Cafe Creole / message board at homeless
THE 9TH ANNUAL SOLO MIO FESTIVAL,
FIRST VOICE, & YERBA BUENA CENTER FOR THE ARTS
Proudly Present
the *World Premiere* of
BRENDA WONG AOKI in UNCLE GUNJIRO'S GIRLFRIEND
***2 PERFORMANCES ONLY***
SAT., OCTOBER 10 @ 8PM
SUN., OCTOBER 11 @ 3PM
AT THE FORUM, YERBA BUENA CENTER FOR THE ARTS
701 MISSION ST., AT 3RD ST., SAN FRANCISCO, CA
-------Critic's Choice---------
"....an extraordinary storyteller"
- Los Angeles Times
"....Ms. Aoki is practically the essence, the personification of multiculturalism in modern American theater."
-Dallas Morning News
"...extraordinary capacity for evoking an entire spectrum of experience out of her own body & throat."
-San Francisco Examiner
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Uncle Gunjiro's Girlfriend
THE TRUE STORY OF THE FIRST ASIAN/CAUCASIAN MARRIAGE IN CALIFORNIA
Nationally renowned storyteller Brenda Wong Aoki premieres a tale of forbidden love and the first Asian/Caucasian marriage in California. In 1909, Ms. Aoki's grand uncle Gunjiro, son of a high-ranking samurai, fell in love with Helen Emery, daughter of the Archdeacon of Grace Cathedral Church. Their interracial union sparked the anti-Asian micegenation laws in the early 1900's and made headlines across the US, resulting in death threats and loss of citizenship. Ms. Aoki explores their epic love story and the after effects on their descendents.
Uncle Gunjiro's Girlfriend is a multi-media solo show conceived, written, & performed by Brenda Wong Aoki, with original live music by award-winning musician/composer Mark Izu. Archival footage, newspaper headlines, faded photos, and video are interwoven into a montage of large-screen projections behind the stage action. The show is directed by Diane Rodriguez, resident
artist and co-director of the Mark Taper Forum's Latino Theatre Initiative.
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TICKET INFO:
Sat. October 10 - $18
Sun. October 11 - $16
Students & Seniors - $2 off
Group Rates - contact Marcia @ Climate Theater (415) 626-6422
For tickets and general information call the City Box Office at (415) 392-4400
or purchase tickets over the web at www.ticketweb.com
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Wed Oct 7 23:23:30 JST 1998
井村俊義 ( imura@gc4.so-net.ne.jp )
「昭和12年にノモンハンへ行ったんです」とおじいさんは言って、はたして「ノモンハン」の知識が僕にあるのかどうかを探るような、穏やかな沈黙が流れた。スコールのような雨が、おもてのアスファルトをたたく音がしている。おじいさんはちょっと前屈みになって左足をさすりながら、「足を貫通したんですが、1カ月間病院に入った後、また前線に送られました。その2週間後に停戦になりました」と小さな声で言った。雨宿りのために「守礼門」の近くの駄菓子屋に駆け込み、そこでたまたま耳にしたおじいさんの言葉は、「歴史」のどこか遠くの方から生の言葉が突然ずるずると引き出されてくるような、そんな感じがした。「蒙古が攻めてきて、それからソ連が攻めてきたんです」。幸運なことにあの凄惨な沖縄戦には巻き込まれずにすんだらしい。「兄(東大時代に池田首相と同級生だったという)が王子製紙の社長をしていたので、芝浦の軍需工場に勤めることができました。もちろん徴兵を逃れるためです」。最後に、「もう東京に行くことはないでしょう」と言って立ち上がり、店にあった傘を僕に無理矢理持たせ、「お気をつけて」と言ってから深々とお辞儀をした。/「明治39年8月18日付願農業従事ノ為メ4カ年間南米秘露国ヘ渡航ノ件許可ス 沖縄県知事男爵 奈良原繁」。南米への移民資料を見ていたら、宮古島の人頭税廃止との関わりや「杣山事件」(謝花昇らとの対立)などで名高い、「薩摩出身」の「琉球王」の名前に遭遇した。「日本」と沖縄とその他の島々の関係は、移民先の南米では、さらに一段階虐げられた関係性の中にそのまま組み込まれたそうだ。このように固定化されてしまった不公平な関係は、どうしたら打破することができるのだろうか。東北と琉球弧を結びつけるような、あの柔軟で独特な島尾の発想を実感をもって手元に引き寄せることはできるのだろうか。「ひめゆり平和祈念資料館」に掲げられていたある高校生の感想文。「知識はいながらにして仕入れることはできますが、「感じる」には自ら動いてそれに接しなければなりません。「ひめゆり」について私は今までよく知っていたつもりでしたが、違いました。私はここに来て確かに「感じる」ことができたと思います」。殺人者としての軍部を、誰のために死ぬのかということを、「日本」という想像された均一な世界を、・・。/多くの出版社が沖縄にあるのには驚かされる。その中の一つが出している雑誌「EDGE」の特集は、「クレオールな沖縄(西谷さんの文章あり)」。その3号前には、マキノ正幸(アクターズスクール校長)のインタビューとともに、今福さんの文章が載っているとバックナンバーの宣伝にはある。3日の「沖縄タイムズ」には、四方田さんが書いていた。
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Fri Oct 9 23:47:47 JST 1998
toshiyoshi imura ( imura@gc4.so-net.ne.jp )
島という土地のあり方に閉息感を感じたのは、那覇空港に着いたその日に車で島を一周した時だった。浦添近くの海岸で車から降り、中秋の名月に照らされてきらきらと反射している波頭を見ながら、そう思った。アメリカ大陸や「本土」なら、「どこまでも」行けるという感覚のもとに何となく安堵感を覚えるのだが、沖縄では夜を徹して走る間もなく、また元いた場所に舞い戻ってしまう。しかしその時、ふいにこうも思った。ここにはまた、多くの島々があり、沖にはぼんやりと慶良間諸島(米軍が最初に上陸した島々)さえ姿を見せている。アーキペラゴといい、琉球弧といい、島が連なった状態を相互に結びつけるような「開放された想像力」とはこういうものかと。しかしまた、こうも考える。それはナショナリズムを支えている想像力とどう違うのかと。沖縄を縦に貫く「ルート58」の起点が鹿児島にあるのを知ったのは、島に来てからのことだった。それは、沖縄が鹿児島に連なっていることを暗示しようとする国民国家の他愛のない仕掛けに過ぎない。そんな状況の中、東京に出版社が集中する「本土」を相対化するようにして、沖縄から発信される無数の言説は国民国家を相対化しようとする力を維持している。僕はと言えば、琉球大学図書館や沖縄県立図書館などにこもって文献を拾い読みをしている時でも、一人しかいない「自分」が「今」いる「この場所」をなんとか「感じよう」と努力していたような気がする。/去年の「第4回日本ホラー小説大賞」を受賞した貴志祐介の『黒い家』の主人公「若槻慎二」は、保険金支払い査定主任だ。私はたまたま、朝日生命(作者が以前勤務していたという)に勤めている友達に、約1年前に借りて読んでいた。小説としての完成度の高さは、今は亡き景山民夫氏が受賞時に絶賛していることからもわかるように非常に素晴らしいものだが、それとともに「生命保険会社」とはいったい何をしているのかが手にとるようにわかるという点においても重宝な作品である。和歌山の保険金詐欺事件(現実)は、私の中では真っ先にこの作品(小説)に結びつき、そしてさらに普遍性をもった人間の不可解な部分への思考へと誘っていった。「宮古島」は人頭税を払えずに自ら手首や足首を切り落とす者が続出したという歴史を持つが、「自殺というのは、実は非常にあり触れた死因の一つに過ぎない」時代においては、「人と紙だけで仕事をしている生命保険会社」は金を媒介にして、人間の精神的にも身体的にも極限の状況に直面せざるを得ないのだろう。
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Sat Oct 10 21:49:49 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
今日、映画『北京のふたり』(ジョン・アブネット)を見た。
すべり出し快調、三分の二あたりまで飽かせない。アメリカ企業の顧問弁護士であるジャック・ムーア(リチャード・ギア)が米中間の初の衛星放送契約をめぐっての争奪戦に巻き込まれ、殺人の冤罪を着せられる。その争奪戦の背後にアメリカとドイツの企業の抗争があり、その利権がらみでの権力の腐敗がある。単身その弁護を引き受ける中国人弁護士のジェン・ユーリン(バイ・リン)がとても新鮮でいい。最後の展開がアメリカ映画の法廷劇そのもので、ラストもハッピー・エンドで、ハリウッド映画の典型なのが興ざめだが、まあ楽しめる娯楽映画に仕上がっている。
現在中国の暗部を描いたものでは、やはり舟戸与一のルポルタージュ『国家と犯罪』(小学館)と小説『流砂の塔』(朝日新聞社)が抜きん出ていると思う。『流砂の塔の』のラストは登場人物は全て死に絶え、残るは権力者のみである。いつもながら舟戸作品のすごさを感じさせられる。
購入書籍:フランツ・ファノン著『黒い皮膚・白い仮面』(みすず書房)、西川長夫・山口幸二・渡辺公三編『アジアの多文化社会と国民国家』(人文書院)、鈴木隆著『匂いの身体論〜体臭と無臭志向〜』(八坂書房)、杉原達著『越境する民〜近代大阪の朝鮮人史研究〜』(新幹社)、『ウンベルト・サパ詩集』(須賀敦子訳、みすず書房)。
購入雑誌:「中央公論/98・11」(網野喜彦/古文書返却始末記(5))、「別冊・世界」(この本を読もう!・書評の森’97→’98)、「みすず/98・9」。
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Sun Oct 11 00:41:54 JST 1998
Nobel prize for literature ( pessoa@zzzzzzzz.com )
船戸与一、いいっすよねえ。ぼくも(なんとか)ずっと追っている作家の一人です(ホントは最近は追いきれてない。『砂のクロニクル』で終わっているというウワサあり)。南米ものは間違いなく全部読んでいるはず(そんな多くないか)。上野(俊哉)さんも好きだって言ってたなあ。今の作家、例えば『不夜城』の馳星周とかも好きですけどね(おそらく映画は見ないであろうが)。今日は、ずーっと前から読もうと思って買ってあった、藤沢周の『ブエノスアイレス午前零時』(芥川賞を取ったやつ)をやっと読みました。予想に反して、なんかしみじみしてしまった。(ぼくには)どうにもようわからん現代の作家たちも何人かいますが、藤沢や幾人かの人たち(阿部和重とか)は、日本語の「言葉自体」と日本語にのる「意味」というものにとても自覚的です。ただ、渋谷や新宿を舞台にして、はい「現代的」ですっていうのは、どうかと思いますがねえ。浜松や豊田や恐山や与那国や樺太や春日井を舞台にした方が、より「現代的」ってこともあるんじゃないのかな。沖縄の作家が沖縄を舞台にしているのとはぜんぜん意味が違うでしょう(沖縄の作家に「もっと普遍性をもった作品を書け」と言うのは的外れだと思う。ナショナルな共同体をいかに相対化するかという作業はとても大事なことであり、それをオキナワにおいて行うというのは特に意義深いことなのでありまーす。沖縄は確かに明るいが、反面オキナワは深くてクラ〜イのですよ)。いずれにしても、トポスに対するこだわりっていうのは必要なんでしょうけどね。つーことで、大城立祐の最高傑作『亀甲墓』を、今回琉球で読むことができてぼくは幸せでした。それにしても、池澤夏樹って沖縄に住んでいる意味あるのかなあああ。
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Sun Oct 11 08:38:37 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
私が舟戸与一の小説を読みはじめたのは比較的遅く、『砂のクロニクル』で評判になった以降でした。(『砂のクロニクル』は秀逸ですね。)その後の作品も毎回、創作の新しい挑戦があり、いいですよ。
『蝦夷地別件』(新潮社)は千島アイヌの反乱を幕末の日本、ロシア、ヨーロッパを縦横無尽にクロスオーバーさせ、構想力の冴えを読んでいて感じさせられました。ルポルタージュ『国家と犯罪』は20年余前のルポライター、豊浦志朗の復活を思わせ、冷戦後、冒険小説・スパイ小説作家が作品を書けなくなり、退場し、つまらぬに日常を描く作家となってしまう傾向とは違った方向を構想されているのだと思わされた。そして、メキシコのチアパスを舞台にした『午後の行商人』(講談社)、開放経済下の現代中国の暗部を描いた『流砂の塔』(朝日新聞社)と魅力的な作品が続々と登場している。
実は私たちのやっているリゾナンス’90で舟戸さんをお呼びしたいと考えたことがあり、舟戸さんと古くからの知人の方を通じてお願いしてもらったことがありました。残念ながら、「講演は勘弁してほしい。」と断られました。作家は講演をしない(自分の作品について論評しない)という節操には感嘆させられました。
さて、舟戸さんの日本を舞台にした初の小説、不況下の日本のハード・ボイルド小説、『海燕ホテル・ブルー』(角川書店)を読んでみるか。
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Tue Oct 13 15:59:24 JST 1998
Ryuta Imafuku ( ////// )
いま現在、札幌大学「北方文化フォーラム」で話をしています。
つい一時間前まで、ここからわずか10分ほどのところにある、
西岡公園で、森の深まる秋を体験していました。その後すぐ、
この会場で電子的な記述について話をするというのも、不思議なことです。
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Wed Oct 14 04:31:39 JST 1998
toshiyoshi imura ( @@@@@@@ )
マスター、久しぶりですねえ。先日、大学の雑誌に載せてもらうために一本論文を書きましたので、いずれ送らせていただきます。チカーノと日系アメリカ人のいくつかの文学作品からポリグロッシア状況と共同体の関係を論じるという、まるで先生が僕に残してくれた「遺産(?)」で書き上げたような文章です。最近は、Teresa McKenna,Migrant Songや、Rafael P屍ez-Torres,Movement in Chicano Poetryなどを読んで、いろいろと妄想を膨らませています。さて、どうなることやら・・。山に精通している方に向かって北国の寒さの厳しさを説くほど私も野暮ではないんですが・・、これから日を追うごとに北海道がもっとも北海道らしくなる長い冬へと深まっていきます。くれぐれもご自愛くださいませ。というか、雪かき要員のおのれこそ、ご自愛すべきなのでせうか。/自分の考えていることを濾過にかけずに、さまざまな文体とプロットとテーマをすべてぶち込んだような文章は、当然のことながら学術論文にも小説にもエッセイにもならないわけで、そういう私は今日も、私という一人の読者の為だけに、深更に一人せこせこと文章を紡ぎ続けています。
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Fri Oct 16 00:51:21 JST 1998
イムー ( imura@gc4.so-net.ne.jp )
シュールレアリスティックな非物語性(現実とはそういうものか)から湧出する無限の物語を感じさせるルイス・ブニュエルを敬愛してやまない星野智幸のメキシコを舞台にした幻想的な小説『最後の吐息』が中部大学の図書館(私の通っている大学よりも品揃えの趣味がいいのでいまだによく使わせてもらっています)には置いてある。彼の愛読する作家はキューバ生まれの小説家でありマリエリート(アメリカへの亡命は彼の生活をさらに失意の底に陥れるものだったけれども最後まで文章を書くことを忘れずにエイズ患者として自殺したというアレーナスならばこの蔑称を反転させる力を持っているはずだ)でもあるレイナルド・アレーナス(メキシコの実在した僧侶をマジック・リアリズムと呼ばれるような手法によって描いた代表作『めくるめく世界』は1966年にメキシコで出版された)だという。まだ二作しか出ていない星野の作品ではあるがスペイン語世界を日本語の多層性の一つの層にごく自然に紛れ込ませるようにしながら表現というものの臨界点を目指そうとする手腕は可能性に富んでおりこれから私がもっとも注目し続けるであろう作家の一人である。しかし、野村は阪神のユニフォームが似合うのだろうか、それだけが心配だ。
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Sun Oct 18 16:34:09 JST 1998
Coyote ( nowhere@out-of-sight.DIScom )
おや、ちょっと眠ったと思ったら、めざめたら3ヶ月以上たってるのか。こんな調子じゃ、何もできないな。落合が引退したけど、あいつはすごかったよね。毎日必ず10時間は眠ってたっていう、ロングスリーパーの星だ。直立歩行はとにかく生物には不自然なんだから、よく寝たほうがいいよ。こんどは冬至のころ出現するか。
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Sun Oct 18 23:39:08 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb,ne.jp )
なつかしや、コヨーテさん。3ヶ月ぶりですか・・・
野町和嘉さんの写真集『ETHIOPIA〜「神よ、エチオピアよ」〜』(集英社)が出ました。重い写真集を抱えながら、帰る時ほどワクワクする時はありませんね。
『アジア多文化社会と国民国家』(人文書院)を読み終わりましたが、なかなかの読み応えがありました。これは立命館大学国際言語文化研究所の連続講座の記録をもとにしたものです。
その他、小浜逸郎著『いまどきの思想、ここが問題。』(PHP研究所)を読みました。宮台真司についての論評がなかなかよかった。宮台さんを一度、呼びたいと思っています。
野田峯雄著『周辺事態〜日米「新ガイドライン」の虚実〜』(第三書館)、「状況/98・11」(特集・グローバリゼーション)を買いました。
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Tue Oct 20 00:30:28 JST 1998
Welcome home, Mr.Coyote!! ( imura@gc4.so-net.ne.jp )
思いがけない場所で人にばったり出会うことが、他の人よりも多いのではないかずっと思っている。ただ、「会いたい」と念ずれば会えるというわけではなく、無意識の底の方でなんとなく気になっているような人に出会う確率が高いようだ。地方や海外においてもそういうことがたまにある。そんなとき僕は「なんと人間には不思議な力が備わっているのだ」と感心するのだが、別にそれ以上何か考えるというわけでもない。そういえば中野に住んでいた頃、プロードウェイ(商店街の名前です・・)である日ばったり出会った女の子が、後日「その時間は、私はうちでこたつに入りながらみかんを食べていたはずだ」と言い張り、「でもよくそういうことがあるの」としらっとしていたのを思い出す。ドッペルゲンガーなんて難しい言葉を、芥川龍之介や心理学者を通して知るずっと以前のことだ。そう、本との出会いも「ばったり」に近いことがたまにあることを思い出した。『ブラジル宣言』との古本屋での出会いはまさにそうだった。膨大な書物の山の中から、自分の探していた本が向こうからやってくるような、あの得もいわれぬ感覚は誰にでも覚えがあるのではないだろうか。そうして、成人式を迎える前には、「人間関係や読書体験を自ら選択し、自らの意志によって人生を切り開く、なんて思えるのは質の悪い宗教の信者のようだ」と達観していた僕は、いつしか「質の悪い快楽主義者」へと身を持ち崩していったのだった。それはまだ、新宿の花園神社にいかがわしくも「見せ物小屋」が存在し、中央線沿線全体が霞でおおわれているような、どこかぼんやりとした時代だった(ような気がする)。
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Tue Oct 20 20:09:15 JST 1998
Takao Asano ( tasano@quartz.ocn.ne.jp )
サフランシスコでの数日間。……バークレーのテレグラフヒルにあるベトナム料理店で、ぼくは本サイトの「コヨーテ読書」で知ったDenise Levertov, "Tesserae"を読みながら、友人を待っていた。午後の陽光に、褐色の肌を光らせながら歩いてくる彼女が窓から見える。「調子どう?その本みせてよ。」「詩というか、散文というか、とていいもよ。シティ・ライツで買ったんだ。」この言葉に敏感に反応した彼女は、意味深長な笑みを浮かべながら、「ふーん、シティ・ライツの歴史って知ってる?」と含みのある言い方で聞いてくる。ぼくはただうなずくことで、ぼくらが共通の関心を抱いていることを彼女に知らせた。彼女は自分がいかにビート・カルチュアに影響されたか、そしてビート・カルチュアがかつてあったようにはもう存在しないことに気付いていったか、しかし、いまでも一定の距離を保ちながらビートの詩や小説に親しんでいることを滔々と語り出した。「オート・ライティング」で戯曲を書き、ニュー・ヨークで母の国ギリシャの演劇作法を学んだ彼女は、来月から自らを女優として鍛え上げるためにヨーロッパ中を放浪するつもりだと語った。……Asian Dub musicを聴きながら、Bohemiaを飲み、踊り、疲れ果て、真夜中のストリートにたむろすコーナー・ボーイズたちの喧騒のなかを足早に通りすぎ、かりそめの家のカウチで眠っていたが、一発の銃声の音に驚いて目覚める。……何人かのチカーノ/チカーナのアーティストが立て続けにぼくの滞在先─そこの本棚には能や歌舞伎、禅に関する本やラフカディオ・ハーンの著作のとなりにルドルフォ・アナーヤの小説が並べてあるような不思議な場所だった─へやってきた。詩人、パフォーマンス・アーティスト、ジャーナリスト、映像作家の L。ディレクター、女優、の D。照明デザイナーのJ。劇作家のAは車を運転しながら、美学と政治学の関係について熱く語り、ロサンジェルスにいるホームレスの日本人プロテスト・シンガーの活動を支援しているのだと話し、そのテープを聞かせてくれた。"What did you learn about Columbus?"そして、ぼくは中南米系の移民が集まる夕方のミッション地区のスペイン語世界を散策し、あついタコスととり肉をほおばりながら、メキシコかペルーのどこかのレストランで"Pollo"と頼んだら、味も何もついていない茹でたにわとりがまるごとでてきて困惑させられたという友人のほほえましいエピソードを、ふいに思いだしていた。……ダウンタウンのあるラジオ局に勤める友人のミュージシャンを訪ねた。今月、彼は韓国の親戚の家へいくという。コリアン・アメリカンは、彼は二世だが、祖国とのつながりが強い。そして、電子メイルの交換をし、ぼくらは広島で会うことになった。広島とヒロシマとHiroshima。ぼくたちは一体どこで出会うことになるのだろうか?……そして、ソウルを経て名古屋へ。今日、たまたま立ちよった古本屋で「ブラジル宣言」を発見。帰国したとたんに、「ブラジル」と遭遇するというのも刺激的だ。
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Tue Oct 20 23:13:41 JST 1998
Kazuki Miyata ( kazuki@sfc.keio.ac.jp )
秋風が力強く吹き抜ける石狩平野に寄り道して、
札幌から藤沢へとやってきました。
旅の疲れを癒しながら嵐の昼夜をやり過ごすと、
台風が連れてきた高気圧のせいか、
ここ湘南ではまるで夏の日差しです。
一足速くビーチに着いた友人の携帯から、
適度に波も出ているという情報が入り、
(冬用のウェットスーツを持たない人たちにとっては)
おそらく今年最後になるだろうボディーボードを楽しんできました。
『スポーツの汀』以降、リアルサーフィンとネットサーフの交叉のなかに身を
置くことの意味を読みとくための言葉を私たちは得ることになったわけですが、
こうしてカフェ・マスターとともに札幌でデジタル・ライティングについて
考えた直後に湘南の海で波乗り遊びに興じるというのは、
なんとも奇妙でかつなかなか得難い体験のように感じられます。
(以上、昨日の月曜日の出来事でした。
今日は昨日とはうってかわって肌寒い秋の一日となり、
なかなか夏らしいカラッと暑い日が少なくくすぶりつづけた今年の夏も、
僕のなかでは昨日でようやく終わったみたいです。)
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Wed Oct 21 00:15:41 JST 1998
札幌大学学生 ( ・・・・・ )
今日風邪で先生の授業を休んでしまいました。
僕が寝ていても、時間は流れていく。とほほ。
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Wed Oct 21 01:00:13 JST 1998
BEAT ( imura@gc4.so-net.ne.jp )
沖縄から帰ってすぐに注文しておいた琉球文学に関する本が、丁重な手紙とともに那覇から送られてきた。その時僕はちょうど、(懐かしくなって)『ブラジル宣言』を手に取っていた。それから図書館で友達とルドルフォ・アナーヤの話をしてから、明日遊びに来る別の友達のために掃除をしていたら、本棚の奥の方から、コヨーテさんも積極的に文章を寄せていた「メリ・メロ」が数冊(2号〜9号)出てきた。夜には、ベトナムに留学していた「いとこ」から電話があった。先週は、食事をする場所としては家からもっとも近い「メキシコ料理屋」で、友達と一緒にタコスを食べ、Bohemiaを数本飲んだ。ここ数カ月間、家に帰りたくなくてあちこちを旅していたの僕の心の中では、ビートの詩人ジャームッシュの言葉が鳴り響いていた。「みな孤独さ。だから僕は流れ歩く。狂ってると言われても漂流していれば、孤独でないと思うことができる。本当に孤独を感じるよりはマシだ」。/サンフランシスコでの数日間の滞在を活写したtasanoくんの文章を読み、これはまるで「交差するカフェクレオール」だな、と感じて思わずここまで一気に書いてしまった・・。人が人と交差し出会うように、書物は書物と、土地は土地と交差し出会う。そしてついには、人も書物も土地もお互いに交差し出会い、僕たちは人と書物と土地の間を自由に旅する、どこにいようと。
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Mon Oct 26 19:28:39 JST 1998
辻田尚代 ( jn8h-tjt@asahi-net.or.jp )
皆さん、こんばんは。久しぶりにのぞいてみて、過去のメッセージを読むうちに、
「ああ、沖縄行きたい!」と思って−−恐らく書き込みのご本人のピークはも
う過ぎているんでしょうけど−−、端末の前で身をよじって羨ましがっていま
す。
去年の夏、那覇の一番賑やからしい通りで、昼間海に潜って夜は街を
うろつくという生活を一週間だけだけど、過ごしました。ダイビングボートでは
大阪から来たという、倶利伽羅紋々の「社長」一家と乗り合わせたり、通りすがりの
人が連れってってくれた店が、客もマスターも一緒になってブルースをやっている
ようなところで、その後毎晩そこに寄ったりして、楽しかったのを思い出しました。
『太陽の
子』の読者として南部にも行ったけど、私はその場で「感じる」ことが昔から苦手
なのか、気負い過ぎたためか、あまり素直になることが出来なかったなー。あの夏
一番ショックだったのは、南部から萬座へ、夕陽を見に(馬鹿にする
ならしてくれい)ハイウェイを一路北上していて、スピード違反で捕まったことで、
100キロオーバーで捕まるはずがないと思い、止められてみれば開き直って「なんで
観光客を捕まえるわけ?」と腹が立ち、50がらみのおまわりさんに、「前をみて
ごらん。レンタカーが他にも捕まってるでしょ。ここではね、事故を起こすのはいつ
もレンタカーだから」と言われた時には、穴に消え入りたい心地でした。なんという
横暴。最低ですよね。「夕陽、間に合うといいねー」と、再びハイ
ウェイに送り出され、引き返しもできず黙々と走ったのでした。
情けない話を思い出してしまいました。じゃ、また。
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Mon Oct 26 20:33:06 JST 1998
Isao Matsuoka ( fwhz9173@mb.infoweb.ne.jp )
最近、2本続けておもしろい映画に出会いました。一本は「相続人」(ロバート・アルトマン)で、ジョン・グリシャムがこの映画のオリジナル・ストーリーを書き下ろし、主演はケネス・ブラナー(しぶい!)です。アルトマンのはじめてのサスペンス映画で、老いてますますさえています。もう一本はスペインの異色監督であるペドロ・アルモドバルの「ライブ・フレッシュ」で、ルース・レンデルの『引きつる肉』が原作。原作とはひと味もふた味もちがい、なかなかおもしろい。ただ、アルモドバルがえらくスマートな映画を作った感じがし、やや不満が残る。しかし、2本ともなかなかいいですよ。秋は見たい映画がめじろおしですね。
来週は11月2日から4日まで開催される立命館大学国際言語文化研究所の国際シンポジュウム「二十一世紀的世界と多言語・多文化主義ー周辺からの遠近法ー」に出かけるつもりです。2日は「1920年代文化のクレオール性とは何であったか?」(西成彦「カフカと宮沢賢治の時代」、パネラーに今福さんが出られます。)、3日は「アジアのさまざまな声ー交差する多様な表現」(トリンT・ミンハがゲスト・スピーカー!)、4日は「複数の歴史像に向けてー国民国家の想像力を脱植民地化する」。2日、3日と行こうと思っています。<立命館大学国際言語文化研究所、電話(075)465−8164>
購入書籍:小泉八雲著、平井呈一訳『仏領西インドの二年(上)(下)』(恒文社)、工藤美代子著『マルティニーク熱帯紀行〜ラフカディオ・ハーン追想〜』(恒文社)、工藤美代子著『夢の途上〜ラフカディオ・ハーンの生涯(アメリカ編)』(集英社)、森巣博著『無境界の人』(小学館)、野田正彰著『聖ロシアの惑乱』(小学館)、西垣通著『メディアの森』(朝日新聞社)、高良倉吉著『アジアのなかの琉球王国』(吉川弘文館)、浦部法穂、中北龍太郎編『ドキュメント「日本国憲法」』(日本評論社)、中北龍太郎著『国家非武装の原理と憲法九条〜憲法・自衛隊・安保の戦後史』(社会評論社)、「季刊民族学/No86」。
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Tue Oct 27 01:31:42 JST 1998
toshiyoshi imura ( imura@gc4.so-net.ne.jp )
テキサスのコーパスクリスティへと続く道で、スピード違反で捕まったことがある。命以外に失う物は何もないと美しくも信じていた、まだ20代の初めの頃だ。パトカーがえんえんと追ってきてるのに、10キロ近くも150キロぐらいのスピードで無視して走った。若さというのは実におそろしいものだと思う。後から考えると背筋が冷たくなるようなことを、当時は平気でできたのだ。それにひきかえ今はどうかというと、無茶をしなくなった自分に何となく腹が立つことが多い。しかも、あの年齢にしかできなかったことを振り返ってしみじみと懐かしがっているようでは、俺も終わりだ。そんな折、10代の頃に同棲していた女性から久しぶりに手紙をもらった。懐かしい筆跡を見ながら封筒を開けると、結婚をした旨とともに最後にこう書いてあった。「何も知らなかったときにあなたと経験した、<破滅的な毎日>をふと思い出します」。人は、一人しかいない「特別の自分」がしてきたことを、特別に感じてしまうのは当然だろう。だが、無知な10代を中心にした、人間がどうしようもなく抱えてしまっているある時期の暴力性もまた特別なものだ。ヴァーチャルな空間や、毎日届けられるニュースを通して、暴力と死は満ちあふれているが、しかし『葉隠』が「毎朝毎夕、改めては死に改めては死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生越度なく、家職を仕果すべきなり」と、日常のすぐ背後にある死に対する自覚について述べた文章に対してどこか違和感を感じてしまうのはなぜか。それはおそらく、人間が属性として持っている暴力性に対しては目をつぶり、死だけをきれいに取り出して弄んでいるからではないか。暴力性を認識しようとせずに、一方で垂れ流される暴力性にはおたおたしつつ(神戸や小牧の事件)、死(標本としての死体)自体には過剰反応している私たち。死というイメージだけで、実際の死体はどこにもないというのに。「今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目にみせてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ」と三島は死ぬ前に言った。天皇という空虚な身体に過度の力を持たせ、それによって死を制御してきた歴史を持つ「日本」において、「自由」や「民主主義」の意味は欧米のそれと同じではなかったはずだ。生前きわめて論理的であろうとした三島は、「日本」がただ「死」を排除することで一等国になった気でいることに耐えられなかったのではないか。三島がただの暴力的な狂人に見えてしまう人は、きっとアステカの生け贄の儀式も「野蛮」の一言で片づけてしまうのだろう。言うまでもなく、エピステーメーは混在しながら推移していくのである。
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