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以下が1999年10月16日から10月30日までの意見交換です。

 


Saturday, October 16, 1999 at 07:29:53 (JST)
李孝徳 <lee@art.udn.ne.jp>

インターネットで以下の記事を見つけました。メーリングリストの立ち上げ作業が遅れているため、なかなかこうした情報を入手し、迅速に対応することができないでおりますが、何とか支援できないものでしょうか。

ちなみに島根大学のe-mail addressは以下の通りです。

E-mail:webinfo@jn.shimane-u.ac.jp

個々人がそれぞれ批判のmailを送りつける、という方法がとりあえずあるように思います。

******************************

<特報・日の丸>不掲揚方針決定の島根大学で学長が掲揚を要請(毎日新聞)


 島根大学(松江市西川津町)が今月23日の開学50周年記念式典で、日の丸を掲げない方針を決めたのに、一転して吉川通彦学長が「掲揚」を全教職員に要請していることが、15日分かった。文部省側から日の丸掲揚を再検討するよう指示された経緯があり、同大学教職員組合(260人)は「文部省の圧力に屈し、大学の基本理念である学問・思想の自由を放棄している」と猛反発し、掲揚に反対する要望書を学長に提出した。吉川学長と同大学執行部は18日の評議会で再度理解を求め、19日以降の教授会では各学部長が教員の説得にあたる模様だが、さらに紛糾が予想される。

 組合によると、式典での国旗掲揚について、今年9月の評議会で吉川学長が演壇の脇に国旗と校旗を掲げる方針を打ち出した。10月6日の部局長会議では、出席者から強い反対の声が上がり、取り止めが決まった。ところが、同12日に開かれた臨時部局長会議で、吉川学長は再度、掲揚を提案したという。

 方針転換に反発した組合は15日、吉川学長に「意見集約という正規のプロセスによらず、外部圧力に屈した今回の決定は、自ら自主・自律を放棄したもの」との内容の国旗掲揚に反対する要望書を提出した。

 吉川学長は「文部省には相談していない。来賓に国立大学に対する誤ったイメージを与えたくないと思い、大学の長として私自身が(国旗の掲揚を)決めた」と話している。

 しかし、大学事務局によると、掲揚しないことを決めた後、文部省から大学側に、「50周年式典で国旗を掲揚するのか」との照会があり、大学側は「しない」と返答したところ、「掲げることについて再検討して下さい」と要請されたという。組合側は「学内の議論を妨げる重大な前例」と非難している。

 文部省大学課の話 問い合わせがあれば、国の機関の記念式典では掲揚が望ましいと回答するが、今回の件で島根大学に指導したことは、聞いてない。


[毎日新聞10月16日] ( 1999-10-16-01:48 )



 

Saturday, October 16, 1999 at 09:27:05 (JST)
意見表明の具体的手段について <sinedie@wanadoo.fr>
まだ事実関係がはっきりしていませんが、 前回の教訓に鑑み迅速かつ効果的な「意見表明」が必要と考えます。 とりあえず以下の関係箇所に向けた何らかの行動が、 「大学人として」必要ではないでしょうか。 島根大学: TEL : 0852-32-6000 FAX: 0852-32-6019 (庶務課) 宛先人: 島根大学学長 〒郵便番号: 6900823 住所: 島根県松江市 西川津町1060 文部省大学課: TEL :  03-3581-0502 宛先人:  文部省大学課 〒郵便番号:  1000013

Saturday, October 16, 1999 at 17:35:04 (JST)
駒込 武 <komagome@li.ocha.ac.jp>
カフェ・クレオールに集うみなさんへ

 8月24日の「6月署名」総括集会で新しいメーリング・リスト(ML) の立ち上げについての事務を担当することになった駒込です。
 あらためて署名者の名簿を整理する作業が予想以上に手間取った上に、職 場の異動など個人的な問題も重なって、MLの立ち上げが遅れていることを ここにお詫びします。
 しかし、ようやく準備も整いつつあります。島根大学の報道に接して自分 としても焦っていますが、今しばらくお待ちください。
 また、必ずしも最初から要望に添えるとは限りませんが、MLとホームペ ージ立ち上げにあたっての要望や意見、アイデアなどありましたら、
 komagome@li.ocha.ac.jp
 までお寄せください。

Sunday, October 17, 1999 at 00:16:55 (JST)
石田英敬 <gm4h-isd@asahi-net.or.jp>
「島根大学」事件について
「六月声明」の島根大学共同署名者の方々にお問い合わせしましたところ、一人の方から以下のお答えを頂いています。

「私も組合からのメールで昨日の午後知ったばかりで、 まだ大学からの正式な見解の表明は聞いておらず、 事態の全貌はつかんでいません。 しかし、おおむね報道のとおりの事態が起きて いるようです。
(朝日の記事は以下のとおり) http://www.asahi.com/1016/news/national16007.html
報道のとおり、10月6日の部局長会議では、 法文学部からの反対意見(日の丸を掲揚するならば、 記念式典のために納めた寄附を返還してほしい、 などの声をふまえたもの)を考慮し、 掲揚をとりやめることに決められたようです。 そしてその後、われわれ教官に対し、 「日の丸を掲揚しないことになったので、 記念式典ならびに祝賀会に極力参加して欲しい」 との呼びかけがありました。 ところが、昨日の午後に、臨時に教授会を召集する案内があり、 記念式典における国旗掲揚のことが、議題ではなく、 報告事項として掲げられていました。 そして、夕刻に、組合からは、次のようなメールが来て、 大学当局の方針が変わったことを私は認識したわけです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 組合員の皆さん  大学当局は、10月23日の開学50周年記念式典での日の丸掲揚について、評議会で の意見交換の後、いったんは、10月6日臨時部局長会議で、掲揚しないことを決 定しました。ところが、10月12日臨時部局長会議で、学長から,文部省からの 強い働きかけを受け、日の丸を掲揚する事にしたいとの提起があり、前決定を覆し て、日の丸を掲揚することに決めました。組合では本日、学長に対して、以下のよ うな強い抗議の意志を含む要請文を提出しましたので、お知らせします。

(以下、石田記) 教職員組合の「要望書」本文は、
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− http://192.244.214.180/siryou/hinomaru.html
で読むことができます。
上に駒込さんが書いているように、MLの立ち上げが遅れていますので、場合によっては、以前のルートを復活してこの事件について、「六月声明」共同署名者全員に対して、緊急の「注意喚起」を呼びかけようかと考えています。とにかく、このボードを見た人は、他の人々にこの新事態を知らせて注意を呼びかけて下さい。 以上、石田英敬

Monday, October 18, 1999 at 02:23:29 (JST)
実村 文 <ayam@tkc.att.ne.jp>
石田先生、早速のご報告ありがとうございます。
シネディエさんの仰るとおり、迅速な対応が必要と痛感します。

ただ、「以前のルート」を「復活」させても「共同署名者全員」には届かないことは、石田先生ご自身がいちばんよくご存知のはずです。
8月24日の総括集会で発表された署名者総数は842名。石田先生からML作業班に渡されたメールアドレス一覧は575名、その9割はアドレスのみで、氏名と対応していませんでした。もちろんファクスでの署名者も多数おられます。ML立ち上げが遅れているのは、ひとつには、その状態から、本当に「署名者全員」に呼びかけが届くような体制にまで整える作業が難航しているからだということも、先生はもちろん、ご存知のはずです。

何度も書き込もうかと迷い、その度に思いとどまってきましたが、署名者の方々にはご自分の名前がどのように扱われていたか知る権利もあると判断し、ご報告することにいたしました。

Monday, October 18, 1999 at 09:28:39 (JST)
石田英敬 <gm4h-isd@asahi-net.or.jp>
上記の実村さんの書き込みにお答えします。
「共同署名者全員に」という私の前回のメッセージの意味するところは、「共同署名者全員」に伝わるようにということを言ったまでであって、全員にメイルが届くようになっているといった訳ではありません。そのような体制が出来上がっているのであれば、MLは出来上がっていることになるからです。それから、共同署名者の氏名の扱いについて「杜撰」であったであったというご指摘かと理解しますが、技術的にさまざまな問題を抱えていたことは事実で、この点についてはすでになんどもお詫びをしたと思います。ただし、技術的に可能な範囲で、できるだけ速やかに伝えうる人々にできるだけ連絡をとる、ということが求められる状況において、技術的な完全性を尽くすことがいかに困難であるかは、「6月声明」の運動後の「完全な」MLの立ち上げ作業に費やされているエネルギーが逆に証明しているのではないでしょうか。「共同署名者全員に」、という意味は、一元的にメールが直接行くということではなくて、伝わらないかもしれない人、伝えられない人には、伝わった人から「中継」してもらって、という意味です。「6月声明」の「報告」文書にも、その旨のメッセージを書き込んだはずです(アーカイヴをよく読んでください)。
正直いって、ある時点以降起こった「運動批判」にはうんざりで、「もうやめた、勝手にしろ」という言葉が口をついて出そうになることがしばしばなのでしたが、現在の状況はそれをゆるすようなものではありませんね。
少し「論争的」になることで、このフォーラムも活気づくかもしれませんので、せいぜいご忌憚のない批判・発言を皆さんにお願いします。石田英敬

Monday, October 18, 1999 at 22:59:51 (JST)
石田英敬 <gm4h-isd@asahi-net.or.jp>
「六月声明」共同署名のメイル及びファクスの扱いについて
今朝方書き込みました上記のメイルで言及不十分なことがありますので補足させていただきます。
私のところで集約しておりました共同署名者からのメイル・アドレス、メイル本文およびファクスの全記録は、8月24日の総括集会での決定を踏まえて、そのときに満場一致の決定によりメイリング・リストの立ち上げを任された駒込武さんの手元にすべてが伝達されている状態です。その後、駒込さんから、李孝徳さんがメールの処理を手伝って下さっているという連絡がありましたので、今日まで私は、ご両人でこの作業をおこなって下さっているのだと認識しておりました。ところが、実村さんの書き込みは、事態がそうではないということを示しているようです。もちろん、実村さんであれ、どなたであれ、作業にご協力いただいていることは大変ありがたいことですが、私が最後に出しました「最終経過報告(8)」にも「アドレス情報がご自身の意志に反して流出したりすることはありませんのでご安心ください」と書きましたように、メイルやファクスの情報管理にはくれぐれもdeontologyを守っていただくことをお願いします。いずれメイルおよびファクスでの署名がどのように「管理」されていたのかについての客観的な情報は、駒込さんがMLが立ち上がったときに正確に細部にわたって報告を行って下さるのだと私は理解しております。したがいまして、「臆断」や「誤解」の生じる余地のあるような「部分的な情報の流出」にあたるような行為は謹んでいただくようお願いします。842名の署名者のうち575名しかメイルアドレスが見あたらないのは、あとの200数十名のメイルアドレスが無視されたのではなく、ファクスの署名や「相乗り」署名が多数を占めたことによると私は理解しています。名前とアドレスの9割が一致しないという情報は私には初耳ですが、「ニックネーム」と「アドレス」との照応を考えれば、対応率はもっとあがるはずです。それから、575名のアドレスのみがリストアップされたというのは、連絡上最低限必要な情報を確保するためでした。以上のように、当時者にとってはすべてがその状況において説明がつくことでも、「部分的情報」だけが一人歩きすれば、誤解を生むことになります。これらの事実は、私の名誉に関わるというよりは、その間、ボランティアで情報の処理にあたってくれた院生その他研究室スタッフの志気に関わることですので、強調しておきたいと思います。以上、石田英敬

Tuesday, October 19, 1999 at 09:50:09 (JST)
実村 文 <ayam@tkc.att.ne.jp>
大変失礼いたしました。駒込・李両氏の作業があまりにも大変なので、両氏の了解を得て微力ながらお手伝いをさせていただいております。以前石田先生のもとで作業をなさっていた院生の方々と同じ立場になるかと存じます。ですからもちろん、その方々のプライバシーにかかわるようなことには一切タッチしておりませんし、石田先生が資料に添付なさった「私信」に関してももちろん同様です。どうぞご安心下さい。

Wednesday, October 20, 1999 at 10:10:00 (JST)
実村 文 <ayam@tkc.att.ne.jp>
皆様、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。私は、論争をする気など毛頭なかったし、そもそもこんなくだらないことで話がつづくとは夢にも思いませんでした。
すでにメールアドレス一覧の管理を駒込氏にゆだね、ご自分は手をひかれたと思っていた石田先生が、急に「以前のルートの復活」などと仰ったので驚いてしまったのです。
そして、「署名はしたがその後の連絡がいっさい届いていない」という苦情が多数よせられたために始まった、どのメールアドレスがどの署名者のもので、どなたが相乗りで署名しているか、どなたがファクスで署名しているか、というごく当たり前のはずの確認が、想像を絶する困難な作業になってしまっていることを、ただ皆様に知っていただきたかったのです。

けれども、この大事な時期に、卑しい自己弁護でこのカフェ・クレオールの場を汚してしまったのは、本当に恥ずべきことでした。心からお詫びを申し上げます。シネディエ氏の呼びかけの輪が広がっていくことを切に願っております。なお、一連の書き込みの文責はわたくし実村一人にあり、駒込・李の両氏には何らかかわりがないことをここに書き添えておきます。

Wednesday, October 20, 1999 at 14:14:57 (JST)
村山徹郎 <tecchan@pop11.odn.ne.jp>
「島根大学」と「ML」両問題について管見を述べさせていただきます。

【島根大学問題】

10月19日朝日新聞朝刊掲載の記事によると、同大学開学五十周年記念式典
での日の丸掲揚が、学長の判断により決定されたとのことですが、教職員
組合などの批判に対し記者会見した学長の発言に、怒りと呆然が綯い交と
となった感情を覚えています。そのコメントとは、短いものですが、次の
通りです。「文部省からの照会が転機になったのは確かだが、あくまでも
わたしの判断。国旗・国歌法が成立しており、【地元の出席者の誤解】を
生むのを避けたかった」(【】は筆者による)
誤解とはなんでありましょうか?曖昧模糊として、この舌足らずの見解に
首を傾げてしまいました。
@国旗・国歌法が成立しているから○○○の理由が発動され、掲揚されな
ければ地元の出席者に何らかの被害を加えることになり、因って、学長と
しての能力と責任に疑問を呈される【地元の出席者の誤解】を生むのを避
けたかった、のか?
--この場合、国歌・国旗法に尊重規定がないのだから、地元の出席者には
被害どころか、何一つとして及ぼされるものは、決してないはずなのです
が。・・・解せません。
A国旗・国歌法が成立しているから、(保守性の強い地域として有名な)
地元の出席者は皆、国旗掲揚を当然のことと頑なに決めている。もし掲揚
されない事態にでもなろうものなら、地元の出席者は何らかの抗議行動を
起こすやも知れない。因って、学長としての能力と責任に疑問を呈される
【地元の出席者の誤解】を生むのを避けたかった。
--この場合ですと、地元の出席者の中には全く一人も、日の丸・君が代法
制化に反対の者がいないと言っているようなものなのですが、世論を二分
する程の大問題として、各界に取り上げられている現状を鑑みれば、たと
え保守性の強いどんな地域であろうと、一般的に、どちらの側のもので
あっても皆無とは言えないのは、見識ではないでしょうか。こんなことは
中高生にだって歴然でしょう。
さもなければ、地元の出席者とは、恣意的に国旗・国歌法に賛成の者しか
招待して
いないことになります。もしそうならば、このことは、極め
て由々しき問題なのではないでしょうか。学問の自由・学校自治の独立を
理念とする大学校にはあるまじき蛮行として、此の国の教養レベルが世界
から問われる禍根を残すだろうし、加えて出席者の思想チェックをしてい
るようなものだから、仮に事実だとした場合世論を巻き込んで徹底的に糾
弾するべきでしょう。
尚、抗議行動についても、尊重規定がないのだから、度し難い抗議行動な
らば憲法第十九条(思想・良心の自由)及び第二十一条(表現の自由)に
抵触し、却ってその方が問題は深刻なのではないでしょうか。とは言って
も、賛成派も、日頃憲法無視を決め込みながら、皮肉にも、その最もアパ
シーを向ける対象である如上の二条文を錦の御旗にして、対抗してくるか
も知れませんが。

兎も角も、【地元の出席者】を理由にしてのコメントが、国旗・国歌法制
化問題ではまかり通ることが判った以上、私としては、大学単体ないし学
間協力だけでは抵抗にはなり難く、やはり地元市民との強力な連帯が何よ
りも要諦であることを、改めて痛感しています。Public=公共空間の構築
を急ぎましょう。

いずれにしても、島根大学長の吉川通彦氏や元東京大学長である有馬朗人
氏には、学問の府における学問の自由と自治の独立を能くは理解できない
何らかの欠陥があるとしか私には思えてなりません。何故なら、それを守
るために、今までの長い歴史上どれだけの人が孤軍奮闘し、時には命まで
落として来たかを知ってない訳はないのだから。学問追究の基底条件とし
て、それだけ自由と独立が大切な訳なのだが、思うに彼らには、それを超
える何かの方が命としているのであろう。
よし、彼らが天皇制(大日本帝国主義)左派を衒っていたとしても、彼ら
によって露払いされた道には、必ず凶暴な右派が大手を振って闊歩するこ
とになろう。また、彼らには凶暴な右派を封じ込めるだけの力は到底期待
できないから、彼らはこぞって隅へ追いやられて、若しくは放逐・弾圧の
憂き目に合うことであろう。
そうして、いつか来た道、まるで戦前の記録フィルムをまなかいにしてる
ようだと失意のもとうそぶき、ただ指をくわえて学徒出陣を見送る。
・・・これは、私だけの妄想だろうか。逆に彼らにこれだけの妄想があっ
てほしい。

能う限り善を行い
なににも優りて自由を重んじ
たとえ王座の側にありても
絶えて真理を裏切ることなかれ
***by Beethoven

【ML問題】

確かに日の丸・君が代をめぐる由々しき問題が、各大学で頻発し始めた昨
今であるからして、問題解決のための連帯を結ぶMLの立ち上げを急がなく
てはならないという、いわば危機意識による焦りが生まれるのは自然のこ
とと理解いたしております。しかしどうでしょう、その焦りのために、敵
とせめぎ合う前に味方同士が仲間割れしてしまっては、それこそ敵の思う
壺です。焦りを焦りで表現してしまっては、折角の皆さんの知性にイドラ
を住まわせてしまうことになりませんでしょうか。焦りに限らず、危機的
感情は、知性を要請する善き信号の源であり、要請された知性が危機的感
情を鍛錬し、その繰り返しを重ねることによって、素晴らしいアイデアが
突然目の前に発見されるのではないでしょうか。そうして、ふくよかで豊
かな感情がその褒美として湧き出るのであると、専門の諸先輩方を傍若無
人にも、素人の私は僭越ながら管見致しております。
勿論、異論や反論はあるでしょうし、また、度し難い状況では無効である
ことも弁えての話しですが。とまれ、由々しき問題には、冷徹に怒りを向
けようではありませんか。これからもっと厳しさを増しそうですし、長丁
場を覚悟して戦っていかなくてはならない相手なのですから。ゴールはス
タートです、悲観していたのでは息切れしてしまいます。かといって、楽
観はもっと禁物でしょう。息の根を止められてしまいます。慎重的楽観で
ことに中たるとは、確か香港が中国に返還される時によく聞いたフレーズ
です。私は、これでいきたいと思っています。
閑話休題。
メールアドレス一覧575名のうち、名前とアドレスの9割が一致しない
ということですが、そのままではザッと計算して約58名の人にしか、プ
ライバシー保護のもと、本人に確実に連絡することが出来ないことになり
ます。これだけ見れば、確かに肩を落としてしまうのも仕方のないことだ
と思います。ですが、石田さんも仰有っていたように「ニックネーム」と
「アドレス」との照応を考えれば、対応率はもっとあがるはずです。また
その他Eメールのアドレス設定時には個人々々様々な癖があるのではない
かと憶測されます。私にはよく判りませんが、Eメールに詳しい専門家(プ
ロバイダー・インターネット研究者・インターネット中毒者(?)等)に
じっくり話を訊いてみてはどうでしょうか。それでも芳しくない場合は、
急ぐという課題もあることですから、アドレスとネームが一致して、プラ
イバシーの保護が確実である方々を先行させて立ち上げ、その方々にお願
いとして、アドレス不明者の探索を依頼するのは如何なものでしょうか。
勿論、アドレス不明者には色々と事情があるでしょうから、無理強いはせ
ずに飽くまでも任意の連絡を待つことが望ましいのではないでしょうか。
石田さんと西谷さん二人から始まったメールのやり取りが、あんなにも短
期間で約850名の参加者で膨れ上がった事実を思い返せば、誰かから誰
かへ連絡をとった証なのですから、歩留まりはある程度見込まれると考え
られるでしょう。それに何よりも、あの時のパワーが持続しているのであ
れば、新規参加者の獲得は思いのほか難しくはないと前向きに考えようで
はありませんか。ゴールはスタートです、みんなでベストを掴むしかない
のです。私も非力ながら邁進いたす覚悟です。足手まといにならないなら
ば、天下の素浪人、今事情あって閑人の私、もしお誘いがあれば何時で
も、二つ返事で手弁当をもってお手伝いに参上いたします。(でも足手ま
といかな〜)呵々

We are starters
We are golden
We are filled, you know with pardon
And we got to get ourselves back to the garden
***by Joni Mitchell, Woodstock

如上、辛口も含めて、素人意見ながら私の考えを述べさせていただきまし
た。

村山徹郎

Thursday, October 21, 1999 at 02:47:12 (JST)
シネディエ <sinedie@wanadoo.fr>

この場をお借りして以下の7つの論点について発言させていただきます。

1.島根大(吉川通彦学長)への再考を求めるメール・ファックスの送付を
 呼びかけています。詳細は以下をご覧ください。
 http://perso.wanadoo.fr/sinedie/lienhk.htm

2.呼びかけをしてみて考えざるを得ないのは、
 「式典」期日までの残り時間(あと数日)と、こうした方法の有効性です。
 これはいつも報道に出てから事後的に対応する、という方式そのものに
 由来する欠陥だと思います。
 (とはいえ出来るだけ多数の方にやはり何か行動を起こしていただきたい)

3.一歩進んで考えれば自分たちでアジェンダをセッティングすべきなのです。
例えば11月12日に予定されている天皇在位10年式典はその場所・規模・重要性
 において無視しがたいと思いますが、これについて皆様はどのように考えて
 おられるのでしょうか?(一例を挙げれば共産党は政府に中止を申し入れました
http://www.jcp.or.jp/Day-akahat/9910/991020_tenno.html)

4.すでに申し上げたところですが、やはり意見の相違・多様性をもっと出して行く
 べきかと考えます。例えば「日の丸・君が代」問題を天皇制の問題と直結させる
ということに、「法制化」に反対だった方々は皆留保なく賛成なのでしょうか?
わたし個人は賛成ですが・・「『日の丸・君が代』法制化が、式典をにらんで急がれ
たということは明らか」とする「反天皇制運動連絡会」の立場はこの点では正しい
 と思います(以下を参照。http://www02.so-net.ne.jp/~hanten/)。

5.しかしこのことは実際的な問題として、何にどのような方法で介入するのか、
という問題をひきおこすように思われます。これまでの介入ですら所期の目的
 を達成する、という観点からは必ずしも有効でなかったのに、対象をさらに拡大
するからには、介入の有効性や方法についてかなり真剣に考えなくては、こちらの
 足元がおぼつかなくなるでしょう。

6.島根大のようなケースは今後も続出すると思います。「大学人」の立場から
この署名が開始されたことを思えば、ホームグラウンドとしての《大学》に関する
責任ある対応が求められていると言えます。実際あまり手を広げるよりも、
大学における「日の丸・君が代」問題についてもっと明確な立場を打ち出すのが
先決ではないでしょうか。

7.「法制化」時の国会折衝やML管理を始めとする実際面は非常にきついものがある
かと思います。また本気で大学における「日の丸・君が代」問題に介入するとなると
制度的な地位のある教員はもとより、院生の側ではかなり「引く」ひともあるのでは
ないでしょうか?わたし自身一院生として、このあたりとりわけ「法制化」時に先頭に
立たれた先生方の忌憚のない見解を伺いたく存じます。「大学政治」の中で、
反「日の丸・君が代」にまだチャンスがあるとすれば、それはいかなるものとお考えでしょうか?
(石田先生ばかり矢面に立っておられる印象がありますが、他の発言者の方がおられれば幸甚です)

長くてすみません。以上です。

    

Thursday, October 21, 1999 at 16:42:18 (JST)
石田英敬 <gm4h-isd@asahi-net.or.jp>
意見表明の呼びかけ
岩波書店の「世界」編集部から以下のような「意見表明」の呼びかけが寄せられています。みなさんのなかからもどんどん意見をよせてください。上にシネディエさんが書かれているように、多様な方が積極的に発言してくださるようになってくれるといいと思います。石田英敬
「シンポジウム開催のお知らせ」
民主主義の危機 自自公政治と改憲の流れの中で
          主催=岩波書店『世界』編集部
 1999年、日本の民主主義は大きな曲がり角を迎えています。  日米ガイドライン関連法、盗聴法、国民総背番号制、国旗・国歌法--戦後日本の 基盤であった国民主権、平和主義、基本的人権を脅かす問題法案が、次々と国会を 通過しました。そして改憲を念頭においた衆参両議院の憲法調査会が、来年から発 足します。  いま何が進行しているのでしょうか。私たちはいま、何をすべきなのでしょうか。
  シンポジウムへの多くの方の参加をお待ちしています。
                  *
  ●日時=11月13日(土)13時30分(開場13時)〜18時
  ●会場=全電通ホール(千代田区神田駿河台3-6、下記地図参照)
  ●参加費=1000円(税込、資料代込)(当日会場でお支払いください)
シンポジウム内容(予定)   
発言:三木睦子(三木元首相夫人) 鎌田慧(ルポライター)      坂本義和(東京大学名誉教授)   
<シンポジウム1>自自公政権と民主主義の危機   
パネリスト 石川真澄(新潟国際情報大学教授) 金子勝(法政大学教授)         前田哲男(東京国際大学教授) 山口二郎(北海道大学教授)
  <シンポジウム2>グローバリズムと新しい「国家主義」   
パネリスト 鵜飼哲(一ツ橋大学教授) 姜尚中(東京大学教授)         高橋哲哉(東京大学教授)         テッサ=モーリス・スズキ(オーストラリア国立大学教授)
*参加ご希望の方は、ハガキに住所・氏名・年齢・職業・電話番号を明記の上、〒101- 8002 千代田区一ツ橋2-5-5 岩波書店「『世界』シンポジウム」係宛お申し込み下さ い 。申し込みの締め切りは10月25日(当日消印有効)です。会場定員は400人のため、申 し 込みが定員を超えた場合には、抽選のうえ、参加券をお送りいたします。
*あなたのご意見をお寄せください シンポジウムは時間も人数も限られ、遠方からの参加が難しいなど、多くの限界があり ます。そこで『世界』では、事前にご意見・アピールを募集し、できるだけ多くの方の 声をシンポジウム当日の資料として配付し、また、シンポジウムの内容にも反映させた いと考えています。いずれも300字以内で、1.自自公政治をどう考えるか 2.ガイドラ イ ン関連法、盗聴法や国旗・国歌法などに対して、自分は何ができると考えるか--につい て10月末日までにEメール(sekai@iwanami.co.jp)でお送り下さい。

Thursday, October 28, 1999 at 08:28:44 (JST)
中野敏男 <tnakano@fs.tufs.ac.jp>
みなさん
緊急にみなさんにご報告し、ご支援をお願いしたいことが出来しました。

島根大学の件は、日の丸・君が代の法制化の後に直ちに起こりうることとして大いに注意をかき立てられましたし、わたしなども「なんとか支援しなければ」などとささやかに思ったものでした。ところが、それが本当に文字通り「他人事」ではないという事態になったのです。

わたしの勤務する東京外国語大学は、本年で、「独立100周年」を迎えるということになっています。そこで、さまざまな「記念事業」が計画されているのですが、それに日の丸を押し立てようという準備が、学長を中心に密かに進められているということが判明しました。東京外国語大学ではこれまで、入学式や卒業式に日の丸が掲げられるということはありませんでした。そういうわけで、われわれもちょっと高を括っていたところがあったのかもしれません。いくら独断専行タイプの学長でも、教授会などに何の知らせもなくそこまではするまいと、どこかで思ってしまっていたようです。でもみなさん、事態はそれほど甘くはありません。

この11月4日の「記念式典」をもって、一連の「記念事業」は開始されますが、それに向けた最後の学部教授会まで、この日の丸掲揚の件は学長サイドのみによって完全に密かに準備され、ようやくここにいたってわれわれの知るところになったわけです。迂闊でした。
そこで今われわれは、講座会議など、可能な単位から始めて、できる限り大きく「日の丸掲揚反対」の声をあげようとしています。昨日は、大学院前期課程委員会が行われ、その席上でも、出席者76名の内66名の賛成をもって「日の丸掲揚反対」の意思が確認され、学長に不掲揚の要請が出されています。さらに当日に向けて、可能なことはなんとかやろうと、さまざまな抵抗の形態が考えられています。

われわれもなんとかやりますから、みなさんにも精神的なご支援をお願いしたいと思います。よろしく。

反対の声を、学長、事務局長、庶務課長宛にお寄せください。

学長   中嶋嶺雄 nakamine@is.tufs.ac.jp
事務局長 大阪紘一郎 osakak@is.tufs.ac.jp
庶務課長 米原壽男 hyone@is.tufs.ac.jp

fax: 03-5974-3109 (事務局庶務課)

Friday, October 29, 1999 at 15:34:20 (JST)
坂本恵 <sakamoto@ads.fukushima-u.ac.jp>
福島大学の坂本です。
島根大学、東京外国語大学と同様な事態が福島大学でも生じています。
11月1日の大学創立50周年式典の会場に、「日の丸」を掲げるよう文部省からの指導が入っています。
福島大学も基本的に公式行事に日の丸を掲揚してきていません。
今回は、学長が評議会終了後に、非公式なかたちで評議会メンバーに掲揚の可能性を打診したようです。
三つある学部の学部長からは、「学内合意がないままの掲揚には賛同できかねる」
との意見表明があったようです。

大学教職員組合は、「学長は『日の丸を掲揚しない』との決断を!」と、以下の申し入れをしています。
1.日の丸・君が代を「国旗・国歌」とすることについて、十分な国民的合意があるとは言えない。
2.法案審議の過程で、政府は、法制化と実施は一体のものではなく、教育現場での実施はそれぞれの
 自由な判断にゆだねられる、と答弁しており、掲揚が義務でも強制でもない以上、大学の自主的判断で<>br  決めればよい。
3.本学が、自らの判断で日の丸を掲揚しないと決定することは「大学の自治」の点でも、本学の慣行を
 尊重するという点でも、妥当かつ適切な判断である。

記念式典はあさってに迫っていて、予断は許せない状況です。
同様の事態が、東京外大などで生じているように一斉に同様の指導が文部省から廻っているわけです。
個別大学内での対応は重要ですが、各大学に同様の指導が行われている以上、こちらも協力した対応が
必要でしょう。

Saturday, October 30, 1999 at 02:35:18 (JST)
日の丸・君が代に対抗するネットワーク <owner-anti-hkm@jca.apc.org>

「日の丸・君が代に対抗するネットワーク」への参加アピール

 

 以下の文章は、「『日の丸・君が代の法制化』に反対する共同声明」(六月声明)の趣旨に賛同して署名を寄せられた全てのみなさんに対して、署名運動の成果として形成された人々の意思と意見のつながりを基盤に、新たに「日の丸・君が代に対抗するネットワーク」(略称「反ひのきみネット」)を立ち上げることを提案し、それへの参加を呼びかけるものです。この呼びかけは、1999年8月24日に開催された「『六月声明』総括討論集会」における討論に基づき、集会の総意をもって発せられています。

*「反ひのきみネット」への参加に関しては以下のサイトを参照ください。
  http://www.jca.apc.org/anti-hinokimi/

 さまざまな形で表現された反対の声を押し切る形で、「国旗・国歌法」は、1999年8月、日本の国会において正式に可決成立してしまいました。この法案を立法した第145通常国会が日本の「戦後総決算」の国会だと言われたように、この国会では他にも、周辺事態法、通信傍受法、「国民総背番号制」を導入する住民基本台帳法など、これまでの日本の国家と社会の仕組みに大幅な変更を加えるような法案がつぎつぎに成立しました。また、同じ国会で、出入国管理および難民認定法や外国人登録法が改定されたことも、決して見逃すことはできません。これらは、グローバル化する世界の中で日本がいま、その国家と社会の大きな再編成に、とりわけ日本「国民」という形の新たな確定に急速に動き出していることを示しています。

 日の丸・君が代の法制化は、この一連の動きの中で、文字通り、その変化を〈象徴〉するものとなりました。すなわち、日の丸・君が代が象徴していたかつて日本国民が担ってきた戦争と植民地主義の記憶をすっかり封印し、恥知らずにもまた同じシンボルを押し立てて、日本「国民」と「非国民」との間にいくつもの線を引き差別を設けながら統合と管理を図っていく、このような体制づくりが、この夏までに一連の法整備をもって強力に押し進められてきたのだということです。

 かくて、いくつかの法律が日本ではできてしまいました。そしてこれは、わたしたちに、ある「始まり」を告げていると思われます。なぜならこの一連の法制化は、それ自体がなにかの完成なのではなく、むしろ、わたしたちの心の中にまで深く食い入ってくるような日本国民体制づくりの、ひとつの外枠の成立なのだからです。実質的な攻防はこれから始まる、そう見ることがいま必要です。いや、それはもう現に始まっているのです。

 日の丸・君が代について見ても、法制化以後の短い期間にもう、案の定、さまざまな場面でこのシンボルが持ち出されるようになりました。日本政府の記者会見場にそれが現れたというのは、ほんの一端にしかすぎません。日本の野球場やサッカー場ではすでに中央の定位置にそれは居座っていますし、今年の秋の運動会や諸行事では、至る所で日の丸掲揚と君が代斉唱の儀式が新たに付け加えられているようです。以前は、卒業式と入学式に限られる「季節もの」の話題だったのに。

 そして、この法制化以後の動きの中で、以前よりずっと声高に君が代を歌うようになった人が出てくるでしょう。また、競技場でも儀式の場でもだんだん抵抗感がなくなり、皆に合わせて当たり前に歌うようになったという人も増えるはずです。あるいは、自分では歌わないとしても、法制化されたことでもう日常的な抵抗はあきらめ、やがて日の丸・君が代の存在には慣れていってしまう人も少なくないと思います。法制化は、ここで確かにそのようなことの「正当化」のために働きはじめています。

 でも、これに対して他方には、法律がどうあろうと絶対にそれに慣れることができず、日の丸・君が代の場に立ち会わされるたびに、ひどい屈辱を感じなければならない人々がいます。だからといって意を決して抵抗したら、たちまち凍りつく視線の対象にされてしまうはずの人々がいます。さらには、「(解雇とか退去とかの)処分」という圧力に押しつぶされねばならない人々がいるのです。法制化の実質的な意味とは、実に、この落差の強化に他ならないと言っていい。法制化された枠組みの中で、多数派がそのことに「慣れる」ということ、あるいは「当たり前」と感ずるようになること、そのことと正確に対応して、それを屈辱と感ずるマイノリティの思想と感情は侵食され抑圧されてゆく。多数派はそれを忘れ、少数派は感情の踏み絵を繰り返し強いられることになる。「国民が作られる」というのはそういうことであり、この時に、「国民」はまさしく排他的で抑圧的な相貌をもって現出するようになるのです。ですからわたしたちはまた、フランスにも、中華人民共和国にも、アメリカ合衆国にも、またオーストラリアやその他の国々にも、各々の地域で、その国の国家・国旗に屈辱を感じている人々がいることを決して忘れるわけにはゆきません。いま始まりを告げているのは、「忘却が国民を作り、国民を分ける」この局面なのだからです。

 そうだとすれば、「日の丸・君が代の法制化に反対する」というところから始まったわたしたちの「運動」は、法律の成立をもって到底終わるわけにはいかず、むしろ、この局面に抗して新たな展開と持続の方向を求めなければならないでしょう。「忘れない」、「慣れない」、「慣れさせられない人を孤立させない」、そうしたことを通じて「排他的で抑圧的な国民をもう作らない」ということが、最低限の持続的な確認です。それは、法制化に反対を表明したときの、わたしたちの共通の願いであったはずだからです。それでは、それの持続のための条件を、わたしたちは持っているでしょうか。六月声明が出されて以来、「署名運動」という形をとったわたしたちの運動は、これまでなかったインターネットという技術的環境の中で、いくつかの新しい経験を積んできました。わたしたちは、それをしっかり踏まえることで、また新たに出発することが可能だと思っています。

 六月に「署名運動」が始まって以来、この運動がこれまでのものにない新鮮な印象を人々に与え、新しい可能性をそこに予感させた所以の一つは、これが意外なネットワークをつぎつぎにつなげ、ただちに「国境」をも越えて広がっていったということでしょう。このことは、「インターネット」という技術上の基礎を考えると何の不思議もないことなのですが、それが一国の法律制定をめぐる賛否にかかわる署名運動にかかわると考えるとき、かなり本質的に重要な展開であったと分かります。すなわち、この「日の丸・君が代の法制化」をめぐる運動が日本在住の日本人を越えた運動として広がったことで、そこから、国家や国民的なものに関する常識=イデオロギーを問い揺り動かすような、トランスナショナルな公共性の可能性が開かれるという期待が生まれてきたということです。8月24日の「総括討論集会」に「<非・日本国居住者/非・日本国民>からのアピール」が届けられたように、少なくとも、異なった立場をそれぞれ踏まえつつ、しかも国家や国民を越えるという射程を共通に意識した議論がここで現になされたという経験は、ささやかな一歩だとはいえ、とても大きな意味をもったと思います。

 また、Eメールという技術的な基盤の上で、運動の中に大小さまざまなコミュニケーションのネットワークが形成され、それらが連繋したり共振したりしながらいくつもの議論のフォーラムを生み出して、全体として実に多様で意味深い論議状況を現出させたというのも、この運動の貴重な経験でした。もちろん、この新しいコミュニケーション手段については未だ共通の了解が確定しておらず、その潜在能力への過信や不信あるいは技術上の未熟などがなおあって、それが充分な情報の流通を滞らせたり、相互理解に重大な齟齬を生じさせたということがありました。また、そもそもネットワークが、つねに一定の排除性をもっているという問題もなお残ります。それは、たしかに万能ではありません。しかし、それでも、適切なコントロールと合意の下でなら、双方向的コミュニケーションを可能にするこのネットワークの潜在力が、議論の公共的空間を形成する上で重要な役割を果たしうるということを、わたしたちは認めたいと思います。

 そこで、このような経験からわたしたちは、新たに「日の丸・君が代に対抗するネットワーク」の形成を提案し、それへの参加を呼びかけようと思い立ちました。

 これにより、わたしたちは、一方で、日の丸・君が代の法制化以後の新しい局面においてマイノリティー化されてゆく思想や感情がこれ以上侵されないよう、情報と意見を交換し、必要な議論を重ね、それをまずは日本における法制度や公共的議論へフィードバックするなどして、差別や排除や処分からできる限り人権と社会正義を守ろうとする、共同のフォーラムを実現したいと思います。また、それと同時に他方では、このような共同のフォーラムを、日本という国民化された一空間を超えたトランスナショナルなものとしても想定して、日本在住者でなく日本国籍保持者でもない人々とともに国境を越えて議論し、異なった場所、異なった課題を中心に組織された様々な運動とも国境を越えて繋がってゆきうるような、持続的なサイトとして実現したいと思います。わたしたちはこれが、学校や職場など様々な個々の「現場」でこれからますます増えてくるだろう抵抗の闘いを、持続的に支援し、その支援の輪を広げていく、実際の力にもなるということを望んでいます。

 これは、「日の丸・君が代の法制化」に反対する運動の成果を受け継ぎながら、法制化以後の局面に持続的に立ち上がろうとするまったく新しい態勢の試みです。みなさまの広い参加を求めたいと思います。

1999年10月

「日の丸・君が代に対抗するネットワーク」呼びかけ人

岩崎 稔(東京)
鵜飼 哲(東京
酒井 直樹(イサカ、ニュー・ヨーク州)
中野 敏男(東京)
タカシ・フジタニ(サン・ディエゴ、カリフォルニア州)
米山 リサ(サン・ディエゴ、カリフォルニア州)
吉田 俊実(東京)

「日の丸・君が代に対抗するネットワーク」運営管理

駒込 武(京都)
実村 文(東京)
李 孝徳(ラ・ホヤ、カリフォルニア州)

[追記]
*この呼びかけは「六月声明」共同署名者の皆さんに向けて発信されたものですが、共同署名者の集約が十分にできなかったため、配信されない方がいらっしゃる可能性があります。皆さんにこの「呼びかけ」を広く伝えていただきたく思う次第です。
   
**この呼びかけ、メーリング・リストへの参加に関してご質問などある場合には
      owner-anti-hkm@jca.apc.org
   までお願いいたします。メールは運営管理者に届きます。

 


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