けたいと考えている。それで、今回の共催が実現した訳です。

 「論座/98・7」(特集・「在日」の居場所は今)。その中での宮崎学・崔洋一対談がおもしろい。崔さんは前々回にリゾナンスでお呼びした。彼は対談で、「これからの在日は韓国籍・朝鮮籍・日本籍などにとらわれず、クレオール、つもり混在文化をつくりだす必要がある」と明言している。
 だが、対談のタイトル“「在日」も文化も混在すればもっと面白くなる”は、「混在」とするところに朝日新聞社的自主規制があると思う。文章を読めば、崔さんが「混血」に焦点を据えていることは明白だ。これもタブーなんだな。

 学者先生が原語をカタカナ表記で説明なしで平気で使う傾向に嫌悪を感じることとも関係すると思うんですが、何でもカタカナ表記にすればかっこいいと思う習慣はいやですね。ということで、私は「混血」という言葉を使うことにしています。では、また。
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Tue Jul 7 23:16:47 JST 1998
宮田くん元気? ( imura@gc4.so-net.ne.jp )
ハーフという言葉を最初に使ったのは私の方で、それについてのコメントだったのです。松岡さんの意図は十分承知しております。/「混在」と「混血」の関係はおもしろいですね。「雑居への恐怖」というイ・ヨンスクさんの論文を思い出させてくれました。「結局、誰もが混血だ」などという暴論に陥らないためにも、「混血」あるいは「クレオール」という言葉を慎重に使う必要がありそうです。「ハーフ」や「ダブル」(この短絡的な発想は、ばかばかしすぎて注目に値します)と名指されてしまう人たちが、クレオールという積極的な用語によって、新たな主体を立ちあげられるかどうかはそこにかかっていると言えそうです。現実には、世界中の大都市にはマイノリティーによるコミュニティがいくつも形成されており、個々人は必ずしも混在しているわけではありません。はたして、混在せずに混血することは可能なのでしょうか。日本が締結してきた外交条約が、外国人の内地雑居を妨げる方向に寄与し、それを支えているのは人々の内地雑居への恐怖があるという指摘は、現代に生きる私たちにはすでに無縁のものであると断定することはまだできないようです。日本に住みたいという外国からの人々(いるのか?)を素直に受け入れ、かつ、自ら近所づきあいをする覚悟を私たちは持てるのかどうかということです。ただ、混在だけがクレオールの道では当然ないし(人は移動する動物ですから)、また混血がどのような社会状況下でも無批判に称揚されるわけでもありません。例えば、2002年に開かれる日韓共同開催のWCを、以上のような視点から見てみるとおもしろそうですね。日韓関係の親密度の促進や、熱狂的サッカー狂(フーリガン)の流入・・・というワールドカップにからむ人の移動によって、新たな混血(サッカー人種)が生まれるとしたら、私は称揚することにしましょう。そして‘未来「漂流」’という番組では、「今福龍太の<サッカー>は混血する」で決まりです!
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Thu Jul 9 01:35:33 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
 ほんとうに「今福龍太の<サッカーは混血する>」で決まりなんでしょうか、井村さん。
 私はスポーツ関係がからっきしだめなものですから(やる方も、見る方も)、今福さんの『スポーツの汀』も、サッカーにかんする文章も興味深く読んでいます。
 しかし、社会・政治現象としてのワールド・カップは、フーリガン(もともと、この言葉はイギリスの怒れる労働者子弟をさす言葉だったんですよね。『ハマータウンの野郎ども』<ちくま学芸文庫>参照)にしても、ポット・ボトルの水をかける日本のサポーターにしても、「近代国家」の枠組みに人々を回収する装置として機能していると思います。
 今福さんの分析されるサッカー選手のなかでの<クレーオール現象>はとても興味深いものがありますが、それで近代国家500年の歴史を越えることができるのでしたら、それ以前に近代資本主義は破産していたでしょう。事ほど左様に、近代国家の政治的・社会的・文化的装置は強固なのだと思います。
 次回の日本と韓国との共催のワールド・カップ が日本と韓国の新たな関係を生み出すかは疑問に思います。排外的雰囲気が強烈に出てくることも、今回のワールド・カップ熱狂を見ていると心配されます。Jリーグ予備軍となる中学校のサッカー部の様子を横目で見ていますと(勝つことが自己目的となり、チームをA・Bのランク分けした競争主義のサッカーです。)、その危惧は強まります。
 この書き込みをするかどうか迷いました。本質還元論と受け取られるのではないかと。でも、書きましたのはワールド・カップ熱狂にさめているのはなぜかと、私自身が考えたかったからです。それでは、また。
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Thu Jul 9 21:17:55 JST 1998
T.Miyata ( michaux@hotweb.or.jp )
書き込みを拝見させていただきいろいろ考えました。国家と文化と民族と 個人。以前、作家の池澤夏樹さんの新聞でのエッセイを読んだのを思い だしました。池澤さんは『これからは「やさしくしっかりした個人主義者」がつくる コミュニティーが社会を成熟させていくことだろう』らしきことを語っていたような 記憶があります。制度的な差別がなくなっても、個人による差別はなくならない 現実。私が「日本人」である証拠とは最早税金を支払い、投票権を持ち、日本語を 喋っていることぐらいなもののようにも思える感覚。「日本」という観念は 崩壊し、システムの中の人間というような幻覚。言葉さえアイデンティティー の根幹となりえるのだろうかという疑問。書いていましたらまさにアット ホームレスな気分になってきました。全く脈絡のない話ですみません。
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Thu Jul 9 22:36:54 JST 1998
Toshi Imura ( imura@gc4.so-net.ne.jp )
WCの出場単位が国民国家で行われている以上、サッカーが結果的にナショナリズムの精神を喚起してしまうんですね。サッカーが人間の遊戯的な精神を刺激し興奮させるスポーツであればあるほど、国家がクローズアップされてしまうというディレンマ。国家単位の擬似的戦争に還元することで、国家の自明性(ネガティブな差異としての国家)を強化してしまうという松岡さんのご意見には僕も賛成です。国家以外の恣意的な何かを単位としてチームが形成されても(大阪人対アイヌ人とか、井村家対メディチ家とか、3年B組対八百屋さんとか)、私たちはその共同性に「人格」を投影することができるかもしれませんが、生まれてこの方国民国家に慣らされてしまっている現代において、国家ほど「一般性」をもって「ワールド」な視野でまとめられる単位はなく、必然的に採用されているのだと思います。だから、普段は外国でプレイしている選手で構成されるナショナルチームであっても、人々はすんなりと国家原理に沿って熱狂的に応援することができる。呂比須ワグナーが日本代表でも誰もとまどいを感じないように、エムボマとストイコビッチとサンパイオとドゥンガが日本に帰化してチームに参加しても、私たちは「そういう」日本をきっと応援することができるはずです。結局、私たちはサッカーを通して国民国家を「使いながら」、身体の遊戯性の醸し出す快楽(と、集団に埋没しつつ規律の中に熱狂を得るというファシズム的な快楽)を得ているに過ぎないのではないでしょうか。ただ、私がワールドカップに熱狂しているのは、形骸化しつつある「ナショナル」なんか置き去りにしても、サッカー自体に楽しめる要素が十分にあるからなのですが。
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Fri Jul 10 00:33:58 JST 1998
calamares ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
 この夏、どこに行くかなかなか決まらなかったのですが、ボリビアに行くことにしました。
 はじめてのラテン・アメリカなので、アジア関係では名の通った「S遊旅行社」(分かっちゃったかな?)のツアーにしました。
 最初はグアテマラを申し込んでいたのですが、不景気なんですね、そのツアーは人が集まらず、予算が10万円多いボリビアに急遽変更しました。

 担当者との電話でのやりとり。
 「昼食、夕食はフリーにして、経費から引いてほしい。」と私。
 「私どもの会社は3食セットになっており、もし、ほかで食事を取られるなら権利放棄になり、経費から引けません。」
 「ご存知のように、わが社のツアーは<後進国>対象で、安全の問題があり、集団行動を取っていただだきたい。」
 以上が担当者の言葉。
 腹が立つと同時にあきれました。旅行社としての見識が何もない。
 結局、損を承知で添乗員と現地で話をして、時々、エスケープすることにしました。

 その後、旅行社にきつく文句を言ったおかげで、話の通じる担当者と代わりました。
 この人は先の担当者とまったくちがい、話がよく分かる。やはり、肝心なのは人ですね。
 「現地は物価が安いので(経費から引かなくってもあまり影響がありませんし)、ぬけて別に食事を取られても構いません。」
 「ただ、ひったくりがよくありますので、気をつけてください。」
 「高山病の心配があるので、4・5日はあまり出歩いて、夜更かしをしない方がいいです。」
 そして、高山病にかからないための身体の調整などをくわしく教えていただきました。この方は中東関係が専門だとのことでした。
 不思議なもので、結論は同じでも納得をしてしまいました。
 今後、個人的なチョイスでの旅行の相談にも応じてもらえることになり、気分がほっとしました。
 スペイン関係ではこれまで「ろばの耳社」というすてきな旅行社と出会い、友人4人でいい旅ができましたので、これからはもう一つアジア、ラテン・アメリカ関係でも、いい相手が見つかった訳です。
 今回でパック・ツアーは最後にします。

 ボリビアを決めた動機と言っても、そう強いものではありませんが、次のようなことが頭に浮かびます。
 インカ帝国の遺跡を訪ねたいこと(ほんとうはペルーに行きたいのですが、高くつきます)、アンデスの高地に立ちたいこと(高山病が心配です)、チェ・ゲバラの終焉の地ということもあります。
 でも、ラテン・アメリカなら、ほんとうはどこでもいいのです。まだ。一度も行ったことがありませんので。心が躍ります。
 ボリビアはラパス、ティアワナコ、ウユニの塩湖、ポトシ、スクレ、タラブコをまわります。楽しみです!
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Fri Jul 10 00:57:04 JST 1998
Ryuta Imafuku ( archipel@dddd.ne.jp )
サッカーとナショナリズムをめぐって議論があるようですが、私自身がなぜサッカー批評に介入するのか、ひとこと言っておきます。すでに当Cafeにも掲載した拙稿「二十世紀最後のワールドカップのために」でも強調しておいたように、現代のサッカーというフィールド自体が、近代スポーツを推進させてきたナショナリズムの原理と、それを解体させようとする脱国家主義的な傾向とがせめぎあう、イデオロギー的な紛争の場になっていることは明らかです。私はそうしたサッカーという場の競合的な性格を足がかりにして、二十世紀的「国家」の彼方を想像してみたいのです。次の世紀、国民国家がどのようなかたちで強化されあるいは延命し、サッカーがそうした国家原理にどのようにして従属せざるを得ないのか、そうした「将来予測」に私はまったく興味がありません。国家の未来など、社会科学的に「分析」しても無駄だと私は考えています。国家とは、いかにそこから私たちが未来に向けて主体的に「超出」してゆくか、という思考の意志の問題としてのみあります。私はサッカーを方法論として活用しながら、この超国家的・脱国家的な「意志」を表明したいだけなのです。ナショナリズムとその相克に関する限り、私は観察者としての冷静さを装った分析的批評は何の役にもたたない、ただ、実践者としての意志的批評だけが世界を変える力を持つと、ややおおげさに信じているのです。だからこそ、いま現在日本で行われているこの種の議論において、だれがたんなる分析的精確さを標榜するだけの観察者で、だれが過剰な思想的要求を自らと世界に対して突きつける実践者なのか、きちんと見分ける目を私たちは必要としています。自らが帰属する国家を徹底して相対化し、日本人であることをいつでも放棄しうる意志が脈打つ言説の価値を、たんに現状分析を持って悲観的に判断するのは、思考停止に等しい行為です。サッカーがこれからどうなるか、ではなく、サッカー(の彼方)に私たちがなにを幻視しうるか、その意志的未来を過度に信ずる想像力だけが、サッカーの国家原理による封鎖を解き放つことができるのです。マリーズ・コンデとともに、世界のグアダループ的離散を形成する一人、フランス・チームのサイドバック、リリアン・テュラムの昨夜の準決勝での見事な2ゴールは、一次リーグで活躍したこれまたグアダループ出身のティエリー・アンリの疾走とともに、私のそうした信念を、ふたたび確かなものにしてくれた、と言っておきましょう。
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Fri Jul 10 18:29:00 JST 1998
Abuses ( imura@gc4.so-net.ne.jp )
いつもながらマスターの文章を読むと、書きたい気持ちでむずむずする。最後に(?)に、結論めいたことを書かせてください。/日本人であるという、蓋然性とは無縁な事実をあたかも運命として認識し、現実を分析していると言いながら他者を相対化しようとしない貧弱な思考は、夢を現実に近づけるという誰もが持っているはずの天賦の才とは無縁なようです。フィクションの有する潜在的な力を、なぜ私たちは急速に忘却しつつあるのでしょうか。小林秀雄がかつて、ポー、セルバンテス、ボードレール、マラルメ、コクトーらを引用しながら「文学は絵空ごとか」という文章をものし、属性としての嘘をまとう「言葉」をあえて解放するという困難な作業に尽力した作家たちについて述べました。言葉と社会の離れがたくある嘘に導かれた不安と、そこから派生する見当違いの夢を煽り立てるデマゴーグは、束縛感を過度に感じつつ、想像力を飛翔させることができない「被害妄想患者」の異名なのかもしれません。今福氏(今福「さん」とは呼べないなあ)による、意志の「実践」に着目した文章を拝読し、私はマルクスの言葉を思い起こしました。「対象的真理が人間的思惟に到来するか否かという問題は、何ら理論の問題でなく、かえって一つの実践的な問題である。実践において人間は真理を、即ち、自己の思惟の現実性と力、その此岸性を、証明せねばならぬ」。あるいはグラムシやニーチェらの言葉を。/ただ、自分という身体からしか始まらない「思考の意志」が、気がつけば佇んでしまっている日本という土地に不可避的に介入している以上、どのような方法でそこから飛翔するかには若干の勇気と方法論が必要かもしれません。ポストコロニアルと呼ばれる時代において、もっとも影響力のある言葉とは、私たちを足下にある国境からもっとも遠くにある美しい想像の高みにまで連れていってくれる言葉に違いありません。国家原理に汚された文章や言葉の欺瞞に気付くためにも、私たちはそういう言葉に自ら出向いていける強靭な「審美眼」を携え、時には自ら創作する労を怠ってはいけないと思います。「今では」意志的未来を信ずる「妄想力!」という点では暴走気味な私は、「日本の群島」をジャマイカとキューバとユカタン半島のあいだにそっと置いてみたいという誘惑に駆られたりしています。imura@borderlands
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Sat Jul 11 00:06:02 JST 1998
T.Miyata ( michaux@hotweb.or.jp )
自らの思考力と知識の貧困さを恥じつつ、皆様の寛容性に甘えて 書き込みさせていただきます。思いますのは、人それぞれの 見る視点によって世界の諸相が変化しうるものだなということであります。 昨今の多元論主義、文化相対主義は他者を相対化することではありますが 当然のことながら自己を相対化することでもあるかと思われます。自己を 相対化する中で当然の帰結としては「価値の優劣としては何も確かなことは 言えない」ということになってしまうのかもしれません。これはある種の 「判断停止」なのかもしれませんが。この相対化の中で人が生きる術とは 全てをフィクションとして受け止めること以外ないようにも思われ(勿論 自己に対しても)、私の視点からみるに世界はどんどん演劇化しているようにも おもわれます。その私の感覚内では、WCにしましても文化や価値観、さらに国家や社会的 潮流の相克というよりは巨大なフィクションとして感じられるのです。 私も今回のサッカーに関しましては日本をご多分にもれず応援しましたが、 「国家」として応援するよりは「コミュニティー」として応援していたような 気がします。コミュニティーである以上、代表選手に金髪の選手がいようと 肌が黄色ではない選手がいようと全く違和感がありません。そして試合開始前に 唄われる「国歌」は本来の意味を失われ、まさに「象徴」的意味合いしか ないようにも思われました。もちろん「演劇」的意味合いも含めて。もし、 中田選手がイタリア代表になったとしても、日本のサポーターの間には さほど混乱はないのではないでしょうか?無論、上に述べたことは全て 私個人の視点による意見ではありますが。
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Sat Jul 11 00:50:55 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
 今日、購入した「創/98・8」を読んで、目をむいた。
 中田英寿が「韓国系3世」なんだって?!
 「創」によると、韓国の「スポーツ朝鮮」(3月11日)がそのように報道した記事を「噂の真相/98・6」が写真入りで掲載。(その号を確認しました。なぜか、私は「噂の真相」と「思想」を小学校時代の同級生がやっている本屋さんから定期購読)
 ほんと、「噂の真相」のその号には、「スポーツ朝鮮」の記事が写真入りで載っており、朝日新聞も「週間ポスト」も事実をつかんでいながら報道しなかったと、「国籍問題はタブー」と批判的に書いている。これが事実誤認。実は、「朝鮮スポーツ」がその後、謝罪訂正をしていたのに、それに気づかず(事実確認をせずに)雑誌に飛ばし掲載をしたのが「噂」の真相のようだ。
 韓国のスポーツ紙が「我々と同胞」と民族意識をかき立て、それを知っている日本の新聞社や週刊誌が「タブーで書かない」ことを自主規制と(誤報と知らず)批判する「噂の真相」誌。すごい構図ですね、日本と韓国をめぐっての。「噂の真相」誌も謝罪訂正をするとのことです。
 私はこの辺の状況が気になっているのです。なにも対立的に論を立てようとは思っていません。誤解のないよう。

 私はぜひお呼びしたいと考え、リゾナンスに講師として来ていただいた方を<さん>づけで呼ぶことにしています。<先生>とは勿論呼びませんし、わざわざ<氏>とも呼びません。ご著書に魅力を感じ、お会いしたいと行動になり、やっとお話が聞けた人をどうしてそう呼べましょうか。自分にないものを学び、もし、自分とちがうところがあれば、それが何なのかを考えることをプリンシプルとしてきました。
 ちなみに、私は同業者を<先生>とは呼ばず、<さん>で通してきました。同業者同志の<先生>呼称が流通するのは、学校(大学もふくむ)と病院だそうです。では、また。
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Sat Jul 11 14:34:39 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
今日は久方ぶりの雨。学校休業日なのだけど、10人ほどの中学生を古墳めぐりに連れて行く約束をしていたので、雨で中止の連絡をするため家を出る。
学校に行く前に、行きつけの喫茶店へ入った。いつもは振り向きもしないスポーツ紙を手に取る。「日刊スポーツ」だった。それに大きくブラジルの格闘技「カポエイラ」の記事。記事には、「ブラジル(のサッカー)選手のフェイントは、ボールにまったく触らない。足の動きだけで相手を幻惑する。」とあり、その秘密は「カポエイラ」にあるとのことだ。「特にカポエイラの基本となる<ジンガ>と呼ばれる足の運びが、ブラジル選手独特のフェイントを生む」とのことだ。
さらに、「自由へのあくなき戦いが、サッカー王国を築いたとも言える。」とあり、目が引き寄せられた。ちょっと長くなるが、引用します。
「カポエイラはもともと、アフリカのアングラ地方で生まれた格闘技。16世紀に奴隷として、大量のアフリカ人がブラジルの港町のサルバドルに連行された。そうした人々は足に鉄球をつけられ、武器の携帯を固く禁じられた。自由を奪われた人々が命を守るために、自由を勝ち取るために、唯一の武器として磨いたのがカポエイラだった。」
「ビリンバウという楽器や歌に合わせて練習する。それは支配者に見つかっても、踊りのサンバにカモフラージュ出来るからだ。自然として動きは、まるで踊っているかのようになった。手を縛られ、足の鉄球を武器にするため、蹴り技も多くなった。その動きの根本にあるジンガは、相手と1対1に相対した時に効力を発揮する。サッカーでいえば、DFとの1対1になった時だ。」
反抗の武器となるので、カポエイラは長らく禁止されていたが、1973年にスポーツとして認められ、今ではブラジルの小学校などでも授業として教えられているとのことだ。
知らなかったな。俄然興味を持った。(引用できたのも、つい駅売りでそのスポーツ紙を買ってしまったからだ。)ブラジルとフランスとの決勝戦は13日の午前4時からだそうだが、見たらどうしよう。仕事にこたえます。
中田英寿さんの移籍問題も載っていましたが、自由に技量が発揮できる国のチームへの移籍ができたらいいなあと思います。では、また。
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Sat Jul 11 20:45:18 JST 1998
Gonzalo Rubalcaba ( imura@gc4.so-net.ne.jp )
私の母方の祖父は、自分の先祖が韓国から来たと頑なに信じていたらしい。埼玉の「高麗」川に代々住んでいたのはその証拠だと言っていたという。自由な想像力は、逆に真実のなんたるかを教えてくれます。宮田さんがいみじくも書かれたように、真実は複数存在しその人だけのものですよね。そして、私の父方の祖母は、漂着した中米(私の父はパナマ生まれだ)から北上した末にたどり着いたLAを仮のhomeとし、「日本」という空間と時間をいさぎよく過去に葬り去ろうとしている。残された日本での記憶は徐々に太平洋に流れだし、今でも漂流しているようかのようだ。アストランの大地で、アメリカ先住民の屍の横に東洋人として骨を埋め、いつか砂漠の砂にかえるのだろう。いずれにしても、生まれた場所と死ぬ場所が同じではなく、死を預けられる国家(コミュニティ)さえもが移動してしまうことについては、もう私はあまり興味がない。それよりも、私の血に韓国やメキシコ(アステカ)の血が流れ、中田の血に韓国やイタリアの血が流れていると想像することで、そうやって人はつながることもできるのだと夢想する方がはるかに楽しい。巷に氾濫している週刊誌のように、自由な思弁を恐れ、枠組み(国家など)に無理矢理はめ込み、安心するとともに勝手に誤読し、都合の良い虚像を捏造し、それに向かってののしり、時に空虚な言葉でほめたりするような思考からは自由でいたいですね。/今福「△さん」?ヌ指導教授ヌ今福「○先生(氏or師)」!
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Sun Jul 12 00:03:49 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
購入書籍のチェックです。ルネ・シェレール著『歓待のユートピア〜歓待神礼賛〜』(現代企画室)。この著者については、『ノマドのユートピア』が最近刊行され、訳者の杉村昌昭さんの話を聞く機会がありました。フランスのフェリックス・ガダリなどと共同作業をしてきた思想家であり、著者自身が「少年愛」者であることからくる少数者への熱い共感にあふれた著書のようです。
ボリビアで死んだチェ・ゲバラの『ゲバラ日記』(みすず書房)。昔、読んだ本なので、埃をかぶってどこかに、もう一冊あるはずです。旧版は1968年の刊行ですから、30年ぶりの復活です。気恥ずかしいのですが、『地球の歩き方〜ペルー・ボリビア・エクアドル・コロンビア〜』も買っちゃいました。
その他、道浦母都子著『本のオアシス』(岩波書店・同時代ライブラリー)、ヘミングウェイ著『移動祝祭日』(岩波書店・同時代ライブラリー)、森浩一著『考古学へのまなざし』(大巧社)。『転換期の教育政策』(八月書房)。
購入雑誌:「国文学/98・7」(特集、ラフカディオ・ハーン)、「みすず/98・6」(ファン・ゴイティソーロ「権力、商売、そして流血〜アルジェリアの真実〜」)、「中央公論/98・8」(網野善彦さんの連載の2回目)、「世界/98・8」(特集、インドネシアからの声)、「文芸/98・秋号」(特集、世紀末学校白書’98)。
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Sun Jul 12 09:41:59 JST 1998
Paquito "Cafemaster" d'Rivera ( archipel@dddd.ne jp )
Hola, Gonzalo! Que chevere tu estas! きみの過激なクレオール主義は、きみの幻惑的なアフロカリビアン・ジャズピアノにまさるともおとらない熱を放散しているね。師も喜んでいるでしょう。ボリビア行きを決めたcalamaresさん、ブラジルのフットボールとジンガ、カポエイラ、カーニヴァル、悪漢文化との関係については、私が5月30日夜放映のNHKのサッカー特番で詳しく話しました。新聞記者は、おそらくはそのときの内容を流用したのかもしれません。中田については、ただそのサッカープレーヤーとしての存在の過激さと美しさを称えるだけにしましょうよ。彼の出自をめぐる噂(公然の秘密)を孫引きしても、それはマスメディアの構造の再生産にしかなりませんから。
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Sun Jul 12 10:21:27 JST 1998
calamares ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
えっ、公然の秘密?! まいった、まいった。
ボリビア行きの旅程は、次の通りです。
  東京からサンパウロまでの直行便で、そこで乗り換えて、ボリビアのサンタクルス着。
行程はコチャバンバ(2500m)〜オルロ(3800m)〜ウユニ(ウユニの塩湖、ペスカード島)
〜ポトシ(4070m)〜スクレ(2750m)〜タラブコ〜ラパス(3600m)〜チチカカ湖〜ティアワナコ
〜ラパス、そしてサンパウロ経由で帰国となります。
それにしても、標高が高いですね。空気がうすそう!身体の調整をしておかなきゃ。それでは、また。
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Sun Jul 12 16:17:21 JST 1998
Recado Bossa Nova ( imura@gc4.so-net.ne.jp )
ゲバラの終焉の地、ボリビアに行かれるなんてとてもうらやましいです。ちなみに私の持っている「ゲバラ日記」は、三田の古本屋で買った昭和43年に出版されたものでした。最近では「モーターサイクル南米旅行日記」を友人からもらいました。南米というと、一昨年の秋にペルーに遊びに行ったことを思い出します。日本大使公邸事件の起こる数カ月前のことです。出会った人々のすばらしさはもちろんのこと、訪れた場所の中では「マチュピチュ」が最高でした。遺跡というか廃墟の奏でるあの「しん」とした静謐さは、到底言葉などで表現することなどできそうにありません。地球上でもっとも想像力を喚起させてくれる場所のひとつは、間違いなく廃墟でしょう。しかも、その廃墟は長い時間を経て山頂において劇的に発見されるのです。それとクスコ、アレキパ、「ティティカカ湖」。この湖にまつわる伝説を日本にいる間にできるだけ勉強しておいた私でしたが、何とも言えないあの水の色を見た途端に、すべての知識を忘れ、風景の中に吸い込まれてしまったような気分になったことを覚えています。この湖の半分はボリビア領にあります。その旅で私は、taxiに乗っても、carneを食べていても、どこに行っても、Que piensa de Presidente Fujimori? ばかり言ってました。旅行者、しかも日本人に向かって本音が聞けるはずもありませんが、肌の色や職業によって確かに答えが変幻することに驚かされました。人が何を考えているのかを外国語で尋ねることの不思議。何が伝わり何が伝わらないのか。私たちは何を通して何を感じとれるのか。そんなこんなすべての要素を含めて、カラマレスさんの旅行後の感想を是非聞きたいと、今から楽しみにしております。Buen viaje! 
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Sun Jul 12 17:46:14 JST 1998
Calamares ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
ボサノバさんへ 今日、一日中、ボッートして、旅行のパンフレット等を見ていました。
「ゲバラ日記」の旧版は僕の世代の青春の思い出になります。「第二、第三のベトナムを!」とゲバラが言った時代(60年代)と今の様変わりとの間・・・・
ペルーからの、インカ、アンデスはいいでしょうね。身体が元気なうちに行きたいな。あまり旅慣れないものですから、今回の旅でさらにペルーへ飛べるよう心と体の態勢を作りたいものです。
ボリビアから帰ったら、感じたことを文章にします。では、また。
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Mon Jul 13 06:23:05 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
決勝戦、見ちゃいました。実は、サッカーを一試合通して見たのは初めてでして、うーん、ブラジルは振るわなかったですね。
二度、ヘディングで得点をしたフランスの「ジダン」という選手はどういう人なんですか?フランスで一番人気のある選手とのことですが。
ブラジル選手の「ジンガ」は一度だけ分かりましたが、サッカーについて何も知らないものですから、見落としているのでしょうね。
これから、サッカーの試合を見ることはないでしょうが、今福さんや井村さんのサッカー批評は気をつけて、見るようにします。
朝刊は「自民惨敗、首相退陣へ」と大きな活字が踊っています。大して状況は変わらないでしょうね。では、また。
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Mon Jul 13 19:10:01 JST 1998
熱血クレオール野郎 ( imura@gc4.so-net.ne.jp )
「サッカー」の試合(しかも決勝戦!)で途中で寝たのは初めだ。/「選挙」は、かつて住んでいた東京や千葉の候補者を見て懐かしがってました。/不思議なことに今まで、南北アメリカ大陸で身の危険を感じたり、金銭を盗まれたりしたことが「あまり」ない! 人のいない方いない方へと導かれる習性を持ち、見知らぬ人にささやかれると犬のようについていってしまう僕が、ニューヨークでもリマでもDFでもどこでも、さしてアブナイ経験をしていないのはなぜか。例外と言えば、メルローズストリート(当時は「ロサンゼルスの竹下通り」などと言われていた(笑))の交差点で、信号待ちをしていた僕の乗っていた車に、後ろから思いっきりポンコツのビートルを当てられて、反射的にぶち切れた僕は飛び出し、「出てこい!」と怒鳴りつけたら、出るわ出るわ、いかにも「LAの不良」ですという身なりの若者が通りのどこからともなく十数人出てきて、あっと言う間に取り囲まれたことがある。その後どうなったかは、ここではちょっと言えませんが。しかし、タイやマレーシアには今までに数回しか行ったことがないというのに、拉致監禁の上20万円ぱくられたり、ぱくったり!、ありとあらゆる手法(鮮やかすぎてうなってしまうものも多々あり)でだまされたり、だましたり!、身の危険を感じたこと数知れずというのはまったく解せん。これじゃ香港映画だ。落ちついて旅させくれよ。きっと僕と逆のパターンの人も世の中にはいるはずです。身体のリズムがAMERICASの波長と合うか、ASEANと合うかの違いなんだろう。APECあるいはUNと合えばよかったのに、とひとりごちてもしょうがないか。
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Tue Jul 14 18:29:23 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
また、スポーツ紙を見てしまいました。
ジダンって「マルセイユの貧しいアルジェリア人街に生まれた」んですってね。ヘディングで二度もゴールするなんて、「そんなん、できんのん」と驚いたんですが、はじめ名前を「ジタン」と聞き違えました。
昔、アラン・ドロン主演の「ル・ジタン」って、ジプシーの大泥棒が主人公で哀切感にあふれた名作がありました。(最近、アラン・ドロンも寂しい引退をしちゃいましたね。)サッカーを全然しらず、勿論、選手の名前も知らないので、そんな連想が働いていました。
朝日新聞の朝刊に「多民族集団フランス」とありました。なるほど、なるほで。遅まきながらの学習でした。では、また。
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Tue Jul 14 21:08:12 JST 1998
Masaya Fujimori ( fwip3265@mb.infoweb.ne.jp )
私はここ2年ほどキューバ人にキューバン・サルサ・ダンスをならってて、サルサクラブ等であそんでるのですが、このあいだ読んだ中沢新一の「ゲーテの耳」のなかで、こんなようなフランス人の言葉が引かれていました。 「いまパリにやってきたアフリカ人(西アフリカ・マルチニック)の肉体に触発され、わたしたちフランス人も踊り出した。ランバダをおどりこなすフランス人。私たちは精神分析学を必要としない初めてのフランス人になる。アフリカの肉体のおかげで、抑圧的な分析の言葉がひっかかりようもないような、新しい肉体をわたしたちは手に入れ始めたの」 新しい云々はともかく、アフロ系ダンス(キューバンダンスもかなりアフロ系でパーカッシヴ)が精神分析を不要にさせる、ていうのはわかる気がしますね。自分がキューバンダンスをやってる理由の一つのような気がします。 同じサルサでもNY系のサルサはそういう力を感じさせない。良くも悪くも都会的で感傷的。NYのLatinoとキューバ人のスタンスのちがいなんでしょうか。 でも都会人にこそアフロ系ダンスって必要な気がしますね。
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Tue Jul 14 23:54:36 JST 1998
ZACK DE LA ROCHA ( imura@gc4.so-net.ne.jp )
決勝戦の次の日、友達が酒席で「ブラジルのサッカーはドリブルを多用するからつまらない」と述べたことに対して、僕はポーカーフェイスを装いながらも心の中で軽いカルチャーショックを覚えました。ロナウドでも小野でもいいけど、華麗なドリブルのないサッカーなんて、目の覚めるような左フックを奪われたアルゲリョのようだ。くどいようですが、私たちはサッカーの何に熱狂しているのでしょうか。ジダンがアルジェリア系だろうが、カランブーがニュー・カレドニア系だろうが、フランスチームがいくら多国籍性を持つと言われようと、結果的に国家を宣揚するためにすべてが回収され、ナショナリスティックな興奮の渦の中で何かが死んでしまっているような気がしてなりません。「戦争」のメタファーをいつまでも拭いきれないサッカーは、まさしく戦争や供犠のもたらす興奮と直結するスポーツのひとつですが、感情の原初的なレベルで蕩尽を促すサッカーが、「仮構された」国家原理のしがらみからいつまでも抜け出せないのはなぜなのでしょう。ラ・マルセイエーズの合唱の中で死んだのは、自ら勝者となってまでも生け贄となるペロータの神なのかもしれません。過剰なエネルギーがピッチの上で奔放に蕩尽されず、必然的にフーリガンの数だけが増大し・・・。国家単位で争われるWCで、君が代を歌ったとか歌わなかったとかだけに拘泥するのはもうほとんど無意味です。あらゆる場面で麻痺してしまったこの感覚を取り戻すためには、日常を「アフロ系ダンサー」のように、はたまた「ラテン系ボクサー」のようにして生きることから始めるしかないのでしょうか!?
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Wed Jul 15 08:52:50 JST 1998
"Cafemaestra" Vida ( archipel@dddd.ne.jp )
フランスチームは別に「多民族集団」だから強かったわけではありません。ただ、そんなチームが優勝したことで、サッカーの世界に起こりつつある脱国家的な兆候があらためて表面化したことは事実です。決勝戦の行われたサンドニという街じたいが、アラブ・アフリカ・カリブ系移民の一大居住地でした。パレードをとりかこんだ優勝を称賛する褐色や黒い顔たちが、シャンゼリゼをアルジェかアクラかポワン・タ・ピートルに一瞬のうちに変えてしまったのでした。いや、そうした街に出かけていって本当に彼らが優勝パレードを行えば、国家原理に占有されたワールドカップはあっさりと崩壊するんでしょうね。イタリアで働くアルジェリア系のフランス人がグアドループの民衆から熱狂的に迎えられる・・・。サッカーはそういう事態を起こすことのできる、数少ない方法です。フランスが持ちはじめた新しい「スポーツする身体」は、たしかにズークを踊り、ジュジュを踊り、サルサやメレンゲを踊り、ライの小節を口ずさむことのできる魅惑的なものになりつつあります。
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Thu Jul 16 00:09:07 JST 1998
Isaac ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
4年後が、あのフランスの馬鹿騒ぎだったら、まっぴらごめんだね。
あのシラクがまだ首相だった頃、フランスを訪ねたことがあった。
その頃、シラクによる「教育改革」が進められ、教員は激しいストライキで闘っていた。
左派の教員のアトリエでのパーティで、心地よくワインの杯を傾けたことを昨日のように思い出す。あの時の歌はインターだった。
シャンゼリゼーを埋め尽くした人並みとフランス国家の大合唱を彼らはどのように眺めていたのだろうか?
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Thu Jul 16 09:34:59 JST 1998
Asi es la vida ( imura@gc4.so-net.ne.jp )
国家原理によって毒抜きにされた世界各地の「奇矯な」因習や、矯正された「暴力的な」身体が、実はある限定された時代と地域から生まれた特殊な「秩序」の産物に過ぎないのではないかと考える契機を、サッカーは与えてくれるような気がします。国民国家を語る上で欠かせない「フランス」革命と、その後のコロニアルな歴史とポストコロニアルな歴史、そして今世紀最後のワールドカップでの「多民族集団」フランスチームの優勝。「新しい身体(失われた身体)」を再び獲得しつつあるこの流れを、2002年には何がどう継承されているのだろうかという視点から見たとき、強制された陋習から自力で抜け出せない(というか安住している)日本を相対的に見るという契機も生まれるはずです。他者との相対化という点では、韓国との共同開催はやはり大きな意味があると思います。/WCを通して自分を振り返ると、「個人史」を語る上でのもう一つの視線を手に入れられるのではないでしょうか。メキシコ大会やイタリア大会を見ていた「場所」から導き出される、忘れていたもう一つの自分を立ち上げるという作業は楽しいものです。4年後に僕はどこで何をしているのだろう。
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Thu Jul 16 20:58:20 JST 1998
Calamares ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
昨日、三谷幸喜:作、山田和也:演出「笑の大学」(出演は西村雅彦、近藤芳正)を見に行った。そして、多いに笑った。
戦時体制下、芝居の台本に対する検閲をめぐっての検閲官(西村)と喜劇の座付作家(近藤)との丁々発止のやりとり、検閲されればされるほど台本がおもしろくなり、やがて、検閲官も喜劇台本の直しにはまっていく。二人のせりふまわし、アクションに久しぶりに大笑いをした。
三谷幸喜の作品を劇場で見たのは初めてだった。テレビの「王様のレストイラン」「古畑任三郎」を見て、「え、こんなにおもしろくて、骨格のしっかりした喜劇作品を作る人がいるのか!」とびっくりしたものだ。それで、三谷幸喜という作家の名前を覚えた。NHKが「君となら」「笑の大学」を放映した時に、はじめて舞台をテレビで見たのだが、これはおもしろいと感心した。映画「ラヂオの時間」が封切りされた時にも飛んで見に行った。それで、今回、舞台を初めて見たわけだ。「哄笑」に徹底してこだわる作品づくり、お気に入りの作家がまた一人ふえた。
近代演劇の手法を徹底することにより作品に独特の空間を作り出す蜷川幸雄、その枠組を軽々と破り、遁走する野田秀樹、そして、三谷幸喜。それぞれまったく違う舞台づくりだが、ほんと、おもしろいですね。
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Fri Jul 17 21:42:03 JST 1998
Suzanna Werner(Guess who?) ( imura@gc4.so-net.ne.jp )
松岡さんのボリビア行を聞いてから何とはなしにゲバラを読み直し、そこから共和国の憲法を起草したボリーバルに思いを馳せ、風光明媚な観光地の名前となって残っているスクレ将軍のことを思い、ボリーバルが亡命したジャマイカやハイチを、そしてフンボルトとの邂逅、アンドレス・ベーリョのことなどについて、東山線の電車の中でぼんやりと考えました。ラテンアメリカほど、僕の妄想にマッチする場所はないようです。植民地時代のポトシでは、過酷な労働により15%のインディオが死亡したとも聞きました。アルトペルーと呼ばれていたあのボリビアに、俺も行きたいぜ。それからチラベルトの国(なんと貧困な発想!)パラグアイに行こうか。そこからさらにブラジルへ!! WCの次の日、新聞には「Brasil Humillado(ブラジル 屈辱的惨敗)」の文字が踊ってました。そうそう、少年の頃本気でサッカー選手を目指していたユダヤ系フランス人、デリダはアルジェリア生まれなんですよね。違ったかな?
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Fri Jul 17 23:32:28 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
明日で私の稼業は一区切りです。あさってから夏休み!
僕はスポーツ系のクラブをやらないものですから、夏休みは5日しか働きません。(これを標準と考えないでください。お盆休み以外は真っ黒になってクラブをしている人も多いのです。それほどまでして働く奴は馬鹿だと思っています。僕は例外。)
夏に自由に生きられなかったら、この仕事をやめていたでしょう。子供はきらいではないのですが、同僚と考えが合わないことでストレスが多い仕事ですので、夏休みが救いです。思う存分、好きに過ごします。
購入書籍:三谷幸喜著『NOW and THEN〜三谷幸喜自身による全作品解説+51の質問』(角川書店)、三谷幸喜著『オンリー・ミー〜私だけを〜』(幻冬舎文庫)、西村雅彦著『僕のこと、好きですか』(小学館文庫)、古本屋でジャン・ジュネ著『恋する虜〜パレスチナへの旅〜』(人文書院)。
購入雑誌:「言語/98・8」(特集・「多言語主義」のゆくえ)、「状況/98・8〜9」(特集・情報と資本主義)、「文芸春秋/98・7特別号」(林郁夫「オウムと私」)、「小説すばる/98・8」(舟戸与一の連載2回目)。
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Sat Jul 18 23:24:08 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
今日、クリント・イーストウッド監督の「真夜中のサバナ」を見る前に、紀伊国屋書店梅田店に寄りました。ふと平積み台を見て、その変化に「あれっ」と思いました。
マリーズ・コンデさんの『生命の樹』が5冊、『私はティチューバ』が6冊、平積みになっているではないですか。(この冊数で丁度同じ高さになります。)その上、小さな標識が立っています。それには「マリーズ・コンデの本」とあり、それぞれの書名の下にはカッコで受賞した賞名があり、さらに「クレオール文学の魅力」とありました。
出版当初は『生命の樹』が1冊しかありませんでしたから、平凡社をはじめとする来日講演の努力と新聞での紹介等の動きが、少しではあるけれども書店での本の並び方に変化を生み出したと思いました。うれしい変化です。
もう一つ気がついたことがあります。コンデさんの本のそばで、ゲバラ関係の本が3種類、平積みになっていました。『モーターサイクル南米旅行日記』(これは少し前に現代企画室の太田晶国さんから、若い人の間で売れていると聞いていました。)、『ゲバラ日記』、三好某の『ゲバラ伝』です。
ゲバラについては、昨年「アサヒグラフ」(10・17)が没後30年特集を組みましたし、最近「ブルータス」(7・1)でも特集されました。若者のなかでファッションとして、また、今の若い世代の空洞を埋めるための憧憬として、流行っている現象はとてもおもしろいと思います。
そんなことを感じながら、クリント・イーストウッドの映画を見に行きました。
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Wed Jul 22 02:11:28 JST 1998
Takao Asano ( tasano@quartz.ocn.ne.jp )
ニュース番組を見ていたら、メキシコの屋台のタコス屋についての話題を取り上げていた。その汚染度が問題になっているらしい。かつて、メキシコのある街をぶらぶら歩いているときに、私は屋台のタコスを食べたことがある。その後、数週間のあいだ激しい腹痛と悪寒に苦しむことになったが、自然に回復した。ある人は、そんな私にたいして、あまりにも不注意な旅行者だといった。その意見は、たぶん正しい。でも、「危険」や「汚染」といったものを過剰に警戒し、避けているかぎり、旅行者がその土地のリアリティーに踏み込むことは決してできないとも思う。自宅に戻り病床にあった数週間、私は熱にうなされながらも、自分の意識のなかに過ぎ去ったメキシコの土地の風景がまざまざ甦ってくる感覚を抱き続けていた。病気は、ひとが別の時間と別の土地へと接続されるためのひとつのきっかけなのかもしれない。ずいぶん軟弱なきっかけだけど。
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Wed Jul 22 03:00:20 JST 1998
novia de Ronald ( belgium@ddd.biglobe.ne.jp )
はじめまして。いつも楽しくメッセージボードを読ませていただいております。特にワールドカップ期間中は、今福さんや井村さんの斬新な視点に感化され、また別の角度からサッカーを楽しむことができました。私はこのような、さまざまな人々が平等の立場で寄り合い、ひとつの共同性を形成するという場は、松岡心平さんが説く「無縁平等の共同性の支配する連歌」という発想と通じるものがあるのではないかといつも思っていました。ある独自の流れが、一定のルールのもとに、明滅しながらも終わることなく続いていき、すべてが絶妙の間とともに引き継がれていくというイメージです。他者からの強制力によって人工的に共同性が構築されるのではなく、個々人が自発的に共同性を立ち上げていくという現場は、いつも「美しい」ストーリーとともにあるのではないでしょうか。自己責任と多少の「感性」(野暮はダメ)を携えての公共性へのコミットメントは、国家原理からますます逸脱していくであろう共同性を作り上げていくためのレッスンになるはずです。これからは、私自身も参加していきたいと思っております。よろしくお願い致します。
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Wed Jul 22 10:58:49 JST 1998
GRAND-PLACE ( imura@gc4.so-ne-.ne.jp )
体は丈夫な方だが、何度かあらぬ理由で入院したことがある僕(よくムチャをする)は、主に病院に棲息する「病気自慢の輩」のようにはなりたくないと思いつつ、「やはり病気は深いなあ」と思う。何をするにしても、病気ほど強烈なきっかけになるものはない。しかし今まで幸運なことに、海外で病気らしい病気をしたことがない。それでも、メキシコの安ホテルのトイレで何日も座るのはつらい。しかも、薬が強すぎる。薬の方にやられてしまい、座ることさえつらくなってしまうことも多い。そんなこんなで、「下○」を媒介にして、僕の家のトイレはメキシコのトイレ空間と感覚的に直結している。視覚、嗅覚、触覚、味覚、聴覚のいずれかによって、人は過去のある特定の時間と空間に結びつくことがあるように、「病気」は近未来のヴァーチャル・リアリティのようにして、「五感のすべて」を使うことによって、人をある場所へと誘う。僕の家のトイレとメキシコのトイレとの間には、ごくたまに貧弱な「アンダーグラウンド(subway)」が走る。銀河鉄道の夜ならぬ、便座鉄道の夜。汚い話で申し訳ない・・・。
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Wed Jul 22 13:14:03 JST 1998
Calamares ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
やぁ、なかなかおもしろい話ですね。
アジアは2回しか行ったことがないのですが、フィリピンでの「水」の話です。
もう15年前ですが、友人が企画した「スラムにホームステイ」というツアーに行きました。(マルコスが倒れる前でした。)
最初のホームステイ先はマニラ市内のスラムでしたので、共同水道があり、水は問題になりませんでした。次のホームステイ先はマニラ首都圏の漁村で井戸しかありません。
カソリックのセミナーハウスを出発する時、みんな水筒に水道水を入れました。しかし、漁村の教会でレクチャーを受け、出発する前、みんなと顔をつきあわせて、相談したことは
「ホームステイ先で、食事の時に出された井戸水を飲まず、水筒の水を飲めるか?」
「それはできんな。よし、水筒の水を捨てよう!」
そして、ホームステイの2日目、村の中を散歩しました。そして、共同井戸のところに出くわしました。
なんと!各家のトイレの水や下水が地形の関係で、みんな共同井戸のところに流れこんでいるではないか。
やはり、ツアー中に下痢が出た人が1人、帰国後、税関で体の不調を申告したため3日間の検査入院をした人が1人、胃腸には自信のあった私も、帰国後、少し調子が悪かった。今から考えれば、いい思い出です。
それと、インドネシアのトイレで紙を使わず、水で始末するのがありますよね。やった連れの女性は「冷やっこくて、気持ちがよかった。」と言っていました。
残念ながら、私はできませんでしたが、次の行くときはやってみよう!
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Wed Jul 22 15:36:17 JST 1998
Takao ( tasano@quartz.ocn.ne.jp )
購入書籍:Richard Lane, HOKUSAI : Life and Work(古本)。図版の多さと詳細な解説が魅力的な本です。葛飾北斎って、一生のうちに90回以上も引っ越しをしているんですね。何度も号を変えているし、画風もどんどん変わっている。ずいぶん「自己分裂」的、まさに画狂人。あらゆる固定化への誘惑から積極的に逃走しながら、自己の生やスタイルを探究し続けた北斎という作家の総体を、綿密な研究のうえで再構成した著者の試みは非常に意欲的だと思います。本書を眺めながら、私は北斎画のなかに、幻想的な同一性の論理とは無縁の個別性の感覚に貫かれた美学を再発見しました。それは、やはり引っ越しの多さと関係があるのかな。さて私もまた、いまとは異なるどこか別の土地へしばらくのあいだ生活空間を移そうかと思っています。では、また!
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Wed Jul 22 17:43:03 JST 1998
Lord Auch ( n97701@isc.chubu.ac.jp )
それにしてもGRAND-PLACEさんがトイレからひねり出す想像力にはびっくり。あなたの記述を読みながら、ドゥシャン・マカヴェイエフ監督の破天荒な映画『スィート・ムービー』を思い出しました。大陸的・地上的論理を、アンダーグラウンド的想像力によって痛快に笑いとばす鬼才マカヴェイエフ、そしてもちろんここで以前話題になっていたエミール・クストリッツァも旧ユーゴの映画作家だったことが気になる。そういえば、カスティーリャ語で書き、パリとマラケシュを往復する作家ファン・ゴイティソーロもまた、『戦いの後の光景』のなかでトイレを「詩の女神の神殿」として見事に描き切っていたなあ。トイレは奥深い。
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Wed Jul 22 18:30:44 JST 1998
Fulano de Tal ( archipel@dddd.ne.jp )
ホテルが、「死」と直結した空間であることを鋭く見抜いていたのがモーパッサンでした。それは一つには、サナトリウムというリゾートホテルの原型空間が放散する結核患者の死臭がかもし出すものであり、もう一つにはホテルのベッド自体が「病原菌の温床(ベッド)」でもあったという、19世紀末の民衆衛生学における接触感染へのオブセッションによるものでした。ジュール・ヴェルヌは『インド王妃の遺産』で、アメリカ・オレゴン州に建設された衛生ユートピアを描き出してそれをフランス=ヴィルと名づけましたが、それは都市のあらゆる建築素材が、家の中の絨毯から枕にいたるまで、すべて水洗いが可能な素材でなければならないという、極端な無菌対策のほどこされた水洗掃除都市でした。掃除せよ、水で洗い流せ、人間の集合体から生ずるあらゆる病原菌を、それが生まれたらすぐに抹殺せよ・・・これがその都市の政府のスローガンでした。山田登世子『リゾート世紀末』(筑摩書房)の特に第5章「衛生共和国」は、こうした19世紀の民衆衛生学の文化史を生き生きと描き出していて秀逸です。パリのセーヌ川における上水道と下水道の分離によって、水を起点とした「衛生」観念に基本的な革命が起こった経緯など、見事な論証で楽しめます。水道水が安全だ、という思いこみは、いうまでもなく汚物を分離して流す下水道という存在への私たちの想像力が働いているからであって、そもそも汚物や生活水を川へ流す文化においては、川の水が「不潔」であるという感覚自体が成立しない、ということでしょう。そして「不潔」という観念自体を持たない人々は、川の水を飲んでも水たまりの水を飲んでも腹をこわすことはありません。細菌ではなく、観念が、想念が、下痢の最大の要因なのです。私は自分自身を不潔な人間ではないと思いますが、一般にいう「不潔」を「不潔」と思わないところがあります。3年近いメキシコでの生活でも私の衛生観念はむしろメキシコ人に近かったようです。そしてそのためか、街頭のタコス屋でも、バスターミナルで売られている怪しげなトルタでも決して腹をこわすことがありませんでした。むしろホテルの部屋で日本人に戻り、つい習慣的に水道水をがぶ飲みしては、いつもクアウテモックの復讐に遭ってホテルのベッドで腹痛と熱にうなされていたのです。メキシコで、下水道の存在を絶対視して水道水を安全と決め込む二分法的思考が、大きな誤りだったのです。それからは、メキシコの水道の蛇口が、ウスマシンタ川かリオブラーボに見えてきました。これを旅の叡知と呼ぶのでしょう。
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Wed Jul 22 23:00:06 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
いや、おもしろい話が続きますね。
ところで、明日より東京、名古屋と研究会のはしごをします。
25日は名古屋にいます。さきほで、井村さんへメールを送りました。連絡をください。
購入書籍:ゴットフリート・ヴァーグナー著『ヴァーグナー家の黄昏』(平凡社)、井田真木子著『十四歳〜見失う親、消える子供たち〜』(講談社)、寺沢有編著『警察がインターネットを制圧する日』(メディアワークス)、古本屋で猿谷要著『アメリカ黒人解放史』(サイマル出版会)。
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Wed Jul 22 23:33:26 JST 1998
Taco Bel ( imura@gc4.so-net.ne.jp )
実は僕がメキシコで下痢になったのは、最初の一度だけでした。その後同様のことが起こらないのは、自分では免疫ができたからだと思っていましたが、「観念」が下痢を誘発するという発想には考えさせられるものがあります。サンフランシスコの空港で、目の前に拾えと言わんばかりに落ちていたメキシコの地図をたまたま拾って、そこから勝手に啓示を感じてメキシコに行こうと決めた僕は(Do you believe me?)、次の週にメキシコシティに降り立った時点では、あまりこの国を好きとは言えなかった。案の定、その日の夜「クアウテモックの復讐」に遭ったというわけです。それからは、小さな虫の浮いたagua mineralを飲もうと、腐れかかったmejillonを食べようとまったく大丈夫になりました。「清潔」という、不潔と対立するような概念を作り出すことによって、清潔と不潔の間にあった曖昧なものをすっぽりと抜け落としてしまうような、そんなちゃちな国ではないメキシコを僕は好きになっていたようです。/松岡さん、水で処理するアレは癖になりますよ。日本に戻ってきて再び紙を使った時は、とても不衛生な感じがしたものでした。今までにしたこともないような格好をしながら、もくもくと本能の後始末におよぶ動きの中では、必ずや坊さんに匹敵するようなα波が出ているものと思われます。次回は是非お試しあれ。/久方ぶりに、1万円以上も本を買ってしまった。これで俺も「購入書籍のチェック」ができる(!)と意気込んで帰宅したが、一息ついてから「こと」の重大さ(意図したわけではないダイエットに入るしかない)に気付き、今はただ呆然としています。/「引っ越し」(あるいは旅)という言葉を、通事的にも共時的にも同一のものとして使用することは、もしかしたら不可能なのかも知れませんね。「旅を住処とする」ようには、今の私たちはなかなか生きられない。北斎にとっての引っ越しは、西行にとっての出家と同じくらい、僕には謎であり魅力でもあります。/以下はあるHPから抜粋。ボイコットを呼びかけてます。とてもおもしろい。Jack and Taco Bell advertisers use a "cute" but nonetheless offensive stereotype to somehow validate their product as "Mexican." It adds to the trivialization and commercialization of la cultura. To suggest that mexicanos really like Taco Bell cochinadas is offensive. Good taquerias are not hard to find; I can't imagine significant numbers of Mexicanos eating Jack and Taco Bell tacos. Other items off the menu, not withstanding, however.
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Thu Jul 23 00:36:46 JST 1998
Calamares ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
インドネシアへ行ったときの話。いわゆる旅行者の潔癖症候群について。
アジアの被差別文化についての著書で著名な方(関西ではかな?)の企画するツアーで、インドネシアに行ったことがありました。そのツアーは常連さんが多く、みなさん結構裕福そうでした。
その中での話題は、「水は飲んではいけない。」「氷もいけない。氷の元になる水が安心できない。」「一匹のはえが止まっただけで、下痢になった人がいた。」等々。あきれました。
旅行中の食事はホテルと中華料理店ばかりで、いいかげん嫌気がさし、カリマンタンで「一度でいいから、地元の食事がしたい。」と添乗員に頼み込み、大衆食堂風の店で昼食が取れた。その時の焼き魚がとてもうまかった。台所まで入れてもらって、調理の様子を見せてもらったのが印象に残っている。
あとで、みなさんの心配が「あそこのミネラル・ウオーターは封がきってあった。あれは井戸水と入れ替えたものだ。」と、なかなか観察が細かい。
「水」の問題は「意識」の問題だとは、なかなか言い切るほどの経験と自信はないのだけど、旅行者が「自国の文化で自分を囲ったまま」外国を走っているのだと思います。
楽しい思いでは、同室者のFさんが私と同じ酒飲みで、二人で酒を探し回り(インドネシアはイスラームの国のためなかなか手に入らず)、最後のカリマンタンのひなびた町のコンビニでジョニ赤があったことだ。店員さんがそっと新聞紙に隠して、奥の方から持ってきてくれた。その後、二人で祝杯をあげました。
もう一つは、カリマンタンの夜に、はじめて見た南十字星!あの輝きは忘れられないなー。
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Thu Jul 23 12:13:40 JST 1998
Takao Asano ( tasano@quartz.ocn.ne.jp )
観念という安全地帯に身を置きつつ、日常性から一歩も外にでないつかのまの観光旅行者は、病気になる。なるほど、深く納得。■皆さんよく本を買われますね、うらやましい。先程、予約しておいたアメリカ国内線の航空券の値段が結構高かったことに気付き、どの本を売るべきか悩んでいるところです。■いま、20世紀初頭、サンフランシスコで発行された日本語で書かれた新聞記事を英語へ翻訳しています。でもその記事は、おそらくある人物が英語で語った話を記者が日本語で書いているものです。ただし、日本語といっても、それは明治期の日本語であり、記事の書き方も現在の通常の新聞記事の書き方とは全く異なる。記者は「事実」を客観的に記述する(そんなことは可能かどうかは別として)ことよりも、ある出来事を、文飾を施しつつ、ひとつの物語へと仕立て上げてゆくことに情熱を注いでいるようにも思える。ぼくはその記事を翻訳しつつ読みながら、さらにそれを英語に翻訳する。しかも、ある人物が語ったというその話の内容は日本語を母語とする人物との対話についてであり、そこにもまた翻訳があったはずだ。ぼくは「日本語」「英語」と書いてきたが、怪しいものだ。正しい日本語と正しい英語との透明な関係をここで想定することなどもはやできないのだから。結局、国語というものは理念でしかないのかなという気がますますしてくる。とりあえず完成させた原稿を前にして、ぼくは次のことを認識せざるを得ない。「翻訳」したひとつの文章のなかにはすでに複数の翻訳が組み込まれてある。それは様々な言葉のあいだの移行や誤解や飛躍の結果出来上がった、ひとつのフィクションのようなものなのかもしれない……。
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Sat Jul 25 00:58:11 JST 1998
Nuevo Peso ( imura@gc4.so-net.ne.jp )
ボーダーには物語が隠されている。物語を作り続けることによって、共同性はボーダーを強化し、求心性を維持することができる。ラング間の「翻訳」にどうしてもフィクションが紛れ込んでしまうように、ボーダーがボーダーであるためには、それは無垢なままでいられない。主体が言語によって完全に回収されない限り、アブジェクシオンの問題から私たちはいつまでも自由になることはできないのだ。増殖し続ける過剰な意味を持った言葉たちが、私たちを物語へと誘惑する。ポストモダンとは、物語の時代の代名詞。いたるところで物語は出番を待っている。語り得ないものを語ろうとして私たちは周囲をぐるぐると回りながら永遠に語り続けるか。あるいは沈黙するか。そこで私たちは、「ゼロ記号」の比喩のようにして浮遊する「どの単語にも属さない意味のない言葉」を、海市を追うようにして何とか手中に収めようとする。「誰でもない人」になろうとして。しかし、たなごころを閉じた瞬間に、言葉は深い闇の中で私たちに再び沈黙を強いるだろう。その沈黙の闇の中の一条の光を通してわずかに透かし見ることができる脱中心化された共同性。そこで私たちは、エルパソとフアレスを同時に生きるように、中心から遠く離れた複数のボーダーに沿うようにして生きる。耳の奥では、複数の言語の結節点としての「物語」が静かに鳴り響いている・・・。
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Sat Jul 25 03:32:13 JST 1998
S.Hashimoto ( syu-ta@air.linkclub.or.jp )
ひいばあさんの葬式。カトリックな家系のため鎌倉由比ケ浜教会にて挙式。ミサという儀式は国境を越える。きっとフィリピンにいってもミサに預かれば仲間意識が芽生えるんだろうな。そんなことを考える。
知らない人達との出会い。僕とこの人達とは「血」だけで繋がっている。世間話、自分たちの関係、今やってること・・・「えぇ、学生で独り暮らししてるんです。」違う顔に向けて同じせりふを何度となく吐く。血縁とはいかなるものか。
なくなったひいばあさんは後妻であったらしく、「血は繋がっていな」かったことを会席のスピーチで知る。お見舞いに行ったときのことを思いだす。母がお世話になったことを述べていた。座敷に飾ってある写真にそのことのお礼を言う。
二次会と名して男たちで飲みに出かける。不思議なものだ。初対面だが共通する話題は多い。母の昔の姿を母の兄貴から聞きだす。
葬式の場所鎌倉、自分のすんでいる川崎、自分の実家桐生、そして母の実家郡山。思いは場所と時を越えさまよう。自分が生まれていない頃の話。自分が訪れたことのない土地の話。
タイで仕事をしている人とその後、飲みに出かける。どうもひましているらしく「タイにおいで」とお誘いを受け、快くオーケィする。「金が貯まったら伺いますよ」新たな場所への想い。その前にまずバイトか。
こうして、血の繋がっていないひいばあさんに引き合わせられた血の繋がった連中が知らない土地で結び付いていく。家の中にいようと家の外にいようと、繋がりとは広がっていくものだ。
E-mailアドレスを教えあう。これからは自宅で繋がることが出きる。便利になった。オンラインは場所の概念をデジタル化してしまう。想いは場所を越えるようになる。そして身体も場所を越えるようになる。タイ、か。今から楽しみだ。
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Sun Jul 26 17:02:30 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
23〜24日は東京、25日は名古屋にいました。
東京には何をしに行ったかというと、「RIDEF(フレネ教育者国際集会)’98 JAPAN」をのぞきに行ったのです。フランスのセレスタン・フレネが始めた、戦前からある自由教育の運動で、公教育の改革を進めてきた国際的な集まりです。
30カ国、120名を越える外国からの参加者に日本側からの参加者とで、さまざまなアトリエを設定して行われました。(10日間の期間はとても参加できないので、2日間の部分参加をしてきました。)
会場の自由の森学園ではなつかしい顔に出会うことができました。3年前にピレネー山嶺のロマネスク教会を訪ねるツアーに行ったのですが、そのツアー・リーダーであったMさんがこの集会の主催者で、ツアーのメンバー4名もスタッフとして忙しく働いていました。
喫煙所でタバコを吸っていたとき、話しかけてくださったフランス人男性が、10年前にパリ20区の小学校を訪ねたツアーの時に、パリでお会いした方だった。「オヴニー」というフランス在住日本人向けのミニコミ紙を発行しておられる方で、奥さんは日本人で「エスパス・ジャポン」というフリー・スペースを持っておられる方だ。アルジェリアなどの北アフリカからの移民の子供達が多い20区の小学校を懐かしく思い出した。
参加したアトリエの一つに「ブラジル南部の民族芸術」というのがあり、参加者はブラジルの教師とその家族、日本の若者(たぶん自由の森の生徒さん)でした。ブラジルの歌を教わり、私も歌い、踊っちゃいました。一度は、ブラジルに行きたいな!
ついでに寄った池袋の西武で、ジョゼー・アレンカール著『イラセマ〜ブラジル・セアラーの伝承〜』(彩流社)を買い、セゾン美術館で「ディアギレフのバレエ・リュス展〜舞台芸術の革命とパリの前衛芸術家たち(1909−1929)〜」見て、大部な図録を買って、名古屋へ移動しました。気分は爽快だった。
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Sun Jul 26 22:37:24 JST 1998
Artaud ( imura@gc4.so-net.ne.jp )
飯田の試合(ボクシング)を見た。何の感懐もない。それは、ただ勝ったというだけだ。サッカーに優るとも劣らないような複雑で、人種的かつ儀式的な意味合いの強い歴史をも抱えるボクシングは、身体的流麗さとは無縁の、のっぺりとした勝利至上主義の人々によってまた汚されてしまった。しかもアレクシス・アルゲリョを生んだ国、ニカラグアの選手を相手にだ。個人で行うスポーツは、ナショナリズムとのつながりを比較的断ち切りやすいから、よりスポーツする身体に正直になれるはずなのに、観客は試合が終わると同時に試合中のつまらなさを忘れ、勝者になることだけに躍起になる。もうファイティング原田(ボクシングとは言えん)の時代ではないだろう。それなのに、フィクションとしての個人史がなければ、正視に堪えられないような鬼塚の試合(本人自身が「勝てればどんな試合でもいい」と言ってるのだから別にいいのだが)にも人々は勝つことだけに執着し、熱狂していた。ビデオに撮っておきたくなるような試合など、国内ではこの数年皆無だ。「自分のためだけにボクシングをやっている」と公言してはばからない辰吉の試合は、来月の下旬。
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Tue Jul 28 01:19:09 JST 1998
Calamares ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
今日、注文していた本を取りに行きつけの本屋に行った。
店主と森達也監督の「A」が話題となった。(大阪で公開される前に店主が注目作だと言っていた作品だ。)

私   「まだ、『A』を見に行ってないんですわ。」
店主 「さあ、おもしろいかどうか・・・・」
私   「????・・・・・・」
店主 「オウムを撮るとき、<中立>ということがありうるかどうか?」
私   「映画批評やインタビューで<中立>(距離をおいて撮った)と強調されるきらいがありますね。」
店主 「フイルムの編集の時点で監督の<選択>が働くものだし。」
私   「オウムを取ると決めた時に、すでに一定の<選択>が働いているはずですものね。」
私  「(社会情勢の関連で)マヌーバーを取らざるを得ないとしても・・・<中立>が強調されすぎですよね」
店主 「そこが気になる」

このあたりの制約が作品にどうあらわれているか、見に行く際、注視しようと思う。
この時、本棚に『生命の樹』が一冊入っていることに気がついた。
私  「『生命の樹』を入れてくださったのですね。」(うれしいことだ!)

購入書籍:今橋映子著『パリ・貧困と街路の詩学〜1930年代外国人芸術家たち〜』(都市出版)、柏木博著『ファッションの20世紀〜都市・消費・性〜』(NHKブックス)、栩木伸明著『アイルランドのパブから〜声の文化の現在〜』(NHKブックス)、栃木道浦母都子『無縁の抒情』(岩波書店・同時代ライブラリー)、『荒木経惟文学全集・6』(平凡社)
購入雑誌:「ちくま/98・8」(今福さんの連載4回目・佳境に入ってきました!)「月刊百科/98・8」、「季刊民族学/NO85」  
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Tue Jul 28 23:24:18 JST 1998
島惑い ( imura@gc4.so-net.ne.jp )
10月に沖縄に行こうと思い、沖縄の歴史や文化に関する本を少しずつ読み始めている。そこには、3冊のガイドブック(古本のガイドブックは安すぎる)とともに、伊波普猷や柳田国男や折口信夫や島尾敏雄らの著作が含まれている。スピードやネーネーズのCDももちろん聞いている(?)。それらの間から、徐々に僕なりの沖縄の姿が現れてくるような気がしている。歴史やイデオロギーや音楽や伝説や人種や戦争や陶芸や観光や文化・・など種々雑多なテーマが、それぞれが歴史という海流へと滔々と流れ込みながら、時に激しくぶつかり合い、雄大にうねっているさまを僕は現前に見ている。情けないことだが、ほんのちょっとした勉強によって、今までとはまったく異なる印象を沖縄から受けるようになった。いつの時代も、沖縄は誤解のエネルギーでできた蜃気楼のような存在だったようだ。それは今でもあまり変わっていないのではないか。ある地域や人物に対して、大した裏付けがないのに安易で勝手なイメージを都合よく作り上げ、一方的に安寧を得るという過ちを犯してしまいがちだが、それはここにおいても同じだったのだ。対象を完全に知ろうとするのではなく、知るための方法(きっかけ)を僕は知りたい思う。それは思いがけない方法で得られるような気もする。春に訪れた稚内と根室で「ロシア」と「いくら丼」に出会ったように、秋に行く沖縄とその周辺の島々で、僕は何に出会うことができるのだろう。
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Wed Jul 29 23:06:32 JST 1998
やぽねしあ ( imura@gc4.so-net.ne.jp )
虎ノ門でばったり出会ったときに、島尾敏雄が「プエルト・リコは琉球のようだ」と言ったと、吉本隆明が書いている。北海道を本州の北に浮かぶ「島」と考えれば、今度は、島に見せられた男、島尾の旅を丹念にたどってみるのもおもしろいかも知れない。そんなこんなで、どんどん南の島々に引き込まれてしまった僕は、外間守善の『南島文学論』をひもとき、歌謡、言語、神話、組踊、「まれびと論」などの知識に触れた。しかし、限られた時間のなかで、どれだけ多くの本を有効に読んでいくかというのは重要な問題だ。読みたくもない本を読まされた義務教育の日々の時間をすべて使えば、その問題も少しは解消できたかも知れない。一生の内に、行きたい場所に行けず、読みたい本も読めず・・。それから僕は、再びchicano poeticsのバリオに戻り、「書物の山全体を、詩を読むようにスキゾフレニックに旅をしてみよう」と、夕立の降りしきる窓外を眺めながら考えたのでした。
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Thu Jul 30 23:38:16 JST 1998
memoria primera ( imura@gc4.so-net.ne.jp )
ある友達にほぼ20年振りに会った。小金井で子供のまま別れて以来、こうしてはるばる名古屋駅で再会しても、お互いに一目でそれとわかったようだ。当然、時間は何かを奪い去り、何かを付加しているはずなのに、それでも何か変わらずに動かぬものがあるらしい。その部分を使って話をするだけでも十分に通じ合い、すぐに再び「いま」の友達になることができた。と同時に、こういう経験は初めてなので(大人になるのもおもしろい)、僕はがらにもなく哲学的なことを考えざるをえなかった。人は何をもってその人だと認定するのか、とか、友達とはそれ以外の他者とどのようにして区別されるのか、いったい私とは私にとって特別な何かなのか、人がある特定の人と出会うことには何か意味があるのか、あるのならそれは誰かに仕組まれているものなのか・・などなど。すべて子供の頃漠然と考えていたことだ。こうして子供の頃の自分を相対化してみると、忘れていた感情やそこから産み出された無限の?を引き出せそうな気がする。
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