「身体としての書物」 目次

第1回
アルドゥスに倣びて:八折り本を作る
第2回
ボルヘス「砂の本」を読む
第3回
ボルヘス「バベルの図書館」を読む
第4回
ボルヘスと焚書について
特別篇
川べりの本小屋で ー山口昌男氏との対話
第5回
「ボルヘス・オラル」を読む
第6回
ジャベス「書物への回帰」を読む
第7回
ジャベス「問いの書」を読む
第8回
書物のゆらめき:ページネーション考1
第9回
手稿から頁へ:ページネーション考2
第10回
本を読む子供:ベンヤミンと書物1
第11回
学級文庫:ベンヤミンと書物2
第12回
模倣、交感、井上有一:ベンヤミンと書物3
第13回
触覚と幼年期:ベンヤミンと書物4


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「身体としての書物」     今福龍太

 

 第11回 学級文庫 ベンヤミンと書物 2

一方通行路』という本の一部であった「本を読む子供」、それから『1900年代頃のベルリンの幼年時代』の最終稿に収められた「幼年期の本」、このふたつのテクストを先週読みました。もうひとつ今日読もうと思っているのが「学級文庫」というエッセイです。これは、「ベルリンの幼年時代」の最終稿以前のアドルノ稿と呼ばれた、ベンヤミンの死後1950年に刊行された最初の本の段階で収録されていたテクストです。アドルノ稿(およびそれにもとづく旧定本稿)では、最終稿の「幼年期の本」というテクストではなく、「学級文庫」というこのテクストが入っていたのですが、その直前にもうひとつテクストがあって、それが『一方通行路』に所収されていた「本を読む子供」でした。ベンヤミンは、最終稿をつくる段階でそれらをひとつにまとめて「幼年期の本」というようにタイトルも文章も書き換えたわけです。われわれはかならずしもそれらを時系列的に読み解いているわけではありませんが、今とりあげたこれら三つのテクストは、非常に複雑な関係にあることがわかるとおもいます。

先に今日配布した資料のことをすこしはなしておくと、ひとつはあとで触れる「模倣の能力について」というベンヤミンが書き残した非常に預言性の高い、短いけれども深い内容をもった文章です。「身体としての書物」というここでの議論も、たとえば子供などに見られる模倣の能力にかかわらせながら今後見ていきたい。それから、もうひとつの資料は、不思議な文字が踊っているような書の作品のコピーですね。これらについてはあとで触れます。

ではまず、前回にひきつづき「幼年期の本」を読み進めていきましょう。先週はここで止めておいたのですが、502ページに不思議な文があらわれます。

「あの網になった細い糸が、秋空の木々の枝に漂う蜘蛛の糸のように掛かっていた。」

非常に謎めいた一文です。前回すこしヒントを出しておきましたが、ここを素通りするわけにはいきません。かといって、この部分が確実に何を意味しているかがわからないと先に進めないということでもないでしょうし、ベンヤミンのテクストにはしばしばそういうことがあるのですが、どこか少し後にこの部分に隠された意味を解く鍵がある、ということもあります。そもそも、この段階で意味を理解したうえで先に進まなければならないような読み方を、ベンヤミンがわれわれに要求しているわけでもありません。本を読むということは、それまで読んできた部分の先がつねに全く未知の領域であるという状況に身を置くことで、単純に表面的な意味が取れないというだけで読書行為じたいが途中で宙づりにされる必要はなくて、どんどん先に入っていけばいい。それは、子供たちが、どこに着くのかよくわからないけれど雪の半分降り積もったような物語の道筋に駆けこんでいこうとするのと同じことです。けれども、何らかの心のひっかかりだけは、自分のなかにつけておきたい。「秋空の木々の枝に漂う蜘蛛の糸」とは一体何かということについてある程度イメージをつくっておきたい、ということです。

こういうよくわからない文にぶつかると、ぼくもよくやることですが、ドイツ語の原文のみならず、英語やポルトガル語やフランス語の訳文を読み比べてみる、ということをやってみるのもいいでしょう。そうしてみるとベンヤミンの文が、立体的に見えてくるということもあります。あまり手がかりにはなりませんが、資料の英語訳を見てみると、こうなっています。

「Hanging on its pages, like Indian Summer on the branches of the trees, were sometimes fragile threads of a net in which I had once become tangled when learning to read.」

ところで、ベンヤミンに「翻訳者の使命」という、これ以上の翻訳論はいまだ登場していないと言っていいほどの洞察力にあふれたエッセイがあります。翻訳というのはある言語から別の言語へただ単に意味を移すことではない。ベンヤミン的な思想にたって言えば、翻訳とは元の言語のなかに隠された可能性が翻訳言語において試されること、つまり、たとえばドイツ語の原文のなかに隠されていたさまざまな意味を、英語においてどういうふうに浮上させられるか、という問題なんですね。逆に言えば、翻訳することで、英語や日本語の既存の意味体系がより豊かに、強靭なものに変わるという、むしろ翻訳言語のほうが試される、鍛えられることにもなる。ものすごく単純化して言うと、それがベンヤミンの考え方です。だから、英語とかポルトガル語とかフランス語とか日本語でベンヤミンを読むということは、それぞれの能力をもった言語がベンヤミンのどの可能性を発掘してくるかがおぼろげながらみえてくるわけで、とてもおもしろい作業です。

先ほど挙げた英語訳にもどると、Indian Summerというのは晩秋、夏が終わったのにおとずれる夏の一日という北米的な季節感をあらわす語で、だからこれは「ページのうえに垂れ下がっているのは、木の枝にかかっている小春日和のように」と訳せる。それはさらにfragile threads of a net でもあって、つまり「もろく破れそうな網のような糸」、蜘蛛の糸=a spider netとは書いていません。このnetをどう理解するかで解釈がわかれるでしょうね。英語訳でのニュアンスからは、もやもやした網のようなものが枝に垂れ下がっている、という漠然とした状況しかみえてきません。ドイツ語原文では、木の枝にかかっているのは
Altweibersommerとなっていて、これは小春日和のことでもありますが、第一義的な意味では、「秋の晴れた日に空中を浮遊している蜘蛛の糸」のことで、これが衣服につくと幸福になるという迷信さえあったものです。Netz(ネット=網)を蜘蛛の糸とした日本語訳は、こうしたニュアンスを取り込んだものだというわけです。

 さて、「かつて字を覚え本を読み始めた頃私を絡め捕った」というのが、この部分を読み解くまさにヒントなのですが、学級文庫の本をもらうときこのベンヤミンであろう少年はまだ完全に本をすらすら読めるような段階にはない。そうだとしても、すでに十分に文字を読み、おおよその意味を判読し、その内容を自分のなかに吸収してゆく能力はあった。ところが、「かつて字を覚え・・・」というのはそれよりももうすこし前の段階のことで、初歩的な読み書きができるか出来ないか、教科書でならったことぐらいは読めるけれどちょっと背伸びして難しい本を読もうとするとわからない文字に大量にぶつかる、そういう時期に少年のまなざしを絡めとった細い糸の網だったのではないでしょうか。つまり、読めない字がたくさんあるという状況を、こういうふうにして、視界にぼやっとしたネットがかかっているような景観として書きあらわしたんですね。蜘蛛の巣の網が少し破れて、すこしづつ意味がみえてくるという経験は、日本語のような表意文字だとわりとわかりやすいのですが、それはアルファベットのような音声記号化された文字体験とはまた別なものなのでしょう。しかしいずれにせよ、理解できない部分を残したつづり字や単語に対して抱く子供の不可解な謎のような感情が、ここで言う網なのではないか、という理解の構えができてきました。というところで、先に行きましょう。

「その本はあまりに高すぎる机のうえに載っていた。読むときには、私は両耳を塞いでいた。」

これは、先週読んだ「本を読む子供」にもありましたが、その先の展開が異なります。

「そんな風に声もなく物語が語られるのを、私はすでにいつか聞いたことがあったのでは? --父、ではもちろんなかった。でもときおり、冬に、暖かい部屋の窓辺に立っていると、外を舞う吹雪が、私にそのような声のない物語を聞かせてくれたのだった。」

前回のテクストでは、耳を塞ぐことがどういうことなのか説明はありませんでしたが、今度は、暖かい部屋の窓辺に立って外の景色に吹雪がだんだん降り積もってゆくのじっと眺めるようにして、声のない物語、音のない物語が自分のなかから聞こえ出す、と書かれています。つまり、窓の外の雪景色を見るという状況が本を読むという状況と物理的な対応関係にある、ということです。子供のころはその雪景色のなかにいろいろなものを想像して、そこから物語の声が聞こえはじめる。これを本を読む子供に例えると、雪景色であるページから語りかける物語の声や音に耳を傾けるためには、部屋の雑音をみずから消して、自分と本とのあいだに窓ガラスをさしはさまなければならない、というのが耳をふさぐという行為の意味するところでしょう。

そして、「父、ではもちろんなかった」ともあります。親が少年だったベンヤミンに物語を読み聞かせることもあったのでしょうが、ここで母ではなく、父と言っているところもすこし気になりますね・・・(『ベルリンの幼年時代』の各挿話の、どこにどのように父が現われ、どこにどのように母が現われるか、の比較分析は非常に興味深い作業です)。ともかく物語を語り出すのは、本を読めない自分にかわって語り聞かせてくれる父親ではなく、書物の世界に無媒介的に耳をつなげることで自分の内奥からひびいてくる声であり、それは親から受動的に伝達されるのではなく、子供なりの主体的な参入の動きのなかで生じてくるものでした。

「外を舞う吹雪が、私にそのような声のない物語を聞かせてくれたのだった。吹雪が語っていることを、たしかに私は一度もちゃんと捉えることができなかった。前から知っていることのなかに、新しい話が、あまりにもひしめきあって、あまりにも次から次へと押し寄せてくるからだった。」

これは、物語の世界を読み手である子供=ベンヤミンがまだ完全にコントロールすることができないことの謂いですね。次は前回のテクストにも出てきました。

「私がひと群れの雪片の仲間に加わって、やっと親密になれたときには、この雪はもう、そこへ突然割りこんできた別のひと群れに私を委ねなければならなかったのだ。」

これもベンヤミンらしい一見するとわかりにくい言い回しです。ある雪のまとまりに自分をようやく同化させることができた途端、それとは別の雪のまとまりが自分と書物との関係に割り込んできて、そちらのほうに子供を押しやってゆくということでしょう。

「しかしそのとき、窓辺の私には捉えられなかったいくつもの物語を、今度は活字たちの吹雪のなかで追い求めるべき時期がやってきた。」

このあたり、ずっと雪景色のはなしが本を読むはなしとして語られていて、つまりそれは、本とその本から物語を引き出そうとする子供とのあいだに成立する関係性の比喩なんですね。本が吹雪となってかれを襲って、やっと親しみのあるものになったと思うとまた別の物語が吹雪いてかれを翻弄するというダイナミックな運動が、本と本を読む子供とのあいだに生まれてゆく。あとはわかりやすいですね、色々な冒険物語を読み進めてゆくうちに、世界のさまざまな土地がかれのなかに飛び込んでくる様子が語られたりしています。まあ、第2パラグラフまではこれでいいでしょう。ところが第3パラグラフから、唐突にそれまでの学級文庫の話題とは異なる不思議な挿話のトーンが侵入してきます。

「私の心の操を通したのは、もっと古い、いくら捜しても見つけられなかった本に対してだったのだろうか? つまり、ただ一度だけ夢のなかで再会することができた、あの不思議な本たちに?」

話はふたたび謎めいてきていますが、ここで今ベンヤミンが思っているのは学級文庫以前に出会った本、それよりももっと古い、もう捜してもみつからないしどんなタイトルかも忘れてしまった、彼にとっての最初の本、一度だけ夢見た本のことです。「幼年期の本」という文章で、ベンヤミンはまず学級文庫を媒介にして、〈はじまりの本〉というものに回帰しようとしている。そのはじまりの本の記憶、はじまりの本の彼の身体のなかでのありようを引きずり出すために、ベンヤミンは学級文庫の記憶をまず手がかりにしたわけですね。これは、想起という問題をめぐる非常におもしろい心の状況です。記憶を媒介にして過去を想起するとき、想起したい特定の時点が引っ張り出されれば、それで終わりなのか、という問題が喚起されているわけです。言うまでもなくベンヤミンにとって想起という営みは、そういうものではない。むしろ今現在の自分、40歳ぐらいのベンヤミンが7歳ぐらいの過去の自分や自分にまつわる出来事というものを想起しながら、そのもっと奥にある、40歳の自分にはもう二度と見つけられない何かを探るということです。たとえばこの場合、本というテーマがあるわけですが、本をめぐる原初的な記憶が隠されているこの深みに入ってゆく試みがここでなされている、というこです。これが、ベンヤミン的な想起にみられる希有なメカニズムですね。人間が本とどのようにして出会うかという問題は、彼個人のものというよりは、集団的な社会におけるひとつの普遍的な現場、ある種歴史的な現場でもあります。個人史や個人的な記憶をそういう集団性・社会性・歴史性につなげてとらえるというのが、ベンヤミンの思想の核心です。

さて、ベンヤミンが夢のなかで見た本は、「戸棚に、横積みに置かれていた」とあります。ここに少し気をつけておきましょう。

「ところで目覚めてみると、そんな戸棚を目にしたことはこれまで一度もなった、と悟らざるをえなかった。夢のなかでは、それは昔からよく知っている戸棚のように見えた。それらの本は立てられていたのではなく、横に寝かされて積まれていた。」

これがベンヤミンにとっての、もっとも原初的な本の風景でした。「それも、戸棚の悪天候区域に」などと言っていて、ベンヤミンはこの断章で一貫してひたすら気象学的な比喩を使いながら、書物の原型的なかたちを何とか言い当てようとしていることがわかります。

「その本たちのなかは、荒れ模様になりそうな雲行きだった。それらのどれか一冊でも開いていたら、私は、暗鬱ながらさまざまな色彩を孕んで千変万化する物語が厚い雲に被われている世界の、その真っ只中に引き込まれていたことだろう。その色彩は滾ったかと思えばさっと変わるのだったが、いつもそれは、屠殺された動物の内臓に染められたかのごとき菫色になった。この禁じられた菫色と同様に名状しがたく意味ありげだったのは、それらの本の題名で、そのどれもが、私には、あの学級文庫からもらった本の表題よりもずっと風変わりで、ずっと親しみのあるもののように思われた。」

この断章が、〈原初の本〉〈はじまりの本〉に関する記述であったということが、ここにいたってようやくあきらかになりましたね。最後は雪から雲に比喩が変わって、「その色彩は滾ったかと思えばさっと変わるのだったが、いつもそれは、屠殺された動物の内臓に染められたかのごとき菫色になった」とありますから、それはエネルギッシュでダイナミックな色彩の変容状態にある雲、そこにふみこんでゆくという夢のなかの書物論的な経験です。最後に、風変わりでもあり、親しみもあると矛盾しているようにも聞こえる本のタイトルのことが書かれてありますが、ここでのタイトルへの言及はさきほど言った夢のなかで本が横積みにされていることと関係がありそうです。縦書きの日本語とちがってアルファベットのタイトルは横に置かれてはじめて正しく読める状態になるわけですからね・・・。まあ、答があるわけではありませんが、背表紙に書かれた「本の表題」というのは、子供にとっておそらくほとんど読めない、つまり恣意的な記号によって固定化された意味が伝達されるようなものではなく、文字の図像性が何か別のかたちに変容してゆく、謎めいたものだったのかもしれません。たとえば、西洋人にとっての日本の都市景観のエキゾチックなおもしろさは、まったく読めない漢字の氾濫ですね。かれらにすれば、記号的な意味をまったく知らずに、図像的な想像力で都市を読むように歩くことしか出来ないわけです。それと同じことで、ここでは「かつて字を覚え本を読み始めた頃」の子供が本のタイトルにむけていた図像的な想像力の強度のことを描いている、と言っていいでしょう。

つづいて、「学級文庫」というエッセイを読みましょう。先ほども言いましたが、これは「ベルリンの幼年時代」の最終稿より前の段階の、アドルノ稿に収録されていたテクストです。ここでは、学級文庫と「読本」とが対比されて語られています。ベンヤミンは、ともかくこの「読本の教科書」を読むのがイヤでイヤでたまらないんですね(笑)。

「読本では、そこに載っている物語のひとつひとつに、何日も、それどころか何週間もとどまっていなければならなかった。それはまるで、門の上に--つまりその建物銘[物語の表題]まえに--建物番号[物語の番号]が付いている兵舎に宿営するみたいだった。それ以上に性質の悪かったのが、要塞の装甲室のごとき愛国詩で、その一行一行に、ひとつずつ独房が待ち構えていた。それにひきかえ、休み時間に分け与えられた本からは、ほのかに暖かい古本の息吹が、なんと南国の気配をたたえて、なんと柔らかく、私にそよいできたことだろう。」

ベンヤミンがいかにドイツの公教育の杓子定規的世界になじめない生徒であったかが、よくわかります。「兵舎」「要塞の装甲室」「愛国詩」「独房」というイヤなメタファーが連続して出てきますが、ベンヤミンが本を読む行為をどのような比喩や類似性によって描き出すか、これがおもしろいところですね。ちょっと途中を飛ばして、619ページに行きます。

「白い夜着を着た女、目を開けているくせに眠っているようで、燭台であたりを照らしながら歩廊をさまよい歩く、あの女から漂ってくる恐ろしさは、フライデーの絵の場合よりも何倍も陰鬱に感じられた。その女は窃盗狂の女(クレプトマーニン)だった。そして問題は、この《Kleptomanin》という言葉である。つまりそれは、歯を剥き出しにするような邪悪な音で始まり、この音があとの、それだけでもう充分に幽霊じみた二音節、《Ah-nin(先祖の女)》を、北斎が死者の顔にちょっと筆を加えただけでそれを幽霊に変えてしまうように、いやがうえにも気味悪くしていた。私の体はこの言葉に、恐怖のあまり硬直するのだった。」

クレプトマーニン、「歯を剥き出しにするような邪悪な音」。これは音自体が子供にとって発音するのが嫌なもので、その音を聞いただけで体が震え上がってしまうというのですね。そして、「先祖の女」のような幽霊の図像イメージを子供につきつけてくるわけです。音を介した図像的なイメージの連想--「ベルリンの幼年時代」の記述はある意味でそうした連想であふれかえっていると言ってもいいでしょう。偶然耳にしたり本で知った音が子供じみた想像力を媒介にして何かまったく別のイメージとして忽然と目の前にあらわれて、それに驚いたり、怖がったり、まるでトンチンカンな奇抜な行動に出たりするエピソードがたくさん登場します。

「ベルリンの幼年時代」には、「ムンメレーレン」という有名な断章があります。ムーメというのはドイツ語で「おばさん」という意味で、ムーメ・レーレンといえば、童謡などによくあらわれるレーレンおばさんのことです。ところで、ベンヤミンはムーメということばの意味を小さいころ知らなかった。ベンヤミンの幼い耳にそれは、ムンメレーレン、つまり仮装したレーレンと聞こえて、精霊のような像を思い浮かべていたわけです。

「この誤解のために、私の目に映る世界の様相が変わることになった。といっても、うまい具合に、である。この誤解によって世界の内奥へと通じる道がいくつも教示されることになったのだ」

と彼は言っています。音を誤解して異様な図像イメージを呼び覚まし、そのなかで世界を理解してゆく、こういうことを子供はひたすらやっているわけです。ある言葉の意味をずっと誤解してきてあるとき辞書を調べてみたらまったく別の意味がそこにあっておどろいたという経験は誰にでもあるはずで、われわれはそのことをすっかり忘れているんですね。ベンヤミンがすごいのは、われわれが往々にして忘れているそうした経験の層を想起して、それを哲学的な問題に高めることができるところです。「ムンメレーレン」には、こうあります。

「早いうちから私は言葉のなかに自分を包みこんで--言葉(ヴォルテ)は本当は雲(ヴォルケ)だった---雲隠れ(ムンメン)することを学んだ・・・」

ムンメンという動詞は、なにかのなかに雲隠れするという意味があって、それに掛けているわけですが、あることばの自分なりの解釈のなかでことばと自分の物質的な関係性をつくっているということです。雪、雲、精霊レーレン・・・。ことばはヴォルト、複数形でヴォルテで、雲はヴォルケ、ちょっとした言葉遊びですが、「言葉は雲だった」などと言っていますね。

これは偶然の音の類似性によるあと付けの説明かもしれませんが、「ことば」という単語の音が「雲」のそれに似ているということは、子供にとってある連想を誘い出す決定的な何かだったはずです。つまり、先のテクストではじまりの本を雲に例えていた、雲という比喩をつかっていたことは、ベンヤミンにとって実質的な意味あいを持っていたということになります。これを、彼は「模倣の能力」、と呼びました。今日はベンヤミンの考察する模倣=ミメーシスのメカニズムに立ち入るための導入をすこしはなしておきましょう。

ミメーシス、模倣の能力というのは、人間文化でいえば古い呪術的な身ぶり、たとえば民俗的な伝統芸能や演劇のなかに残っているものです。そこでは、自然界のさまざまな動きや所作を模倣して、まず踊りをつくります。宮沢賢治に「鹿踊りのはじまり」という、童話と呼ぶにはあまりにも深遠な、東北一帯につたわる鹿踊りという民俗芸能の発生を描き出した示唆的なテクストがあります。東北の原生林に人間が移り住むとして、かれらは野生のテリトリーと本質的にかかわることになるわけですが、そこで人間がまずはじめにやったことが、森のなかの鹿のダンスを真似すること、鹿踊りを創造することでした。これはアメリカインディアンの世界もまったく同じで、かれらにとっての伝承というのは、自然条件のなかでのさまざまな事象や事物を模倣した踊り、鳥や動物や木のダンスのことで、人間というのは文化を作り上げるときまず最初に自然界の所作を模倣して、人間的な所作に変換しようとするわけです。なぜ模倣と伝承が一体となっているかは非常に重要な問題ですが、ともかくこれが、ミメーシスの原型です。ベンヤミンは、この鹿踊りなどに見られる原型的なミメーシスを、「感性的な模倣」と呼んで、もうひとつの「非感性的な模倣」と区別しています。感性的な模倣のほうは、人間の模倣の能力だけではくて、昆虫の擬態などもふくまれます。これはある特定の柄、模様をもった昆虫が鳥の餌にならないよう体内に毒をもつことで種を存続させているとして、別の種がこの昆虫の柄を真似て身を守ろうとすること、とか、もっと単純に、枯れ枝に自分の姿を似せて身を守る、といったようなことですが、そうした自然界における模倣の能力もここにふくまれます。それから非感性的な模倣のほうは、彼に言わせれば、言語のことで、これは非常に洞察力ある考えですが、今日はそこに立ち入ってゆくための問いかけをして、終わりにしましょう。

ここに井上有一と森田子龍という書家の作品のコピーをもってきました。かれらは1951年に京都の石庭で有名な竜安寺で墨人会という前衛的な書のグループを形成した人たちで、井上有一は56年にはサンパウロのビエンナーレにも作品を出展していて、その時の作品コピーもあります。ともかく墨人会の書の運動は日本の書道史をみわたしてみても希有な出来事で、かれらのあとにその系譜が展開されたり確立されたりした形跡もないのですが、井上有一や森田子龍の作品は、ここでいう模倣の能力にかかわる問題をみごとに提起しているように思われます。井上有一といえば、宮沢賢治の作品「なめとこ山の熊」を写し取った晩年の作品でも有名です。乱暴にも見えるやや判読しがたい文字が木炭書きでずらっと書き連ねられた横にながい巻物のような壮絶な作品ですね。

「なめとこ山の熊」というのは、熊撃ちの男のはなしです。この熊撃ちの猟師は、森のなかで熊が餌を食べたりして歩く道を知りつくしている熊に身体的にも一体化することのできる人物で、つまり熊を獲物として対象化する以前に熊そのものと交感できる能力をもつ人でした。南アメリカのブッシュマンとライオンの関係も、これとまったく同じですね。かれらは身体的な所作のマネをつうじて、ミメーシスの世界に入ってゆく、つまり熊なら熊に同一化してゆくわけですが、獲物として仕留めた途端に、熊は対象化されて、肉や毛皮として道具化されて、モノとして仲買人に売られたりするわけですね。つまりここで、物語の熊撃ちの猟師は、動物と一体化するミメーシスの世界と近代的な商行為の世界とのはざまでディレンマを抱える。そして最後はみずから熊の世界に入っていって殺されるわけですが、ここで熊とのあいだで不思議なコレスポンデンス(交感)の関係を打ち立てることになって、なんと熊がこの猟師の遺体を埋葬するんですね。

井上有一の書においても、こうしたミメーシス、自然界との交感の問題がするどく意識されていました。プリントを見てもらえばわかると思いますが、まさに文字に蜘蛛の巣の網がかかったような、得体の知れないもやもやとした文字以前の文字がそこにあります。おそらくベンヤミンが断章で描いたあの子供たちは、文字というものを、こういうふうに見ていたのではないでしょうか。文字がみずから内在させている模倣能力を媒介にして一挙に図像性を浮き彫りにさせるというのは、漢字の象形性、つくりやへんといった記号性のはたらきによって構成される文字の図像性とはちがうものです。意味内容がいきなり図像的なイメージとして飛び出してきてしまうというのは、まさに子供が文字をみつめているときのあのもやもやとした感じなのです。有一の作品、これはどういう文字かわかりますか、上は、そう「刎」です。では、下は? これはちょっと読めないと思いますが、「愚徹」。書家の晩年の心的状態をあらわす語なんでしょうね。文字の一部が半紙からはみだしていますが、井上有一は下に新聞紙を敷いて書いて、展示のときははみ出した部分の新聞紙もくっつけて作品としていました。もうひとつは森田子龍の書です。風と圓、という作品で、こちらのほうが、ベンヤミンのいう枝に垂れ下がる蜘蛛の糸に近い感じかもしれません。とくに圓のほうは、いくつもの円環が渦巻いていておもしろいですね。それから、ロジェ・カイヨワというフランスの思想家・文人の本におさめられた子龍の書もあります。カイヨワも、ミメーシスの問題についていろいろ書いている興味深い作家ですが、かれが京都をたずねたときにかれの書に驚喜して、フランスに持ち帰って自分の作品の収録したりしています。さて、この二つの作品が、何という文字を書いているのか、来週までに考えてみてください。右のほうは、先きほどみた「風」に似ている文字で、左のほうは、まあぼくに関係している、というのがヒントですよ。

(2007年10月16日、於東京外国語大学。聞き書き:浅野卓夫)


○ヴァルター・ベンヤミン『ベンヤミン・コレクション 3 記憶への旅』浅井健ニ郎(編訳)ちくま学芸文庫、1997.


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井上有一「なめとこ山の熊」(1984)
井上有一「刎」(1980)
井上有一「愚徹」(1956)
森田子龍「風」