「交通」の軌跡−札幌のマリーズ・コンデ
今福龍太
マリーズ・コンデ来日に際しての、札幌セッション全体のまとめです。下に記す「カフェ・クレオール」のための対談(英語)は、少し時間がかかりますが、別途掲載の予定です。
梅雨前線がかかる列島の蒸し暑い空気から遮断された北海道の清涼な気候のなかで、マリーズ・コンデと会った。小説『生命の樹−あるカリブの家系の物語』(管啓次郎訳、平凡社刊)および『わたしはティチューバ』(風呂本惇子他訳、新水社刊)とたてつづけに出た邦訳出版を機に、このグアドループ出身の現在もっとも注目すべきフランス語作家は、フランス大使館の招待で17日間日本に滞在したのだった。彼女の小説の英語圏への橋渡し役も勤める翻訳家の夫リチャード・フィルコックス氏とともに、初来日である。
札幌では、「カフェ・クレオール」のために二時間ほど対談し、その翌日は、札幌大学で二百人以上の聴衆を迎えて講演会が開催された。対談での私自身の印象を織りまぜながら、札幌大学での講演「すばらしき新世界−グローバル・ヴィレッジで書く」の内容を簡潔に要約・紹介しておきたい。
彼女は講演で、まずグローバライゼイションというなかば標語化しかけた概念に、カリブ海クレオール作家という立場から新しい生命を付与しようとする。
- グローバライゼイションというと多様性を欠いたアメリカ一辺倒の世界をイメージされるかもしれません。しかし、私はそうは思わない。むしろそうしたイメージを越えるための新たな文化的戦略として、グローバライゼイションを考えてみたいのです。つまり私にとってのグローバライゼイションとは、均質化されてゆく世界への恐怖ではなく、世界中に離散して生きる黒人たちのあいだを想像力によってつなぐことで、既存の国家や言語の境界を乗り越えてゆこうという運動としてあります。
こうした視点を形成する基本に、アフリカ人の世界的離散、すなわちブラック・ディアスポラの一員としての、黒人的共同性へのコンデの強い帰属意識があることは明らかだ。そうしたブラック・ディアスポラの連帯の萌芽を、彼女は歴史的にこう概観する。
- クレオール(混血化)やポスト植民地主義の文化が近年にわかに注目を集めています。しかし、それらは今になって急に現れた現象ではありません。すでにたとえば1920年代以降のパリでは、英語系、フランス語系、スペイン語系といった言語的・地域的出自を横断するブラック・カルチャーの豊かな交流が生まれていました。ネグリチュード、汎アフリカ主義、ブラック・アイデンティティの称揚。今世紀、黒人のさまざまな文化的・政治的な運動が試みられてきました。マルクス主義の影響もあって、パリの黒人文化人たちは、カリブ、アフリカ、アメリカといった出身地の違いを越えた、肌の色と階級によるグローバルな統合を夢見ていました。
だが、そうした初期の黒人ディアスポラ的連帯に、支配的イデオロギーとしての人種主義や国家原理が暴力的に介入し、20世紀を通じて世界は分断によって特徴づけられていった。アフリカ独立運動期にガーナやギニアに滞在してエンクルマやカブラルといった反植民地運動、独立運動の闘士の姿を間近に見たマリーズ・コンデにとって、こうした歴史の総括は机上のものではありえない、危急のリアリティをかかえていた。
- 一般に、当時は黒人という人種が無批判に前提とされることがほとんどでした。しかし、その人種という概念が歴史的に捏造されたものでしかなかったことは、改めて確認しておかねばなりません。それは19世紀の西欧に蔓延した疑似科学としての社会進化論にもとづいて人類をまず基本的に人種の違いとして分類し、そのうえで黒人を最下位に、白人を最上位に置くという、植民地主義的な差別の産物にすぎなかったのです。20世紀後半になると、とりわけ植民地地域の独立によってさまざまな分断がつくり出されました。新興国家は伝統的な文化や言語、居住地域などに自らの存立基盤を求めて争ったのです。しかし、グローバルな移住と混血化という時代の趨勢のなかで、純血な人種や土着の文化といった考え方を維持することは今日ますます難しくなっています。
アフリカ生活が彼女の黒人としてのルーツ幻想に終止符を打ち、まもなく彼女は「故郷」の土地を夢想する限りない自己探求の旅から離脱して、移動そのもののなかに文化的混血児として生きる基盤を見いだすクレオール的なヴィジョンを自らのものとしてゆく。カリブの小島から、パリ、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカと海を越えて土地土地を遍歴するコンデの世界意識は、すでに徹底してハイブリッドな感覚に裏打ちされている。
- 移住と混血によって、多文化的状況が生まれるだけでなく、そこに雑種的で重層的な新たなアイデンティティが生まれ出る可能性が指し示されているとき、私はそれを「ディアスポラ」と呼びます。ディアスポラのアイデンティティとは、移動と変容と差異化によってたえず自分自身を再誕生させつづけるような自己意識のことです。さまざまな困難をともないながらも、移住することで私たちと私たちの文化はより豊穣なものとなります。さまざまな苦悩をかかえながらも、混血児は多様な文化的価値の源泉となります。そしてもはや混血とは、血や人種や民族性の問題ではありません。文化的にいえば、私たちは誰もが混血児なのです。移民の子供として育った作家や自ら移住していった作家たちが描く作品の舞台は、必然的に彼ら/彼女らの移動を反映してその地平を拡大してゆきます。おなじように、そこで描かれる登場人物像もより多様で複合的なものになってゆきます。そこでは、生まれた場所や肌の色や使う言葉の違いといった単純化されたレッテルの違いは、本質的な問題ではありません。もっとも新しい小説『デジラーダ』(1997)で、私は、生地であるカリブ海の小島を一生離れずに生涯を終える祖母と、パリに移民する母と、パリの貧しい場末で生まれ育ったあと北米のボストンに移住する娘という三世代の物語を書きました。この三人の女性は、隔離された定住から移民を経てついには遊動民となって新しい世界を創造してゆく、カリブ海の人間の進化の過程を描き出しています。
移動の旅程が現代人の世界観を推し広げ、言葉とコミュニケーションの感覚を閉鎖から開放する。その意味では、マリーズ・コンデをカリブ海出身のフランス語作家と呼ぶことは彼女の作家としての存在の意味をいたずらに限定する。出身地や母国語との自明な関係を宙づりにすることから、コンデの小説世界はその本質を開示し始めるからだ。彼女の作品がしばしば異なる時代の交錯と異なる空間の交錯によって特徴づけられるのも、西欧によって規定されてきた近代の「歴史」と「地図」をその根元にさかのぼって更新しようとする、彼女の深遠な世界観の産物なのだ。コンデの力強い結論は次のようなものだ。
- カリブ海人であること、黒人であることの本質は、もう、どこで生まれたか、どんな肌の色をしているか、何語を話すか、といった問題とは別のところにあります。文学においても、英語やフランス語といった、外形的には単一言語で書かれているようにみえる作品でさえ、その内部に異なる言語や文化のハイブリッド(混成的)な交通の痕跡を読みとることができます。だからもう作家は母語によって書かねばならないという必然性はありません。自らの移動の経歴を映し出し、他者との交流の痕跡をそなえた、自然な自己の投影としてのいま現在のことばこそが、すべての人にとってのもっとも正当なことばなのです。固定的なものとされてきたアイデンティティ意識を複合的なものに変えてゆくという私の展望は、理想主義的に聞こえるかもしれません。クレオール的なヴィジョンを、世界の動きを支配する勢力は偏見とともに無視しようとしています。だからこそ、多分に支配権力の側のイデオロギーとみなされるグローバライゼイションを、それが不可避に生み出していく人や文化の雑種化や混血化といった動きとともに、ひとりひとりが徹底して定義し直していくことが、この困難の多い世界をつくり変えていくことにつながるのだと私は信じています。そこに出現する、新たに描き直された世界の姿を、私は『テンペスト』のミランダのせりふにならって、「すばらしき新世界」と呼びたいと思います。
札幌セッション協力:宮田和樹
管啓次郎によるコンデ『生命の樹』の訳者あとがきをこちらでご覧になれます。
[What's New|Cafemaster's Corner|Journals/Travelogue|Library|at homeless|Menu]
Back to top page
About copyright and copyleft Cafe Creole@Tokyo
Contact with Cafe Creole ( counter@cafecreole.net )